第二十二話 カオルの力
◆は調理工程です。
2016.7.24に、加筆・修正いたしました。
人は流行り物に惹かれる傾向を持つ。
そして、【オナイユの街】でたった1日の間に流行した食べ物がある。
それはカオルが黒猫通りのミント亭で働く犬人族の女性、レジーナに教えた"ラタテューユ"で、初めて見る美味しい料理に誰もが殺到した。
作り方が簡単な上に、バリエーションも豊かである。
だから色々な形で派生し、パンにパスタにと応用された。
結果、黒猫通りのミント亭は満員御礼。
店主のエドモンドは小躍りをする程に儲けが出ていて、料理長を勤めるドワーフのリトゥルも大急がし。
慌てて余所――料理屋――へ修行に行かせた3人の息子を無理矢理呼び戻したくらいだ。
近い将来食堂を開業し、リトゥルの息子達に店を任せよう。
商人のエドモンドはそう考え、商業区の一角に目星を付けていた。
そして、回復魔法を覚え治癒術師の洗礼を受けたカオル。
ヴァルカンと共に溢れ返る宿屋の前で、どうやって部屋へ帰ろうか悩む。
そこへ――
「剣聖殿!」
ヴァルカンに話し掛けてきた人物。
全身鉄鎧を纏い、見事な敬礼を見せた聖騎士の3人。
只ならぬ雰囲気に圧倒され、カオルは萎縮し身を縮こませる。
「何用だ?」
「申し訳ございません。お願いしたい事がございます。聖騎士団の詰め所までご同行願えないでしょうか?」
おそらく、(聖騎士団長のレンバルトからの召集だろう)とヴァルカンは考え、数瞬悩み決断する。
「わかった。案内を頼む」
「し、師匠? ボクも一緒に...」
「いや、カオルは部屋で待っててくれ」
カオルの随行を許さなかったヴァルカン。
普段ならばどこへ行くのも一緒なのだが、(何か考えがあるのかな?)と思い、言葉に従った。
「...わかりました。どうかお気を付けて」
寂しさを紛らわせ、一度ヴァルカンに抱き付きそっと離れる。
努めて笑顔を見せたカオルを微笑ましく思い、ヴァルカンは頭を撫でて向かって行った。
ボソリと聖騎士の3人が「(めっちゃ可愛い..)」と言葉を零したが、カオルには聞こえない。
代わりにヴァルカンの耳がピクリと動き、「(手を出したら...わかってるな?)」と釘を刺していた。
(帰ってきたらいっぱい甘えようっと)
ヴァルカン達を見送ったカオル。
小柄な体躯を駆使し、人の波を縫ってようやく部屋の前に辿りつく。
そこへ見覚えのある人物が。
恰幅の良いお腹を叩き、ガハハ笑いをするエドモンド。
人間のはずなのにどこかドワーフっぽい。
「やや! おじょうちゃん! 戻ってきたね!」
目聡くカオルを見付け、急ぎ足で近づく巨体。
のっしのっしと歩く様は、本当に人間か疑ってしまう。
「何か御用ですか?」
「いやぁ、実は教えて貰った料理が大好評でな!! レジーナに聞いたんだが....他にも美味しい料理を作れるそうじゃないか? よかったら教えて貰えないかね?」
顎鬚を擦りニンマリと笑うエドモンド。
目の奥に"¥マーク"というか、"$マーク"というか....間違い無く金儲けを企んでいる。
そして、そんな怪しい人物をカオルも見た事があった。
(そういえば、お父様の部下で斉藤さんがこんな感じだったなぁ)
手広く事業を展開していたカオルの父親。
その部下で外資系の会社を任されていた斉藤一という人物が、まさしくエドモンドに似ていた。
父親曰く『悪い人じゃないが、金の匂いに敏感で金銭欲も強い。油断はできないけれど、手腕は信用できる相手だぞ?』。
カオルが押し黙り父親の言葉を思い出している間、エドモンドは察して提案を始めた。
「ん? そうか。アレだな? 大丈夫だ! ちゃんと金は払うぞ? ガハハ!!」
(ああ、やっぱり)
カオルは理解する。
ソックリなんてものじゃない。
この人は斉藤だ。
相手の思考を読むのが上手く、報酬もきちんと払う。
そうする事で納得させて、お互いに利益を得ようという事だ。
「では、店主さん。ボクと取引しませんか?」
「ほぅ? 取引か...いいだろう。聞こうじゃないか」
カオルとて百戦錬磨とまではいかないが、『香月本家の嫡男』として研鑽を積んできた。
もちろん教師役は父親で、将来【香月町】を治める為に帝王学に近い教育を受けている。
故にこの好機を逃がすはずもなく、即座に実践した。
『商売の真髄とは、商機を逃がさない事である』
「先日、レジーナさんにお出しした4つの料理をお教えします。その代わりに、大通りに出ている出店をひとつ用意していただけませんか? もちろん、設備と食材もです」
カオルが提示した魅力的な提案。
"ラタテューユ"ひとつで沢山の創作料理が作られ、いまや宿屋の黒猫通りのミント亭は宿泊ではなく、料理屋としてかなりの額を売り上げている。
これに4つの新作料理が加われば、【オナイユの街】どころか帝都にまで進出が可能かもしれない。
いずれは商業ギルドでエドモンドの"商会"を立ち上げ、子々孫々に受け継がせて莫大な利益を得る事も....
