脱出するためには三流映画のヒロインにだってなってみせる
十時頃に、友美が部屋にやってきた。わたしは、バッグを持って立ち上がった。調べてみたけれど、携帯電話は入っていなかった。予測はしていたけれど。でも、とにかく、他はちゃんと入っていた。財布や免許や、その他。
「奈々、バッグはいらないわよ」
わたしは、慌てて手を振った。
「違うの。生理になりそうなの」
嘘だったけれど、バッグの中には生理用品が入っていた。生活が滅茶苦茶で、定期的にやってこないから、いつも入れっぱなしにしていたからだ。それは言わずに、わたしは肩にバッグをかけた。
「建物の中、案内してくれるんでしょ?友美」
そう言って、わたしはドアに向かった。友美は頷いて、それから部屋の外に出た。
「許可は、すぐに出たわ。建物の構造に興味を持つのはいいことですって。早く、ここでの生活に慣れてくださいって」
「ええ。努力するわ」
わたしは、楽しそうに笑ってみせた。
「じゃあ、何処から案内する?」
友美は、なんとなく居心地悪そうにして言った。
「そうね、とりあえずトイレの位置からかな」
あたりは静まり返っていた。皆、寝るの早いんだろうか。
「静かね」
「うん。朝が早いから、みんな、もう寝たの。わたしもいつもはベッドの中にいる時間なのよ」
「そう。朝は何をするの?」
「近くに畑が作ってあるのよ。そこで野菜を作っているの。それの世話をするの。世界が終わっても、自給自足出来るように。今日の夕食の野菜は、ここで採れたものなのよ」
「へえ。すごいわね」
そこまでするんだ。なんか、自己啓発セミナーというより、カルト宗教ね。
「それもプログラムの一つなの?」
わたしは、友美にそう聞いた。
「違うわ。ここに来ている人は、セミナーを卒業して、次の段階に入った人達。もっと、『トランステクノロジー』のマインドを広めるために選ばれた人なの。ここで、規則正しい生活をして、トレーナーになるの。」
「トレーナー?」
「うん。今ね、『トランステクノロジー』のトレーナーを派遣するっていうステージに入ったの。新しい会社を作って、そこで企業向けにトレーナーを貸し出して新人研修とかをするのよ。研修の、お手伝いね」
「それって、世界のために?」
「そうよ。新人研修の中で、私達の思想にも触れるの。そうすることで、少しづつ、私達のことを理解してもらうの。自己啓発セミナーって印象が悪いでしょ?でも、私達は、そういうのでは無いって分かってもらうの」
「セミナーじゃない?」
「そう。もともと違うのよ。私達は、参加してくれる人達の人生の見方を変えて、仕事や生活を、より豊かなものにしてあげるのよ」
そういうのって、自己啓発セミナーっていうんじゃないんだろうか。やばくなりそうだから、これ以上突っ込まないけど。
「ところで、わたしは明日からどうするの?」
「奈々は、明日から調理場に行くの。ここでは全て自分達でやらなくちゃいけないから。まずは、そこでお手伝いから。途中で入ったわけだから、いきなりトレーナーのステージにはなれないでしょ」
あ、そう。
「トイレはここね。部屋にもあるけど、各フロアの、この位置にもあるわ。次に調理場を案内するわ」
友美は、そう言うと、階段を降り始めた。
「一階には何があるの?」
「会議室とか、食堂とか。あとはトレーニングルーム」
「調理場は?」
「一階の一番北側よ。明日は、朝の五時までに行ってね」
「早いのね。」
「それは仕方ないわよ。みんな、仕事をして帰ってくるから、その前に準備を始めなくちゃ」
「それはそうね。頑張るわ」
友美は満足そうに頷いた。
「友美も、朝から出かけるの?」
「いいえ。わたしはトレーナーになるから。そういう仕事は、ここにずっといる人がしているの。急に畑の仕事は覚えられないから」
「そう」
廊下の一番端まで来ると、友美はポケットからキーホルダーを取り出した。わたしは、それに他のキーもついていることを視界の端で確認した。
金属製の防火扉を開けると、その中は真っ暗だった。
「ちょっと待ってね。すぐに電器をつけるから」
