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☆十一月【ぼっち男子】

立花(たちばな)太史(たいし)】編

 ──可哀相。

 施設で育つと、そんなふうに思われることが多い。口には出していなくても目を見ればわかる。そんな上からの目線に苛立ちを覚えることもあったが、だからといって〝親なんかいないほうが自由でいい〟なんて楽観的なことを言われても釈然としない。

 この島の高校に入学しに来た奴らは、興味本位で施設を訪れ、物珍しそうに子供たちを見て、他人事のように感想を言って、何も得るものがなかったと言わんばかりに帰っていくだけだった。

 ……それでいい。部外者に求めているものなど何もない。所詮、痛みも分かつことのできない赤の他人だ。下手に干渉して偽善を押しつけてこられるよりはマシだ。関わりや繋がりなど持つべきじゃない。そんなものは……誰も求めていない。

「なぁなぁ~、無視すんなよ~」

 耳元でハエのようにたかる、和智田陽平。朝からずっとだ。静かな環境を求めて教室を出たのに、図書室にまでついて来る始末。

「うるさい。僕はお前みたいな馴れ馴れしい奴が嫌いなんだ」

「ガーン! いくらなんでもストレートに言いすぎだろ!」

 昼休みでも人っ子一人いないとはいえ、だからこそ声が響く。

 わかりやすく大きな溜め息をつき、手に取っていた心理術の本を開いて、そこに書かれていた一文を指差した。

「ここに書いてあるだろ。〝嫌いなものを嫌いだとはっきり言える人間のほうが信頼できる〟と」

「え? 俺に信頼してほしいのか? それならそうと早く言えよ~♪」

「そ、そういう意味じゃない!」

 本を閉じて戻し、隣の棚へ移動する。

「お前も俺のこと、どんどん信頼してくれていいぜ! だから願望を聞かせてくれよぉ。なんでも叶えてやるって言ってるじゃ~ん」

「なら、今すぐ目の前から消えてくれ。僕の周りで騒ぎ立てるな」

「残念ながら、そういうものは基本的に誕生日だけの限定サービスだ。それが願いなら当日はそうしてやるけど、一日過ぎればまた元通りだぜ!」

 胸を張るな! 歯を見せるな!

 どうしようもない腹立たしさに、初めてその目と向き合った。

「いいか、よく聞け。僕は自分が手に入れたいものは自分で手に入れる。お前に頼みたいことなんて何もない。僕の邪魔をするな、僕に干渉するな。お前が僕に話しかけるたびに僕はお前が嫌いになる。わかったか!」

「わかった! けど俺はお前に話しかけたい! どうすればいい!?」

「知るか!」

 体ごと視線を逸らす。

 こいつには何を言っても意味がない。他人の気持ちをくみ取る心がない。時間の無駄だ。

 無視して、再び本の背をなぞり始める。すると、隣は途端に静かになった。

 音もなく立ち去ったのかと思い、何気なく目をやると、尚も仁王立ちをしていたが、顔はほころぶでもいじけるでもなく、据わっていた。

「お前は俺が嫌いというより、他人が嫌いなんだろ。なんでそんなに避けるんだよ。いろんな奴と喋ったほうが楽しいぜ」

「学生の本分は勉強だ。お前たちと話したところでなんの足しにもならない」

「確かに、俺と話してもテストの点数は上がらないだろう。けど、心に笑顔が満点だぜ!」

 何言ってるんだ……。

「どうせお前も、僕のことを可哀相な奴だと思っているんだろ。一人で寂しそうだとか思っているんだろ。だからそんなにしつこくするんだ」

「いや、思ってないぞ。一人でずっと勉強してて偉いな~とは思うが。……そんなになりたいのか、お医者様に」

 天川から聞いたのか……余計なことを……。

「人の痛みを和らげてくれる職業だよな~。お前に傷つけられた俺の心も癒してくれ!」

「…………」

 アクションを取ってはいけない。しばらくすれば諦める。熱い奴に限って折れるのは早い。飽きるのは早い。本質のない見せかけだからだ。

 盛り上げようとすることは悪いことじゃない。だが、中身がなければ真に届くことなんてないんだ。伝えようとしても、伝わるはずがないんだ……。



 ――そう思っていたからか、裏切られた。

 和智田は毎日、ことあるごとに話しかけてくるようになった。

 朝登校すれば、

「ワンちゃん! グッドモーニング!!」

 授業が始まれば、

「ワンちゃん! ここ教えてくれよ!!」

 授業が終われば、

「ワンちゃん! 次は体育だぜ!!」

 体操服に着替えれば、

「ワンちゃん! 体育館まで競走だ!!」

 バスケでボールが回ってくれば、

「ワンちゃん! こっちにパスだ!!」

 仕方なくパスを回せば、

「ワンちゃん! パス返しだ!!」

 倍返しを顔面で受ければ、

「ワンちゃん! 眼鏡がバリバリだ!!」

 担架で保健室に運ばれれば、

「ワンちゃん! 死んじゃ嫌だ!!」

 何事もなく昼食を食べていれば、

「ワンちゃん! その肉巻き食べてやる!!」

 掃除の時間になれば、

「ワンちゃん! 階段掃除はスカート覗き放題だな!!」

 放課後になれば、

「ワンちゃん! 二人でお医者さんごっこしようぜ!!」

 全力で逃げれば、

「ワンちゃん! また明日な~!!」



 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 そういう時間が、一週間くらい続いた。



「──あいつは悪魔だ!!」

 家の陰に身を隠し、いつもより長丁場だった魚雷の追尾をなんとか振りきったところで、呼吸を整える。

 こんなことになるのなら、はじめからテキトーな雑用でも押しつけておけばよかった。

 和平の使者が聞いて呆れる。お前がいるだけで僕の生活は脅かされるんだ。その執着心を勉学に充てろ!

