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今までの生活を諦め、新しい生活を少しずつ受け入れた。
人外の力を手にし、人間へ戻ることはもうできないと悟った。
自分が危険な存在かもしれないことについて真剣に向き合う必要が出てきた。
理解の範疇を超えた出来事が次から次へとやってくる。一つ腹を括ってもまたすぐに次の問題が出てくるのだ。
一体何度腹を括ればいいのやら……。
こう幾度となく新しい情報が流れ込んでくると頭がいっぱいいっぱいになってしまう。己の身を守るための現実逃避と、新たな状況を受け入れて消化することの繰り返しである。
人間はそう簡単にありとあらゆることに即座に順応できる生き物じゃないんだ。もう俺人間じゃないけど。
フィーリスに破滅をもたらすラオザームとは一体何なのか、そしてスイが何者なのか、それを確かめるために三人はフィーリスの庁舎がある都へ急ぎ向かうことになったのだが、予想だにしなかった移動方法を言い渡された。
「ここなら人目もありませんし、飛びますか」
事もなげに言うと、双子は同時に翼を出した。
「俺飛べないけど⁉︎」
スイは焦って二人に訴えかける。人間じゃないからと言って皆が皆飛べるわけではない。
「ご安心ください。私とカルラが交代で抱えて行きますから」
「申し訳ないけどそれもちょっと……」
断られると思っていなかったのかルトアがショックを受けている。
ごめんルトア。小心者と言われるかもしれないけど、抱えられたまま空を飛ぶだなんて怖すぎる。二人のことを信じてないわけじゃないけど、もしも途中で落ちたらという恐怖心が優ってしまうのだ。
「あ、神力を使って空飛べたりしないかな? プネウマがやってたみたいにさ」
「それはどうでしょう? プネウマの力は神力とは少し違いますし」
「え? そうなのか?」
「はい、大きな括りで言うならば神力とも言えるんですが、明確に言うと我々フィーリスに与えられた力とは種類が違うんですよ。なのでプネウマの力を神力と認める者とそうでない者とに分かれます。まぁ何と言うか……派閥のようなものがあると思っていただいて構いません」
ちなみに私はプネウマを認めない派です、とニッコリ微笑んでみせる。
「そ、そうなんだ……。てっきり神から与えられた力は全部同じものかと思ったよ。じゃあ俺がプネウマの力を真似ることが出来たってことは、俺の力も実は神力じゃないとか?」
その問いに対してルトアは首を振った。
「スイの力はフィーリスと同じ波長を感じます。プネウマのものとは違うと思います」
「そうだな、オレもそう思う。お前が力を使えるようになって、曖昧だった感じがよりオレ達に近づいたっつーか……でもフィーリスじゃねぇんだよなー」
カルラが伸びをしながら壁にもたれかかった。
フォーヴの街から少し離れたところにある廃屋に三人はいた。
もう何年も人が住んでいないことは建物に伝う枯れ果てた草や苔が物語っている。倒壊しそうな危うさはないが、所々歪んだ木枠が築年数の古さを表していた。
人の手から離れた建造物の成れの果てとも言うべき姿は、ただ朽ちていくだけの物悲しさを感じる。
ここを見つけたのは偶然で、ルトアにどこか人目のつかない場所を探しましょうと言われて歩き回ってるうちに見つけることができた。
なぜ人目を気にするのかというと、フィーリスの羽は高値で売れるらしい。街中で翼を出したまま歩こうものなら、通り過ぎ様に羽をむしられ、裏ルートという怪しさしかない非公式な方法で売り捌かれるのだとか。
フィーリスであることは特別隠したりはしないが触れ回ることもしない、そして無闇に翼を晒してはいけない。それがフィーリスとしての常識だと教えてくれた。
だからこそわざわざ街から離れ、こんなところまでやって来たのだ。あまり時間をかけずにこの廃屋を見つけられたのは幸運だった。
「それにもしできたとしても使い慣れていない力をおいそれと使うのは反対です。力が暴走したらどうするんですか。そんな危険を冒すくらいなら途中で落下したほうがマシです」
ルトアは立てた人差し指をスイの鼻先へ勢いよく向ける。近すぎて指の形がぼやけて見えた。
ていうかやっぱり落とす可能性あるんだな……。
ルトアは人差し指を下ろすと今度は細く形の良い指先を綺麗に揃えて手のひらを上に向けた。スイを促すように少しだけ首を傾げてみせる。
少々複雑な気持ちになりながらも渋々ルトアの手を取った。
差し出されたままの手を無視できるほど冷淡にはなれない。それに二度目の拒否によってもう一度ルトアの悲しげな顔を見るのは心が痛む。
ルトアはいつもニコニコ笑っているせいか、この世の終わりみたいな顔をされるととてつもなく居た堪れない気持ちになるのだ。
カルラはルトアに甘いと普段から思うところがあったが、かく言う俺も同じ道を辿っているような気がしないでもない。
「それでは行きますよ」
背中に片腕を回され、もう片方の腕で膝の裏を持ち上げられる。
「え……この抱え方なの?」
「何か不都合でも?」
「いや、不都合ってわけじゃないけど……なんて言うか思ってたのと違ったっていうか」
てっきり小脇に抱える感じだろうと思っていたのだが、実際はお姫様抱っこだった。そう、どこからどう見てもお姫様抱っこなのだ。
こんなの村で結婚式の時にお嫁さんがされているのしか見たことがない。自分もいずれ伴侶ができたらするんだろうなぁ、くらいに思っていたことが、まさか自分がされる側になるだなんて想像できるはずもない。
成人済みの男がお姫様抱っこされるという構図に、妙に居心地が悪いというか……。
スイがルトアの腕の中で顔と体をこわばらせていると、それに気づいたらしいカルラが半笑いでスイの頭を乱暴に撫で回した。
「何だよスイ、もしかして恥ずかしいってかー?」
「う……」
そんなにハッキリ言わなくてもいいものを。文句の一つでも言ってやりたいところだが、頭を左右に思い切り振られているせいで呻き声しか出ない。
カルラは相変わらず粗雑なのだ。
二人のじゃれ合いを微笑ましく見ていたルトアだったが、スイの髪の毛が寝起きよりひどくなったところでカルラを軽く嗜めると、改めて翼を広げた。
「それでは今度こそ行きますよ?」
スイは恥ずかしさをグッと堪え、ルトアにしがみつく。ここから先は落ちたら死あるのみなので恥ずかしいだなんて言ってられない。
ふと視線をずらすと光り輝く翼がすぐそこにあった。
羽ばたいても羽が辺りに舞うことはなく、月明かりに照らされていつもとは違う輝きがスイの目を奪う。
本当に綺麗だった。
見上げた先にある空の星々がそのまま降ってきたような気さえする。
風が頬を撫で、空へと飛び立つ。
驚くことにほとんど揺れを感じないので、スイは少しばかり気を緩めつつ、流れ行く夜景と美しい翼をぼんやりと眺め続けた。
段々と風が冷たさを増し、頬が切れそうになってきて強く強く目を瞑った。




