第四章 英雄たちの末路 その50
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投稿中は、黄昏薬局は少し休憩を頂くことになります。
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帝都商業区三番通り。
そこに一軒のパン屋がある。
看板には二本のバゲットを交差させた絵。
店の名は「スミス亭」。
帝都で評判のパン屋である。
特に週に一度。
決まった曜日の朝にだけ店に立つという若い職人の焼くパンが絶品だと評判なのである。
「おはようございます!! 焼きたて入りましたよー!!」
その朝もスミス亭の店先で明るい声が通る。
エプロンを着けたひとりの若者の明るい声が町に響いていた。
汗を額に滲ませ。粉だらけの手で。次々と焼きたてのパンを店内に並べていく。
その顔はダルク、いやここではジョンだった。
「あらあら、今日はジョンさんが焼いたパンなんだね」
「ここのパンはジョンが焼いた日が一番うまいんだ」
「並んでも買う価値があるわね」
ジョンの焼くパンの評判を聞いて、近隣の者が、遠方の街から、こっそり貴族の使いが、買いに来るのだ。
朝から店先には長い行列ができ、午前中には売り切れてしまう。
誰も知らない、このジョンの正体を。
帝国の皇配にして勇者ダルク。その当代一の英雄が町中でエプロン姿でパンを焼いている。
誰が信じるだろうか。
勇者ダルクの勇姿は帝国民であれば、誰しもが知る顔である。
しかしダルクはいま三枚目に見える化粧を施している。
甲冑を着て、もしくは冠をかむり豪奢に着飾り、悠然と構えた姿と
粉だらけのエプロンを付けて、にこやかなに笑う姿では、ふたりが同一人物であると誰も結びつかないのである。
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「ジョン、いつもの丸パンふたつ!!」
「はい。まいど、ありがとうございます!!」
「ジョン、うちの孫がいつもあんたのパンが美味しいって言うんだよ」
「そう言ってもらえると本当に嬉しいです」
ジョンこと、ダルクは客の一人ひとりに笑顔で応えるのだった。
それは四年前片田舎の町でパンを焼いていたあの頃と何ひとつ変わらない笑顔だった。
「 もう、あなたったら!!」
店の奥から明るい声が飛んできた。
「お客さまとお話しするのもいいですけど。手が止まってますよ!!」
奥から現れたのはエプロン姿の若い娘だった。
栗色がかった髪を後ろでひとつに束ね、袖をまくり上げ、頬に小麦粉をつけている。
それは女皇にしてダルクの妻、マシュであった。
「す、すみません、マ…マーニャ!!」
「もうほら、お客さまがお待ちよ」
マシュはここでは、マーニャと名乗っていた。
女皇マシュは夫が週に一度パンを焼くと言い出すのを聞くと、「私も手伝います!!」と言い張ったのだ。
女皇がパン屋の娘。
当然、前宰相(引退)・前皇帝(現 上皇)は大反対をした。
ダルクもこれには当初反対した、がマシュに丸め込まれた。
そして、ダルク・マシュ vs 前宰相・上皇という図式となり、最終的にはダルクと宰相が突っ噛み合いになったわけだ。
マシュと上皇との勝負は、お話にならなかった。
今ではマシュはすっかり看板娘として板についていた。
愛想がよく、美人。貴族相手に鍛えた手腕で、気さくに客あしらいをする。彼女目当ての客も少なくない。
本来、女皇が町中にいるなど、万が一があってはいけないと万全の警備を行うのだが、女皇が「英雄のなかの英雄が常に守ってくださるのに、他の警備が必要ですか」という言葉に、宰相も上皇も反論が出来なかった。
スミス亭の主人ヨハンは最初こそ皇配と女皇であることに気づかなかったが、間近で見ていると気づいてしまう。
気づいてしまったが、そのことは黙っていることにした。
面白いではないか。
昨年会った若者が実は勇者ダルク、それが女皇陛下とパン屋で働いている。もはや奇想天外すぎて吟遊詩人でも思いつかない。
「……まあ、いい職人と、いい看板娘だ。文句はねえな」
とつぶやき、二人を見守っていた。
6
昼下がり。
午前でパンのほとんどが売り切れ、客もいなくなった頃。
カランと、店の扉の鈴が鳴った。
「いらっしゃいませー!!」
ジョンは入ってきた客に振り返り挨拶をした。
