大空の時代①
「私がアンス・ザッカーマンだ」
ディードとシェラの向かいに座した壮年の男は、そう名乗った。
得体の知れない男だ。白髪混じりの頭髪も、小皺の見られる目元も、くすんだ色の青い瞳も、年月を閲した化生のような不気味さを漂わせている。
不快、とは違う。強いて表現するなら、体の隅々、腹を開かれて内臓までも詳細に観察されているような悪寒を覚える人物だ。
ディードはザッカーマンの視線など意に介さず、内装に心を奪われていた。
汚れの一点もない白い壁、絵画と見紛うばかりに芸術的な絨毯、高級品の机や椅子、念入りに手入れされた観葉植物、そして目の前には香ばしい湯気を上げる麝香豆の珈琲。
そこは高級ホテルの一室と見紛うばかりの空間だった。しかし窓の外に映るのは青一色、遥か下方には縮尺模型のようなソニス市の全景。
「まさか会談場所に飛行船を選ばれるとは、随分な念の入れようですね」
「脅迫されていれば、誰でも用心深くなる」
言葉に反してザッカーマンに怯えている節はない。不愉快そうなしかめっ面を晒している。
「地上で数㎞の距離を狙撃するのは可能だが、高速で移動する上空の物体を狙い打つのは不可能に近い。さしずめここは、世界で一番安全な個室といったところですね」
室内には四人の人物しかいなかった。ディードとシェラ、依頼主のザッカーマン、そしてアイゼリカだ。
「それにしても、まさかアイゼリカさんがザッカーマンの秘書だったとはね」
「あら? ご老人のお手伝いをしてるって言ってなかったっけ?」
「……それでどうやって秘書だと悟れと?」
ディードはアイゼリカの感性に渋い顔を浮かべた。ザッカーマンも厳しい顔を向けている。
「ところで凶暴眼鏡、貴様の『他人が操縦している乗り物に乗ると必ず事故が起きる』という縁起は大丈夫なのか?」
唐突なシェラの疑問に、アイゼリカは「ちょ、何その縁起」と驚きを露にし、ザッカーマンは「縁起など非論理的だ。下らない」と吐き捨てる。
「バスに乗れば横転か爆弾騒ぎか乗っ取り事件が起き、電車に乗れば脱線か爆弾騒ぎか乗っ取り事件が起き、船舶に乗れば沈没か爆弾騒ぎか乗っ取り事件が起きる。
この飛行船も墜落か爆弾騒ぎか乗っ取り事件が起きなければ辻褄が合わないが?」
「俺は呪いの品かよ……」
ディードは苦い顔をしたが、前例がありすぎて反論できなかった。
「これは乗り物じゃなくて、でっかい風船だと思いこめば何とかならないか?」
いかにも楽観的なディードの考えに、シェラは普段通りの無表情。「いざとなったら凶暴眼鏡を排除すればすむ話か」と、ぽつりと零す。
「早速ですが仕事の話をしましょう。脅迫とはどういうことです?」
「私には毎月何百という脅迫状や脅迫電話がかかってくる。大抵は嫌がらせの類だが、飼い猫が殺され、送迎の運転手が交通事故死しては、さすがに今回ばかりは楽観視できなくなった」
「そこで我々に依頼を出す運びになったと」
「そこのダーシュ君に聞いて、《厄介者の群》の手腕は確かなものだと理解している。
また他の中堅ACC、《ミリオンAC》や《ジェラウッド》などの大手ともなると、組織が巨大すぎて情報流出の危険性が高まる」
「天下の《ゾルキス》社にとっては脅迫事件など醜聞も甚だしい、ということですね」
「左様。よって実力と機密保持の面から、《厄介者の群》に頼むのが妥当と判断した」
シェラは把握したという面持ちで頷いた。
「脅迫者に心当たりは?」
「多すぎて見当がつかない。逆恨みの可能性が高いだろうがな」
ザッカーマンの物言いに、ディードは暗とした表情を浮かべた。(兵錬武に関わりのある人間は、恨みを買って当たり前ってことか)と肩を落とす。
「連中は私をこの一週間以内に殺害すると予告してきた。そこで私はこれから一週間、我が社の警備部が用意した隠れ家で生活することにした。
しかし五日後に重要な会談を控えていて、どうしても外出しなくてはならない。諸君らには会談の際の護衛を頼みたいのだ」
「その一度で宜しいのですか?」
「予告をしてくるほど虚栄心の強い連中だ。期限をすぎれば一まずは安心だろう」
ザッカーマンの断言は確信というより願望と言ったほうがいい。
シェラは違和感を覚えた。飛行船で会談を行うほど用心深い人物が、どうしてそこまで楽観視しているのだろうかと。
「おい」
シェラが思考に沈んでいると、ディードが小声で話しかけてきた。
「今の時期に脅迫って、まさか《白銀の影》じゃないよな?」
「ザッカーマンは革命に参加していない。それはないだろう」
言ったものの、ディードの懸念も分からなくはない。
「私が考えますに、やはり会談は中止、ないしは代役を立てて、ソニス市を離れるのが宜しいかと思いますが?」
「私は重要な実験中で、このソニス市を離れることはできない」
断固としたザッカーマンの言葉に、シェラは二の句が継げなくなった。ザッカーマンの頭の中にあるのは、自らの危険すらも一顧だにしない研究への狂熱だけだ。
