13 帰れま10万
女の子のいるガラスの小部屋は、安めの宿の一室くらいとでもいえばいいんだろうか。ベッドと、横に机でも置いたらいっぱいになりそうな広さだ。
いまは机と、腰くらいの高さの書棚がふたつあるだけだ。
「アナ、本当に?」
「この部屋ではうそはつけないのよ。アリンも知っているでしょう?」
アナという女の子は、にっこり笑う。
「なんにもないわ。すっからかんよ」
そんな言い方しなくても。
「あらアリン、帰ったの?」
上から落ち着いた声が聞こえた。
「うおっ」
天井から、人型の白い影が出てきた。
それがやがてしっかりした人間の形になる。
天井から、女性? の上半身だけが出ている。
髪が真っ白で、おだやかな表情だ。五十代か、それくらいかと思うけれども、年齢とかそういう問題じゃない。
生えてる。人が。
え? どういうこと?
アリンさんが背筋をのばした。
「アリン、いまもどりました」
「ごくろうさまです」
アリンさんは俺にささやく。
「あの人は、この建物だと思いなさい」
「え?」
むしろ謎が深まったが、アリンさんは白い髪の女性に向き直って話を続けてしまう。
「彼が、特別なスキルを持っているようなので、調べていただくために参りました」
「ええ、かまいませんよ。アナは今日はまだ、一度も見ていないものね?」
白い髪の女性が言うと、アナという少女は言う。
「もう見たわ。その人は、からっぽよ」
「あら。そうなの?」
「ええ。見事なからっぽよ。アリンが連れてきた人で、スキルを持ってない人なんて初めてだったから、びっくりしちゃったわ。なにもない人なんてね」
アナは、ほこらしげに言った。
俺のほこりはなくなった。
「そんなはずはないのだが」
「でも、なにもないわ。本当よ?」
少女は不安そうにアリンさんを見上げる。
アリンさんが腕組みをする。
「アリン。どうしたの?」
白髪の女性が、おっとりと言った。
「いえ、彼は遠征先で私が出会った人なのですが、危機を救っていただいたんです。そのとき、攻撃を受けつけないスキル、あるいは、魔獣をてなずけるスキル、どちらかはあるはずだと思ったのですが……」
「彼が、スキルではなく、鍛錬を積んでいるのではないの?」
白髪の女性が言う。
「それはないです。見てください」
アリンさんが、いきなり俺の上着をまくりあげた。
「きゃっ!」
と言ったのは俺だけだった。
「配達の仕事をしているそうですがこのとおり、大した筋肉もありませんし、戦力にはならないはずです」
「じゃあ、俺はなんなんですか」
アリンさんと、少女が顔を見合わせる。
「なんでもないのではないかしら?」
アナが言った。
そんな悲しい結論があるだろうか。
だが、人は誰しも、何者でもない。
だからこそ、何者かになろうとしているのではないだろうか……。
「あなたは、配達の仕事をしているの?」
白髪の女性が俺に言う。
「あ、はい。武器屋で」
「どちらの町かしら」
「コッサというところです」
「あら」
白髪の女性は、目を大きく開いてみせた。
「もしかして、コッサ平原の近くの?」
「はい」
「ずいぶん遠くなのね」
「あ、えっと、いろいろありまして……」
「そのいろいろ、言って」
アリンさんが言う。
「え? でも」
「この中では嘘をつけない。だから、ここで言うのが重要なんだ」
アリンさんが言う。
嘘がつけない。さっきも言ってたけど。
ここにいると、謎が深まる会話ばかりだぞ……?
「早く」
「そういうことなら……」
俺は、ここまでのことを話した。
武器屋で配達をしていたら、路地で近道をしようとしたとき、変な男たちにさらわれて、森に飛ばされ、グルルに会い、アリンさんと会い、村で殺されかけて、脱出、と全部話した。
「と、いうわけなんですけども」
「わたし、グルルちゃんに会ってみたいわ」
アナが言った。
「きっとかわいいんでしょうね」
「うん」
「その男の言い方が良すぎるだけで、まったくかわいくはない」
「ええ?」
アリンさんはグルル否定派だった?
