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58 願い

 絶対に、わざとだ。静香は雅雄を苦しめるため、わざとツボミを逃がした。明日からどんな顔をしてツボミに会えばいい?


「何なんだよ……! 僕はどうすればいいんだよ……!」


 雅雄は真っ暗な自室の真ん中で体育座りして、ガタガタと震える。やはり静香の言葉になど乗るべきではなかった。ここから数日間はツボミを泳がせ、雅雄をたっぷり苦しめた後、雅雄ともども惨殺する計画なのだろう。


「あら、お兄様。わからないの? ワールド・オーバーライド・オンラインで静香さんと一緒に、ツボミを殺せばいいのよ。静香さんはお兄様を許してくれるし、ツボミはお兄様のことを忘れるわ」


 ミヤビの言葉に、雅雄は激しく首を振る。


「できない……! できないよ……! ツボミは、僕の大事な人なんだから……!」


 こんなに雅雄によくしてくれたのは、雅雄の人生の中でもツボミだけだった。ツボミがいることで、雅雄は孤独から逃れることができた。


「あら? お兄様が本当に好きだったのは誰だったかしら? ツボミじゃなくて、メガミでしょう? お兄様はツボミのことが好きだと思い込もうとしていただけよ」


「ち、違う! ぼ、僕はツボミが好きなんだ! メガミは関係ない……!」


 虚しい欺瞞だった。ちょっと前まで、雅雄の脳内は毎日メガミで桃色だったのである。ツボミが雅雄の中に住み着いたのは、ここ最近のことでしかない。


 ミヤビは雅雄を嘲る。


「性欲と自尊心を満たすには、誰でもいいものね。でも、本当にいいの? ツボミはメガミとは違うわ。ツボミは、ちょっと背伸びした平凡な女の子よ? 派手な格好をして、外見を取り繕っているだけのピエロよ? ツボミと一緒にいても、お兄様は何者にもなれないわ」


 もしメガミと一緒にいれば、あのときのように雅雄の前に勇者の剣が現れるかもしれない。雅雄は、特別な何かになれるかもしれない。なぜなら、メガミは特別だから。でもツボミは違う。雅雄と同じ凡人だ。


「そんなにツボミが大事なら、お兄様はツボミに謝って、二人でワールド・オーバーライド・オンラインをやめればいいのよ。ゲームオーバーになるわけではないから、ツボミとの記憶は残るし、こっちじゃ静香さんも簡単には手を出せない。一件落着よ?」


 ミヤビの提案は理にかなっていた。でも、雅雄は神の力を手に入れられず終わる。何者にもなれないまま、平凡以下のモブとして終わる。自らの手で運命を切り開き、世界を変える主人公にはなれない。


 虚空に向けて、雅雄は本音を吐露する。


「僕は、僕は……それでも主人公になりたい」


 そのとき、真っ暗な部屋のドアが開かれ、光が差し込む。


「君の願い……確かに聞き届けたよ」


 光の向こうに、ツボミが立っていた。



 静香のもとから逃走したツボミはすぐ【ブレイバーズシティ】に戻ってログアウトした。自分の部屋で目を覚ましたツボミはベッドから起き上がるとすぐに外出の準備を始める。


 雅雄はツボミを裏切った。胸に渦巻くのは「なぜ?」という疑問ばかりだ。


「絶対、何か理由があるはずだ……!」


 ツボミは着替えながらつぶやく。雅雄は静香に脅されているのだろうか。それにしては様子が変だった。不承不承ながらも自分から動いているようにツボミには見えた。


 しかし雅雄は理由もなく人を傷つけようとするような人間ではない。短い付き合いだが、ツボミにもそれくらいはわかる。どちらかというと、人を傷つけるくらいなら自分を傷つけようとするタイプだ。だからこそ、ツボミは雅雄と一緒にいると落ち着く。


 絶対に何か、切実な理由がある。まずはそれを問いたださなくては。




 息を切らして走り、ツボミは雅雄のアパートに着く。雅雄の部屋には明かりが灯されておらず、真っ暗だった。とりあえず、今日は来客があるというのは嘘だったらしい。


(雅雄、いないのかな……?)


 そう思いながらツボミは玄関のドアに手をかけてみる。ドアは、開いた。


「……」


 ツボミは黙って上がり込むことにする。家主の複雑な心境を表しているのではないかという気がしたのだ。そっとしておいてほしいけど、助けてほしい。雅雄はそんな風に思っているのではないか。きっと雅雄は、自分の部屋にいる。


 記憶を頼りに忍び足でツボミは雅雄の部屋に向かう。思ったとおり、雅雄は自室にいた。


 ドアの隙間から雅雄の部屋を覗き込んで、ツボミは息をのむ。部屋の真ん中に雅雄が座り込んでいた。真っ赤なドレスで着飾り、長髪のかつらを被って。




「できない……! できないよ……! ツボミは、僕の大事な人なんだから……!」


「あら? お兄様が本当に好きだったのは誰だったかしら? ツボミじゃなくて、メガミでしょう? お兄様はツボミのことが好きだと思い込もうとしていただけよ」


「ち、違う! ぼ、僕はツボミが好きなんだ! メガミは関係ない……!」


 ……




 女装した雅雄が、延々と一人芝居を続けていた。あまりの光景にツボミは呆然とするが、ツボミは程なくして理解する。


(そうか……。雅雄の言ってたミヤビちゃんって……)


 雅雄の妹だというミヤビは、女装した雅雄自身だったのだ。家族がいない一人の寂しさを、雅雄はああやって紛らわせてきたのだろう。かなりの異常行為であるが、不思議と嫌悪感は抱かなかった。ツボミも、雅雄ほどではないにしても、孤独の味を知っているから。自分を理解してもらえない苦しみを知っているから。


 雅雄はツボミの存在に気付かないまま、本音を漏らし続ける。そして雅雄は言った。


「僕は、僕は……それでも主人公になりたい」


(ああ、そうか……。ボクと雅雄は同じだったんだ……)


 ツボミもかつての兄のように、いつまでも輝いた存在でいたくて、ぱさついた社会の歯車なんかになりたくなくて、ワールド・オーバーライド・オンラインをプレイすることに決めた。何も迷うことはない。ツボミは雅雄とともに歩いていける。


 ツボミは閉ざされていたドアを開き、雅雄の部屋に踏み込んだ。


「君の願い……確かに聞き届けたよ」

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