 その気持ちが通じたのか、それがピタリとやんだ日があった。

 朝、いつものように割れ鐘のような挨拶が飛んでくるかと思いきや、和智田は始業のチャイムが鳴っても現れなかった。

「バチ子! 和智田が風邪で倒れたんですって!」

「へぇー、あんな馬鹿でも風邪引くんだねぇ」

「俺っち、心配で様子を見に行ったんだけど、四十度近い熱があったよ……!」

「あーら、勇介ちゃん、うつされたら大変よ。行くのはおよしなさい」

「あいつに薬あげても飲まなさそう」

「まあ、ほっとけば治るだろ。たまには静かな学校ってのも悪くねぇしな」

 なんだ、いつもむさ苦しいほど一緒になって騒いでいたくせに、こういう時は無視するどころか、邪険にするのか。所詮、上辺だけのつき合いか。

 正直、和智田がいなくても楽しそうにしている奴らを見て、少し腹が立った。仲間だの友だちだの言っておいて、肝心な時には見ていない。邪魔にならないように頭の隅に追いやる。

 〝あいつなら大丈夫だろう〟は信頼じゃない、放棄だ。信頼を被せた裏切りだ。

「……だから、嫌いなんだ……」

 無意識なのかもしれないが、彼らは和智田を見放していた。

 そう考えると、握ったペンも思い通りに走らず、気分の悪さが拭えない。

 この日は、教室がいつも以上に広く感じた。



 その次の日も、和智田は来なかった。そのまま土日に入るから、面倒になってずる休みをしたのかもしれないが……と思っていたら、翌週の月曜日になっても現れなかった。

 ただの風邪じゃないのかもしれないと、いらぬ世話を焼きそうになった。

 さりげなく周りに目を向けても、映るのは寝ぼけ眼をこする姿ばかり。特に話題がないのか、口数は日に日に減っているようだった。

 そうだ、自分もそうすればいい。和智田が苦しんでいようが、孤独になっていようが、僕には関係がない。気にしなくていい。あいつのことだ。助けが必要ならそう言うはず。言わないのは問題がない証拠なんだ。

 放課後になって、ようやく雑談を始めた奴らを横目で見つつ、教室をあとにした。

 言い聞かせたところで、まったくわだかまりがなくなったというわけではない。だが、だからといって寮の部屋を訪ねてみようなんて思うはずもなく、習慣づいた足はいつものように自分が幼少期を過ごした場所へと向かっていた。

「あっ、太史お兄ちゃんだぁ!」

 涼しい秋風が足元をすくうなか、施設の外で落ち葉を追いかけていた男の子が駆け寄ってくる。一緒に玄関から中へ入ると、子供たちは次々と集まってきた。

 小さい手に引っ張られながら、不自然にぽっかりと空白ができた遊び場を抜けて、テーブルと座布団が敷きつめられた部屋に入る。

 健康的に遊ぶほうがいいんじゃないかと思う時もあるが、慕ってくれるのが単純に嬉しくて、勉強を教えてほしいという子供たちのために定期的に訪れていた。

 先日起きた騒動の記憶から逃げるように、勉強部屋には多くの子供たちが駆け込んでくる。

「いつもありがとね、太史くん」

「いえ……」

 子供たちにつき添って入ってきた職員さんに、短く目を伏せて返した。

 別に礼を言われるようなことじゃない。この施設には言い尽くせないほどお世話になったし、職員さんの負担を少しでも減らすことができるのなら、いくらでもやる。今はこれくらいしかできない。

 テーブルを囲んた子供たちは、思い思いに国語や算数のドリルを開いた。

 一人一人が違う教科を好み、違う教科でつまずく。子供は特に、得手不得手や好き嫌いが顕著だ。嫌いな教科の話をすると全く話を聞いてくれなくなる。

「……まもるくん、次は漢字のお勉強をしてみようか」

「えぇ~、やだ~」

「……みゆきちゃん、二桁の足し算もやってみようよ」

「やりたくない!」

 苦手は子供のうちに克服しておいたほうがいいんだが。

「嫌なものこそやっておかないと、将来立派な大人になれないよ」

「じゃあ、お兄ちゃんは嫌いなものはないの?」

「それは……」

 嫌いなものがない人間なんていない、とは言えない。

 だからといって、自信を持って嘘を言うわけにもいかない。

 小さい子と一緒にいることに慣れてはいるものの、この純粋な瞳は苦手なままだ。

「──誰にだって嫌いなものはあるのよ。だからこそ、嫌いなものがない人はみんなからいっぱい褒められるわ。褒められたら嬉しいでしょう?」

 言い訳ばかりを頭の中に抱えていると、澄んだ声がかかった。

 職員さんじゃない。乳児を抱いた有本亜里紗だ。

 そういえば、この前も赤ん坊を抱いていたような……。

「あかりちゃんのママだ!」

 ママ……?

