第18話 雨宿り防衛戦
王都軍が来たのは、冬の入口だった。
ラルフだけではない。
王国側の正式な部隊。
理由は明確だった。
無許可の防壁。
行政命令への抵抗。
軍事施設化の疑い。
ただし軍を率いる隊長は、ラルフとは違っていた。
使者が門前へ出る。
「門を開け、調査を受け入れよ」
ヨナスは城壁の上から答える。
「住民の退去命令を撤回してください」
「それはできない」
交渉は平行線。
ラルフが苛立った。
「壁を壊せ!」
隊長が止める。
「住民への攻撃は命令にない」
「壁を破るだけだ!」
一台の投石機が前へ出る。
岩が放たれた。
住民の悲鳴。
ヨナスは鑿を握る。
敵を倒す。
投石機を壊す。
そう思った。
しかし、何も視えない。
金色の線が出ない。
「なぜ……」
背後を見る。
エナ。リク。オルド。ノア。リーサ。バルト。ミレイ。
皆がいる。
必要なのは敵を倒すことではない。
この人たちが、明日もここへ帰れること。
「……屋根だ」
金色の線が一気に広がる。
ヨナスは城壁へ鑿を突き立てた。
――ガチリ。
城壁の上空へ、石の巨大な弧がせり上がる。
完全な天井ではない。
投石を受け流し、家々へ届かせない防護構造。
巨岩が激突し、砕ける。
中は無傷。
ヨナスは、それ以上何も造らなかった。
攻撃しない。
住民たちも武器を持たず、城壁の上へ立った。
オルドが叫ぶ。
「ここは、わしらの家じゃ!」
声が続く。
「出ていかない!」
「戦いたくない!」
「でも追い出されない!」
隊長はそれを見る。
ラルフがさらに攻撃を命じる。
しかし隊長は首を振った。
「ここから先は王国軍の任務ではない」
「何を言っている!」
「民間人を殺して、建築公会の面子を守る命令は受けていない」
戦いはそこで止まった。
完全な勝利ではない。
でも雨宿は守られた。
そして王都内部で、ラルフの行動と過去の不正が再調査されることになった。
ヨナスは城壁の上へ座り込んだ。
ミレイが駆け寄る。
「ヨナスさん!」
「大丈夫です」
「今は信じません」
そう言いながら支える。
ヨナスは周囲を見た。
自分が町を守っただけではない。
町も、自分を守った。
そのことを、今度こそはっきり理解した。
王都軍が現れた朝、雨宿では鐘代わりの鉄板が三度叩かれた。
広場へ集まった人々の顔には恐怖があった。
城壁の外には、これまでとは桁違いの人数。歩兵、弓兵、工兵。そして壁を破るための投石機。
「逃げ道は?」
誰かが聞く。
城壁を造った時、ヨナスは裏側に小さな非常門を設けていた。必要になれば子どもや老人を荒野の南へ逃がせる。
「使うなら今です」
ヨナスは皆へ言った。
「残れとは言いません」
沈黙。
エナがリクの肩に手を置く。
「リク、怖い?」
「怖い」
「逃げたい?」
リクはヨナスを見る。城壁を見る。
「ここにいる」
エナも頷いた。
他の家族も次々に残ると決める。
ヨナスは複雑だった。
逃げてくれれば安心できる。けれど、それではまた皆を居場所から追い出すことになる。
だから最終的に、子どもと老人は城壁中央の頑丈な食料庫へ避難し、動ける大人は消火用の水や救護の準備をすることになった。
誰も戦う準備はしなかった。
それが雨宿の選択だった。
門前の交渉で、王国軍の隊長は名をヴァレンと名乗った。
「我々は反乱鎮圧に来たのではない」
低い声。
「無許可の軍事施設と、行政命令への抵抗を確認しに来た」
「ここは軍事施設ではありません」
ヨナスが答える。
「なら、なぜ城壁がある」
「住民を追い出そうとしたからです」
ヴァレンはラルフを見る。
二人の間にわずかな温度差がある。
ラルフは早く力を見せつけたい。
ヴァレンは任務の範囲を越えたくない。
その違いが、雨宿を救うことになる。
最初の投石は、本来なら威嚇のはずだった。城壁の端へ当てるよう狙ったもの。
だが強風で軌道がずれた。
巨岩が町の内側へ落ちる軌道へ変わる。
その瞬間だけ、ヨナスは何も考えなかった。
身体が動く。
鑿を握る。
最初に頭へ浮かんだのは、投石機を押し潰す巨大な岩壁だった。
しかし金色の線にならない。
