6話 初日
京都の喧騒は、城門を抜けた途端、嘘のように消えた。
乾いた風が草を揺らす。崩れた道路。傾いた電柱。灰色の空。
人の気配はない。
『機械人間は外にいる』
ゴビーの別れ際の言葉が脳裏をよぎる。
本当かどうかは分からない。だが、街中を機械人間が歩いているとも思えなかった。
ハルは短刀の柄へ手を添え、一歩ずつ歩く。
その時だった。
コツ――足音。
(人か……?)
耳を澄ます。
違う。
一定だ。
乱れがない。まるで決められた拍子を刻むような音だった。
ハルは反射的に身を低くし、崩れた瓦礫へ身を滑り込ませる。
息を殺す。そっと覗く。
二十メートルほど先。
一体の機械人間が、こちらへ背を向けて歩いていた。
「……いた」
思わず短刀を握り直す。
今なら近づける。
神代の声が脳裏に蘇る。
『実力を証明してみせろ』
(静かに近づき、背後から砕く)
足を踏み出した。
草を踏む音すら殺しながら。
機械人間は気付かない。
距離が縮まる。
十五メートル。十二メートル。十メートル。
(いける)
その瞬間だった。
機械人間の動きが止まる。
ギィ……
ゆっくりと首だけが回った。
ハルの背筋が凍る。
反射的に草むらへ身を投げ込んだ。
身体を地面へ押しつける。
息を止める。
視線だけを動かす。
胸には紅い金属板。
『23』
機械人間は何も言わない。
ただ周囲を見渡している。
そして。ゆっくりと顔がこちらへ向いた。
(……まずい)
ハルはさらに身体を低くする。
ほとんどうつ伏せだった。
目だけは合わせない。
見られている。そう感じた。
汗が頬を伝う。背中も。手のひらも。
コツ……コツ……再び足音。近付いてくる。
だが違った。
一定の距離を保ったまま、その場を巡回しているだけだった。
数秒。いや、一分ほどだったかもしれない。
やがて足音が遠ざかる。
ハルはようやく肺いっぱいに息を吸った。
「……っ、はぁ」
思わず漏れた吐息に、自分で驚き、慌てて口を押さえる。
静寂。もう足音はない。
(23号型か……33より旧式なのか。それとも、数字が小さい方が強いのか)
分からない。
だが、一つだけ分かったことがある。
勝てない。
今の自分では。
ハルは静かに立ち上がる。
短刀を鞘へ戻した。
「……違う」
今じゃない。勝てる時に勝つ。
そのために、生き残る。
「待ってろよ、No.23」
自然と口角が上がる。
本人も気付いていなかった。
ハルは足音一つ立てないよう、静かに後退していった。
ーーー
トライシクルを隠した場所。
ハルは草をかき分ける。
葉を払い、土を払う。
やがて指先が硬いものに触れた。
古びたタイヤ。
錆びついた車体。
ひび割れたメーター。
「……あった」
ラカールから譲り受けたトライシクルだった。
誰にも見つからなかったらしい。
「ふん。やっぱり盗られなかったか」
荷袋から一枚の布を取り出す。
毛布代わりにもならない薄さだったが、それでもないよりはましだった。
トライシクルに背を預け、ゆっくり腰を下ろす。
夜風が森を抜ける。
木々が小さく鳴った。
ハルは空を見上げる。
満天の星だった。
人の営みなど知る由もないように、静かに瞬いている。
「……村の方が、まだ寝やすかったな」
ぽつりと漏らす。
自然と、故郷の景色が浮かんだ。
薪を割った高台。
東に広がる、瓦礫に埋もれた湖。
錆びた漁船が、いつも何隻か浮かんでいた。
魚など、とっくにいない。
それでも人は潜った。
昔の金貨。
旧文明の遺物。
そんな夢みたいなものを探して。
カルの笑い声。
「いつか村を出るんだ」
あいつは、何度もそう言っていた。
酒場。
皿を洗う自分。
忙しそうに動き回る母。
「ハル、それお願い」
その声も。
もう聞こえない。
全部、なくなった。
ハルは目を閉じる。
ラカール。