「みゆきがいっぱい計算したら、いっぱい褒めてくれる?」

「ええ、い~っぱい褒めてあげる」

「ほんとに!? じゃあやる~!」

 そう言ってみゆきちゃんが計算ドリルを解き始めると、他の子供たちも揃ってドリルを替え始めた。……いや、全員が算数をやるのは少し違うんだが……。

 口を開こうとすると、すかさず有本の手が伸びてきて、口元に人差し指を添えられた。

 なんだこいつ……。急に現れてお節介か……。

 牽制するように送った視線は無視された。

 子供たちの前で腹を立てるわけにもいかず、子供たちの質問や答え合わせに意識を向ける。

 やがて、夕飯に呼ばれた子供たちが騒々しく部屋を出ていくと、しんと音が聞こえそうなくらい静かになった空間には小さな寝息だけが残った。

「……ここで何をしている」

 散らかった鉛筆や消しゴムを片づけながら、ようやくと訊く。

 こいつはちょくちょくとここを訪れている。去年からそうだ。顔を出さなくなった時期もあったが、最近はまた見かけるようになった。

「楽しそうだったから、私も混ぜてもらおうと思って。……子供には優しいのね」

 薄く微笑むその顔に嫌味はなかったが、まっすぐに受け止めるのも癪に感じて視線を逸らす。

 今度こそ馬鹿にするように笑っているのだろう。有本は明るい声音で短い謝罪の言葉をはさんでから、本題は別にあると前置きして話し始めた。

 先日ここで起きた騒ぎは自分が発端であること。その手に抱いているのが自分の子であること。そして、和智田たちは自分と娘を助けようとしてくれただけであることを。

 和智田たちの件は職員さんに聞いて知っていた。だが、赤ん坊のことは初耳だ。驚きはそこまでなかったが、不信感は大きく募った。

「……親には言っているのか」

「言って……ないわ。留年したことは、学校からの通知で知っているでしょうけど……」

 やっぱりか。とんだ無責任だ。

「今その子供が無事なのは、運が良かっただけだ。この施設がなかったら、お前はその子を苦しませ、不幸にしていた。……いや、そのうち諦めて投げ出していたんじゃないか」

「そんなことしないわ!」

 尖った声に、赤ん坊は小さく身じろぎをする。

「確かに、この子を一番不幸にするのは私かもしれないけど、幸せに導くのも私だわ」

「はじめから手放すつもりだった親が何人いると思う? どうにもならない状況になることだってあるんだ。借金を背負わされたり、病気になったり……。だから、片親でどうにかできるなんて考えが甘い。それで罪のない子供が不幸にさらされるんだ。周りから好奇の目で見られ、自分に自信が持てなくなって、不安を抱くんだ」

 返ってくる視線はおとなしかった。少なくとも、怒りや反抗の眼差しではない。

 だからか、返す視線も勢いのないものになった。

「……人間は、つらいことが重なれば投げ出したくなる。幸せな生活を送る今、不幸な未来を予測することなんてできない。他人の未来に責任が持てないのなら、はじめから一人のほうがいい。家族なんて、持つものじゃない……」

 語尾を消すように、壁の振り子時計が鐘を打った。

 七回目が鳴り終わると同時に、有本は呟く。

「もしかして、寂しいの……?」

 危うく笑いそうになった。そんなに深刻な顔を作って聞くことでもないだろう。

「違う。僕は物心がついた時から親はいなかった。親の記憶なんてない。もともと〝ないもの〟に、会えなくて寂しいという感情なんか湧かない」

 これを言っても、あまり信じてもらえない。気丈に振る舞っていると思われる。ここの職員さんもそうで、頑張りすぎないでねと言われたことが何度もある。

 それは、子供たちを見る僕の目がそう見えたからなのかもしれない。

「ただ、この場所で……泣き叫ぶ子供たちを何人も見てきた。いくら呼んでも親は来ない。知らない場所で知らない人間しかいない。どうすればいいのかわからない恐怖で、ただただ泣き続ける子供たち……。それが、僕の一番嫌いなものだ」