だが同時に不安もある。
商人としての勘は、間違い無くカオルの提案を受け入れるべきだ。
4つの新作料理を派生させ、腕の良いリトゥルならば多くの料理を作るだろう。
しかし、もしもカオルが(競合店を造るつもりなら....)エドモンドの計画は破綻する。
旨味もなく、先行き不安な状況で手広く店を出店すれば....
「あはは♪ 店主さんは考えてる事が表情に出やすいのですね? "競合店を出そう"なんて、思惑はありません。
ボクは、"ある理由"でお金が欲しいのです。出店は、永くても3日程度で閉めるつもりです。
それに――もしも出店が軌道に乗るようでしたら、そのまま店主さんが運営されてもかまいませんよ?」
全てを見通すカオルに、エドモンドは感服する。
こんな幼い少女が自分よりも確かな目を持ち、商才までも凌駕している。
幸運をもたらすお守り――マスコット――なんてとんでもない。
元剣聖の弟子は、底知れぬ何かを秘めた実力者。
ならば乗らない手は無い。
(自分の未来をこの子に賭けるか!)
代々続く、黒猫通りのミント亭の命運は、カオルの預かり知らぬところで託された。
「わかった!! いいだろう!! いやぁ、おじょうちゃんはなかなか商才があるじゃねぇか!! ガハハ!!」
(むぅ...また頭を撫でられた....)
子供扱いを不満に思うカオル。
実際11歳の子供なのだから仕方が無い。
そして、とんでもない事をエドモンドから聞かされた。
「ま、あの剣聖様のお付きなんだ。金には苦労してるんだろうな」
「あの...どういう意味でしょうか?」
「"元"剣聖様は有名だからな。若くして剣1本で剣聖の座まで登り詰めたにも関わらず、飽きたから辞めたっていうな!!
いやぁ、富と名声すらスパっと斬り捨てちまうなんて、男気があるじゃねぇか! ガハハ!」
褒めているような貶しているような、そんな印象。
『面倒臭いから辞めた』とは聞いていたが、『飽きた』とは聞いていない。
そして"名声"はわかるが"富"とは....
(むぅ...師匠がちゃんと稼いでくれていたら、オーブンなんてさっさと買えたのに....)
カオルがエドモンドに商談を持ちかけた理由。
それはオーブンを買うための資金集め。
王都、帝都で一軒家が建つ程に高額なので、なんとか自力で捻出する方法を探った。
そして見つけたのが調理方法で、出店で荒稼ぎしようと目論む。
小さな出店の売り上げなんて高が知れているものの、現在無収入なのだから少しでもなんとかしないと...
カオルが管理する所持金の残りもそんなに多くは無いのだから。
「おしっ! それじゃ、これは手付けだ! 取っときな!」
チャリンとエドモンドから渡された硬貨。
それはカオルが初めて見る物で、光輝く黄金色をしていた。
(ん? これ....金貨!?)
