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決意の夜②

 病院の一階、広間の椅子に二人の女が座っていた。一人は流れるような黒髪に豊満な肢体、アンジュリエ・ブラックハウザー。もう一人は癖毛の茶髪に雀斑、スティスレット・ベルゲルシア。二人は互いに背を向けて、不干渉を貫くように無言でいた。

「凶暴眼鏡の病室にいなくていいのか?」

 それでも間を持て余し、アンジュリエが口を開く。

「こういう日がくるのも、覚悟はしていたから」

「覚悟、覚悟か……」

 鷲摑みにしたチョコクッキーを噛み砕きつつ、アンジュリエは苦い言葉を口に出す。

 アンジュリエにとって、ACC勤めは物見遊山の延長にすぎなかった。だから覚悟なんてあったものではないし、責任も持っていなかった。

 入社当時、一年前までは。

 それから同僚の死に直面して、兵錬武犯罪者の最後を目の当たりにして、被害者たちの悲しみと怒りに触れて、アンジュリエの考えは大きく変わっていた。

 死への覚悟、人々の命と生活を守るという責任、そしてACCである矜持を持つようになった。それでも、

「覚悟はしていても、怖いな」「ええ、怖いわ」

 二人の声は震えていた。指先は氷で出来ていると思うほど冷たい。

「こんなときだから訊くが」

「こんなときに何よ?」

「アンタと凶暴眼鏡は、どういう関係なんだ?」

「は? 恋人に決まってるでしょ?」

「そうじゃなくて、普通の恋人は本気で殴り合ったりしないだろう、と訊いている」

 アンジュリエの言葉で、初めてスティは自分とディードの関係が気になった。言われてみればその通りで、普通の恋人関係とは言いがたいものがある。

「ああ、アレよアレ。……痛み分け?」

「それは泥沼の抗争の果ての解決策だろうが……」

 苦い表情を浮かべてから、アンジュリエははたと気付いて表情を凍りつかせた。

「え? アンタまさか、凶暴眼鏡より前の男とは毎回暴力沙汰で破局してたのか?」

「うん。そだよ?」

「そんな、『何かおかしい?』みたいな顔で言われても……」

 スティの感性を疑いもしない自分が馬鹿だった。アンジュリエは大仰に肩を落とし、釣られて巨大な乳房が揺れる。

 スティは楽しげな微笑を零した。葬式のような重苦しさは変わらないが、軽口が出てくる程度には二人に余裕が戻ってきていた。

「私の感情は、愛って言うほど深いものじゃないわ。私を好きでいてくれるディードに甘えて、受け取っているだけ」

「だけど好きなんだろ?」

「うん。私を好きでいてくれるディードが好き。だからもっとディードを好きになりたい」

 悪友の惚気に嫌気がさしたように、アンジュリエは手で扇いで頬に風を送る。

「そう言うアナタこそ、こんなときなのに暢気におやつが食べられて羨ましいわ」

「こういうときだからこそ、血糖値を上げておかないとな」

 アンジュリエは喉を鳴らしてクッキーを呑みこんだ。そして何を思ったか、背中に手を回して菓子箱をスティに差し出してくる。

「アンタも少しは食べておけ」

「そうね。私たちの戦場は、ここじゃない」

 スティは口の端を吊り上げて笑みを浮かべた。決然とした、決意の笑みだった。

「男の心配をして、泣いて傍に寄り添っているのは、お淑やかでか弱い女だけでいい。それは私らしくない。

 ディードをこんな目に合わせた奴を探して、見つけて、殴る。イヤっていうほど殴る。手が痛くなっても殴る。相手が泣いて謝っても殴り続ける。それが私のやりかたよ」

「いい覚悟だ」

「「うひゃぁぁっ!」」

 全く予期していなかった方向から声をかけられ、スティとアンジュリエは飛び上がって驚いた。声をかけた当のシェラは表情を崩さずに怪訝さを表す。

「貴様ら、仲が悪いくせに息は合ってるじゃないか」

 どうやらディードと交際の下りは聞かれなかったらしい。スティは胸を撫で下ろした。

「ゆくぞ。名探偵の遺品から驚きの新情報が出たとかで、クラーブが緊急召集をかけてきた」

 スティは頷いて立ち上がった。それから一度だけ、ディードの病室に続く廊下を目に留めて、躊躇いを振り切るように足音高く歩き出す。

 スティに続こうとしたアンジュリエの肩をシェラが摑んだ。

「貴様は社に戻れ」

「なぜ?」

「予備戦力として気障眼鏡を事務所に待機させているが、正直不安だ。貴様が待機に回って、気障眼鏡を戦力に勘定したほうが安定する」

 この指示も父親からの圧力なのだろう。アンジュリエは嘆息とともに肩を竦めた。

「まあいい。今回はアンタに華を持たせてやろう」

 ぶっきら棒に言って、アンジュリエは歩き出した。去っていくアンジュリエの背に、シェラは「恩に着るぞ、髑髏眼鏡」と謝辞を投げる。

 アンジュリエは相棒の仇を討つ機会をシェラに譲ったのだ。心遣いが身に沁みる。

「《白銀の影》め、私は怒ったぞ」

 シェラは凍てついた怒声を零す。シェラの真紅の両目では、極寒の怒りが吹雪となって荒れ狂っていた。

「私の親友を利用し、後輩を痛めつけてくれた《白銀の影》を、私は絶対に許しはしない!」

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