聖なる銀②
「俺の実戦経験は半年じゃない。八年だ」
「ありえないわ!」
アイゼリカは怒号を放って否定した。
「八年前なんて、ACCも存在しない大昔よ! そんな昔から実戦経験があるのは犯罪者しかいない。八年間も実戦経験があって、噂にならないはずが……」
アイゼリカは息を呑んだ。このソニス市で八年間の実戦経験を得られる存在に、たった一つだけ心当たりがあったのだ。
アイゼリカの表情に愕然が広がっていく。
「ああ、俺は《シュバリエ》の一人だ」
アイゼリカの心音が凍結する。常なら嘘だと切り捨てているところだが、ディードの戦闘技術と兵錬武犯罪を許さない苛烈な性分を鑑みれば、納得せざるを得なかった。
ディードがシェラと組まされている理由は、社交性の破滅的な欠落によるところが大きい。
ディードとアイゼリカの間には兵錬武の天敵性を覆して余りある一手、経験の差が露骨に横たわっていた。
アイゼリカは人工視界に表示された無数の情報の一つ、動力残量を見る。シャルピニオの動力残量は約八五%、変身から一分半が経過していた。決定打を与えられないアイゼリカに対して、ディードは攻勢に転じてきている。戦況が逆転するのは時間の問題。
「それならっ!」
焦燥に駆られたアイゼリカは、鬼気迫る絶叫を放ってディードに剣を向けた。同時に全身の甲冑が展開し、アイゼリカ自身からしとどに銀血が流れ出る。
アイゼリカの足元に銀血の海が広がっていく。目算で半径は十五m、水深はアイゼリカの腰ほどまで。およそ二五mプール一杯分に相当する量の銀血だった。
最大稼動によって総エネルギーの約三十%、変身時間の三分間分を消費したシャルピニオ最大の攻撃が放たれる。視界一面に広がったのは、先ほどまでの小技とは比べ物にならない銀色の波濤だ。ディードの姿は一瞬で銀色に押し潰され、呑みこまれて消えた。
銀の大津波が去った後は、全てが銀色に塗られていた。
津波となった銀血の質量と速度の前に、何もかもが潰され、押し流されて消失していた。袋の底が抜けたように倉庫の壁は消え、その向こう側、隣の倉庫は跡形もない。
アイゼリカはディードの死体を見つけ出さんと、破壊の跡地に目を凝らして、
「選択を誤ったなぁ」
明朗と聞こえてきた声に、心臓を鷲摑みにされる恐怖を抱いた。
水音。滴る水滴が床で赤い斑点となっていた。
アイゼリカの視線が血の出所を求めて上を向く。そこにディードがいた。
「最初から変身し、自分の能力を暴露して俺の変身を抑止させるまでは正解だ」
倉庫の天井にかけられた梁にディードが腰かけていた。飛び降り、床に着地する。
「だけどあんたは持久戦を選び、焦りから最大稼動を使ってしまった。結果として時間を無為に消費し、手の内を晒してしまった」
ディードは半身を赤く染めていた。銀の波頭を完璧には避けきれず、左腕は真紅の塊に変わっている。力なく垂らした左腕を伝い、血が糸となって流れ落ちていく。
「あんたは変身直後に、活動時間がなくなるのを承知で最大稼動を三連発するべきだった。一発目ですらこの様だ。二発三発と連発すれば、殺せないまでも重傷を負わせることはできた。あとは残りの一分で、余裕を持って俺を殺せばいい」
そうは言うものの、十分しか存在しない活動時間を一分に縮め、なおかつ無駄撃ちに終わる可能性を考えれば、最大稼動の連発を実行させられる者など極めて少ない。
「二分弱の変身と、最大稼動一発分。残りの活動時間はせいぜい五分強」
ディードの上半身が揺れた。時間の優位性を得たものの、ディードが重傷を負っていることに変わりはない。ペルテキアを支えに、辛うじて意識と体勢を保つ。
「それじゃあ、殺戮の兵錬武《屍狩り虫ペルテキア》の力を見せてやろうじゃないか」