【カムーン王国】と【エルヴィント帝国】は同盟国であり、流通している貨幣は同じ物。
中には旧貨幣も存在しているが、そちらも金貨・銀貨・銅貨と同じ比重で価値は同格である。
故に【イーム村】で売り上げた農具の通貨をそのまま使えるのだけれど、カオルが手にした金額は破格と呼べる代物だった。
「こ、こんなにいいんですか!?」
「ガハハ!! 遠慮すんな!! たんまり稼がせてもらうさ!! それに、おじょうちゃんを気に入ったからな!!」
エドモンドは砕けた話し方をし、カオルに賭けた。
黒猫通りのミント亭をどこまで大きくできるかどうか。
将来、大商として"エドモンド商会"を立ち上げられるまでに大成するか。
だからこれは色々な意味で大きな貸しだ。
(銅貨1枚あれば丸パンが1つ買えるのに....金貨って事は1万個!? 3枚で3万個買えるの!?)
相変わらず独自の目線で貨幣価値を理解するカオル。
なぜパンなのかはわからない。
そして、このお金はヴァルカンに内緒にすると誓う。
ばれれば酒代に消えてしまう可能性があるから。
「ありがとうございます! がんばります!」
「おう! 1人じゃ心配だからな。レジーナをつけやろう! ついでに料理を教えてやってくれ!」
気前の良い宿屋の主人エドモンド。
ちゃっかりしているがそれだけではない。
【オナイユの街】の人口は凡そ2万人。
人が多ければ不貞の輩もそれなりに居る。
現に、昨夜の大捕り物はエドモンドも耳にしていた。
だから、もし元剣聖ヴァルカンの弟子に何かがあれば殺される。
なにせ【カムーン王国】の王都で流れた悪名は、【オナイユの街】にまで聞こえていたのだから。
(うわぁ...オーブン! オーブン! 本当に買えるんじゃない!? あの、試しに石釜で焼いたシフォンケーキの残念さ...
均等に焼きあがらず、膨らまないうえに端っこだけ焼けて中身がドロドロだったせつなさ...忘れない...ボクは忘れないよ!!)
苦い想い出を胸に秘め、雪辱をいつか果たす。
それがカオルの願いで、その為に自分専用のマイオーブンが欲しい。
「明日の朝に"必ず"出店は用意しておく。朝にレジーナを寄こすから待っててくれ」
「わかりました」
エドモンドはそう告げて笑いながら立ち去った。
そしてカオルはいそいそと部屋へ入り、思わぬ好機に笑みを隠せず、ガッツポーズを連発する。
「やった! オーブン~♪」
嬉しくてしょうがない。
なにせ念願のオーブンに手が届くかもしれない。
だからついクルクル回って踊るのも当然。
(何焼こうかな~♪ 終わったばっかりだけどクリスマスケーキとかいいよね~♪ ブッシュドノエル~♪
むしろホール3つ焼いて夢の3段ケーキとか? いいよね~♪ 夢が広がるね~♪)
無邪気な子供は感情表現が豊か。
楽しければ踊るし、嬉しければ笑う。
だから気付かなかった。
いつのまにか部屋の扉が開いている事に。
不意に視線を感じ扉を見やれば――ヴァルカンが立っていた。
一瞬、カオルの意識が遠のく。
「し、師匠!? ち、違うんです! オーブンが、ケーキが!! 違うんです~~~~~~!!」
慌てふためきオロオロとするカオル。
まさか自分の痴態を見られていたとは露とも思わず。
「いいんだぞ? カオル。私は常々思っていた。年齢のわりにカオルは大人びていたからな。少し心配していたんだ」
不敵な笑みを浮かべたヴァルカン。
カオルは怯えた小鹿の様にプルプル震え、恥ずかしくて泣きたい気持ち。
「今日はとても良いモノが見られた。とても可愛らしかったぞ? 私の嫁よっ!!」
「ひぃ!」
ヴァルカンに抱き締められ小さく悲鳴を上げたカオル。
驚きと、恥ずかしさと、ちょっと感動して頭が混乱する。
(心配していたとか、嬉しい....っていうか、嫁ってなんだー!?)
ヴァルカンの腕の中で、カオルは壊れた。
翌日、ヴァルカンはどうやら聖騎士団から1週間の剣の修練をお願いされたらしい。
さすが、元とはいえ剣聖。
すかさずカオルも出店を出すと伝えたところ――
「そうか! それはちょうどよかった! では、これを着るんだ。師匠命令だぞ?」
そう言い、渡された服は見覚えのある皮の包みに包まれていた。
(あれ? これ、前に宅配便のおじさんが持ってきてたヤツじゃない?)
恐る恐る包みを開けて中を覗くと...