 鞄を持って立ち上がる。外はすでに真っ暗。申し訳ない程度の外灯しかない中を歩く人影なんてない。……逃げ込むにはちょうどいい。

「待って。他人と関わらなければ傷つくことは減るでしょうけど、その分幸せだって減るのよ。もっとみんなと笑い合える人生がいいとは思わないの……?」

 僕は今だって幸せだ。他人に気を遣わなくていいし、ストレスは溜まらないし、なんの不便もない。自分のやりたいことだけをやっていられる。

「…………」

 それでも、少しだけ考えてしまった。

 それが正しい道なのか、自分が本当に進みたい道なのかは、わからない。

 振り返ってみたところで何も答えられず、絶えず自分を見つめてくるクラスメイトを残して、部屋をあとにした。



 施設を出て、家路を歩く。

 十月も終わりになると、夜は日が沈むのが早くなるし、さすがに冷え込む。

 袖や襟の隙間から熱を奪われ、でもそれが心地よくて、少し上を向きながら明かりの少ない暗がりで立ち止まる。

 この世界に一人ぼっちになったようで、胸が落ち着いた。

「世界に一人ぼっち、か……」

 親だけじゃなく、自分以外の人間がはじめからいなかったら、どんな感覚なんだろうか。虫や植物に話しかけたり、水面に映る自分に話しかけたりするのだろうか。

『──鏡と見つめ合うことができない人は、自分に後ろめたいことがある人だよ』

「!?」

 突然、頭の中に響くような声が聞こえた。池の月に照らしていた顔を上げる。

『どうだい? 今の自分はかっこいい顔をしていたかい? 情けない顔をしていたかい?』

 池の周りを反響する声。気配はしても、その主を捉えることはできなかった。

「……誰だ。姿を見せろ」

 本当は見えなくてもわかる。可愛らしく声を鼻にかけたって無駄だ。そんな馬鹿みたいなことを言う人間は一人しかいない。

「……和智田なんだろ。お前、大丈夫なのか……?」

『…………』

 無視か。

『……ウフフ、あんなに嫌いだった和智田君の心配をするのかい? そっかそっか、そんなに和智田君のことが心配なんだねぇ~』

 シラを切るか……。

「そういうわけじゃない。誰からも心配されないお前がみじめに思えただけだ。……だから言っただろ、上辺だけの関係になるだけだと……」

『別に上辺だけの友だちでもいいんだ。それで少しでも孤独が和らいでくれるのなら……』

 は……? あれだけ人の耳元で友情やらの大切さを唱えておいて、今さら何を……。

「本当にそう思っているのなら、お前は救われないぞ。友人がいない人間が孤独なんじゃない、友人を欲しがる人間が孤独なんだ」

『だって、誰が本当にオープンマイハートしてくれてるかなんて、わかんないじゃん? 結局、本当の信頼関係なんて築けないんだよ。みんながみんな、探り合って疑い合ってる。それが普通なんだ。みんな口にしないだけで、そうやって生きているんだよ』

 …………。つまり、それができていない僕は、怖じけづいて周りの人間を追い払う嫌々っ子だって言いたいのか。

 お前からは、そんな言葉……聞きたくなかった。

「……お前、本当に和智田なのか? その発言が冗談じゃないのなら、僕はお前に大きく失望した」

 正直、心のどこかでは、和智田のように誰にでも親しく話しかける人間に幻想を抱いていた。他人に気を配れる人間は、僕みたいに自分のことしか考えていない人間よりも、幸せでいてほしかったから。こんな生き方は間違っていると、示してほしかったから。

『疑っているのかい? そうだよねぇ、嫌いな人間の言うことなんて信じられないよねぇ。……でもね。それは、君が和智田君のことをよく知らないからだよ』

「……? どういうことだ」

『知らないから、信じるだの信じないだの葛藤が起きるんだ、騙されるんだ。それが嫌なら、知ればいい。……まだ知らないのは仕方ないけど、いつまでも知ろうとしないのは君が悪いよ』

 馬鹿にするような含み笑いがこだまする。冷えた風に木の葉がさわさわと揺れ、心を許した闇夜の世界にまで嘲笑われているような気がした。

 誰へともどこへともなく、まなじりを上げて乾いた土をガリッと踏み込み、叫んだ。

「そうやって身を隠している奴を信じられるか! ──いい加減出てこい、和智田!」

 反応はすぐにあった。無造作に並んだ茂みの中からスッと足が伸びて、人の顔が浮かんだ。

「わっ……!?」

 和智田じゃない。いや、和智田もいる。わらわらと出てきた、和智田とその一味。

「うっは~! オレ、笑い堪えるの必死だったぜ!」

「なんであたしたちが和智田のマネなんかしなきゃいけないのよ……」

「言うほどわっちーじゃなかったけどね」

「寒い。帰る」

 前に後ろに左に右に、まさに八方塞がりだった。

「なんだ、お前たち……! どういうことだ! 和智田を煙たがっていたんじゃないのか!」

「あんたが和智田に興味を示すように、一芝居売ってやったってことさ」

「本当に陽平ちゃんがお風邪を引いちゃったら、全身全霊で看病するに決まってるじゃない」

「一応言っておくけど、私がさっき伝えたことは、嘘じゃないから」

 有本までをぐるりと見回し、正面で腕を組んでいた和智田に戻る。

「俺一人だったら、お前はこんなふうに向き合ってくれないと思ったんだ。──いや~、超絶暇だったぜ! 一日中部屋でゴロゴロするだけってのも、つらいもんだな~」

 とんだ勘違いをしていた。ずっと、和智田が一人で突っかかってきていると思っていたが、本当はこいつら全員に弄ばれていただけなんだ。

「こんなことをして何になる……! どうせ、全員で僕をからかっているんだろ! 馬鹿にしているだけなんだろ!」

「いや、そういうつもりは……」

「僕には必要ない……お前たちみたいな存在なんかいらないんだ! 一人でいいんだよっ!」

 言いきって、角が立った目を差し向ける。

 それでも、奴は動揺しなかった。わずかに眉だけが下がり、唇の端は上がる。

「本当に一人になりたい奴は〝一人でいい〟なんて言わない。〝一人がいい〟って言うんだぜ」

 ……! 口から漏れた白い息が震えた。数秒、時が止まって、喉を締めるように唾を飲み込む。

「それに、別に一人が悪いだなんて言ってないだろ。──ほら、見てみろよ」

 和智田が指差したのは、空。

 秋の一つ星――フォーマルハウトがやや低い位置で強く輝き、その上には団らんするような小さな星の群集があった。それだけじゃない。様々な色の、様々な大きさの星が空全体に散らばっている。外灯が少なく、空気も澄んでいるため、その絢爛さはよく見える。

「ぼっちでぽつんと輝く星も、どこにでも転がっていそうな小さな星々の集まりも、綺麗だと思わせる力は変わらないだろ? けど、どうせ同じ空にいるのなら、一緒に光っていたいものじゃん? ──俺たちは、運命共同体なんだよ!」