そう言うと、暗闇の中を手探りで進んでいき、すぐに明りがついた。そこには、ピカピカに磨き上げられたステンレス製の鍋が並んでいて、レストランの厨房を思わせた。広さもだいたいそんな感じ。会議室のテーブルくらいの台が二つ、部屋の真ん中に据えられていて、それを取り囲むようにコンロやオーブン、調理機具が整然と置かれていた。
「きれいな調理場ね」
わたしは、思ったとおりのことを言った。それから、鍋やコンロのほうに歩き出した。
「具体的なことは、朝になったら早川さんに聞いてね。彼が、ここのプレミアだから」
「プレミア?」
「リーダーのことよ。ここではそう呼ぶの」
あ、そう。わたしは、調理器具を見ながら、奥へと進んだ。わたしの探していたものは、すぐに見つかった。
「食器棚、見てもいい?夕食の時、すごくきれいな、お皿だったから」
「ええ。どうぞ」
わたしは、笑みを浮かべてそれに近づいた。そして、ガラス戸を開けて、皿を取り出した。
「きれいね」
「ここは、元リゾートだったの。でも、立地条件が良く無くて、経営がね。それで、『トランステクノロジー』が救済したわけ」
そういうのは救済とは言わない。
「ありがとう」
そう言って、わたしは食器棚を離れて、友美に近寄った。心臓の鼓動が速くなった。わたしのポケットには、食器棚から抜いたナイフが入っていた。
「ねえ、友美」
そう言いながら、わたしは友美の背後に、そっと近づいた。
「なに?奈々」
そう言って振り向く直前、わたしは友美の首にナイフを突きつけて、後ろから羽交い締めにした。空いている方の手で口を押さえて。
「動かないで。声を出さないで。わたしは切れているから、本当に、あなたを傷つけるわよ。」
わたしは、なるべく恐怖を煽るような声で友美の耳元で言った。友美は、何が起きたのか分からないで、しばらく唖然としていた。
「わたしは、ここから出ていくわ。あなたも一緒よ。抵抗すれば、わたしはあなたを傷つけなくちゃいけなくなるわ」
友美は、まだわたしを見つめるだけで何も反応しなかった。わたしは、友美のポケットを探り、キーを取り出した。
「友美、これから口を押さえている手を離すけど、首にナイフがあるってこと、忘れないでね。わたし、ここを出るまでは何でもするからね」
そう言ってから、わたしは友美の目を覗き込んだ。友美は、かすかに頷いた。
「車のキーは何処にあるの?」
そっと、手を離すと、友美は大きく息をした。思わず、もう一度塞いでしまった。息苦しそうにして、わたしは慌てて手をどかした。
「会議室の奥の部屋・・・」
「会議室は何処?」
「・・・中央玄関の左」
「入り口から入って左ね?」
「そう」
ようやく、友美は普通に息をし始めた。わたしは再び口を塞いだ。わざと鼻まで塞ぐ。友美は暴れようとしたから、わたしはナイフを首に押し当てた。それから、ゆっくりと少しだけ口から手を浮かした。
「ちょっとでも何かしようとしたら殺すから。」
殺す気は全然、無かったけれど、そう言った。この際、三流映画のヒロインぐらいの演技は必要だった。
「わかったわ・・・ 」
友美は、慌てるように何度も頷いた。
「会議室の奥の部屋っていうのは一つだけね?」
頷く。
「キーは何処?」
「部屋に入って左側」
「そう。じゃあ行くわよ」
「でも、鍵が」
「このキーホルダーがあるでしょ」
「それは部屋の鍵なの。自動車のキーは金庫の中」
金庫の中。やめて欲しいわ、そんなめんどくさいことをするのは。
「他の場所には無いの?」
「エグゼクティブプレミアが持ってる」
「誰それ」
「えっと、鳥井さん」
わたしは諦めた。車はやめ。歩くしかない。
「じゃあ、仕方無いわね。歩きましょ」
わたしは、ナイフを突きつけたまま友美を押した。友美は素直に歩きかけた。
「ちょっと待って。わたしは、友美の口を押さえる役目の左手でバッグの中からシーツを破いた切れ端を取り出した。
「手を離すけど、何かしたら力一杯ナイフを突き立てるから」
そう言ってから、わたしは手を離し、友美の口を切れ端で塞いだ。
「さあ、歩いて」
わたしは友美の後ろに立って、友美の左手を掴み、押すようにして歩き出した。




