お孫さま、約束する
当然ながら広域特別神司専用馬車は外観が瀟洒なだけでなく、構造からして乗合馬車とは違った。まず車輪。スポークの本数も違うがリムにも工夫がされていた。乗合馬車は耐久性重視か鉄が巻かれているがスターシアの馬車の方には鉄とリムの間に衝撃吸収材としてなにかの革が巻かれている。
本来乗るのは特別神司一人、箱自体はそう大きくはないが屋根は平らではないし前後に御者の他、護衛が乗る場所がある。なにかしら付与も掛かっていそうだが、そこまで調べるのも失礼だろう。
「どうぞ」
ドアを開けられ、招かれるが。
「私が足を踏み入れてもよいものでしょうか……」
思いっきり、気が退けた。居住空間も乗合馬車とは比べものにならない。魔道具らしき室内ランプに小さなテーブル、床も壁も天井も全面クロス張り。
「御身に許されぬ場所などこの世にございませぬ」
スターシアはくすりと笑う、寧ろ外の、護衛が乗る部分で十分なのだが。
「お誘いしておきながら尊き方にお乗りいただくには些か見窄らしくあるやもしれませぬが」
「とんでもない」
「よかった、お気を悪くなさったのではと」
渋々笠を外し、いつも見掛けるローブ姿の世話役が掲げる銀の盆へ置いた。刀へ手を置き、視線だけで問うと無言で中へ促された。通常なら、特別神司と会うのに帯刀したままなんてあり得ないだろうがこの場合は神によって作られた刀を預かりたくない方が強そうだ。
「………………失礼します」
打飼袋と刀を身体から外し、手に持って中へ入った。
スターシアが居る部分は勿論あの白い布が敷かれている。シートは革張り、中に綿とスプリングがしっかり入っているのかクッション性もある。ドアは両サイド、どちらが上座というわけでもなさそうだ。
いや元々は一人乗りだ、上座も下座もない。護衛が乗る都合上幅が必要でその為中も一人用にしては広いだけで。
「お荷物はそのお鞄だけでございますか?」
「えぇ、こちらへ来る際に持たされていた袋です」
「あぁ……でしたら」
「はい」
言わなくても察してくれた。製造元、神。アイテムボックスでない筈がない。
しかし刀が困った。打飼袋はともかく刀は長さがある
「うーん、打飼袋へ入れてしまうのも……」
打飼袋から咄嗟に取り出すにはどうやっても二秒はかかる。紐で絞った袋の口を開く動作がいるからだ。特別神司の護衛を信じないわけではないが、やはりいざという時の用心はしておきたい。
アイテムボックスに使われている物質を収納する魔法が自分も使えればいいのに。思った瞬間、刀は消えた。
「あれ?」
「え?」
確か今したのはこうだったな、と感覚を思い出しつつ軽く空間から物を引き出すように僅かに手を上に動かすと柄袋に包まれた刀が現れた。
「桐人さま……」
「あー……」
また、見なかったことにしてもらった。
スターシアの馬車は本当に揺れが少なかった。過去に界を渡った者の中に、車の技師が居て馬車の製作工程が格段に複雑になったとか。車輪のリムに鉄を巻くのもそうだ。それまでの馬車といえば木製の車輪と車軸、上に箱か板を乗せるといった簡単なものだった。小石一つで大きく揺れ、乗っている者も物も落としていた。
「構造が複雑で、私も支給されているから乗っていますが一般的には普及しておりません」
魔法があるから科学技術が進んでいないとはいえ、こちらも未開の地ではない。既存のバネからサスペンションを作ったか。
「でも、揚羽屋殿ならお持ちだと思います」
「寧ろおじいさまがお持ちでないものを知りたいくらいです」
「そうですね」
スターシアはふふふと笑っていた。畏まられるより気安くしてくれる方がいい。
「もう完全に習得なさったようですね」
練習あるのみと適当に手の中で転がせるもので出し入れを繰り返していた。真珠、金貨、宝石色々。付与の掛かっていない手の平サイズのものたちだ。
次第に手を動かさず、意識するだけで出来るようになってきた。
「あとは慣れですかねぇ」
感覚としては次元の挾間に物質を送るというより記憶に近い。物理的に存在する物体を劣化なしにデータ化し媒体へ記録、取り出す際に自動でデータからこれまた劣化なしに構築される。
ただ自分はこう捉えたというだけでこれが正解かはわからない。
「旅程のお話をさせていただいてもよろしゅうございますか?」