入ってきた客はひとりの女だった。
夜の水のような黒髪。琥珀を溶かしたような瞳。すらりとした立ち姿。この町にはおよそ似つかわしくないぞっとするほど整った美貌の女。
ジョンはその女の顔を見て、いつもの笑顔で答える。
「あ、セックさん、いらっしゃい。」
ジョンの挨拶に、セックは微笑み返す。
その口元に、よく見れば縫合のような痕が走っているのが見えるのだが、ジョンは気にしない。
「こんにちは、ジョン」
ジョンの元気の良い挨拶にセックは返事を返した。
「いつものバケットですよね、お取り置きしておきましたよ」
「いつもありがとう」
セックはいつもこの時間帯に来て、バケットを所望するのである。
ふと、ジョンは昔のことを思い出す。
「いつもバケットを焼くと、田舎でお世話になった親方を思い出すんです。パンこそバケット、一番難しいんだって。失敗ばかりしてよく殴られましたけど」
「いい親方さまですこと」
「はい。最高の親方でした」
ダルクは、包んだバケットを女に手渡した。
女は包みを両手で受け取る。
セックはジョンの顔をまじまじと見つめた。そして
「とてもいい顔をしていらっしゃる」
ジョンはセックの言葉にキョトンとする。
「え?」
「迷いのない顔。ようやくご自分のいるべき場所を見つけたのでしょう」
「……そう、ですか?」
「ええ」
女は、微笑んだ。
「ここがあなたの場所なのです、ほかの何処かでもなく」
そうかもしれない、ジョンはセックの言葉を受けて思った。
ジョンがセックを見つめていると、お尻に痛みが走った。
ジョンが慌てて振り返るとそこには女皇マシュことマーニャがいた。
ああ、これは怒っている。
マーニャはジョンを少し睨んだのち、セックに振り返り、
「セックさんいつもバケットを買いに来ていただき、ありがごうとざいます」
マーニャはセックに挨拶をする。
「ええ、ジョンの作るバケットがおいしくて、つい通い詰めてしまいますわ」
その言葉は偽りのない素直なものであった。
「そりゃ、ジョンのパンは帝国一ですもの」
自慢げに語るマーニャにセックは微笑むのだった。
「それはそうとジョン、セックさんがいくら美人だからって鼻の下を伸ばさないの」
「マーニャ、それは誤解だって。僕はセックさんをそんな風に見たことはないよ」
「あら、わたくし悲しいですわ。マーニャさんがいくら美人だからって…わたくしも容姿に自信がありましたのに」
「わわっ、セックさんそういう意味ではないんです。困ったな…」
ジョン、ことダルクの週一の自由はこう過ぎていくのだった。
7
その日の夕暮れ、帝都の裏通り。
黄昏薬局の扉が開いた、店に入ったのはセックである。
手には紙に包まれたバケットがひとつ。
セックはカウンターの奥に腰を下ろす。
そして紙の包みを開いてバケットをひと口齧った。
ゆっくりと味わって、それから目を細めた。
「美味しい」
その声にはいつもの企みも、三日月の笑みもなかった。
ただ、そのパンの純粋な感想が込められていた。
そして水晶球を眺め、満ち足りた顔をした。
それは長い長い舞台を見届けた者の満足感。
「剣の英雄は謎の飛び降り、聖女は出産の無理がたたり、賢者は発狂の末『自害』」
セックはひとり呟く。
「皆さまお望みのものをその手にしたというのに、あっけない最後」
それは人の子の業。
望み求め、奪い、そして──自らの望みに喰われていく。
文明が発達し、生活が変わり、国が富んでもこれは変わらない。
飽きることのない見もの。
「 けれど」
セックは食べかけのバケット見つめた。
「あのお方は違いましたね」
何も奪わず。
何も欲さず。
栄光に目もくれず。
誰かのためにパンを焼くことだけを願った男。
「……あの方はある意味壊れている」
セックは最後のひとかけらを口に運んだ。
「だから人の世は面白い。運命が定められた我々とは違う存在」
今、水晶球にはもう何も映っていない。
役者は皆舞台を降りた。
悪人は滅び、善人はこの地に戻り、幕は降りた。
セックは空いた紙包みを丁寧に畳み店の明かりを消した。
あの明るい裏通りの店は静かな闇に包まれた。
また次の迷える客が、あるいは欲深き客が、この黄昏薬局の扉を叩くその日まで。
女は静かに待つのである。
第四章 英雄達の末路 ー了ー
第四章 は以上で完結です。
次章まで1ヶ月ほど休憩を頂きたいと思います。