 なんでも胸を張ればいいってものじゃない。

「気づけば繋がってるんだよなぁ~。いや、誰かが勝手に繋いでいるのかもしれない。和智田ファミリー座だな! アッハッハ!」

 名前の通り、陽気で平和な脳ミソをしている。同じ人種だとは思えない。思いたくもない。

「お前は星じゃない。夜でも顔を出し続けるはた迷惑な太陽だ。異常気象の前兆だ」

「そいつはいいな! 暴風雨の日に外へ出たくなる衝動と同じで、異常な状況はワクワク感も呼び起こす! お前ももうちょっと羽目を外してみればわかるぜ!」

 わざとまともに聞こうとしていないのか……。お前こそ独裁者じゃないか。

 ざっと他の奴を見てみると、いつでも無愛想な天川以外は笑顔を浮かべていた。

 見るだけで疲弊する。胸の辺りが詰まるような感覚に、顔をしかめた。

「あーら、苦しそうね。ずっとお一人様だったアナタに、陽平ちゃんのエネルギッシュなパワーは刺激的すぎたかしら。でも大丈夫よ。人は成長中に苦しんで、落ちぶれる時に心地よさを感じるものだから。アナタはようやく、大人の階段をのぼり始めたのね♪」

 意味深な目つきに恐怖を感じる。

「自分が傷つかない楽な道を選ぶのもアリだとは思うけどさ、あたいはそんな自分は好きにはなれないね」

「そうそう! 困った時は、今の自分が好きかどうかを考えればいいんだよ! もちろん、俺っちは今の自分が大好き!」

 自分を、好きに……。

「〝嫌いなものがない立派な大人になれ〟。子供たちにそう伝えたいのなら、まずはあなたがそうなるべきだわ。情けない姿は見せたくないでしょう?」

 赤ん坊を抱いている時とは違って高圧的な目を向ける有本に、横顔を見せる。

 子供たちのことを出されると、つい言い淀んでしまう。だが、それと同時に考えさせられる。

 自分自身を知ることをおろそかにして、他人のことばかりよく見もせずに否定する。

 正しいか正しくないかで言えば、正しくはない。なぜそんなことをしていたのか。考えなくてもわかる。

 僕は、他人よりも劣る自分のことを認めたくなくて、見ないようにしていただけなんだ……。

「…………。お前の言う運命共同体。誰かと一緒にいるということは、時間を共有するということだ。時には迷惑をかけたり、つらい思いをさせたり、その人の自由を奪ってしまう」

 施設で暮らしていた頃はいつも思っていた。職員さんは他の子のお世話もある。常に忙しなく働いている。だから、せめて自分は面倒をかけないようにしようと、自分ばかりが頼りにしちゃいけないんだと。そういう思いがあったからこそ、いつしか一人でいることが多くなって、そのほうが気が楽だと感じるようになって、施設を出たいと思うようになったんだ。

「僕は、人に与えられるものが何もない。きっと、不快な思いをさせるだけだ……」

「なに決めつけてんだよ。オレなんか、問題児とか言われて、他人に頭を下げさせたことなんか山ほどあるが、無理やり突き放されたことは一度もないぞ」

「一緒にいてくれるってことは、嫌じゃないってことなのよ。嫌なのに我慢する人なんて、少なくともここにはいないわ」

「いたとしても、それはそいつが悪いだけ。……ウチは成り行きだけど」

 お前はどんな状況でもお前だな、天川。そういえば、こいつも他人と馴れ合うのはあまり好きじゃなかったはず……。

「自覚がないのかもしれないが、俺たちはちゃんと与えてもらってるぞ。その華麗なる鉄板ネタでな。──なっ、ワンちゃん!」

「変なあだ名で呼ぶなっ!」

 やっぱり馬鹿にしてるぞ、こいつら!

「それそれ、その全力投球のツッコミがいいんだよ!」

 全力なのは本当に嫌だからだ!

「怒鳴る奴がいねぇとふざけ損になるっつーか、楽しくねぇんだよな」

 僕はどのみち楽しくない!

「みーんな、別にアナタをけなしているわけじゃないのよ。振り向いてほしくてちょっかいを出してるだけ。ほら、男の子ってそういうところあるじゃない」

 お前も男だろ!

「つまり、あたいたちはあんたのことが気になってるってことさ」

「それに、小さい頃から同じ夢を持ち続けているんでしょう? 素敵だと思うわ」

 どの言葉もいちいち耳に障る。だが、どれも本音に聞こえることは確かだった。

「先生……俺っち、さっきからお腹が痛いです……」

 そんななか、先ほどから腹部をさすっていた原が、うずくまるように体を折り曲げた。

「おいおい、こんなところでお医者さんごっこなんかすんなよ」

「ち、違うよ……冗談抜きで痛くて……。というか、めちゃくちゃ寒いっ……!」

 鼻水を垂らし始めた原に、押山は顔中のしわを寄せる。

「あなたたち、薄着すぎるのよ。どうして上着を羽織ってこなかったの?」

「だって、こんなに長くなるとは思ってなかったんだもん……はっくしょいっ!」

 一つ、二つ、三つと連なるくしゃみ。そのたびに身震いをした和智田は、まっすぐに右手を上げ、声高々と叫んだ。

「せんせ~!! スケボが死にそうです!! どうすればいいですか!?」

「どうすればって……。帰ればいいだろ」

「足が棒になって……うまく歩けないよぉ……。オスヤマ君……寮まで運んで……」

「バチ子、出番だぜ」

「やだよ」

 支え合いの精神はないのか。

 ……まあいい。そろそろ飽きてきた頃合いだろう。さっさと帰ってさっさと寝ろ。どうせ宿題も勉強もしないんだろうしな、お前たちは。

 気とともにゆるんだ指で、いつの間にか下がっていた眼鏡を直す。

 すると、同じタイミングで手を動かした天川が、池をはさんだ反対側を指差して言い放った。

「あそこに立花の家がある。ちょっと休ませてもらえばいい」

「はっ!?」

 なっ、お前っ……!