黒地のドレスに白いエプロン、そしてホワイトブリムがセットになっていた。
(なんか靴までついてるし・・・)
それは、紛うことなき侍女が着る"メイド服"。
カオルが、ヴァルカンの顔を冷ややかに見上げると、最上級の笑顔を浮かべていた。
(何この人? ボクをどうしたいの? 本当に嫁だとか思ってるの?)
呆れるカオル。
この"嫁騒動"に決着をつけるべく、問い掛けた。
「師匠? これは何の冗談でしょうか?」
ヴァルカンを見るが、笑顔を崩さない。
「師匠?」
笑顔を崩さない。
「し...」
「師匠命令♪」
弟子のカオルは師匠の命令に絶対である。
ガックリとうなだれ、しぶしぶながらも洗面所へ行き、着替えた。
(というか、なんでサイズぴったりなの!?)
足元までゆったりとした黒のロングスカート。
白いエプロンには可愛らしさを増強するように、綺麗なレースが付いている。
子供用の白く小さな靴下の上に黒い靴を履いて、頭へホワイトブリム付けると、どこからどう見ても可愛いメイド。
(ば、バカナ....ちょっとカワイイと思った自分が憎い...)
自分の容姿が女性的だと自覚はしている。
母親似なのだから嬉しくもある。
だが、まさか女性服を着る羽目になるなんて....
落ち込むカオルは、何故か髪型を気にしていた。
(あ、髪はアップ...よりは、肩と腰の所でそれぞれリボンで結ぼう...)
服飾のデザインをしていた効果だろうか。
妙な所に拘りを見せ、自分の姿を確認する。
姿見に映る自分はどうみても女の子で、男としての自尊心が少し傷付いた。
肩を落としてヴァルカンの所へ戻るカオル。
待ち構えていたヴァルカンは――
「うひゃぁああ! カオルきゅんかわゆぃぃぃ!!」
ヴァルカンは変態的思考をおくびに隠さない。
瞳にハートを浮かべ、鼻息荒く、完全に変質者と成り果てていた。
(あー...どうしよう? かなりキモイ。そういえば、行商のスーザンさんが『聖騎士団の詰め所に逃げ込め』とか言ってたけど....だめじゃん! 師匠は剣を教えに行くんでしょ? 教官ってことじゃん! ああああああああ、逃げる場所がないいいいいいい...
ハッ!? そうか!! さっさと出店に行けば....ってレジーナさんが迎えにくるんだっけ? どこにも逃げ場がアリマセン...)
唯一の逃げ場を失い、悲しみに暮れるカオル。
(ここで負けちゃいけない!)と奮起してみせるも、変質者のヴァルカンを呷る結果となった。
「師匠? いいかげんにしてください」
「デュフフ....デュフフフ....」
はしたないなんてものじゃない。
ヴァルカンは涎を垂らし、獲物を前に瞳孔が開く。
救援を求めようにも【聖騎士教会】は当てに為らず、ここは密室である。
にじり寄るヴァルカンと部屋の隅へ追い遣られたカオル。
いよいよ本格的に(ドウシヨウ....)と悩んでいた所に、救世主が登場した。
「おはようございます。出店の準備でお迎え...に...あが....」
部屋の扉をノックし、顔を見せた女性。
頭の三角耳がピクリと震え、次に尻尾が垂れ下がる。
目が合ったカオルが思わず(助けて!! ヘルプミー!!)と懇願するも、「失礼しましたー....」と扉を閉めた。
「待って!! レジーナさん!! 行かないで!!」
カオルの叫びが響き渡った。
「いやぁ、びっくりしちゃったよ」
苦笑いを浮かべ、連れ戻されたレジーナ。
あと少しレジーナが遅く来ていたら、ヴァルカンはカオルに手を出していただろう。
溜息を吐いたカオルはヴァルカンへ振り返る。
ヴァルカンはいつもの顔に戻っていた。
(本当に戻ってる?)
不審そうにヴァルカンを見詰める。
(じー..じーー...じーーーーー....)
やがて、ニヘラっとヴァルカンの顔が崩れた。
「(もどってなーーい!)...師匠? お客様の前です。しっかりしてください」
カオルが指摘するも、ヴァルカンに声が届いているかどうかわからない。
何度か同じやり取りをして、「コホン!」と、わざとらしい咳払いをひとつ、いつもの表情へ戻った。
(はぁ....凛々しい姿はカッコイイのになぁ....)
