出会い
今を盛りと咲き誇る薔薇、その赤から放たれる甘い香りの中でセッティングされたお茶会。今日は、私の結婚相手と初顔合わせの日だ。震える手を隠すように強く握りしめる。
「緊張しているのか」
「はい、お父様」
「そこまで気負うことはない。相手は王家への忠誠が篤い、騎士の名門ヴァルモン家。政治的なしがらみのない家だ。こちらが礼を尽くせば、無下にされることはない」
「はい」
そうは言っても、年上の、初めて会う男性、それも結婚相手。緊張しないでいるということは無理だ。
俯きたくなる顔を無理やり前に固定する。背筋を伸ばして、顎は引く。頭の天辺から糸でつり下げられているように姿勢を正して。今の私は、伯爵令嬢だ。
「……来たな」
やがて足音が聞こえてきて、席を立つ。迎えた相手は、お父様よりも背が高い男性2人。
「ようこそお越しくださいました。お忙しい中ご足労いただき、ありがとうございます。ささやかではありますが、おもてなしの用意をしましたので、どうぞごゆっくりなさってください」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。顔合わせという大事な場をセッティングしてくださり、とても助かりました。我が家はどうしても無骨でね、お美しいお嬢様を迎えるのには向かない。お嬢様も、お元気そうで何よりです。ほら、ご挨拶を」
お父様と、向こうのご当主の挨拶を終え、ようやくかの人が一歩前に出た。私からはうんと見上げないといけない高い背、騎士らしく全身鍛えられた身体、炭のように黒い髪の下に、燃える焔のような赤。この人が、私の結婚相手。
「お初にお目にかかります、テオドール・ド・ヴァルモンと申します」
「え?」
咄嗟に口を手で覆った。慌てたせいか、身体がぐらりと傾ぐ。が、すぐに逞しい腕に支えられた。
「大丈夫ですか?」
至近距離で囁かれた声は低く、しかし心配を滲ませているのが分かる。相手は純粋に気遣っているのだと。
しかし、その声は。鼓膜を通して脳を刺激したその声は、あまりにも私の中心を貫いて。
驚きか、混乱か。突然の感情にキャパオーバーして落ちていく意識の中、私は心の中で叫んだ。
(どうして推し声優の声してるの!?)
私の名前は、アマリル・フォン・アルデンベルグ。アルデンベルグ伯爵家の娘。そして、前世に異世界の日本人女性の記憶を持つ、いわゆる転生者、という者だ。
とは言っても、覚えている記憶はそんなに多くはない。例えば、前世の自分が何歳で死んだのか、どうやって死んだのか、そういったことは覚えていない。覚えていなくてよかったと思う。死の恐怖なんてそう味わいたいものではない。
覚えているのは、重度の乙女ゲーマーでオタクだったこと、そして特定の男性声優に夢中になっていたことだ。
(修司様……どうして?)
前世の私が追いかけていた声優の名は、黒川修司という。中低音から低音までの声を使いこなし、コメディからシリアスからロマンスまでなんでも演じ分ける、超人気声優。前世の私は、その人の声に魅せられて出演作を夢中で追っていた。特に、恋愛もので聞ける深い感情がこもった声に心を掴まれ、恋愛系の作品は1つ残らず触れていたほど。
端的に言うと、声フェチの私にどストライクな声だったのだ。
(聞き間違い? まさか、私が間違うわけがない。あの人の声は誰よりも覚えている。何かの作品世界に転生したの? でも、あの人の出ていたゲームやアニメにこんな世界観の作品はなかったはず……メインキャラじゃなかったから名前が出なかったとか? それとも私が死んだ後に出た作品の世界に転生したの? というか、私、あの人の声をした人と結婚するの!?)
「マリ様? 大丈夫ですか?」
「ソフィ……?」
うっすら目を開けると、心配そうな顔をした侍女のソフィが傍に控えていた。
「また急に倒れられたそうですね。最近は起こっていませんでしたのに……やっぱり、もう一度お医者様に診てもらったほうがいいんじゃないでしょうか」
私の中には、覚えている限り物心ついたときから、前世の記憶があった。小さい頃の私は頻繁に倒れていたそうで、それはその記憶が原因ではないかと私は推測している。子供の小さな頭に、少なくとも十何年分の記憶が詰め込まれていたのだ。急に頭の中に溢れ出す「前世」の記憶に、小さい子供がキャパオーバーするのも無理はないと思う。
それも昔の話で、最近は、前世は前世と割り切り記憶をうまく扱えるようになっていたのだが……前世の私の記憶の中で一番強い「推し声優」の存在は、私の根幹を揺らすのに十分だった。
ちなみに、前世云々の話は家族や周りの者達にはしていない。しても理解してもらえるとは思わないし、余計な心配をかけたくなかったからだ。まあ、代わりに、医者に診せても原因不明の気絶を起こす子供だったわけで、どちらがよかったのか分からないが。
「診ていただいても何もないと思うけれど……ソフィが勧めるなら、お医者様を呼んでちょうだい」
もう何年も診てもらって原因不明と言われているのだから、今更何か変わるとは思えない。しかし、幼い頃から傍で支えてくれているソフィが心配して勧めるのを断るだけの理由も思いつかない。差し出される水と心配を素直に受け取って、内心でため息をつく。
(言えないでしょう、誰にも。結婚相手として紹介された人から、前世の推し声優の声がしてびっくりして倒れましたなんて)
幸いと言うべきか、今世の私の愛称と前世の私の名前が同じだったおかげで、名前を呼ばれた時に混乱することはなかった。マリ――苗字も、名前はどういった字を書くのかも思い出せない前世の私。その私が自分のことよりも覚えていた、運命とも言える声に、今世でも巡り合ってしまったようだった。




