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「達夜?」
しばらくして、克也がそっと声をかけてきた。
「『よくだま』って何なの?」
俺は無言で首を振った。
克也に言ったところでどうなるだろう。やることはもうわかっている。『闇舞妓』を仕切っているやつを見つけて、そこにいる『闇舞妓』を狩り倒し、『欲魂』を叩きつぶして『京』に帰る。
姉貴は元より、祭事方がどう出るかは火を見るよりも明らかで、俺の処遇がどうなるかは克也に話したくもない。
さすがに座敷牢はないにしても、修行三昧で外出厳禁、それこそ克也に会うなどは一生かなうまい。
(克也に?)
ふいに、自分の落ち込みの根っこにあるものに気づいて愕然とした。『欲魂』と化した女達への哀れみや自分の無力さへの怒りを越えて、自分が何を望んでいたのかを心の底から思い知る。
本当は。
そうだ、本当は。
首尾よく事を納めて、その見返りの褒美に年に一度でいいから、こちらの世界へ出掛ける許しをもらおうと思っていたのだ。
無論、克也に会うわけにはいかないけれど、そっと見るぐらいはいいだろうし、そのうちに克也にこちらで恋人なりができればそれで、きっとちゃんと諦められる。
そんなことを、考えていたのだ。
「俺は……どこまで最低なんや…」
何のことない俺こそ『欲魂』に絞り抜かれた神女達夜の成れの果て、なのではないか。
何だか自分の身の内が『欲魂』に侵されたような気がして、無意識に身体を抱いたのを、克也はどう取ったのか、静かに肩に手を置いて慰めてくれようとした。
その手をそっと、避ける。
(俺には……そんなに優しゅう扱ってもらえる資格はあらへん)
克也だって、俺が『闇舞妓』や『欲魂』を狩る姿を見れば、今抱いてる温かい気持ちなぞ、きっと一瞬にして吹き飛ぶ。
(そうや…いっそ、そうやって)
嫌われて、しまえ。
「『欲魂』は、男恋しさに我を忘れた女の魂の行き着く先や。たとえ『京』の女であっても、もう『京』に戻すわけにはいかへん。その果てのない欲で『京』を侵し腐らせるしな。『闇舞妓』と同じに切り捨てて『京』とこっちの狭間の次元に沈めるしかあらへん」
「…達夜が?」
一瞬の沈黙の後、克也が低い声で返してきた。
「……それが俺の役目や……神女達夜が夜を名に負うてるのは、穢れを始末する役目やしな」
ちら、と克也を見ると、相手はいつもはふんわりと微笑しているような瞳に鋭いものを浮かべている。
「どうやって?」
「…そやな…」
既に『欲魂』にまでなっているのならぐずぐずしてはおられない。
「今夜にでも狩りに出るか」
ことさらあっけらかんと突き放した風を装って笑って見せた。
「ついてこんでもええで。見て楽しいもんやあらへんし」
鬼が魔を狩る修羅場があるだけだ。
「『針』を仕掛けてたぐらいや、あっちも俺の動きぐらい読んどるやろ。うろうろしてたら、向こうから出てくるやろうで?」
唇をゆがめて笑ってやると、克也がなおさら真顔になった。
「『針』って……達夜が倒れたやつ?」
「今度は注意しとるし大丈夫や。……油断してたんや」
その原因が隣にいるのをふいに確認して目を逸らせた。
(あかん……余計なこと、言うてしまいそうや)
本当は、きわどい賭けだ。
『針』は一度引っ掛かると次も狙われやすくなる。
空中に浮かんでる機雷みたいなもので、一度でも引っ掛かった獲物を次に確認すると、術者の気持ち一つで攻撃してくる飛び道具に変ぼうする。
一本二本なら、つまり操る相手が数人ならばかわせもするだろうが、五人以上に囲まれるとそうそうのんびり片づけられない。万が一は……逆に『針』に心の弱みをやられてしまうかもしれない。
だが、俺がそんなことになったら、それこそ『京』にとっては鬼を野に放つようなもの、たぶん心が壊れる前に祭事方の介入があるだろう。
(闇に沈む重りとなって…)
『闇舞妓』と『欲魂』を両手に抱え、次元の狭間に埋められる。どこまで墜ちても果てがない、やがては両手から狩った魂が形をなくして溶け崩れ、自分の魂も闇にこごってしまう拘束、その無限地獄を耐え抜いて戻ってきた『京』の護り手は、今のところ聞いたことがない。
「……達夜は頼子を狩る、んだね?」
降りた沈黙にぽつりと克也が言い放って、俺はぎょっとした。克也の顔が見られなくて、視線を前の畳の目に落とす。
「頼子は『闇舞妓』になってるだけじゃなくて……今はもう『欲魂』っていうのを操って……達夜に『針』を仕掛けた、んだね?」
思わず舌打ちしてしまった。その部分は巧みにそらせてごまかしたつもりだったのに、さすがは克也だ、俺のことばの裏の意味をしっかり読み取っていたらしい。




