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16:生きている芸術品



 咳をしたのは背後に立つエヴァルトだ。

 彼はマーゴットはおろか全員の視線が自分に向けられたことに対して、口元に手を添えて「失礼」と返した。


「少し部屋が乾燥しているみたいで」


 これだけの説明でエヴァルトは黙ってしまった。乾燥していて咳が出てしまった、それだけだと言いたいのだろう。

 売人の男もこの説明に疑問は抱かなかったようだ。

 ……もっとも、


「随分とハスキーボイスの女だな。背も高いし。……俺好みの良い女だ」


 と流し目でエヴァルトに視線を送るあたり、疑問は抱かなかったが別の何かは抱いてしまったようだ。

 その瞬間にエヴァルトの顔から一切の色が無くなり瞳が濁った。隣に立つドニはもはや目も当てられないのか視線を露骨に逸らしている。ルリアさえも気まずそうだ。

 だがマーゴットだけは『女装した師に目の前の男が欲情の視線を向けている』という地獄絵図のような状況下においても別の事を考えていた。


 先程のエヴァルトの小さな咳払い。

 あれは……。


「……ねぇ、この犬、本当に稀少なのかしら」

「なんだ、気に入らないのか?」

「確かに綺麗な色の犬だけど、なんだかこう……、高価な感じがしないのよね。はっきり言って期待外れだわ」


 極力冷めた声を取り繕い、目の前の子犬にも、そしてこの取引にも興味が失せた事を示す。

 察したのか男の眉間に皺が寄った。今までよりも眼光に鋭さを増してマーゴットを睨みつけてくる。

 だが次の瞬間、男は軽く息を吐くと先程までの重苦しい威圧感はどこへやら、上機嫌で「目が肥えてるな」とマーゴットを褒めだした。


「あんたの言う通り、そいつは珍しい事は珍しいが稀少という程じゃない。探せば表でも売ってる程度の犬だ」

「なっ……、騙したんですか!?」

「そう怒るな。お前の主人が見抜いたんだから良いだろう」


 怒るルリアを適当にあしらい、男は再び部下に指示を出した。

 部下が部屋を出て箱を一つ持って戻ってくる。先程とまったく同じ流れだ。


 もしかしたらまた騙されるかもしれない。

 そう警戒していたマーゴットだが、箱から取り出された小鳥を見た瞬間『本物』だと理解した。


 光沢のある白い羽はよく見ると一枚一枚に薄水色の柄が描かれ、まるで上質の布に細かな刺繍を施したかのような美しさだ。

 そんな羽が重なり合って鳥の形を作っている。黄色い瞳と嘴が白い体によく映え、これもまた黄金を彷彿とさせる。

 芸術品を超えた美しさでありながら、小鳥は生き物らしくチチと鳴いて数歩テーブルの上をちょんちょんと歩いた。動きに合わせて輝きを放ち、鳴き声もまた鈴の音のように軽やかで輝かしさに拍車をかける。


『生きている芸術品』

 そんな言葉がマーゴットの頭に浮かんだが、だがこの言葉すらも小鳥の美しさを表すには足りない。


 これは本物だ。説明を聞かずとも分かる。

 小さな小鳥が放つ尋常ならぬ美しさに圧倒されて言葉を失えば、売人の男が得意げな笑みを浮かべた。


「見て分かると思うが、この鳥は羽一枚でもかなり高額になる」

「こんな綺麗な鳥……、見た事ない」

「当然だ。国内でも、飼っている奴は片手の数いるかどうか。手に入れれば周りに自慢どころじゃねぇ、一目見せてくれって頭を下げてくる奴まで出てくるだろうな」

「そう……。それで、見せたってことは譲ってくれるのね」


 小鳥の美しさに魅入られながらも、それでもマーゴットは視線を男へと向けた。


「もちろんその(売る)つもりで出したんだ。だがかなり高額だぞ」


 濁しもしない直接的な男の言葉に、マーゴットに変わってルリアが「分かっています」と返した。

 主人は既に購入を決意した。となれば、残る話や手続きは全て側仕えの仕事である。マーゴットは役に徹し、再びツンと澄まして口を噤んだ。


「お嬢様の希望の品が見つかった以上、金に糸目は着けません。もちろん値切るような真似もしないのでご安心ください。手持ちが足りなければすぐに持ってこさせます」

「そりゃ理想的な上客だ」


 男が書類を一枚取り出す。

 売買の契約書だ。ルリアが代表してそれを受け取り、隣に座るマーゴットも、そして後ろに立つドニとエヴァルトも契約書に視線を向けた。


「……っ!!」


 すんでのところで出掛けた言葉を飲み込んだ。ちなみに飲み込んだ言葉は「たかっ!!」である。

 なにせ契約書に記されている金額があまりに高いのだ。これだけあれば家一軒建て、優雅に一生を終えられる。それも豪華な調度品付きの豪邸で贅沢三昧な一生だ。それでもきっと金は余るだろう。