「おっ、マジか!? ちょうどいいじゃん! みんなで遊びに行こうぜ! ――突撃、ワンちゃん家の晩ごはん!」

「やめろっ! それだけは許さない!」

 さっそくと原を担ぎ上げた和智田の肩を掴む。

「なんだ? いかがわしいものでも散乱してるのか? そいつはますます行きたくなるぜ!」

 そうじゃない! そうじゃないが絶対にダメだ!

「人にはプライバシーがあるだろ!」

「そういうことを言ってるからぼっちなんだぞ。……安心しろ。俺様たちは、どんなお前でも受け入れる! その覚悟は百万年前からできてるんだよ!!」

 せめて生まれてからにしろ!!

 和智田を皮切りに、一軒家を目指して次々と走り出していく。

 まずい……。こいつらに知られたら、いらぬ誤解をされる……!

「……なんか、すっごく楽しい」

「黙れ、この性悪女!」

 お前がいなければこんなことには……! 少しはマシになったかと思いきや、和智田たちの影響でひん曲がって成長してる!

 急いで奴らを追いかけたが、真っ暗な家の前でニヤニヤしていた和智田は、すでにその手を玄関の引き戸にかけていた。

「ワンちゃ~ん、鍵が開いてるぞ。田舎島だからって不用心すぎるぜ~!」

「待て! 勝手に入るな!!」

「お邪魔しま~す!」

 ガラガラガラ──扉をスライドさせて、他の連中とともに中へ入っていく。

 ――人の話を聞け!!

「とりあえず電気を……って、点かないぞ。これじゃないのか?」

 かろうじて月の光が射し込む中に入ると、和智田は入ってすぐ横の壁にあるスイッチをカチカチと鳴らしていた。

「いいから早く出ろ! 不法侵入で訴えるぞ!」

「堅いこと言うなよ~。やっぱり変なものでも隠してるのか? 笑わないからさらけ出せよ!」

「お前が想像してるようなものじゃ──」

 ──ガシャンッ!

 和智田の腕を掴もうとした瞬間、後ろで扉が閉まった。

「ちょっと! 真っ暗じゃない! 何も見えないわよ!」

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!! 何かが俺様の背中にくっついたぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「は? スケボじゃねぇのか?」

「俺っちは下ろされて床で寝てるよ……。──痛っ! 踏んだの誰!?」

「あら、ごめんなさい勇介ちゃん。多分アタシだわ」

「いや、あたいだと思う」

「きゃっ! 今あたしの足元に何かが……!」

「オバケだぁぁぁぁぁ!! オバケがいるぞぉぉぉぉぉ!!」

「ここはお化け屋敷だったのか!? オレが相手になってやるぜ!!」

「痛いっ、痛いよぉ! みんな蹴らないで踏まないで!」

「いやん! 誰かがアタシのお尻を触ったわ! 陽平ちゃんね!」

「そいつは気のせいか事故じゃないのかい」

「騒ぐな! 近所迷惑になるだろ!」

 各々が暴れ回るなか、記憶をたどりながら靴箱の上に手を伸ばし、ブレーカーのレバーを押し上げる。間もなくしてブーンと鈍い音が響き、玄関の蛍光灯が点滅を繰り返しながら点いた。

「うわっ! 和智田!! お前の背中にバケモノが……子グマがくっついてるぞ!!」

 和智田の背中からぶら下がっている物体を見た押山は、一歩足を引いて床でのびていた原を踏みつける。力なく小さなうめき声を漏らした原だが、うつろな視線を和智田のほうに向けると、水を得た魚のように目を見開き、青白い顔を上げた。

「そのお団子ヘアは──(あい)ちゃん!?」

 和智田から離れたそいつは、振り返りざまニコリと笑って手を振った。

 やっぱりいたのか……。まあ、こんな時間に帰っていないはずもないが……。

「あっ、オレの右隣りに座ってる奴! なんだ、オバケじゃなかったのかよ……つまんねぇな」

「残念ねぇ~。怪奇現象に乗じて、男の子たちとグッと距離を縮められると思ったのに♪」

「じゃあ、扉を閉めたのはヤバ美なのかい?」

「閉めたのはウチ」

 再び開いた扉から顔を出した天川は、何事もなかったかのようにずかずかと入ってきた。その横では有本が苦笑している。

「ごめんなさい、止めようと思ったのだけど……」

「結構面白かった。もっと続けばよかったのに」

 お前は本当にろくなことしかしないな!