こんなヴァルカンを慕うカオル。
そろそろ医者を探すべきではないだろうか?
いや、本当に貞操が...キケンガアブナイ。
「それでは行きましょうか? 食材買わないといけませんし」
レジーナが先導し、ヴァルカンとカオルは朝の大通りを3人で歩いた。
が――ここでも弊害が。
赤い騎士服の元剣聖ヴァルカンと、宿屋の簡素な仕事服姿のレジーナ。
その隣で一際存在感を放つ美少女が1人。
長い黒髪を可愛らしいリボンで結いあげ、侍女のはずなのに高価な布地の衣服を着ている。
一般的にハウスメイドと言えば、主に仕えハウスクリーニングで汚れても良い服を着るもの。
しかし、明らかに今のカオルが着ている服は、招待客に自家の存在――所有財産――をアピールする為に作られた、無駄にお金の掛かった品物。
場違いも甚だしく、ヴァルカンよりも目立っていた。
(なんだか物凄く見られている気が...似合ってない...?)
老若男女の突き刺さる視線。
カオルを値踏みしていた愚か者には、即座にヴァルカンが睨みを利かせる。
言外に(私のモノに手を出したらわかってるんだろうなぁ? あぁ!?)とブチキレているものだから、脱兎のごとく逃げ出す者が数十名。
住民は理解した。アレに手を出してはいけない。誰もが命は惜しい。
「あら? レジーナちゃん? 宿屋はお休みなの?」
「あ、ヤームさんの奥さん! いえ、今日は別件で出店のお仕事なんですよー!」
時折レジーナの知り合いが声を掛ける。
チラリとヴァルカンとカオルへ視線を移し、関わってはいけないそんな雰囲気を感じ挨拶もそこそこに立ち去る。
何度かそういったやり取りを経て、ようやくエドモンドが用意した出店へ辿り着いた。
(おー、周りの出店とはちょっと趣きが違うね。出店って言うより屋台?)
材木で組み上げられ、カウンターは一枚板の貫禄ある物。
丈夫な布で敷居が成され、レンガで造られた丈夫そうなコンロ釜に、鉄製の調理道具一式。
手入れもかなり行き届いていて、エドモンドが如何にカオルへ期待を寄せているかがわかる。
(ふむぅ....何作ろうかなぁ?)
ぼんやりと何を作るかは決まっている。
あとは食材の値段次第で儲けが変わる。
そして、そんな思案を始めたカオルへ、ヴァルカンが口を開いた。
「それでは、私は聖騎士団の詰め所へ行く。レジーナ? カオルの事よろしくな。また後で」
カオルの頬をひと撫でし、颯爽と立ち去るヴァルカン。
(やっぱりカッコイイなぁ)というカオルの感想と、レジーナは朝の痴態を知っていてか苦い顔をしている。
そしてヴァルカンが近くの建物へ目配せをし、数人の者が頷いていたのにレジーナが気付く。
(アレはたぶん、カオルの護衛かな?)と。
「よっし! レジーナさん? 仕入れに行きますよー?」
「レジーナでいいよ! 私もカオルって呼ぶから! 今日から3日間、よろしくね!」
「こちらこそよろしくお願いしますね!」
カオルはレジーナの対人能力を認めていた。
なにせ此処へ来る間にどれだけの人数がレジーナへ話しかけたか。
年齢問わず多くの男性女性が居たのだから、カオルは調理に専念し、(レジーナを看板娘に起用しよう)。
そんな画策をしつつ食材の買い出しを始めた。
「へいらっしゃい!」
「いらっしゃい」
「おはようございまーす」
「お、おはようごうざいます」
威勢の良いドワーフのおじさん。
隣で奥さんらしい人も挨拶を交わす。
そしてカオルは確信した。
レジーナは天賦の才能を持っていると。
なぜなら――
「おじさん! 高いよ! まけてよ!」
「いやぁ...おっかぁがこえぇし...」
「あんた? 聞こえてるよ?」
「ひぇ!?」
「アハハハ!!」
今のカオルに無理な事。
対人恐怖症とまでは行かないが、ヴァルカンと出会ったおかげで他人と普通に会話するまで成長した。
現にレジーナとは臆面もなく接している。
レジーナの能力のおかげかもしれないけれど。
(うん、あの調理器具と材料なら手軽に食べれるアレがいいよね♪)
パパッと買う物を決めてレジーナの手腕で値下げ交渉も成立。
ドワーフの店主は仕入れ値の限界まで代金を下げて、奥さんの機嫌を取る。
(それでいいの!?)とカオルはツッコミを入れたい気持ちをグッと堪え、屋台に戻って調理を開始した。
◆軽食といえばコレかな?
