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帰還

「今回の事件の首謀者は、おそらくアンス・ザッカーマンだろうねぇ」

 陽光の射しこむ窓際に立ったレッドは、外を見つめながら唐突に口を開いた。

 消毒液の匂いが満ちたそこは病室だ。レッドの斜め後方、ベッドの上には両腕両脚を石膏で固められたディードが寝かされていた。

 ディードはレッドの言葉に耳を傾けながら、目の前に広げられた新聞を読んでいく。

 紙面には大きく『《ゾルキス軍事開発工業》の開発局局長、アンス・ザッカーマン氏殺害される』と記されていた。さらにザッカーマンの邸宅が放火によって全焼し、警察は怨恨の線で捜査を進めているとある。

「ま、証拠を消された今となっては、全部アタシの想像だけどね」

 レッドはおちゃらけて肩を竦めた。小枝のような葉巻を取り出して口に銜えるが、ディードから「姉ちゃん、病院は禁煙だよ」と注意され、渋い顔を浮かべて葉巻を仕舞う。

 ディードの視線は別の記事へと移動した。そこには『エネルゲイトで政府要職者の大量殺害発生。同日、報道各社とキュバリリウス議会に被害者が《血の王庭》事件の容疑者であるとの告発文が届けられた。四年振りに《シュバリエ》の活動として認定され、ソニス市民に興奮走る』と書かれてある。

 動けない自分に代わって、誰かがお節介をしてくれたのだろう。

 動けない、確かにディードは動けなかった。というのもロナと決着をつけるために病院を脱走した際、ちょっとしたヤンチャを披露してしまったもので、再入院時にベッドへ厳重に拘束されてしまったからだ。

 どれくらいの厳重さかというと、四肢が綱で猛牛と繫がれているくらいの厳重さだ。すでに要注意隔離患者の拘束ではなく、開拓時代の処刑方法になっていた。

(俺って一応、瀕死で病院に担ぎこまれた重傷患者だったと思うんだけどなぁ……)

「どうしたんだい? 浮かない顔なんかしてさ」

 釈然としない顔を披露していたディードに、レッドが疑問を投げかけてきた。姉の目はベッドへの拘束以外に気にかけていることがあると見抜いたのだ。

「……今になって思い返してみると、今回の事件はとある出来事を境に劇的な変化を迎えていた。とある人物が《血の王庭》事件の加害者名簿を持ってきたことだ。

 それをきっかけに科捜研が襲撃され、〈聖銀〉の正体が判明し、三人目の存在までもが明らかになった」

 そしてディードは知る由もないが、名簿にザッカーマンの名がなければ《白銀の影》が逆脅迫され、事件解決の糸口となる綻びが生まれることもなかった。

「まるで何者かが最小限の一手で事態の膠着をひっくり返し、何もかもを気持ちよく終わらせちまったみたいだ。それこそ物語の中の名探偵のように、かい?」

 レッドの指摘にディードは神妙な顔を浮かべ、静かに頷いた。

「どうにもならないねえ」

 対してレッドが返したのは、潔いほどに清々しい諦念だった。

「綺麗さっぱり、跡形もなくなっちまったんだ。空洞を掘り返すことはできないよ」

 気風のいい諦めっぷりを見せるレッドに対して、ディードにはまだまだ陰があった。

「……なあ姉ちゃん」

「うん? どうしたんだい?」

「……結局、俺のしてきたことは間違いだったんだろうか?」

 ディードは姉に胸の内を吐き出した。一度開いてしまった口からは、濁った言葉が止め処なく溢れ出してくる。

「俺は今まで、兵錬武憎さから兵錬武犯罪者どもを片っ端から殺してきた。それで犯罪はなくならないまでも抑止になると思っていたし、何より被害者たちが事件と決別するために必要不可欠な転機にはなると思っていた。

