酔いどれ探偵、依頼を受ける
目が覚めて、事の重大性が分かってきたとき、わたしは自分のだらしなさが恥ずかしくなってきた。
と、言っても遅いか。
正直に言えば、友美とはそんなに仲が良かったわけでもないので、切実に救ってあげたいと思っていたわけではなかった。それよりも、わたしは父親から離れたかった、という気持ちの方が強かった。だから、ここへ来たわけだし、それ以外のなんでもない。
とはいえ、来たからには彼女のために何かしなくては、とは思っていた。
「じゃあ、それは遺書だったのね。」
それが、遺書を残しての家出、と聞かされては、気持ちも焦るというものだ。
「そうみたいです。詳しいことは聞いていないので、分からないですが。」
「それで、7時に彼女の家に行く事にしたのね。」
「そうっす。」
そこで、田辺は高橋を見た。
「ついてくるか?」
「行きたいです。」
高橋は間発いれずに答えた。
「黙って聞いている、と約束してくれ。」
「え?何でですか?」
「微妙なことだから。」
田辺は先輩らしい事を言った。微妙、ね。田辺がそういうのが得意だとは知らなかった。
「高橋君、遊びに行くんじゃないから、静かに聞いているってことにしてね。わたし達は、これから、友美が行きそうな場所を探さなきゃいけないの。その手がかりを聞くために行くのよ。でも、小早川さんは、精神的に参っていると思うの。興奮状態ね。」
「興奮、ですか?」
「心理学的な意味での、ね。支離滅裂なことを言うと思うわ。その時に余計混乱させるような事を言わないで欲しいってこと。」
「わかりました。」
わたしは、田辺のほうを向いて、
「じゃあ、そろそろ出かけたほうがいいわね。」
そう言って、立ち上がった。
カローラバンの白いボディーは、汚れてくすんでいた。
サークル活動に必要、ということでサークル費と、探偵業務の収益で維持されている車だ。とはいうものの、ボディーのあちらこちらは凹んで、修復されて、また凹んで、とあまりきれいとはいえない。そのうえ、ディーゼルエンジンは調子が悪く、黒煙を吹く。
「いいかげんに、この車、代えたほうがいいわね。」
わたしは、ビニール張りの後部席から、運転席の田辺に言った。
「そう思っているんですけど、まだ車検が半年残っていますから。もったいないじゃないですか。」
「それはそうだけど、ぼろぼろよ、これ。」
タバコと手垢で灰色になった、天井をさわって、わたしは顔をしかめた。
「ぼろぼろにしたの、奈々先輩じゃないですか。一番ひどくぶつけたの、奈々先輩ですよ。」
「そうだっけ?」
わたしはしらばっくれて言った。
「ねえ、高橋君、カセットかけてよ。」
わたしは、段ボール箱の中から適当に1本抜いて渡した。
「あ、はい。」
少し、緊張しているように見える高橋は、わたしの渡したカセットテープを眺め、それから、
「どうやって使うんですか?」
と、聞いた。
「そこの、灰皿の上のスロットに差し込めば、勝手に動くわよ。」
「あ、これ、CDじゃないんですね。」
そう言いながら、言われたとおりにする。ブルース・スプリングスティーンが歌い始めた。機械も古ければ、置いてあるカセットも古い。
景色は流れ去り、ブルース・スプリングスティーンは哀愁のある声で暗い曲を歌っていた。
「その、友美さんが置いていった手紙を見せてもらえますか?」
わたしは、その中年の女性に言った。
「ええ。」
暗い声でそう言った彼女は、隣の部屋へ立って行った。
高橋は、そっとわたしの耳に近づいて、
「お金持ちそうな家ですね。」
と、ささやいた。
確かに、家は大きかった。家具や調度品の一つ一つも安物ではなかった。応接間、なのだろう、その部屋にはゆったりとしたソファーが備えられて、壁には絵がかかっていた。誰の作品なのかまでは、わからなかった。わたしには、たいして知識は無いし。でも、その額縁から察するに、それなりには高いのだろうとは思った。額縁だけでも何万円もしそうな彫刻入りの木製だった。
天井からはシャンデリアが下がっていて、窓の外には庭が見えた。庭の植木の手入れにだって、年間で何十万とかかるように思えた。
「これです。」
戻ってきた友美のお母さんは、そっと封筒を差し出した。
宛名の無い、白い封筒だった。
「開けてもよろしいですか?」