「お願いします」
スターシアは馬車の窓のカーテンを閉め、地図を拡げた。
このまま国境まで一直線、速いとはいえ国境の手前で夜になる、進み具合により街で宿を取るか街道沿いで野営するかになるが、おそらく野営の確率が高いそうだ。
「教会があれば楽ですが、下手に宿を取ると色々と……」
広域特別神司ともなると色々面倒なこともありそうだ。
「お招きしたのに、ご不便をお掛けして」
「全然。乗せていただいているのにそんなこと」
「乗合馬車で夜を明かすよりは幾分快適かと思います」
実際乗合馬車ならその国境に辿り着くまでにあちこち寄る為、三日掛かる。今日そこの手前まで行けるなら相当なショートカットだ。
「実は野営自体、知識として知っていても実際には初めてなので、色々勉強させてもらえそうです」
翌朝、国境越え。そのまま隣国の首都で補給。ここで自分は離脱する、一軒目の揚羽屋の支店だ。五日を見ていた旅程が二日に短縮される。
まず、この世界は大きく分けて五つの大陸がある。
アイドル事務所の彼と自分を日本から誘拐した国と、スターシアが在籍する広域本部、揚羽屋本店がある江戸風の街。これらはすべて同じ大陸にある。一番大きな大陸ということで、中央大陸とも呼ばれるが大抵中央と省略される。
北寄りの寒冷な海に面した小国が例の国だ、取り立てて特徴がなく、寧ろ特徴がないことが特徴だとすらいわれる。ひとつだけあるとすれば、特別魅力があるわけでもなく戦略的にも重要な位置にあるわけでもない為にこれまで他国からの侵略は免れてきた。その為歴史だけは相当古い。何代か前の王はよかったが今はいい話を聞かない。国民は飢え税金の取り立ても厳しい。だが歴史だけはあるからか王族は妙なプライドで周囲を下に見て、国力低下は援助しない諸外国の所為だと宣った。それがきっかけとなり三カ月ほど前に地図から消えた。本当に、それがきっかけかどうかはわからない。界を越えた誘拐の咎は、神も認識していたのだから。
スターシアが在籍する広域本部。大陸名から中央広域本部とも呼ばれる。国名はそのままセンターを表す言葉、サントル。本部がある街はサントル・エグリーズ。サントルは本当に大陸の真ん中に位置する為に海には接していない。
揚羽屋本店があるのは、中央大陸の南側に位置する温暖な海に面したヤマト国の央京。まるで中央の東京を略したようだと思ったが真相は知らない。重郎が拓いた街らしいがそれも文庫で知ったことだ。重郎は語らない。ヤマト国には本店以外にもう一軒、揚羽屋の店があるがルートから外れている為今回は寄っていない。
ヤマト国からサントルまで行くには主に二つのルートがある。
草原地帯を抜けていく平坦なルートと、険しい山を越えるルートだ。今回は勿論平坦なルート。サントルまでの間にあるのは草原と森の国、プレリア共和国。
「プレリアは温暖で、国内情勢も比較的安定しています。最初に旅をするにはよい国だと思います。しかしながらどこの国にも治安の悪い地域はございます、無頼の者は自由に歩き回ります。どうか行く先々の揚羽屋を使ってご用心くださいませ」
そういう意味でも各地の揚羽屋へ立ち寄るよう、重郎と信次は考えたのだろう。
「各地で教会を見掛けたら、相談などしにいっても大丈夫なものでしょうか」
教会にはスターシアを訪ねて一度行ったきりだ。地元住民でなくとも受け入れてもらえるのだろうか。
スターシアは少し考え、緩く首を振った。
「特別神司でなければ、御身の神気に耐えられぬやも……」
神気に触れたことのない者なら平気だが、逆に一度でも神気に触れたことがある教会関係者の場合、相談などという密に接するのは相当胆力がないと厳しいそうだ。アナフィラキシーショックか。
「失神してしまうやもしれませぬ」
一度だけ足を運んだあの時も、跪いたまま気を失っている者が多かったそうだ。
「わー……なんともそれは、私というのは、はた迷惑な存在ですねぇ」
普段のスターシアならすぐさま、いいえそんなことは、なんて否定してくるが、返ってきたのは沈黙だった。
「?」
スターシアは俯いたまま細い指を編み合わせたり、解いたり。
なにを言い倦ねているのか。
「どうかなさいましたか?」
「………………わたくし、ずっと、考えておりました」
「はい」
「不敬を承知で、申し上げます」