 そんな金額を前にマーゴットは驚愕を抱き、だがそれを何とか飲み込んだ。

 己を落ち着かせるために男に気付かれないように深呼吸をし、契約書を上から下までゆっくりと目を通す。


 視覚でとらえた契約書を、全て別の場所に転送しながら……。


 そうして一通り読み終えると、金額に対しての驚愕で震えそうになる声をなんとか押さえて「払っておきなさい」とルリアに命じた。この金額はさすがにルリアも予想外だったようで「かしこまりました」と返す彼女の声もわずかだが震えている。

 ――ちなみにこの金額に驚いていないのはエヴァルトだけである。彼は隣に立つドニが思わず声をあげかけた瞬間に足を踏みつけることで止めるという見事な働きを披露したのだが、残念ながらマーゴットは見ていなかった――


「よし、それじゃあ契約完了だ。金を見せて貰おう。ここに来たって事は知ってると思うが、うちは現金で尚且つ一括で払ってもらうからな。前払いなんてはした金で飛ぼうとする舐めた奴が後を絶たなくてな」

「分かっております。こちらとしても、一度で縁が切れるに越した事はありませんから。では……」


 ルリアが背後へと視線をやれば、ドニが頷いて持っていたケースをテーブルに置いた。

 ドンと低い音がする。ケースの重さ、中身が詰まっている事が確認せずとも分かる。その音を聞いて男が笑みを浮かべた。


「金額は十分にありそうだな。だが俺としては、少しぐらい融通を効かせてやっても良かったんだがな」

「融通? 交渉次第では値引きするんですか」

「普段は値引きなんか一切しねぇよ。ただ、俺にも金より優先したいものはあるからな」


 男の瞳にぎらついた光が宿る。欲深い、纏わりつくようなぎらつきだ。

 その視線がルリアから反れる。ルリアとマーゴット達よりさらに奥へ……。

 そこに立つエヴァルト改めエヴァへと……。


 ぞわり、とマーゴットの体に寒気が走り、思わず小さく体を震わせた。

 もしも自分の体が全身毛で覆われたもふもふだったなら、今頃さざ波のように毛が震えていただろう。もしくはボッと音を立てて全身の毛が逆立ち、二回りほど大きくなっていたか。

 対象外の自分ですらこの寒気なのだから、視線を向けられたエヴァルトはどんな胸中でどんな表情をしているのか。考えるだけで切なくなる。


 この話はすぐに終わりにしよう。そう考え、マーゴットは努めて冷静に、むしろ不快な話をされたと不満気にふんと鼻を鳴らした。

「値引きなんてみっともない真似しないわ」と冷ややかに言い切れば、男がわざとらしく肩を竦めた。残念とでも言いたいのだろうか。


「それなら金の確認に入らせてもらう。釣りをくすねて小金を稼ぐような趣味はないからな安心しな」


 男がゆっくりと蓋を開け、中を一瞥すると笑みを浮かべた。欲が滲み出た下卑た笑みだ。

 ケースの中から適当に紙束を手に取り、捲って中を確認する。


「怪しいところは無さそうだな。部下に数えさせるから待ってろ」


 男が部屋の隅に居る部下に声を掛けてケースを渡す。

 後は数え終えるのを待つだけだ。


 もっとも、マーゴット達が待っているのは別のものだ。


 外で控えているハドック達が行動に出るための合図。時間を考えればそろそろ出てもおかしくないはず。

 その前に金を数え終えられると面倒な事になる。その場合はせっかくだからもう一匹ぐらい見たいと我が儘を言って長引かせる予定だが、あまりに長居していると怪しまれかねない。

 そんな焦燥感とジレンマを感じていると、ふわりと風が吹いた。


「風……?」


 小さく呟き、反射的に顔を上げて周囲を見る。

 窓も扉も閉め切ったこの部屋でいったいどこから風が……。と、疑問を抱いた瞬間、部屋の外が一瞬にして騒がしくなった。

 騒々しい足音、怒声とも言える喧騒。そして何かが激しくぶつかる音。痛々しい悲鳴すらあがる。

 部屋の外が途端に物騒になり、金を数えていた部下はもちろん、これにはさすがに売人の男すらも驚愕し立ち上がった。



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