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第10話 一日に一つ

雨宿という名前がついてから、人はさらに増えた。


名前がある場所には、人が向かえる。


「南の荒野に雨宿という場所がある」


「水がある」


「診療所もある」


「困っている人間を追い返さない」


そんな噂が街道を伝っていった。


人が増えれば、必要なものも増える。


水。食料。寝る場所。火。薬。道。


そしてヨナスの力には限界があった。


一日に一つ。


どれだけ望んでも、どれだけ必要でも、一日に一つの「大地の応答」しか起こらない。


その日の朝。


最初に来たのは、赤ん坊を抱いた若い母親だった。


「ヨナスさん。お願いがあります」


昨夜の風で天幕が裂けたという。


「この子がまだ小さいので」


ヨナスの視界へ、小さな家の設計図が浮かびかける。


その時。


「ヨナスさん!」


男が走ってきた。


「倉庫だ! 昨日運び込んだ麦が雨で濡れ始めてる。冬を越す分の半分だ!」


食料。


腐れば雨宿全体が困る。


さらにオルドが来る。


「子どもらじゃ。昨日一人、ぬかるみで転んで頭を打った。雨の日に集まれる場所がそろそろ要る」


三つ。


赤ん坊の家。


食料倉庫。


子どもの居場所。


どれも必要。


金色の設計図が重なり、定まらない。


一つ選べ。


そう言われているようだった。


「……少し考えさせてください」


広場へ座る。


ミレイが隣へ来た。


「三つ?」


「はい。どれも後回しにしたくない。でも一つしか造れない」


「全部、自分で造る必要がありますか」


ヨナスは顔を上げた。


「赤ん坊の家。全部を大地の力で造らないとできません?」


考える。


木と石、人手があれば普通に造れる。


「倉庫は?」


それも。


「子どもの場所は?」


大きな布と柱があれば、とりあえず雨は防げる。


ヨナスは周囲を見る。


人がいる。


木工ができる男。石を積める人。布を縫える女。荷物を運べる若者。


最初に来た頃とは違う。


「……造れる。私の力がなくても」


「そうでしょう」


ミレイは笑った。


「ここはもう、ヨナスさん一人しかいない荒野じゃないですよ」


ヨナスは広場の中央に立った。


「皆さん。お願いがあります」


オルドが眉を上げる。


「珍しいのう」


「今日、私の力で造れるのは一つだけです。でも必要なものが三つあります」


人々が静かになる。


「どれも後回しにしたくありません。だから、皆さんに力を貸してほしい」


言った自分が一番驚いた。


力を貸してほしい。


そんな言葉を、いつ言っただろう。


一瞬の沈黙。


やがてバルトが手を上げた。


「小屋なら俺が建てられる。前に家族の小屋を作った」


別の男。


「石を運ぶ」


女。


「私、布なら縫える」


母親が涙ぐむ。


オルドが言う。


「倉庫は診療所の裏の乾いた場所へ麦を移せば一日は持つ」


ミレイも頷く。


「薬草用に使っていない棚があります」


子どもの場所は、広場の一角へ大きな天幕を繋ぐことになった。


話がどんどん進む。


ヨナスは呆然としていた。


自分は何も造っていない。


頼んだだけ。


なのに人々が動く。


「何をぼさっとしとる」


オルドが笑う。


「お前さんは今日、本当に大地の力でしか造れんものを考えろ」


「はい」


午後の雨宿はいつもより騒がしかった。