次に弓兵を閉じ込める檻。
出ない。
敵を傷つける形には、大地が沈黙する。
「じゃあ……何を」
後ろからリクの声が聞こえた気がした。
実際には遠い食料庫にいる。
それでも第一話の声が重なる。
『あったかいよ』
あの時必要だったのは、雨を止めることではなかった。
雨から守る屋根だった。
「そうか」
敵を止める必要はない。
飛んでくるものから、ここを守ればいい。
その瞬間、設計図が開いた。
石の弧。
衝撃を分散し、破片を外へ流す形。
ヨナスは鑿を城壁へ打ち込む。
巨岩が防護壁へ当たった時、町全体が震えた。
ヨナスは衝撃で膝をついた。
それでも壁は立っている。
人々は無事。
第二射を命じようとするラルフを、ヴァレンが止めた。
「もう十分だ」
「何が十分だ! 奴は王国軍へ抵抗した!」
「いや」
ヴァレンは城壁を見る。
「一度もこちらを攻撃していない」
事実だった。
城壁も防護壁も、すべて守るためだけのもの。
ラルフは歯噛みした。
そこへ、若い公会職員がヴァレンへ一枚の書類を渡した。第13話でヨナスへ話しかけた男だった。
「隊長。公会の命令書、正式な軍事要請の印がありません」
ラルフの顔色が変わる。
彼は自分の権限を越え、雨宿への圧力を軍事行動に見せかけていた。
ヴァレンは静かに命じた。
「撤収する。ラルフ監査官については王都で事情を聞く」
戦いは、敵を倒して終わったのではない。
攻撃しなかったことが、雨宿を救った。
門が閉じたあと、ヨナスはその場へ座り込んだ。
人々が一斉に駆け寄る。
「ヨナス!」
「怪我は?」
「水!」
ミレイが人を押し分ける。
「一度離れて! 診ますから!」
ヨナスは笑いそうになった。
守ったつもりの人々が、自分を取り囲み、守ろうとしている。
古文書の一節が、ふと頭をよぎる。
『もはや一人で屋根を支える必要なき時』
もしかすると、その時は近いのかもしれなかった。
軍が撤収したあと、雨宿の人々はすぐ歓声を上げなかった。
最初に始まったのは確認だった。
「全員いるか!」
広場で名前を呼ぶ。
リク。ノア。エナ。オルド。
一人ずつ返事をする。
軽い怪我人が二人。投石の衝撃で転んだ者が一人。城壁の破片で腕を切った者。重傷者はいない。
それが分かって初めて、誰かが泣き出した。
緊張が解け、次々と座り込む。
ヨナスも診療所へ運ばれた。
「歩けます」
「黙って」
ミレイに言われる。
身体には能力発動後の強い疲労があった。城壁を造った時より重い。規模ではなく、緊張のせいかもしれない。
診療所の寝台で横になると、リクがこっそり入ってきた。
「ヨナス兄ちゃん」
「どうした」
「怖かった?」
子どもに聞かれ、ヨナスは少し迷った。
「怖かったよ」
以前なら強がったかもしれない。
リクは安心したように言った。
「ぼくも」
そしてヨナスの手を握った。
怖いと言っても、誰も失望しない。
それもまた新しい経験だった。
翌日、防護壁の破片を片づけながら、住民たちは王都軍が残した足跡を見た。
憎しみを口にする者もいた。
しかしヨナスは、ヴァレン隊長が攻撃を止めたことも皆へ伝えた。
「王都の人間全部が同じじゃありません」
公会での経験から、ヨナスは集団を一括りにする危うさを知っていた。
ラルフは許せない。
でも王都そのものを敵にすれば、雨宿もまた閉じた場所になる。
城壁は必要だった。
けれど心まで壁で囲う必要はない。
この考えが、第19話で王都との正式交渉を受け入れる理由になる。
防衛戦の翌々日、ヴァレンから短い私信が届いた。
『私は軍人として、王国の秩序を守る立場にある。あなた方の行為をすべて正しいとは言えない。しかし、あの日あなたが一度も我々を攻撃しなかった事実は報告する』
ヨナスは何度もその文を読んだ。
敵だと思っていた側にも、事実を見てくれる人がいる。
王都で一度裏切られた経験から、ヨナスは権力を持つ者全てを信用できなくなっていた。けれど、誰も彼もラルフではない。
人を一括りにしないこと。
それもまた、雨宿を外の世界へ開いたままにするために必要な学びだった。