彼女はうなずいた。
わたしは、糊のついていない封筒から、一枚の紙を取り出した。その内容を知っているだけに、わたしは重苦しさを感じてじっとその真っ白な紙を見つめた。
そっと開く。
宛名は無い。いきなり本文が始まっていた。
『わたしは、新しい旅に出なくては。
遠くて近いところに、それはあり、手を伸ばして、それをつかまなくては。
もう会えなくなるかもしれません。
危険な旅に出なくては。
未来のためにしなくては。』
たったの4行が、しっかりとした字で書かれていた。わたしは裏を返した。白い、パソコン用紙だった。何も書かれていない。思い詰めた気持ちは伝わるけれど、自分勝手な詩でしかない、と思った。
「これだけ?」
わたしは思わずそうつぶやいた。
「蓮田さん。」
友美のお母さんはわたしに言った。
「友美は、自殺するような子だと思いますか?」
そんなこと、わたしに聞かれても困る。けれど、黙っているわけにもいかなくて、
「大丈夫です。彼女はしっかりとした子でした。必ず見つけて、説得してきます。」
また、出来そうも無いことを言っている。心の中で誰かがそうつぶやいた。
「小早川さん。友美さんが行くところに心当たりはありますか?」
友美の書いた紙を見ていた田辺が言った。
「わかりません。あの子は、最近意味の分からないことばかり言って。」
わたしはふと、
「旅、と言う言葉が何度か出てきますね。何か思い当たりませんか?」
「旅・・・・。」
そう言うと、考えるような顔をした。上品なしぐさだ。小首をかしげるように部屋の隅を見つめている。何かわざとらしい演技のような気すら覚えたぐらいだ。
「わかりません。」
ふっと、息を吐き、そう言った。疲れが一瞬顔をよぎる。
「友美さんが行っていた団体ですけど、いつもは何処で?」
田辺は友美のお母さんをじっと見つめて言った。
「住吉町のビルに支部があるのだとかと言っていました。」
「行かれたことはありますか?」
田辺はそう聞いた。
首を振って、
「ありません。」
そして、うつむいた。
「正確な場所は分かりますか?」
「ええ、ちょっと待っていてください。」
そう言って、また部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。
「連絡先だ、と言ってパンフレットをもらったことがあるんです。これがそうです。」
ああ、そうだった。自己啓発セミナーの卒業生は、新たな生徒を勧誘することが次のステップとして課せられる、というのが通例だ。また、それについて反論される時、『あなたも行けば分かるわよ。』と言って、パンフレットを渡したり、連れていかれたりするものなのだ。反論すればするほど、行かなくてはそれ以上の反論が出来なくなるような話のもっていきかたをする。つまり、母親にもセミナーを受けさせようとしたのだろう。
「お預かりしてもいいですか?」
うなずくので、田辺はそれを鞄にしまいこんだ。あら?新しい鞄ね。皮張りのアタッシュケースだわ。ビニールレザーのようだけど。
「その、友美さんが行っていたセミナーのことなんですけど、どういった内容のセミナーだったか、ご存じありませんか?」
田辺は、次にそう聞いた。来る途中、その質問をすることは打ち合わせてあった。と、言うのも、時間不足で調査が出来ていなかったからだ。一般的なセミナーの内容は調べたから分かっているけれど、それぞれに個性があって、やらせる内容が違う。友美のケースでは、その具体的な内容が分からなかった。
「いえ、分かりません。あの宗教団体の言っていることはわたしには分からなくて。」
田辺は首を振った。ということは、調査をする人材を確保しなくては。
「宗教ではありません。自己啓発セミナーなんです。」
友美のお母さんは田辺を見つめた。
「何が違うのか、それすら分かりません。」
「自己啓発セミナーというのは、性格を変えるための訓練なんです。ただ、そのやり方が良く無いと言われています。」
「どんなふうに良く無いんですか?」
「精神的に追い詰められてしまうからなんです。」
田辺は、静かに言った。そんなことでは内容は分からないだろう。だけど、友美のお母さんはこう言った。
「そうですか。とにかく、娘を連れ戻してください。お願いします。」