「――んぅ~♪」

 天川を見た愛は、嬉しそうに駆け寄って抱き着いた。

「やめろ、暑苦しいっ」

 が、当然のようにひっぺ剥がされる。

 寂しそうに眉をひそめた愛を、笹垣は首を傾げて見つめた。

「おねねと仲がいいの?」

「……まさか。こいつは立花と同じで施設育ちだから、顔見知りってだけ」

 おそらく愛に投げかけられたであろう言葉は、天川によってすくわれる。

「へぇ、そうなのか。──で、なんでこいつがここにいるんだ?」

 押山の言葉に、背筋が固まった。

 もうこの状況ではごまかしも利かないだろうが、火の粉は避けたかった。

 だが、案の定、追撃はやってくる。

「立花と玉崎(たまさき)はここで一緒に住んでる。島では有名な話」

 もはや悪気しかない一本調子。

「な、なんだとぉぉぉ!? オレも混ぜろ!!」

「エンジェルと一緒に暮らしてるなんてずるいよぉ!」

「やだ~ん♪ クールな顔して意外とちゃっかりさんなのね♪」

 っ……。めんどくさい奴らだ……。

「ワンちゃん!! 俺様を裏切ったのか!? 今までのぼっちアピールはなんだったんだ!!」

「いや……こいつは友人とか仲間というより家族みたいなもので……」

「つまりメオトか!!」

「違う!!」

 だから嫌だったんだ、知られるのは……。まあ、僕がいつも一人だと勘違いをしていたのは和智田の勝手だ。僕は否定もしなければ肯定もしていなかった。咎められる義理はない。

「やけに懐かれてるじゃない、おねね。学校ではそんなところ見たことなかったけど……」

「天川がいつも厳しい目で追い払うからだろ。それなのにうちに来たのが嬉しいんだ」

「なんかあれだな、どっちも双子みたいにチビっこで、コンビみたいだな。一方は無愛想で、一方は笑顔の、表裏一体コンビ」

「埋めるぞカナヅチ!」

 握られたこぶしにはシャベルすら見える。

「愛ちゃんはいつもニコニコ笑顔で可愛いよね~! ……でも、俺っちが話しかけても笑ってるだけで、何も返してくれないよね……。ワンちゃん君以外の男の子とは話したくなかったんだね……俺っち悲しい!」

「それは違う。愛は話さないんじゃない、話せないんだ」

「え?」

 人柄を否定されるような曲解に、少し早く、強い口調になった。

 視線を流すと、愛は消え入るように笑っている。

「……声が出ないんだ。ハミングくらいはできるようになったが、普通に話すところは僕も見たことがない」

 小学生に上がる直前。愛は親に捨てられて、この島に送られてきた。

 それまでは問題なく話せていたと職員さんたちは言っていたが、僕が聞いたのは、親を呼ぶ泣き声が最初で最後だった。

「そ、そうだったの!? じゃあ、本当は俺っちとも話してみたい!?」

「んぅ!」

 小春日のような笑顔を見せ、大きく頷く。原は瞳を輝かせ、青白かった顔に生気を戻した。

「そっかそっか! 安心したよ! これからもいっぱい話しかけるから、仲良くしてね! ここにいるみんながお友だちだよ!」

 その言葉がよほど嬉しかったらしく、愛は原の手を取って中央の和室に引っ張っていった。

「――わあっ!」

 声に引き寄せられてついていく。はじめに目に入ったのは、正面の壁に貼られた〝太史くんお誕生日おめでとう〟の文字。天井では七色の輪飾りがいくつもの逆アーチを描き、長テーブルには所狭しと彩り鮮やかな料理が並べられていた。

 ここに住むようになってからは毎年だ。たった一日のためにこそこそと準備をして、帰りを玄関で待ち構える。ブレーカーまで落として真っ暗にするのは、驚かすの意味が違うんだがな……。料理だって一日じゃ食べきれない。

「あらやだ、素敵じゃな~い♪ こんなことをされたら乙女はイチコロよ♪」

 僕は乙女じゃない。

「よっしゃあ! それじゃあ、みんなでワンちゃんの生誕祭といきますか!!」

 お~! と心の中で叫んでいるらしく、愛はこぶしを上げて跳ねた。

「いや、早く帰れよ!」

「なんだなんだ、二人っきりがいいのか~? このむっつりスケベ!」

「そんなことは言っていない!」

「じゃあいいだろ、ニコニコのニコちゃんもこんなに喜んでるんだし! さあさあ、みんな席に着け!」

 また変なあだ名をつけやがって……。だが、本当に嬉しそうだ。だから部屋に招いたんだろう。

 その顔を見たら無下に追い返すこともできず、促されるまま座布団の上に腰を下ろした。

 全員でテーブルを囲み、コップに麦茶やオレンジジュースを注ぐ。

「──それでは! ワンちゃんの生誕十六周年を祝して! かんぱ~い!!」

『かんぱーい!』

 和智田が音頭をとるなか、目を伏せていることしかできなかった。施設にいた頃からそうだ。こういう空気は苦手なまま変わっていない。

 箸を鳴らし、早速料理に手をつける和智田たち。――間もなくして、揃って顔をしかめた。

「……うっ。ちょ、ちょっと待っ……な、なんだこれ……!?」

「すっっっげぇー……独特な味つけだな……」

 愛の料理は、小学生の頃からド下手なまま進歩していない。僕も初めて食べた時はうろたえ、驚愕し、トラウマになった。

「何年経っても上達はしないが、慣れれば普通になる」

 そう言うと、愛は今日初めての怒り顔を作って低く唸った。

「愛ちゃん、誰かにお料理を教わったほうがいいわよ。お料理上手は最強の武器になるんだから」

「あ、あたしもそのほうがいいと思うわ……あはは……」

 矢井馬と笹垣にも唇を尖らせ、

「……まっず」

 天川には飛びかかった。

「こういうのは気持ちが大事なんだ! 愛ちゃんの愛を感じる!」

「お肉と野菜のバランスもいいし、調味料を調節すれば美味しくなると思うわ」

「ヤバ美たちは味覚がおかしいんじゃないのかい? 普通に美味しいよ」

 羽場はきっと、料理下手。

 なんだかんだ言っても、全員箸は止めずに、後から出てきたケーキも平らげた。食べ終わればすぐに帰るのかと思いきや、矢井馬が謎のお姫様ごっこを始め、その影響で押山と羽場が取っ組み合いを始め、原は戦隊ヒーローになりきり始めた。

