62 思う力
「ツボミ、おまえだけでも逃げろ……! それくらいの時間は稼いでみせる……!」
仮面の剣士にくぐもった声で名前を呼ばれ、ツボミはハッと我に返る。仮面の剣士はもはや剣を握ることさえままならず、棒立ちになっているだけだ。雅雄はミヤビちゃんの格好になって呆けたように座り込んでいる。都合よく誰かが助けに来てくれるはずもない。状況は絶望的だった。
「これは餞別だ……!」
仮面の剣士はツボミに黒薔薇の剣〈ブラック・プリンス〉を寄越す。雅雄がかつて入手した青薔薇の剣〈ブルー・ヘヴン〉と同じで、装備条件は上級職であること。静香のオーバーライドでレベルを下げられた仮面の剣士には、使えなくなってしまったのだ。
仮面の剣士は代わって何の変哲もない鋼の剣を装備し、静香に突っ込んでいった。ツボミは彼をそのまま見殺しにすることも、雅雄を置いていくこともできず、立ち尽くすばかりだ。
オーバーライドを発動させ続けながら、静香は魔法を操り仮面の剣士を迎え撃つ。仮面の剣士はさすがのもので、静香の魔法を紙一重でかわして接近戦に持ち込む。
「近づけばなんとかなると思った!? 甘いのよ!」
静香は杖で剣をいなしながら、至近距離から魔法を次々と撃ち込む。ステータスが下がっているせいで思ったように動けていない仮面の剣士は立て続けに被弾し、目に見えて動きが鈍っていく。
「あんた、前回のゲームの参加者なんだってね! もう自分がゲームオーバーしてるって、わかってるんでしょう!? あんたは敗者なのよ! 見苦しくしがみついていないで、消えなさい! 『ハイ・フレイム』!」
さらに仮面の剣士のレベルが下がった。『??? Lv.9 無職』。動きを止めた仮面の剣士に、静香の放った炎の魔法が直撃する。爆炎が噴き上がり、仮面が砕けて剥がれた。晒された素顔を見て、ツボミは驚愕する。
「に、兄さん……!」
間違いなく、若かりし頃の兄だった。兄は前回のゲームに参加してゲームオーバーになった事実をオーバーライドで上書きし、今回のゲームに参加していたのだ。
「ツボミ、おまえは負けるなよ……。俺は最後まで諦めなかった」
そう言い残すと同時にHPはゼロとなり、兄はこの世界から永久退場した。
「ハハハッ、アハハハハッ!」
ツボミは声を上げて笑う。現実の兄は、ゲームのことなんてすっかり忘れ去っていた。かつての輝きをすっかり失い、セピア色の大人になった。でも、この世界ではそうではないのだ。シンデレラの魔法は解けない。ネバーランドにずっといていい。その意志さえあれば、ツボミはツボミのままでいていい。
「どうしたの? とうとうおかしくなった? 次はあなたの番よ?」
馬鹿にしたような口調で、静香はツボミに声をかける。ツボミはニッコリ笑って兄から受け継いだ永遠を司る黒薔薇の剣〈ブラック・プリンス〉を構える。
「この世界でなら、ボクはボクのままでいられるんだ。何も恐れることなんてないさ」
ツボミの体から虹色のエフェクトが放出され、ツボミはいつも学校で身につけている軍服風の改造制服姿になる。腕に刺さっていた矢は砕けて消えた。こんなにも簡単だったのだ。なりたい自分でいることなんて。
でも、これだけでは足りない。ツボミの隣には、雅雄がいなくてはならない。雅雄と組んでから、ツボミの物語は始まったのだ。
「雅雄、立って! 二人で掴もう! 本当に欲しいものを!」
○
ツボミの声を聞いて、雅雄は小さく顔を上げる。静香に剣を向けながら、ツボミは雅雄に手を差し出していた。
「僕には何もできないんだ……。無理なんだ……」
真っ赤なドレスを身に纏って完全に女の子の格好になっていた雅雄はうずくまったまま涙を流し、激しく首を振る。雅雄には、静香のオーバーライドに抗する術がない。このまま静香の思うがままにされるしかない。
「違う! それは君の思い込みだ!」
「えっ……?」
雅雄は顔を上げる。ツボミの一言で、真っ白になっていた頭がわずかに動き始める。冷静になれ。静香は仮面の剣士に対して相手を弱体化させるオーバーライドを発動していた。オーバーライドは一人一つしか使えない。だったら今の雅雄に起きている現象は誰が起こしているのか。答えは一つだ。
「そうか……僕は自分で自分を……」
気付いても、か弱い女子に擬態する自分は変わらない。雅雄は長い髪と静香が好みそうな真っ赤なドレスのままだ。
「その逆も、できるはずだ」
ツボミは笑顔で断言する。それでも雅雄は動けない。当たり前だ。だって、できたためしがないから。でも、だとしてもあがいてきたのが自分ではなかったのか。諦めず戦い続けると決意したのではなかったのか。
「大丈夫だよ。奇跡はすぐそこにあるんだ。二人なら、絶対起こせる」




