確信犯ですか。はい、そうです。
イレールが屋敷に帰ってきたのはあれから一月近く経った日だった。
馬車から降り立ち屋敷の玄関へと足を踏み入れた彼を真っ先に迎えたのは、この屋敷の執事頭であるフィルマン・ジアンだ。
艶のある黒髪を後ろへ撫で付け品のある眼鏡をかけた長身のフィルマンは、整ってはいるがどこか冷たさを感じさせるその容姿をさらに冷たく強張らせていた。
眉を寄せイレールよりも少しばかり高い位置から彼を見下ろす執事頭は、己の主に対してあからさまな渋い表情を向けている。
「主人が久方ぶりに帰ってきたと言うのに何です?その顔は」
にこりと笑みを浮かべて言ったイレールに、フィルマンはやれやれとでも言うように小さく息をついた。
「その様子は確信犯ですね」
「さぁ、なんの事だかさっぱり」
「とぼけてる場合ではありません。どういうおつもりなのか私には理解しかねます」
「ところでミオはどこにいるんです?」
「その"ミオ様"の話をしているんです!……イレール様が彼女を連れ帰った時からおかしいと思っていたんです。全く貴方はとんでもないことをしでかしてーーー聞いてるんですか?」
小言を並べ始めようとしたフィルマンの声が耳に入っていないのか、イレールはガラスの向こうの庭園を食い入るように見つめている。
口をつぐんで微動だにしないイレールを不審に思ったフィルマンがイレールの視線の先に目を移すと、そこには一人の娘がいた。
何が面白いのかクスクスと笑みを溢しながら舞うように庭園を歩いている娘の顔が太陽の光に照らし出された時、ああ、今日は久しぶりに晴れているな、とフィルマンは心の中で独りごちた。
「………あれはミオ、ですか…?」
「ミオ様でないのであればどこぞの娘が勝手に庭に入り込んでいるのでしょうね。摘まみ出しましょうか」
「フィルマン……やはり私は人を見る目があるようです…」
「……はぁ?何を馬鹿な事をおっしゃっているんですか貴方は」
未だに美桜に目が釘付けになっているイレールを横目に、フィルマンは馬鹿馬鹿しそうに溜め息をついた。
そもそも分かっていて連れてきたのではないのかこの男は。
いや、分かってはいたが、予想を上回ったというところか…
ぼんやり考えながら再び美桜に視線を移したフィルマンは、暫しイレールと共にその様子を眺めていることにした。
肩に着くか着かないか程しかない年頃の娘にしては短い髪をさらりとなびかせながら太陽の光を全身で浴びる美桜は、明らかにこの屋敷にやって来た時とは違っていた。
一月程前にあった顔の青痣や切り傷、腫れはすっかり消え去っており、美桜はあの醜かった娘とは全く別人のように変貌を遂げていた。
きちんと櫛を通された柔らかそうな髪に、光に照らされ輝く白い肌、透き通る様な大きな黒い瞳と熟れた林檎のように赤い唇。
今の美桜を見て誰が"醜い"等と言うだろうか。
もはや神秘的とも言える程彼女の容姿は美しく整っており、そしてどこか儚げなその表情は何故かどうしても人の目を惹き付けるものであった。
さく、と、気付けばイレールは庭園の芝生に足を踏み入れていた。
その足音に気付いた美桜は、思わずパッと表情を輝かせる。
「イレールさん!おかえりなさいっ」
「ただいま。良い子にしてましたか?ミオ」
「えっ…は、はい…」
パタパタと駆け寄った自分を受け止めながらまるで子供をあやすように優しく言ったイレールに、美桜は思わず顔を赤くして視線をさ迷わせた。
久しぶりにイレールに会えた嬉しさで舞い上がってしまった自分を恥ずかしく思いながら、美桜は曖昧な笑みを浮かべる。
「お仕事、大変だったんですか?」
「ええ、それが…あの後シラの巫女の召喚を何度か試みてみたのですが、やはりミオ以外には誰も召喚されませんでした」
「え……」
動揺したように声を漏らした美桜の髪をさらりと撫でたイレールは、確信したように目を細めた。
「髪……本当は黒いのですね?」
まだ全体的には焦げ茶色に見えるが、その根本から数センチの部分は美桜の瞳と同様の黒色であることが分かる。
そんな指摘を受けた美桜は、慌てたように顔を上げた。
「ご、ごめんなさい、騙すつもりはなかったんですけど……で、でもあたしはやっぱりシラの巫女じゃないです。だって不思議な力なんてなにも…」
「いいえ、貴女はシラの巫女で間違いないでしょう」
「力は追々分かってくるでしょう」と言ったイレールに美桜は「そんな、」と小さく声を上げた。
「あたしを、あの陛下っていう人の所に連れていくんですか……?」
召喚されたシラの巫女は代々国王陛下の正妃となっている。
と言うことはもし美桜がシラ巫女だと言うならあの陛下と呼ばれていた男の妻にならなければならないということだ。
あの時は見るに耐えない姿だったにしろ、召喚されたばかりで困惑していた自分に醜いだなんだと辛辣な言葉を浴びせた男の妻になるなど、美桜には考えられなかった。
眉を寄せて窺うようにイレールを見上げる美桜に、イレールはクス、と笑みを溢した。
「陛下の正妃になるのは嫌ですか?」
「………いや、です…」
「なら、私の傍にいなさい」
「え………?」
美桜の髪を手でとかしながらさらりと言ったイレールに、思わずピシリと固まる美桜。
暫くの間その状態で固まっていた美桜は、恐る恐る口を開いた。
「あっあの、それは、あたしが…イレールさんの、およ、お嫁さんにって、ことでしょうか……?」
「ええ、そうです」
再びビシリと固まる美桜。
ふと間近にイレールを見ると、カーーっと顔中を赤く染め上げた。
この彫刻のように美しい男の妻に、自分が……?
「私の妻になれば、毎日愛でてあげますよ?朝はキスで起こしてあげますし、もちろん夜は……ね…?」
「よ、よよよよよっ夜……っ!?」
目を見開いて更に顔を赤く染め上げた美桜に、イレールは思わず笑いを溢した。
クスクスと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、「冗談ですよ」と困惑しきっている美桜を宥める。
「妻になれと言っているわけではありません。言ったでしょう?衣食住の面倒ぐらいはみてあげると」
優しく言ったイレールにほっと肩の力を抜いた美桜は、しかし心配そうに顔を曇らせる。
「でも…いいんですか?あたしがもし巫女なら、国王陛下の奥さんにならないといけないんじゃ…」
「何故です?先に手放したのは陛下でしょう」
「え…?」
「今更返せと言われても返すつもりはありませんよ」
真顔でそう言ったイレールに再び顔を真っ赤にした美桜は、分かっていて言っているんじゃないか、この人…と心の中で思いながらもイレールの好意に甘えることにしたのだった。
そしてこの日から、この大きな屋敷でのイレールとの生活が始まった。