男たちは木材を運び、女たちは布を縫い、子どもは小石を運んで邪魔だと怒られ、それでも「手伝ってる!」と胸を張る。


赤ん坊の小屋は少し柱が歪んだ。


ヨナスは直したくなったが、我慢した。


バルトが梁の位置で迷った時だけ近づく。


「ここを半寸右へ」


「こう?」


「はい」


自分で造らない。


教える。


一緒に造る。


夕方には三つとも、とりあえず形になった。


完璧ではない。


でも必要を満たしている。


ヨナスは目を閉じた。


今日の力を何に使う。


金色の線がゆっくり現れる。


家ではない。


倉庫でもない。


広場の外側から、低地へ伸びる線。


排水路。


人が増えたことで雨水の流れが変わり、このまま大雨になれば小屋が浸水する。


これは皆が今日一日で造るのは難しい。


「決まりました?」


「はい。みんなが自分で造れないものを造ります」


日暮れ前。


鑿を地面へ当てる。


――ガチリ。


黄金の光が走り、雨宿の外周に石組みの排水路が伸びていく。人が渡れる小さな石橋まで現れた。


歓声。


今日、雨宿はヨナス一人の奇跡で大きくなったのではない。


みんなで少しずつ造った。


夜。


赤ん坊の母親が言う。


「ありがとうございました」


ヨナスは首を振る。


「今日は私じゃありません」


「でも、みんなにお願いしてくれたでしょう。それが一番ありがたかったです」


オルドが横で言う。


「分かったか。人に頼るのも仕事のうちじゃ」


「ミレイさんと同じことを言いますね」


「年寄りは賢いからな」


笑い。


ヨナスは周囲を見た。


誰かがパンを焼いた。


誰かが小屋を建てた。


誰かが麦を運んだ。


誰かが布を縫った。


自分は水路を造った。


全部必要。


全部、一人ではできない。


「一日に一つ……」


これまで制約だと思っていた。


もっと造れたら、もっと助けられると思っていた。


でも、もし何でも一人で造れたら。


今日、人々は自分で小屋を建てただろうか。


相談しただろうか。


助け合っただろうか。


「もしかして、これでいいのかもしれない」


ミレイが隣へ来る。


「何がです?」


「この力。一日に一つしか造れないこと」


ミレイは広場を見た。


「全部ヨナスさんが造ってくれたら、私たち、することがなくなりますね」


赤ん坊の家を見る。


柱は少し歪んでいる。


ヨナスの力ならもっと真っ直ぐで、もっと美しくできる。


でも、皆が汗をかいて造った家。


「……いい家ですね」


「はい」


その夜。


ヨナスは思った。


ここはもう、自分が一日に一つ奇跡を置くだけの場所ではない。


人々自身が毎日少しずつ作っている場所だ。


そして、それがとても嬉しかった。


皆で小屋を造った日の翌朝、ヨナスは赤ん坊の家を見に行った。


やはり柱は少し傾いている。屋根板の重なりも不均一だ。職人として見れば直したいところがいくつもある。


だが中では、母親が赤ん坊を抱いて眠っていた。風は入らず、雨も漏れていない。


家として必要なことは果たしている。


「直しますか?」


バルトが後ろから聞いた。


「いや」


ヨナスは首を振った。


「今は、このままでいいと思います」


「珍しいな。昨日は柱を見て何度も顔をしかめてたぞ」


「見てました?」


「みんな見てた」


笑われる。


ヨナスも笑った。


昼には、子どもたちの天幕でリクとノアが別の子と喧嘩していた。理由は座る場所。昨日まで「子どもの居場所が必要だ」と大人が話していたのに、できた途端、中で場所を取り合っている。