 だけど今回、アイゼリカさんを殺したことでロナさんが復讐に走った。俺がよかれとしてやったことが、新しい犯罪の火種になったんだ」

「ディード、この世界は水面だよ」

「水面?」

「誰かが動けば必ず波紋が生まれる。波紋が集まれば大きな波になる。波は周囲に存在する何もかもを呑みこんで、滅茶苦茶にして去っていく。

 だけど波を消そうとする動きで、また別の波紋が生まれちまう。誰かが動けば必ず火種は撒かれるんだ。それがよかれとしてやったことだろうがね」

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」

「さあ? 波紋を生まないように動かないでいるのも、波紋を消すために波紋を生み出し続けるのも、ディードの好きにすればいいさ」

 そこでレッドは一旦言葉を区切って、「だけどね」と続けた。

「動かないってことは、結局そいつは存在していない人間ってことだよ。だったらアタシは、自分で撒いた火種は自分で消していきたいと思っている」

「自分の尻は自分で拭け、ってことか?」

「それが一人前の人間ってもんさ。決断と責任、そうだろ?」

 ディードは唐突に、自分が冒険者を慕っていた理由の一つに気がついた。冒険者は似ていたのだ。自分が敬愛する姉に。

「無駄話がすぎたかねえ。アタシゃそろそろ仕事に戻るよ」

 という言葉を置いて、レッドはさっさと廊下に消えていった。

 残されたディードは、病室で一人考える。

 今回の事件には様々な勢力の正義が絡んでいた。被害者たちの復讐という正義、生活を変えるための革命という正義、研究者による研究という正義、軍による平和維持という正義、ディードの必要悪という正義、そして世界を大戦に巻きこんでまで成したかった正義。

 全ての争いは、それぞれの正義が衝突するから起こるのだ。そして正義の戦いには、必ず悪として駆逐された犠牲者が出てしまう。レッドが喩えたように、波紋を消そうとする正義によって、別の火種が生まれてしまうのだ。

 だとしたら本当に重要なのはどちらの正義が正しいのか、勝っているのかではなく、何を許せるかという寛容と歩み寄りの精神なのではないだろうか?

 今回の一件には誰にも妥協点が存在しなかった。だから殺し合うしかなかった。

「まーだー?」

 不意に聞こえてきた声に、ディードは思考を棚に上げた。ディードの下半身、正確には両脚の間の布団が不自然に膨らんでいた。ディードが「もういいぞ」と応えると、布団の膨らみがのそのそと這い上がってきて、胸元からひょっこりとスティが顔を出す。