「はい」
なんだろう、今の流れでこういう前置きをされるとかなり身構えてしまう。
本当に、迷惑な存在なのだろうとは思う。
神託があって蔑ろには出来ない。
それでいて物知らず、無知のままに規格外のことをやらかす。
面倒以外のなにものでもない。
「っ……」
スターシアが顔をあげる。もうあとがないような、切羽詰まった表情だ。
「桐人さまの道行きに私をお連れいただけませんでしょうか」
「え?」
「行動の制限は還俗すればなくなります、ある程度各国に顔も利きます。ある程度自衛も出来ます、足手纏いにならぬよう尽くします、ですから、ですからどうか」
「あの、待ってください、還俗って、聖職者をお辞めになるということですか?」
「はい」
目を合わせたまま、はっきり言われてしまった。
そこまで心配させてしまったのか、いや、特別神司ならばこの身の特殊性は重々理解している筈。なにがスターシアにそこまでさせる。
「どうして……」
「先日より抱いておりました、私的な望みです」
スターシアも旅をしたかったのだろうか、そこまで惚けるつもりはない。それはあまりに失礼だ。
「……それは、その、還俗するのは、スターシアさんの身に、なにか不利なことがあるのでは」
「…………それは否めません。まず、寿命を持つことになるでしょう」
「え、今は寿命がないんですか?」
「還俗しない限り、特別神司は生まれた時の状態を保ちます」
「わー……スターシアさんを生んだ花は、とても大きいんですねぇ」
スターシアがくすりと笑った。
「驚かれるのはそこですか」
「既に私自身人間ではないらしいので、寿命がないことについてはあまり」
よかった、少しだが和らいだ。
さっきまでの表情ではこちらの言葉次第で途端命を絶ってしまいそうな、そんな危うさを持っていた。
「還俗した瞬間、老いが始まります。邪気には負けませんが病には罹るでしょう。そして現在は無性のこの身が、男女の別を選ぶことも出来るようになります」
「はぁ……あ、でもそれだと、………………いえ」
「桐人さま?」
「いえ、ちょっと勝手が過ぎる考えが浮かんで。お気になさらず」
「どうぞ仰ってください」
スターシアは縋るように身を寄せる。膝に置かれた手、無意識だったのか本人が驚いて手を跳ねあげ、失礼しましたと小さく謝罪し、躙って距離を取る。
「スターシアさんに寿命がないなら、おじいさまや信次さんが居なくなっても私はひとりにならないなぁ、なんて……」
「! ……」
紫色の瞳が零れそうだ、そんなに驚かれると罪悪感が一層増す。
「すみません、本当に、身勝手で失礼なことを」
「いえ! いえ! そうではなく、まだ先の、遠い先のお話に、私を、あぁ、どうしましょう、嬉しい………………………………」
スターシアは、揃えて皿のようにした両手に顔を伏せてしまった。
眦には雫が光る。
「え、あの、」
「申し訳、ございませ……う、嬉しくて、」
手拭いを差し出すくらいしか出来ない。
「ありがとうございます……」
スターシアは受け取った手拭いで、何度も瞼の際を押さえた。
「あの、桐人さま、」
「はい」
「私、還俗は致しません。ですがこれより先あなたさまにだけ祈りを捧げることをお許し願えませんか」
「私だけに?」
「はい。桐人さまだけに祈りと祝福を」
還俗はしようと思えばいつでも出来る、今ここで決めさせるよりはいいだろう。こちらの世界、神は唯一。土着神や精霊など、信仰の対象が増えることはあっても改宗はない。それを考えれば聖職者といえど誰に祈るかは個人の自由なのかも、と軽い気持ちで頷いた。
「私は、かまいませんけど……」
それでスターシアの職責に影響がないのなら、と思ったのだが。
「ありがとうございます!」
満面の笑みというか、弾けるような笑顔でスターシアは喜んだ。
「還俗するとなると手続きや引き継ぎで三カ月は本部に足止めされたでしょうが、限定ならば一カ月ほどで済む筈。一月後、必ずやご一緒させていただきます」
旅に同行するのは決定事項だったらしい。まあ誰か相談出来るひとがついてきてくれるのは有難い。
一カ月後、広域本部があるサントル・エグリーズで落ち合うことを約束した。
お孫さまはゲームの素養がないのでインベントリがよくわからなくて
ようやく今回気付いた次第。