小麦粉、砂糖、卵に牛乳、バターと塩を買い、あとは果物をいくつか適当に。
大きなペール缶へ卵と砂糖、塩を適量入れ混ぜ合わせる。
小麦粉を加え、かき混ぜながら溶かしたバターを入れる。
蓋をしてしばらく放置し、その間に果物を適当な大きさに切り、器に並べる。
ボールに生クリームを入れ、砂糖を少し加えて角が立つほどかき混ぜる。
早速味見してみたカオル。
生クリーム独特の甘味が口内で広がり、このまま全部食べてしまいそうになる。
「ほぇ~...手際がいいね。何作るの?」
「歩きながらでも食べれるように、クレープを作るんですよ」
「くれーぷ? 聞いたこと無いけど、美味しいの?」
「はい、よかったら試食してみますか?」
丁寧にカオルが説明し、クレープの存在を知らないレジーナは首を傾げる。
そして「試食」の言葉に胸を躍らせ、飛び上がって喜んだ。
(あ、尻尾をすごい勢いで振ってる)
獣人は感情表現がわかりやすい。
なにせ耳も尻尾も丸見えなのだから。
コンロへ火を入れフライパンを熱する。
油を敷いてペール缶からレードルで生地を移すと、フライパンに生地を敷きレードルで薄く伸ばす。
すぐに焼きあがり、取り出してその上に果物を数切れ乗せ、生クリームをかけてそれを包む。
包丁で半分に切り分け、片方をレジーナに差し出した。
「どうぞ」
2人一緒に齧り付く。
(うん、甘くておいしい。この果物、マンゴーみたいな味がする。なんだろ?)
カオルが(何の果物だろうと?)不思議に思っていると、突然レジーナが大声で叫んだ。
「なにこれ!? おいしい!!」
朝の大通り。
カオルは調理をしていて気が付かなかったが、かなりの人数が練り歩いていた。
注目されて照れるカオルだが、その事よりも気になる事が。
(尻尾振りすぎ! ボクの脚に当たってるから!)
バチンバチンと鞭の様にしなるレジーナの尻尾に、カオルの脛は集中砲火される。
肉体的に痛みは無いが、精神的にダメージはある。
むしろその身長が羨ましい。
カオルよりも10cmは高い身長が。
「れ、レジーナ落ち着いて」
「ご、ごめんね...あまりにも美味しくて....つい」
カオルに注意されて、シュンとなるレジーナ。
(う~ん、なんか捨てられた子犬を我慢できずに拾ってきてしまう気持ちがわかるね)
こんなことを思うカオルは、本当に優しい子だろう。
「それで、いくらで売りましょうか? あまり高くしたくないんですが」
カオルはレジーナに相談する。
砂糖を使ってはいるが、ここ【オナイユの街】は砂糖の輸出国【エルヴィント帝国】領なので、【イーム村】より全然安い。
行商で来ていたおばちゃんのところは高かったが、魔物に襲われたりする危険を考えればしかたない。
重い上に各種税金も掛かる。
それでも売りに来ているのだから儲けはあるのだろう。
レジーナは少し呻り、「銅貨4枚くらい?」と提案する。
(う~ん、パンが1つ銅貨1枚なんだからちょっと高すぎじゃないかな?)
ここでもパン計算をするカオル。
いい加減、違う価値の見方を覚えるべきではないだろうか。
「銅貨3枚にしましょう。材料費がかさむようでしたら4枚に値上げしますか」
「うん、それがいいね」
レジーナはそう言うと、木板になにやら商品名と値段を書き込み店先に吊るした。
(おお、看板だ!!)
さすが宿屋とはいえ、商売をしているだけはある。
即断即決で行動の速いレジーナ。
エドモンドはレジーナの性格を良く理解しカオルへ着けたのだろう。
「とりあえず、挨拶回りしようか?」
カオルはクレープをもう2つ作り、両隣の出店へと挨拶に向かった。
となりの雑貨屋のおばさんは、初めて見るクレープに、大変喜んだ。
(レジーナの知り合いなのかな? まぁ同じ種族だし)
和気藹々と立ち話しをするレジーナとおばさん。
カオルは隣で、おばさんが喜んで振る尻尾に打たれていた。
(い、痛いよ....というか、おばさんの尻尾。毛の量が多くないかな!?)