思えば《ゾルキス》社を軍式兵錬武開発企業にまで伸し上げたのも、ザッカーマンによる近接攻撃、遠距離攻撃、そして支援の三人一組という開発理念の提唱によるところが大きい。
「研究者や開発者ってのは、どうして自分を含めた周囲が見えなくなるんだろうな」
ディードはシェラ以上の冷ややかさでザッカーマンを非難した。直線でザッカーマンを凝視する視線に籠められているのは、激烈な敵意。研究者という肩書きの狂人を見るそれだった。
「ちょ、ちょっとディード君、何をそんなに熱くなっているの?」
「俺は研究者や開発者って人間が大嫌いなんですよ。特に向こう見ずな連中はね」
アイゼリカが上司への無礼を止めさせようとするが、ディードの怒りは治まらない。
「兵錬武がどういう思想の元に開発されたのか知る方法はないが、新しい何かを生み出そうとする者には相応の管理責任があるんじゃないのか? 例えば飛行機みたいにね」
「ほう、ここで飛行機を持ってくるか」
研究者として興味深い話題の振り方だ。ザッカーマンが続きを促す。
「現代においても飛行機が開発されていないのは、先駆者の失敗と不在が最大の原因だ。
中世期にバンデルヘン兄弟が起こした飛行機実験の失敗で五百人規模の死者が出た。そのせいで、いまだに飛行機分野の研究は忌避されている」
バンデルヘン兄弟の残した『我々は飛行機が飛ぶとは思っていなかったが、実験せずにはいられなかった』という格言はあまりにも有名である。戒めの言葉として。
「飛行船やグライダーが確立され、大陸を横断するのに電磁列車なら一日もかからない。深海一万m以上に潜れる潜水艦も開発されている。兵錬武や演算機を製造し、化学繊維や新合金を開発する技術はあるのに、飛行機は机上の空論ですら頓挫している。
これは一重に、研究者の勇み足に全ての責任があるんじゃないか?」
「否定はしない。だが、人類の生活を豊かに、そして安全にしたのは技術の発展だ。
自身が、親が、そして先祖が恩恵を享受している以上、人類の文化と歴史を否定する権利は誰も持ちえない」
「だから兵錬武を開発し、発展させている自分にも非はないと言うつもりか?」
「凶暴眼鏡、そこまでにしておけ」
痛烈すぎるディードの批判に、さすがにシェラも苦言を呈してきた。窘められたディードは少々熱くなっていたと気付き、珈琲を一気に流しこんで一息入れる。
「化石燃料の枯渇と、兵錬武製造のために激減する鉱物資源。本格的に宇宙開発を見据えなければならない時代に突入しているのに、片や宇宙船どころか飛行機の開発はままならず、片や資源を消費し続ける兵錬武は増産の一途だ。
この問題の根底は、研究者や開発者にもあるんじゃないのか?」
「君の非難にも一理ある」
驚いたことに、ザッカーマンはディードの主張をあっさりと受け入れた。
しかしザッカーマンには反省している素振りなど微塵もない。ザッカーマンにとっては負の側面や失敗も情報の一つでしかなく、それらは考慮され、非難を受けるに値こそすれ、後悔や反省とはなんら関係のない要素なのだ。
いや、失敗や負の側面を受け入れ、技術を進展させることこそが、研究者という人種が取る反省の態度なのだろう。
「確かに君が指摘するように、この世界に飛行機が存在していれば、《十一人戦争》はもっと早く終わっていたかも知れない。宇宙開拓も実現段階にあって、資源を巡る争いもなくなっていたかもしれない。
しかし、今頃は世界中に飛行可能な兵錬武が溢れていたのも確かだろう」
ザッカーマンの反論は、ディードが仮想してきた非難の側面を的確に突いていた。
「先の世界大戦は兵士と銃器、戦車と戦艦による局地戦が主だったと伝え聞いている。市街地にでも侵攻されない限り、市民には戦闘行為をしているという感覚がなかっただろう。
世界で最初に広域戦を展開したのが《始まりの十一人》だ。奴らはそれまでの主流であった戦場を舞台にした兵士対兵士の戦いを、兵錬武の持つ圧倒的な破壊力と機動力で大陸規模の広域戦に変えてしまった。《始まりの十一人》は市街地も戦場も自然も、何もかもを根こそぎ戦火に巻きこんでいったのだ」
当時を思い出し、ディードは表情を硬質化させた。親を始めとした周囲の誰もが、国や軍やPMCですら、《十一人戦争》がソニス市に到達するわけがないと確信していた。それが呆気なく、開戦から一週間も経たずに〈ソニス4〉の襲撃を受けたのだ。
想定外や驚愕より、絶望というのが当時の感情だった。
「だが、それ以前に飛行機が開発されていたとしたら、先の大戦がもっと大規模な、それこそ《十一人戦争》に匹敵する戦いになっていたかもしれない。
人員や兵器の大規模長距離輸送手段に乏しかったからこそ、PMCという地域密着型の傭兵産業が発達したとも考えられる。PMCがなければソニス市の発展もなかった」
果たしてどちらの世界がよかったのか、それは意見の分かれるところだろう。この問題に正しい答えを出せる者などどこにもいないのだ。