「でも、どうしてそんなことになったのかしら。魔法具でも使われたのかしらね」
「なにか変わった道具は使っていたのか?」
「そんなものはなにもなかったですけど……」
思い返してみても、縛られていただけだ。あと、彼らがなにかしている間に、俺が、ボスのひまつぶしでコインを投げさせられていたくらいだろうか。
「あやしい魔法を使えそうな人とか、あやしいスキルを使えそうな人はたくさんいましたけど」
「だが、お前を強化して、転送するのはよくわからんな」
「うーん」
みんなで、うーん、と言って悩んでしまう。
「ま、とりあえず、俺にはスキルはないし、あやしい人間でもないと、わかってもらえたんですよね?」
「そうだな…………………、たしかに…………………」
アリンさんは、ぼろぼろになった俺の靴を見ながら言った。
「えっと、じゃあ、俺、帰ってもいいんですか?」
「コッサに帰るのかしら」
白髪の女性がのんびり言う。
「そうですけど」
「さっきの話を聞いていると、バインさんは、お金がないんじゃないかしら」
「ええ、まあ」
「そうすると、歩いて?」
「まあそうですね。その、ちょっと交通費を貸してもらえるとありがたい、っていうのはありますけども。もちろんちゃんと返しますよ! 仕事もしてますから」
俺が言うと、彼女たちは顔を見合わせる。
「他人に貸せる額ではないがな」
アリンさんが冷たいことを言う。
「そうですか……」
「10万ゴールドとなると、そうそう貸せんだろう」
「……は?」
「馬車で十日くらいか。港から船に乗り換えて、難しい海流もあるだろうから日数がかかるしな」
「は?」
「海をわたってからも長い。途中の町で稼ぎながら、しばらく旅をする、という気持ちで帰るしかないだろう。いつごろ到着するだろうな」
「そうねえ……」
「ちょ、ちょっと待ってください! 10万!? 高すぎですよ!」
みんなが俺を見る。
「大陸がちがうのだから、しかたあるまい」
「俺の貯金なんて、全部合わせても3万ゴールドくらいしかないですよ! だって、30日の給料が5000ゴールドですよ!? 10万ゴールドなんて、見たこともないですよ!!」
「それで暮らせるのか?」
「食事、家賃を全部のぞいての給料なんで!」
「なら生きていけるな」
「よかったね」
「うん! じゃなくて!」
とんでもないことになってきた。
自分だけで用意できるはずがない。
でも、10万ゴールド貸して、っていうのも気がひける。
いや返すことを考えると気が重い。
なぜこんな負債を……。
「王都で稼ぐしかないんですかね……?」
「仕事か。最近は、求人よりも人数が多いんだがな」
「でも、武術大会で仕事が多いんじゃ?」
「それはもうすこし前だろう。もう人の確保は終わってるんじゃないか?」
「くっ……」
俺も、くっ、を使ってみた。
悪くない。
「あら、そうだそうだ」
白髪の女性が手をぽん、とたたいた。
「武術大会に出たらどう?」
「いやいや」
「いい考えかもしれません。優勝賞金は、1000万ゴールドですから」
「は……!?」
1000万???
1000万???
???
「い、いいい、1000万って、いくらですか!! き、汚い金ですか!?」
「落ち着け。優勝しなくても、それなりに勝ち進めば……、そうだな。8位以内なら、50万くらいはもらえた気がするな」
「ええ!?」
頭がおかしくなりそうだった。
スローライフが始められそうじゃないか。
「でも、攻撃を防げたとしても、それだけじゃ勝てないんじゃ」
「まず予選に落ちたらそこで終わりだ。とりあえず試してみるだけでも、どうだ?」
「予選?」
「戦いではなく、ちょっとした競技で能力をたしかめる。それに落ちたら、どちらにしろ無理だ。予選だけでもやってみたらどうだ? そうだ、ちょっと私も顔を出しておくか。行くぞ」
アリンさんは俺の腕をつかんで歩きだした。
「え、ちょ、ちょっと!?」
笑ってないで、そこの女性たち、助けてください!