逃げ出す事も出来ず、その場に立ち竦むカオル。
おばさんは嬉しそうにカオルに目を向けた。
「いや~、こんな可愛い服着た子。初めて見たよ~」
おばさんはそう言うと、カオルの身体をペタペタ触り出した。
(やめてください。ボクのHPはとっくに0です)
なすがままのカオル。
はたから見ていると、とても卑猥だ。
カオルは一瞬の隙を突いてその場から逃げ出し、おばさんの相手をレジーナに押し付けた。
(あのままあそこに居たら...殺られる!!)
弱気なカオル。
すごすごと、もう1つのお隣さんへ向かう。
大小様々な大きさの鍋が飾られ、何に使うのかわからない程の大きさの釜まで置いてある。
そこは金物屋だった。
(いいな~♪ ボクも何か作りたいな~♪ おっ!? このお鍋、鋳造品じゃない! 手作りだ! いいよね~♪ なんか手に馴染むんだよね~♪
あの土の中で固まりました! っていう感じじゃなくて、手で叩きあげました! っていうのがいいよね~♪)
のん気に鍋を手に取り軽く振ってみる。
そこそこ重さがあったが、とても使いやすい。
いくつか買いたい衝動に駆られ、思い出したかのように慌てて鍋を戻し、奥の番台へ。
カオルが丁寧に挨拶をすると、口数少なくぶすっとしたドワーフのおじさんだった。
「(むむ! 職人気質ですね! わかります!)お隣で商売をさせていただきます。なにぶん、初めての事ですので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
カオルが腰を折って丁寧に挨拶すると、驚いたドワーフの職人は「お、おう」と一言だけ答えた。
(さすがは職人さん)
ニッコリ笑顔を作り、「よかったら召し上がってくださいね♪」と、クレープを置いてそそくさと退散。
カオルの中でこのドワーフは一目置かれる存在。
なにせあれだけの腕があるのだから。
取り残されるおじさん。
クレープをまじまじと見詰め、やがて一口齧った。
「~~~~~~~~~~~ッ!?!?!?」
初体験。
包まれたクレープ生地から、甘い生クリームがはみ出し、一口噛むと果物の汁が溢れ出す。
何とも言えぬ美味しさに、おじさんは声にならない声を出した。
そんな事が起きているとは、カオルはまったく気が付かない。
数日の内に、【オナイユ街】では"クレープ"が大流行する事になる。
屋台に戻るとレジーナも帰ってきていた。
「それじゃはじめましょうか?」
「まっかせてー! 本日開店!」
レジーナは大声を出しながら呼び子をする。
(すごいよー...対人スキルマックスですね!)
2人連れ、3人連れ。
レジーナは人数も性別もまったく関係なく、声を掛けては連れてくる。
(ボクには絶対出来ない...師匠と同じ引き篭もり気質だし....)
少し落ち込むカオルだが、(羨ましい)とは思わなかった。
クレープは大変好評で、どんどん売れて行く。
材料があっというまに底をつき、追加で材料を買ってくる程。
さらに、少し買い物に行った間に、長蛇の列が出来ていた。
(2人でこの量はムリだよーーー)
目に涙を浮かべるカオル。
だが、お客様は待っている!!
なんとかがんばってクレープを作る作る!
(ボクは負けないゾ! だってそこにオーブンがあるから!)キラーン
目指せオーブンの星!!
きっといつか届くはずだ!!
(とうかですね。あの....買う人買う人。クレープ渡す時に、なぜわざわざボクの手に触れてるんですか? そういう文化?
なんか、いつの間にか憲兵さんも並んでるし。知ってるんですよ? その濃い紫色の服が、憲兵さんの服だってことは!
ねっとり手を触らないでください!! 仕事中じゃないんですか!?)
若干。(え? 若干!?)
訂正。
大集団にセクハラを受けるカオル。
衛生面を考え、何度も何度も手を洗う羽目になった。
(うぅ...忙しすぎる...)