「もう、急にお姉さんがくるもんだから慌てちゃったじゃないの」

「だからって大怪我人の布団に潜りこむなよ」

 ほとほと呆れ果てたディードもどこ吹く風、スティはいそいそと布団から這い出して傍らの椅子に腰を下ろす。ディードの視線は肩で吊られた右腕に注がれていた。

「右腕の調子はどうなんだ?」

「私を気にしてる場合?」

 心配げに訊いたディードは、逆にスティから言い返されてしまった。

 現代の医療なら失った人体の再生は難しくない。むしろ両腕両脚を壊しているディードのほうが重傷なのは誰の目にも明らかだ。

「私の心配をしてくれるのは嬉しいけど、自分の体も大切にしてよ」

 そこでスティは一旦言葉を切り、頬を紅潮させつつ視線を彷徨わせて、

「ディードがいないと、その、ベッドが広くて落ち着かないのよ」

 ディードが「スティ、スティ」と恋人を呼んだ。(何だろう?)とスティが近寄って、

「もどかしい!」「ぶごぉっ!」

 突然振り下ろされた右腕がスティの脳天に直撃した。右腕を固定していた石膏が粉々に砕け散り、ディードは露になった右手の五指を握って、開いて、また握る。

 スティは自分が殴られた理由がわけ分からなかった。頭を押さえて、殴られた痛みではないものに体を震わせる。

「こ、骨折してたんじゃなかったの?」

 ディードはフッと、これ見よがしに微笑し、

「お前を今すぐ抱き寄せられないのがもどかしくて、急速に回復させたんだ」

「それって殴る理由になってないから。もしかして、私がそれで丸めこまれちゃうくらいのお馬鹿さんだと思ってる?」

 ディードはスティの陰湿な視線からさっと顔を逸らした。スティはディードを問い詰めるように、徐々に顔を近付けていく。

「フゥハハハハハッ!」

 そのとき突然、病院内に大音声の高笑いがこだました。廊下に面する扉が開け放たれ、室内にヒーデュローが飛びこんでくる。

 病院内だというのに、ヒーデュローは周囲の迷惑も考えず、座った車椅子を凄まじい速度で突っ走らせていた。

「病院内での暴走行為は禁止だ!(ただし車椅子は除く)」

 ヒーデュローは能天気な笑顔もそのままに、ディードの目の前を横切って窓硝子に激突、そのまま屋外へと飛び出していった。

「元気そうじゃないか」

 二人がヒーデュローの奇行を前にしてげんなりしていると、シェラとアンジュリエも病室に入ってきた。

「揃いも揃って何しにきたんだよ?」

「見舞いに決まっているだろ」

 ディードは窓の外に目をやって、「アレが見舞いなのか……」と、再びげんなりとなった。

「そういうお前らこそ何してるんだ?」というアンジュリエの問いに、ディードは「見て分かれよ」と、スティに馬乗りされた自分を指差した。

「寝こみを襲われてるんだよ」

 ディードの首元は、スティによって絞められつつあった。スティが「ご一緒にいかが?」の視線を送ると、アンジュリエは「やなこった」と顔を歪めた。

「噂の〈魔物〉は女に大人気のようだな」

「あん? 何だよ、〈魔物〉って?」

 聞き慣れぬ単語にディードは訊き返した。シェラはディードの胸元に週刊誌を投げ、

「今回の一件で、世間は貴様をそう呼んでいるのだ」

 開かれた週刊誌の見開きには、『白昼のソニス市を《白銀の影》と〈血染めの魔物〉が縦断する』との文字が踊っていた。

「〈血染めの魔物〉、ね。それくらいのほうが俺らしくていいか」

 楽しげに口の端を歪める一方、ディードには懸念があった。旧貴族出身である自分と、真製兵錬武であるペルテキアをこんなにも大々的に晒してしまっていいのだろうかと。

「しかしお前ら、揃いも揃って見舞いにくるたあ暇か? 暇なのか?」

「暇なわけがあるか」

 ディードが八つ当たり気味に放った言葉に、シェラはすかさず反論をぶつけてくる。

「クラーブはすでに退院して、他の事件への対応に動いている」

「ああ、それで苛められっ子の奴は倒壊した劇場の下敷きになって全治六か月の診断を言い渡されたにも関わらず入院三日目にして強制退院させられたわけか」

 と、ディードは納得すると同時に釈然としない感情を抱いた。自分はスティとイチャつけないのに、クラーブクラーブ惚気やがってと。

 悶々が溜まりかねたディードは、ここぞとばかりに切り札を切り出す。

「そういやお前、旦那が『紐パンは正義だ』とか言ったから、それから紐パンにしてるって噂は本当か?」

 シェラは冷ややかにディードを一瞥して、すぐに視線を逸らす。ディードはシェラの平静っぷりを前に、切り札が不発に終わったのかと憂慮した。しかし注意深く観察すると、シェラの肌が脂汗で湿っているのが分かる。噂は真実だ。

(トレンティーのうっかりも、たまには役に立つもんだ)

 そこへ「紐パンで私に勝とうなんて百万光年早いわ」と、スティが妙な対抗心を燃やした。

「紐パンなんて面積が小さいだけだ。アタシの下着には鍵がついているぞ」と、アンジュリエも便乗してきた。

「煽り運動なら任せ給え」と、ヒーデュローも窓から這い上がってきた。

 スティとアンジュリエとヒーデュローがシェラを取り囲み、手を取り合って輪を作り、「クラブりん、クラブりん、クラブりん、クラブりん」言いながら回り始めた。チカチカと点滅する電灯が、手を上げ下げする三人の陰影を躍らせる。

 シェラは脂汗を流し、瞳を揺さ振らせながら、必死で三人からの責め苦に耐える。

 もはやそこに大都会の面影はなく、異境の奇祭の様相を呈していた。

 この場所には正義なんてものはない。ただ、代わり映えのしない日常があるだけだ。

 満更でもない笑みを浮かべて、ディードははたと我に返った。

(……こんなのが日常なんて、嫌だなあ……)

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