紅い刃。
母の亡骸。
そして──
紅燐柱の中で見た、あの男。
「……ハハ」
乾いた笑いが漏れる。
「父さんに……似てたな」
ーーー
「おい」
誰かの声で目が覚めた。
ハルはゆっくりと瞼を開く。
逆光の中、一人の青年が立っていた。
黒い作業着。
手には古びた工具箱。
眠たそうな目。
整えられてはいるが、どこか無造作な黒髪。
「そこ」
青年が足元を指さした。
「俺の仕事場なんだけど」
「……仕事場?」
ハルは辺りを見回す。
木々。
草。
瓦礫。
トライシクル。
どう見ても森だった。
青年はため息をつく。
「瓦礫を片付けてる」
「掃除屋ってこと?」
「そんなもんだ」
興味もなさそうに答える。
そして視線だけがハルへ向いた。
眠そうだった目が、一瞬で冷える。
「それより。」
一拍。
「お前、死にたいのか?」
「……は?」
あまりにも突然だった。
ハルは思わず聞き返す。
「この辺は機械人間がうろついてる」
青年は淡々と言う。
「野盗もいる。野宿するなら駅跡にしろ」
駅跡。
ラカールと野宿した場所だ。
「死にたいっていうより——」
青年は少し考える。
「死んでも構わないと思ってる奴の寝方だ」
ハルは思わず吹き出した。
「あはは。そんな大げさな」
腰の短刀を軽く叩く。
「武器もある」
トライシクルを見る。
「逃げる足もある。まぁ、考えが甘かったのは認め——」
「しっ。」
青年が指を立てた。
空気が止まる。
ガサ……
右。
ガサッ……
左。
草が揺れる。
一つじゃない。三つ。
囲まれている。
青年の目から眠気が消えた。
木の陰から男が現れる。
一人。
また一人。
さらに一人。
三人。腰には剣。服装は傭兵崩れ。
「何の用だ」
青年が静かに言う。
「用があるのはお前じゃねぇ。」
先頭の男が笑う。
「あのガキだ」
ハルは短刀へ手を掛ける。
(四人。囲まれた)
ラカールはいない。
アオミもいない。
助けはない。
トライシクルまで走れば——
「刺客か?」
男たちは瞬きを何度かし、そして吹き出した。
「違ぇよ」
一人が懐から紙を取り出す。
広げる。
そこには少年の似顔絵。
「紅燐祭の参加者だろ?似顔絵描きがいてな。受付で見かけた顔は全部売ってくれる」
ハルの表情が変わる。
(そういうことか)
「ラベル目当てか」
「察しがいいな」
男たちが距離を詰める。
「全部置いてけ。」
(……ない、が…)
「トライシクルの下だ」
ハルが淡々と言う。
「探せ」
先頭の男が目で合図し、後ろの男が走る。
その瞬間だった。
ハルは足元の石を蹴り飛ばす。
カンッ、と石が木へ当たる。
「何だ!」
「伏せろ!」
男たちの視線が逸れる。
その一瞬で十分だった。
ハルは駆ける。トライシクルへ。
振り向いた男の胸へ飛び蹴りする。
「ぐっ!」
男が吹き飛ぶ。
ハルはそのまま車体へ飛び乗る。
(これならーー逃げ切れる)
そう思った。
「甘ぇ」
鈍い衝撃。
横から拳が飛んできた。
視界が回る。
ハルは地面へ叩きつけられた。
「おいガキ」
男が胸ぐらを掴む。
「大人しくラベル出せ!」
(だからないんだって…)
その時だった。
「待て」
静かな声。空気が変わる。
全員が振り返る。
「弱いものいじめは、感心しないな」
青年が、まだ工具箱を持ったまま立っている。
「あぁ?」
男が睨む。
「掃除屋。まだ文句か?」
青年は答えない。
代わりに右手をゆっくり持ち上げる。
「理式——」
空気が震えた。
「整流」
淡い紅い光。
無数の数式。
光る文字列。
それらが絡み合い、一つの円を描く。
巨大な理式陣。
男たちの顔色が変わる。
「お、おい……」
「本物だ」
「理式師……!」
青年は男たちを見ない。
「俺は…」
ただ静かに言う。
「トオミ・サネツグ。ただの、掃除屋だ」
少しだけ笑った。




