絶望の日
息も絶え絶えに我が家の扉を開けて、その〝誰か〟はそれきり動けなくなった。
十代もなかばをすぎた誰かが、思わず玄関口で立ちつくしていた。目の前に広がったのは安らぎを与えてくれる我が家の日常ではなく、言いようもない異常だ。
最初の異常は飼い犬のエリオット。いつもなら真っ先に出迎えてくれるはずの足音が、いつまで待っても聞こえてこない。
それどころか家の中からは一切の生活音、気配が感じられなかった。宵も近いというのに灯りをつけていないのも不自然だ。
「誰も……いない、の?」
王都のあちこちから怒号に絶叫、銃声に爆音、そして断末魔の悲鳴が上がっている。
王都は破壊に見舞われていた。兵錬武で武装した一団が暴れているのだ。
誰かは彼らから逃げようとしていた。家族と一緒に。この先どんな苦難に遭おうと、何を失おうと、家族と一緒なら乗りこえていける、そう思ったからだ。
無性な不安を覚えた誰かは、緋色と黒に染まり始めた我が家を一歩一歩進んでいく。
誰かは家族の身に何かが起きたのを察知していた。それも、限りなくよくない何かが。
しかし歩みを止めることはできない。藁にも縋る思いで、家族を求めて進んでいく。
応接間の扉を開けると、そこに家族全員の死体があった。
誰かは遠くの暗闇を直視するのが恐ろしかった。俯いて、足元を見ながら進んでいた。
だから最初に、戸口に放置されたエリオットが目に入った。
茶色い毛並みの大型犬、エリオットが仰向けとなっていた。腹を撫でて貰いたがっている、のではない。なぜなら撫でるべきエリオットの腹部は消失していたからだ。
エリオットの腹部は伽藍堂になっていて、一切の臓器が入っていなかった。白かった絨毯にエリオットの血が滲みこみ、ドス黒く変色して固まっている。ひょうきんな表情の老犬は、引きつった笑みを浮かべて絶命していた。
エリオットの隣には姉の死体があった。
おそらく何人もの男に陵辱されたのだろう、服は無残に引き裂かれ、全身は白濁した体液で汚されている。凛々しく可憐であった姉は、父の愛用品である儀礼用の長剣で、秘所から口腔までを貫かれて絶命していた。
奥の壁には両親が磔にされていた。両手首両足首をナイフやフォークなどの食器に貫かれ、壁に縫い止められている。
父と母は、どちらがどちらなのか一目では判別できなかった。なぜなら片や全身を黒焦げにした焼死体、片や全身の皮を剥ぎ取られ肉の塊と成り果てていたのだから。
温かい笑顔を浮かべていた家族は、今や冷たい死体と化していた。
誰かが安らぎと温もりを求めて辿りついた我が家には、絶望だけがあった。
「ぁ……うあ……」
誰かは自分の頭を抱えて、その場に膝をついた。見開いた両目からは止め処なく涙が流れ、口からは言葉にならない声が零れていく。
「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!」
誰かの絶叫が王都の夕闇を貫き、どこまでもどこまでも飛んでいった。
八年前のその日、世界に復讐鬼が生まれた。