息吐く暇もなく、大忙しでクレープを作る。
次から次に押し寄せるお客様。
(あれだね。生地とか生クリームとか、混ぜる作業はなんとかならないかな? ボクもレジーナも腕が痺れてるよ?)
お昼も過ぎ、午後3時を迎えた頃。
ついに2人は限界が来たため、お店を閉めた。
並んでいた人達に、明日「並ばず優先的にお売りしますので」と付け加えて本日は終了。
「レジーナ隊長、疲れました...」
満身創痍のカオル。
「カオル隊員、我々は任務を果たしたんじゃよ」
燃え尽きたレジーナ。
2人はこの戦地で、硬い絆で結ばれた。
(話してておもしろい人だったから、仲良くなっただけなんだけどね)
フラフラになりながらお店の片付けをしている時に、突然大通りが騒がしくなった。
「なんだろうね?」
「わかんない。どうしたんだろ?」
レジーナが立ち上がり様子を見に行き、同じ様にカオルが目を向ける。
すると、大通りを大きな馬が1頭。ものすごい速さで駆け抜けているところだった。
「暴れ馬だ! 気をつけろ!」
誰かがそう叫んだ。
次の瞬間――
「キャーーー!」
一際大きな悲鳴が上がり、鈍い音が聞こえて辺りは騒然となる。
次々に漏れる吐息。
「....もうダメだ」
「たすからねぇだろうな」
悲観的な声が聞こえる中、カオルは見付けた。
傷だらけで横たわる子供の姿を。
どうやら、暴れ馬に子供が轢かれたらしい。
カオルは慌ててその現場へ向かった。
子供の傍では、既に憲兵隊の手によって、暴れ馬が取り押さえられている。
大きな馬。カオルの何倍も大きい。
手綱を引かれ、暴れ馬は連れて行かれる。
大通りの真ん中では、子供を取り囲むように人だかりができていた。
脳震盪だろうか?
倒れた子供はピクリとも動かない。
「治療所へ連れて行って治療しなきゃ!」
誰かがそう叫び、傍に居た女性が慌てて子供を抱え上げようとした。
「動かさないで!!」
冷静なカオルは大きな声で叫んだ。
(ダメだ。頭を強く打ってる)
カオルは周囲の人混みを押しのけ子供の傍へ。
馬に蹴られ押し潰されたのだろう。
手足が反対へ曲がり、所々に内出血が見られ、苦しそうに嗚咽を漏らしていた。
(やばい。これはぜったいやばい!!)
カオルの頭にひとつの言葉が過ぎる。
"死"
それは、生きとし生ける者がけして逃れられないもの。
(でも...まだ生きてる...こんな事故で...絶対に死なせない!!)
カオルは震える手を伸ばし子供の額に触れる。
なぜそうしたのか。
わからないけどやらなきゃいけない。
そんな想いが渦巻き、気付けば周囲は静かだった。
大丈夫...
出来る...
やらなきゃ...
この子を助けなきゃ...
ボクは助けられてばかりだから...
ボクだってがんばらなきゃ!!
脳内へ流れる培った医療知識。
裂傷、破裂骨折、内出血、脳へのダメージ。
安心して?
今、治すから!!
身体の中から膨大な魔力が吹き上がる。
やさしく、力強く、大きな力で。
癒しの力を...この子に。
「....《治癒》」
周囲が固唾を呑んで見守る中、カオルは必死に言の葉を紡いだ。
そこへ――人垣を掻き別けてある集団が到着する。
「かお....る?」
聖騎士団員を率いてやってきた、元剣聖ヴァルカン。
その隣には、息を切らせた治癒術士のカルアが立っていた。
「カオルちゃん...」
カオルの必死な形相に、次の言葉が出て来ない。
聖魔法ではない風魔法。
それも誰も見た事が無い程に強い力。
カオルの周りに柔らかい風が舞い、黒く長い髪を揺らす。
神秘的な光景は続き、重傷を負った子供の身体が浮き上がり、淡く緑色に輝き始める。
やがて傷だらけだったその身体は治療され、元通りになっていた。
次第に収まる光と風。
ふわりと子供の身体が地面に降り立つと、静かに目を開いた。
「...おかぁさん?」
意識を取り戻した子供。
傍で大粒の涙を流した女性が、名前を叫んで強く抱き締める。
カオルは見ていた。
その感動的な光景を。
そして、安堵しながら意識を手放した。




