グランドルール
夜になって、わたしとアストは、連絡が取れた、ゼミで一緒だった人のところに行った。少しだけ、飲酒運転のような気がしたが、アストの車で出かけた。車の中ではアストとわたしは話をしなかった。ただ、適当にラジオのチャンネルを合わせ、クラッシックをかけた。地方のFM局なんて大して数が無いから、そもそも選択肢があまり無いのだ。二人とも、はやりのJポップには興味がなかったし、そうなるとクラッシックしか無かったのだ。
そのアパートは、大学生の住むアパートと変わりが無かった。三階建ての新築ではあったけれど、ただそれだけのこと。地方の強みで、賃貸料が安いから、駐車場込みで五万円っていうところか。
彼の名前は、新藤で、わたしと同級生。ただし彼は留年せずに卒業したから、就職して一年ってことになる。六時に帰ってきていたことを思うと、定時に帰ってきたのだろう。たまのことなのか、それとも毎日なのかは分からなかった。毎日だとしたら、わたしが聞いた範囲では恵まれた職場だと思う。もっとも別に、彼の職業に興味はない。
「久しぶりだね、蓮田さん」
そう言うと、新藤は、わたしとアストを部屋に上げた。
「引っ越ししたのね」
わたしは、勧められるままにソファーに腰を下ろし、それから部屋を見回した。
「うん。就職と同時に」
彼は、もともと地元で、大学の時は自宅から通っていた。
「友美とは連絡とっていたの?」
新藤は、冷蔵庫からオレンジジュースを取りだし、それをグラスに注いでわたし達の前に置いた。
「たまに。ところで、彼氏?」
新藤は、アストを指して言った。
「元ね」
わたしは、ちらっとアストを見て、そう言った。アストは何も言わずに座っていた。ほんのしばらくの間だけ付き合ったのは、去年の冬のことだ。クリスマスの前に付き合い始めて、年が開ける頃には別れていた。
「無愛想なの。ところで、新藤君は、今、何をしているの?」
わたしは、話題をそらすために、そう言った。彼の職業に興味は無い。たとえ、わたしが就職浪人だということを抜きにしても、聞きたくはない。
「公務員。窓口業務。定時で帰れるんだ」
「へえ。やっぱ公務員っていい?」
「いやあ、部署に寄って違うね。忙しいところは忙しいし」
「そんなものなの?」
「そんなものだよ」
そこで、しばらく間があいてしまった。アストは押し黙ったままだし、居心地が悪くて仕方が無かった。
「そうそう、友美のことだけど」
わたしは、話を元に戻した。
「ああ、そうだったね」
新藤は、ほっとしたように言った。彼も沈黙が気持ち悪かったのだろう。
「彼女、最近、何をしているか聞いてる?」
わたしは、曖昧に聞いた。もし、知らないのなら、彼女のプライベートの話を広めることもない。
「ああ、知ってる。なんかのカルト、やってるよ。自己啓発セミナーだっけ?」
「知っているのね?」
わたしは、新藤の目を見つめた。
「うん。僕も勧誘されたから。もちろん、断わったけどね」
「そうだったんだ」
わたしは、適当な相槌を打った。何か言っておきさえすれば、続けて話をしてくれそうだったからだ。
「結構しつこくて。あれじゃあ、友達無くすね、そのうち」
「そうよね」
「グランドルールがどうのとか、ブレークスルーだとか、わけの分からない単語ならべてさ」
「あれって、仲間意識を高めるためのセミナーの策略よ、たぶん。自分達にしか分からない言葉を作るのって」
「ああ、なるほどね。友美さんも、心理学をやっていたんだから、そのくらい分かってもよさそうなのにね」
新藤は、電話を眺めながら言った。おそらく、電話で勧誘されたんだろう、と思った。
「いつごろから、彼女、セミナーに通い出したのか知ってる?」
「さあ。僕のところに電話がかかってきたのは一月くらい前だったけど」
「そっか。最近もかかってくる?」
「いや、最近は来ないな。あきらめたんじゃない?」
「そうかもね」
そういうと、再び沈黙になった。
「セミナーの事以外では電話、あった?」
新藤は、少し考えていた。
「そういえば、その話だけかな」
「そう」
帰り道も、アストはハンドルを握ったまま、黙っていた。無言で車を運転し、わたしはラジオをいじっていた。沈黙のわけは分かっていた。今夜、わたしが何処で寝るのか、それが問題だった。
「アスト」
わたしは、ラジオのスイッチをいじりながら、彼のほうは見ないで声をかけた。
「ん?」
ぼうっとしたような声で、アストは返事をした。
「泊めてもらってもいい?」
沈黙に耐え切れなくなって、わたしはそう言った。
アストは、しばらく黙っていた。
「いいよ」
感情の無い声だった。
「そう」
わたしは、ラジオをいじるのをやめてそう言った。なんとなく、彼の部屋に行くのが、嫌になった。
「やっぱりいいわ。サークル棟で寝る」
「奈々・・・」
アストが何か言い掛けたので、わたしは、慌てて言った。
「でも、シャワーは貸して。着替えは取りに帰らなくちゃいけないんだけど」
「そういうことじゃないだろ」
アストは、不機嫌な声で言った。
「だって、アスト、機嫌悪いし」
彼は、ため息をついた。
「悪いと思っているよ」
わたしは、いらいらしてきた。
「じゃあ、なんとかしてよ」
アストは、車を停めた。コンビニの駐車場だった。
「それは、奈々のほうだろう」
「なんでよ」
わたしは、いらいらしているのを隠さずに声に出した。アストは、押し黙っていた。
「付き合わなかった方が良かったわね、わたし達」
じっとアストを見つめて、わたしはそう言った。彼は、フロントグラスごしに、コンビニの明りを見ていた。中年の男が視界を横切った。
「そんなことが言えるほど長く付き合ったわけじゃないだろ」
「そうね」
わたしは、不機嫌な声で言った。
「付き合おうと言ったのは、わたしだったし、別れようと言ったのもわたしだったわよ。でも、そんなに皮肉っぽく言わないでよ」
アストは、ついにこっちを向いた。怒っているように見えた。
「奈々、おれの気持ちはずっと変わってないんだよ。それを振り回したのは、お前だって気付いてもいいんじゃないか?」
「だから、悪かったって思っているわよ。でも、今さらどうしようもないでしょ」
わたしは、言わなくてもいいことを言っている、と思った。
「責めているわけじゃないよ」
アストは諦めたような口調で言った。
「やり直したいと言っているわけでも無い。奈々が、困っているんじゃないか、と思って会いに来ただけなんだ。寝る場所や、そういうことだ」
そう言うと、彼は車のエンジンをかけなおした。それから、ギアを入れ、大学に向かって走らせ始めた。わたしは、大きくため息をつくと、ドアの窓から流れる景色を眺めていた。