それでも、両目から殺意の炎は消えていない。唇から不敵な笑みは消えていない。
ディードはペルテキアを眼前に掲げ、長柄の中央に位置する非環珠に視線を合わせる。
「ペルテキア」
音声照合によってペルテキアが起動し、赤光が放たれ網膜を照合。
「イグニッション!」
最後に暗証を音声入力。その途端、大斧の側面から光の粒子が溢れ出る。
まるで夜空を埋めつくす蛍の光だ。しかしその輝きは禍々しい赤。
赤い光はディードを中心に弧を描く。弧は円となり、球となって、真紅の繭を形作る。
真製兵錬武は情報量が巨大すぎ、一瞬で変身を終わらせることができない。その間隙を埋めるための防御障壁が展開されていた。
「な、によ……これは……」
目の前で起こっている不可解な事態に、アイゼリカは困惑を漏らす。
「知らない……私はこんなの知らない!」
内心の恐怖に打ち負けて、震える唇から言葉を零れさせる。
光の繭の内部でディードの変身が始まった。右手が指先から光となって消えていく。痛みはない、というよりも神経自体が消失し、感覚そのものがなくなっていた。
ペルテキアから分離した非環珠を中心に、右手の骨格が構築されていく。金属の骨格に内包された珪素繊維の光伝達神経、神経の中継機を兼ねた関節が手首から肘、肩へと続く。
肉体の消失と骨格の構築は胴体から左腕、腹部から両脚へと進む。脈打つ心臓や収縮する肺などの内臓が保護膜に包まれ、脊髄と珪素神経が接続される。
ディードの顔面から後頭部までが金属骨格に覆われ、最後に長い髪が光となって消失。ディードは脳と脊椎、内臓だけの、人間未満の物体となっていた。
ディードに一瞬の虚無感が訪れる。全身の感覚器官が消失したことにより、光も音も匂いも味も温度も痛みも上下もない暗黒に引きずりこまれる。
瞬時に人工眼球が構築されて視界が戻り、続いて聴覚と平衡感覚が蘇る。一瞬とはいえ全ての情報が遮断される感覚は、死にも等しい不安と恐怖があった。
金属骨格の間を埋めるように人工筋繊維が敷き詰められ、皮下に銀血が満たされる。
光の繭に亀裂が走った。亀裂は瞬く間に繭の全体に広がり、破裂。繭の破片が散弾となって飛び散り、周囲を破壊する。
「ゲギャギャギャギャギャギャアァァァァァァァァアアアッ!」
産声の咆哮とともに、異形の兵錬武が誕生する。
ディード本人やペルテキアと同様に、その兵錬武も真紅を基調としていた。
長柄の得物を扱うために、下半身は異様なほど太い。平均的な成人男性よりも逞しいはずの上半身が痩せこけて見えるほどだ。
巨大な三本指で爪先立ちし、中腰となったその様は、関節が一つ増えたようにすら思える。尻から伸びた尻尾は女の胴の太さを持ち、五つに枝分かれした先端を蠢かせている。
右手の甲には非環珠が配置され、左手の甲は獣の頭骨を意匠された左右非対称。
両肩両腰には巨大な肩当て腰当てが装われ、下方に鋭利な先端を伸ばしている。
類似した輪郭の生物を挙げるとするなら、カンガルーだろうか? 全体的に野獣めいた、荒々しさと猛々しさを前面に押し出した造形と言える。ディードとペルテキアの苛烈な性質を、そのまま体現させたかのようだ。
顔に鼻はなく、上下の顎と頬には歯の意匠が敷き詰められ、顔の下半分が巨大な口になったかのよう。顔の上半分は歪んだV字状の眉庇に覆われ、その下から青い眼光が覗く。額の両脇から伸びた二本の角が前方にそそり立っていた。
全身には目玉模様が敷き詰められ、遠目からは斑点のようにも見える。細部では禍々しく、全体としては神々しい、相反する印象の兵錬武だ。
ディードが変身に要した時間は十五秒にも満たない。その短時間でアイゼリカは次の一手を放っていた。