ヨナスが止めようとすると、エナが先に言った。


「自分たちで話しなさい」


三人はしばらく言い合い、最後には座る場所へ線を引いて分けていた。


ヨナスはまた学ぶ。


場所を造ることと、その場所で上手に暮らすことは別だ。


自分ができるのは、最初の器を渡すところまで。


中身は、人が作る。


夕方。


完成した排水路へ初めて雨水が流れた。


前なら広場へ溜まっていた水が、石の溝を通って町の外へ抜けていく。子どもたちは面白がって水の流れを追いかけた。


オルドが満足そうに言う。


「派手さはないが、これは大事じゃな」


「建物より褒められない仕事ですけど」


「水が溜まらんことを、毎日感謝する人間はおらんからな」


ヨナスは笑った。


「でも、何も起きないようにするのも建築です」


「お前さんらしい」


夜の話し合いで、今後は「ヨナスに頼む前に、自分たちでできることを考える」という決まりが自然に生まれた。


誰かが言い出したわけではない。


今日の経験から、皆がそう思った。


ヨナスは嬉しい一方、少しだけ寂しさも感じた。


自分が必要とされなくなるような気がしたのだ。


その感情に気づいて、自分で驚いた。


これまで「必要とされることを期待しない」と決めていたはずなのに、いつの間にか、雨宿で頼られることを自分の居場所の証明にし始めていた。


ミレイに話すと、彼女はしばらく考えて言った。


「何かをしてくれるから必要、ってだけじゃないと思います」


「そうでしょうか」


「オルドが井戸を造れなくなったら、いなくなっていいですか?」


「そんなことはありません」


「エナさんがパンを焼けなくなったら?」


「同じです」


「じゃあ、ヨナスさんも同じでしょう」


すぐには受け入れられなかった。


自分の価値が、何かを造る能力とは別に存在する。


その考えは、まだヨナスには遠かった。


だが第20話で力を失った時、その言葉をもう一度思い出すことになる。


一日に一つという制約は、雨宿の人々にも共有されるようになった。


それまでは「ヨナスへ頼めば何とかなる」という空気が、どこかにあった。本人もそれを否定せず、むしろ頼られることへ安心していた。


しかし三つの必要が同時に現れた日を境に、皆の考え方が変わった。


「これは自分たちでできる」


「これは明日まで待てる」


「これはヨナスの力が要る」


相談するようになった。


ヨナスにとって、それは嬉しい変化であり、少し寂しい変化でもあった。


夜、誰も相談に来ない日があった。


ヨナスは落ち着かなかった。


広場を歩き、井戸を見て、診療所を覗く。特に問題はない。


「暇そうですね」


ミレイに言われる。


「そう見えます?」


「何か困りごとを探して歩いてる」


「……少し」


「休めばいいのに」


ヨナスは苦笑した。


何かをしていないと、自分がここにいる理由が薄くなるように感じる。


ミレイはそれを見抜いていた。


「何も造らない日があってもいいんじゃないですか」


「一日一回の力が無駄になります」


「使わないと消える?」


「分かりません」


「なら、試しましょう」


その日、ヨナスは初めて能力を使わずに一日を終えた。


翌朝。


力は消えていなかった。


必要が現れれば、いつも通り金色の線が視えた。


「毎日必ず使わなくていい」


その発見は大きかった。


自分は、奇跡を起こすために毎日働かなければならないわけではない。


力は義務ではない。


必要な時に応えるもの。


その違いが、ヨナスを少し自由にした。


能力ルールもここで明確になった。日の出から次の日の出までに一度。使わなかった分を貯めることはできない。二回分を翌日に持ち越すこともない。


そして、一度の発動で造れるのは「一つの目的を持つ構造」。広場とそこへ繋がる道は、人を結ぶ一つの場。排水路と小橋は、水を安全に流す一つの仕組み。


ヨナスは自分なりにそれを記録へ残し始めた。


後にセシリアが古文書と照らし合わせる時、この記録が大きな助けになる。


能力を使わなかった日の夜、ヨナスは少し落ち着かなかった。


「本当に何もしなくてよかったのかな」


オルドに言うと、老人は呆れた。


「今日は薪を運んだ。屋根も直した。リクに字も教えたじゃろ」


「能力を使っていません」


「それが何じゃ」


ヨナスは黙った。


自分の中で、まだ「大地の力を使うこと」と「役に立つこと」が結びついている。


オルドはその思い込みを、何度も普通の仕事で崩していった。


力がなくなった後も働けるようになるための準備は、すでにこの頃から始まっていた。



挿絵(By みてみん)

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