天の覆水盆に返る
2026-6-15
「よう。みのり」
「おはよう。鴫谷君。今日は楽しみましょうね」
「ん?ああ」
「こんな良き日をあなたと迎えられて光栄だわ」
「おう」
「われら誇り高き同志たちの栄光と、われらの輝かしき未来に乾杯!」
「…乾杯」
「千葉県民に祝福あれ!」
「…祝福あれ」
「何よ鴫谷君テンション低いわね。低気圧?」
「それもあるけど」
「お大事に。いえ、ご愁傷様」
「腹立つなお前。いやそうじゃなくてさ」
「なにかしら」
「県民の日ってそんな大々的に祝う日じゃないって」
「え?」
「あんまピザとコーラで乾杯する日じゃないって」
「そんなに否定するとは…あなたさては埼玉の工作員ね」
「うわっ県単位の右翼初めて見た」
「埼玉の工作員が千葉を破壊しようとしてるんだから」
「県単位でわけわかんないデマ流すやつ初めて見た」
「海もないくせに」
「もはやそれディスとして成立してないぞお前」
「私はお気に入りを擦り続ける女なの」
「まあ百歩譲って県民の日パーティーはいいとして。お前さ」
「どうかしたの?」
「じゃあ千葉のもの食え」
「何よ。ピザとコーラは千葉県民のソウルフードよ?」
「んなわけないって」
「千葉県民たるもの、喜ばしき日はピザとコーラを食べるの。ウチの家訓よ」
「家訓に属性入ってるの初めて見た」
「まあウチと言っても、もう私一人しかいないんだけどね。アハハハハハハ!」
「…」
「なんで笑ってないの?世紀の超絶面白ギャグじゃない」
「笑えないってマジ。それ。いまだに」
「どうして?」
「ネタとして受け入れられないから」
「なんで?」
「お前の両親が亡くなった日のこと、未だに覚えてるから」
「あらありがとう。覚えてくれてるのね。あの日は五月にしては暑い日だったわ」
「全然違うだろ。珍しく雪降った十二月だっただろ」
「そうかしら。よく覚えてるわね」
「お前が異常だよ。普通…いや分からないけど。両親が死んだ日くらい覚えるだろ」
「私はもう忘れたわ」
「嘘だろお前」
「ホントよ。いちいち引きずっていられないの」
「引きずってもいいと思うけどな俺は」
「過去のことに執着したって、何も変わらないわ。ウジウジ悩む時間も寿命の一部よ」
「よくもそう考えられるよな」
「切り替えが早い性格なの。とはいえ、笑えないボケをしてしまったのは申し訳ないわ。ごめんなさいね。鴫谷君」
「いや、まあいいよ。で、今日は何?朝っぱらから呼び出しておいて。ただパーティーしたかっただけ?」
「そうよ。まあいいじゃない。そういう日があっても。なんたって千葉県民の日なんだから」
「その県民の日にかける情熱はマジで何なんだよ」
「ところで鴫谷君。最近学校はどうなの?」
「ん?どうした急に」
「人が来なくなったって言ったじゃない。郡川とかいう男が自殺してから。その後はどうなったのかな、って」
「郡山、な。まあだいぶ戻りつつあるんじゃないのか。不思議なもんだよな…って。なんでお前知らないの?」
「え?」
「いや、学校毎日来てるんだからさ、不登校の奴が増えたとか減ったとか分かるっしょ」
「分かるわけないじゃない。あなたは野菜炒めのもやしの本数を数えるの?」
「それは何に対するどういう比喩だよ」
「それで、実際どうなの?」
「いやだからさっき言った通り、戻ってる。ひどいときはクラスの二割くらい来なくなってたんだけどな」
「まあ大方の想像通りね」
「そうなの?」
「ところで鴫谷君、デウス・エクス・マキナって知ってる?」
「何それかっこいい」
「まあ大まかに言うと演劇とかのご都合展開よ。最後に神様が出てきて終わらせるの」
「へぇ。それがどうしたんだ?」
「いずれあなたにも分かる日が来るわ」
「お前には分ってるのか?」
「ええ。分かっているから、こう動いているの」
「そうなのか」
「鴫谷君は、どうしてみんなが戻ってきたんだと思う?」
「どうしてってそりゃ、乗り越えたんだろ。ショックとかを」
「あなたは今怖い?」
「は?」
「言ってたじゃない。『誰かの視界から、認識から、記憶から、消えるのが怖い』とかなんとか。あなたはそれを乗り越えたの?」
「…」
「乗り越えられるわけ、ないわよね。怖いものは怖いもの。あなたは死の恐怖に打ち克てるほど強い人間じゃないもの」
「何が言いたい」
「あなただけが弱いって言いたいんじゃないわよ。みんながみんな弱いの」
「じゃあどうして、戻ってこれたっていうんだ?」
「忘れたのよ」
「いやお前。そんなわけないだろ」
「忘れたのよ。いえ、薄まったのよ。時間のせいで」
「は?」
「これ以上は自分で考えなさい。でもね鴫谷君。覚えておいて?」
「何をだよ」
「生と死は表裏一体なの。生きることは即ち死へのカウントダウン。何の気なしに生きているこの一瞬だって、着々と死の足音が近づいてきているの。それを、私は深く学んだの。愛する両親から。だから私は。うん。そうね。後腐れのない毎日を生きるとでも言うべきかしら」