 お前たちは酔っ払いか。

「……なあ、ここにはいつから住んでるんだ?」

 畳の上で死んだように寝転がっていた和智田は、かき消されない程度の声をかけてきた。

「中学生に上がると同時にだ。家主は隣のおじさん。この家は息子さん夫婦のために建てたらしいが、結婚してすぐに島を出ていって、空き家になったんだと」

「ああ、だから他の家に比べて綺麗なのか」

 組んだ手のひらに頭を乗せ、天井を仰ぐ。見上げるその顔は味気ない。

「生活は楽しいか?」

「楽しいというか……楽にはなったな。誰にも迷惑をかけずに済む。愛とは家事を分担しているし、一緒にいて息苦しさを感じることはない」

「ん? のろけてるのか?」

「なぜそうなる!」

 人が真剣に答えてやっているのにいちいち茶化すな――と、言葉にはしなかった。

 そのせせら笑うあとの表情を見れば、故意であったことには気づけた。

「…………。お前はどうして、そんなふうに道化でいられるんだ」

 迷った挙げ句に投げかける。

 意識を遠くへ飛ばすようにぼんやりとしていた和智田は、顔を引き締めたが否定はせず、考えるそぶりだけを見せて、こともなげに答えた。

「人を無理やり走らせるとか、勉強させるとかさ。何かを強制させることって、基本的に悪い感じがするじゃん? けど、人を無理やり笑わせるってのは、そんなに悪い気がしないんだよな。つまり、やっていいことなのかな~って。……笑うことなく過ごした日々ほど無駄なものはないって、思うんだよ」

 作った上っ面ではないと感じた。口元がなだらかにほころんでいる。

「あいつらを見てみろ。なんか馬鹿みたいなことやってるけど、みんな楽しそうに笑ってるだろ? 今はそれでいいんだよ。未来にはつらいことがたくさん待ってる。そういう時って、怒ったり、悲しんだり、苦しんだりすることを我慢しなきゃいけなくなるんだ。だから、今のうちにいっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい叫んで、悩みなんて抱えずに出しきってしまえばいい」

 自信があり余っているようだ。笑顔が晴れやかで、すっきりとしている。思わずまじまじと見つめてしまった。

「僕の在り方は……間違っていると思うか」

「いいや。ただ、もったいないとは思う。今がどういう人間かじゃなくて、これからどういう人間になるかだろ? 変な大人にはなってほしくない。だから、今日から始まる新しい一年だけでも、今までとは違う別の自分になってみろよ。いろんな生き方をしてみないと、正しいかどうかなんてわからないぜ」

 変な大人、か。

 くだらないことで笑い合って、大して意味のないことで時間を弄ぶ。本来、高校生なんてそんなものなのかもしれない。そうやって、大人の形を探っていくのかもしれない。

「でもまあ、だからって、突然〝チェケラッチョ!〟とか言われたら困るけどな」

「それはない」

「いや、でもラッパードクターとか新しくてウケるかも!」

「目指しているのは芸人じゃない!」

 見えなかったものが見えるようになるかもしれないが、それは絶対にやらない!

「ワンちゃんは、なんで医者になりたいんだ? やっぱり、この島に医者が少ないからか?」

「それもあるが……。僕は、施設の職員さんのような内面的なケアをするのは苦手だ。だったら、選ぶ道は一つしかないだろ」

「かぁ~っこいい~! そんなこと言っちゃうんだ~! お前、意外と熱いな! 俺もまだまだ知らないことが多いぜ!」

「か、からかうな……!」

 小さくとどまっているのは嫌だった。畑を耕して自給自足。そんな暮らし方も悪いことではないが、想像した自分の顔には活気がなかった。胸の中心にある〝捨てられた〟という思いは、そんな生き方では残り続ける。人と多く関わり、誰かのために生きることでいつか消えてくれる気がした。

「――あ、そうだ。お前のことをもっと知るために、今日はここに泊まっていこう」

「はっ……?」

 単調に突拍子もないことを言った和智田は、起き上がりざま背を向けた。

「一回寮に戻って、トラベルセットを持ってくるぜ!」

「待て待て待て! 正気か!?」

「俺様はいつだってマジだ! ──みんな! 今日はここでお泊り会をするぞ! 参加者は全員だ!」

 勝手に決めるな!

「あら、いいじゃない! 陽平ちゃんと素敵な夜が過ごせるのね!」

「修学旅行みたい! 俺っち、体調崩したりとかで行ったことなかったんだよね!」

 はしゃぎすぎてくたびれ果てていたはずの奴らは、元気に飛び跳ねて部屋から出ていく。

 ドキドキするな! ワクワクするな! お前たちは遠慮というものを知らないのか!

「ワンちゃんの家じゃないんだろ? だったら、俺たちにも泊まる権利はあるはずだ!」

 玄関で靴を履き、爪先を鳴らして半身振り返ったその顔は、とんでもなく毅然としていた。

 どれだけ自信に満ちていたって、羨ましくなんかない。今だけは見習いたくない。


 ──お前みたいな人間には、絶対にならないからなっ!


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