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ドレッドレッドさんの家庭の朝②

 スティは着替えのために寝室へ移動し、ディードは食器を流し台に突っこむ。二人分の食器は五分で洗い終った。ディードは黒羊のぬいぐるみを摑み上げ、着替えを終えたスティと二人で洗面所にいき、顔を洗い、歯を磨く。ディードは編んだ髪にぬいぐるみを結わえつけ、スティは化粧を始める。

「あ、今日ゴミの日」

「あいよ」

 癖毛と格闘中のスティを洗面所に残し、ディードはゴミ袋をまとめて玄関に持っていく。慣れ親しんだ玄関には違和感があった。

「あれ? 玄関の絨毯はどうした?」

「忘れたの? 昨日ディードが帰宅するなり絨毯に吐いちゃって、毎回吐くからもう匂いも取れないし、捨てることにしたのよ」

 ディードは昨夜の出来事を思い出そうとして、玄関扉を開けたあたりからの記憶がないのに気付いた。どうも吐くか吐かないかの間に気を失ったらしい。

「五十人も殺せば、そりゃ吐いて気絶もするか……」

 思い出した途端、ディードは口を押さえて膝から崩れた。肉を裂き骨を砕く手応え、鼻腔で渦巻く血の匂い、耳の奥にこびりついた断末魔、死者の虚ろな表情が次から次へと脳内を駆け巡り、動悸が激しくなって嘔吐感がこみ上げてくる。

 しばらくそのままの姿勢で、嘔吐感が去るまで必死に耐える。

「無理して平気な顔して、強がっちゃってさ。何度も吐いて気絶して、寝てても魘されるくらいなら、人殺しなんかしなければいいじゃない」

 いまだ髪型の調整に手こずっているスティは顔を見せない。それでも口調に籠められているのは、恋人の身を案じる純粋な感情だ。

「それはできない」

 しかしディードが返したのは、断固とした拒絶だった。

「と言うより、できなかった。俺だって人間だ。自分の弱さに何度も立ち止まろうとした。

 けど駄目だった。俺は兵錬武を許せなかった。俺が手にかけてきた人々の呪縛が、俺の挫折を許さなかった、破滅の未来しか許さなかった」

 ディードの表情を横切ったのは、不甲斐なさと自噴。自分の決意すら満足に守れない自嘲が、歪んだ泣き笑いとなって零れ落ちる。

「前は炎で、後ろは闇。我が身に起こっていることなのに、笑いしか出てこねーよ」

「それがディードの決めたことなら、私は口を挟まない。だけど、いつかディードに何があったのか教えてね?」

 その頃になって、ようやく髪型を整え終わったスティが洗面所から顔を覗かせた。

 スティはソニス市の出身ではない。それはディードが兵錬武を憎悪する理由、《大戦》という過去を共有していないことになる。

 スティの寂しげな表情は、恋人が兵錬武を憎悪する根本を知らない一抹の不安だ。いつかディードが手の届かない遠くにいってしまうのではないかという、漠然とした恐れだった。

「俺としては、いつかと言わず今すぐスティに打ち明けてもいいと思っている。第一、スティを心配させてまで隠しておくことじゃない」

 ディードは恋人の不安を真摯な顔で受け止める。

「だけど今は、仕事の準備が先だろう? お楽しみは道中で追々とな」

 ディードは玄関で上履きから下履きのローブーツに履き替え、前庭を横切り、ゴミ袋を電動車の後部に押しこむ。一旦屋内に戻り、仕事着である戦闘用の上着を羽織って、寝室のベッドの下に隠してあるペルテキアとレイティーセを引っ張り出す。

 その間にスティが家の戸締りを終えて、二人は玄関で合流。

「ディード、忘れ物」

 言いつつ、スティは胸元に携えていた小箱を差し出してきた。

「はい、お弁当」

 スティが満面の笑みで渡してきたのは、世の独身貴族愛用の店売り弁当だった。

 この周囲に関係がバレると恥ずかしいので店売り品に偽装した手作り弁当を見るたびに、ディードは(殺される。こいつと別れたら、俺は絶対に殺される)と恐怖していた。

 ディードは必死に目を背けようとしていた。変態とまではいかなくとも、自分から交際を申しこんだ女性が性格的に度し難い人物であるという事実を。それを認めてしまったら、今までの女性遍歴が全て『類は友を呼ぶ』で片付けられてしまう気がして。

「ディード、ディード」

 そんな恋人の葛藤をいざ知らず、スティは暢気な声でディードに語りかけていた。ディードが振り向いた先には、唇を突き出したスティの顔。

「いってらっしゃいのチュゥ」

 スティを見下ろすディードの視線は、青色の地獄となっていた。(この女、どう始末するべきか)と本気で考えている、連続猟奇殺人鬼の視線だった。

 ディードは一つ溜息、上体を屈めてスティと唇を重ねる。接触は一秒にも満たなかったが、それでスティは満足したらしい。照れと幸福感の入り混じった笑みを浮かべて、玄関を飛び出していった。

「たったの一歳差だけど、俺はどうやっても年上の女に逆らえないわけか……」

 ディードも苦笑を浮かべてスティを追う。スティに先行されたこの構図が、彼我の立場を明示しているようで、再び笑いがこみ上げてきた。

 ディードは電動車にペルテキアとレイティーセを積み、スティの手作り弁当を電動車の後部に突っこんだ。『いかにも無頓着に放りこんだ』という風に、さり気なく、大胆に、しかし慎重に配置する。

 ディードは(うむ、今日も独り身の哀愁が上手く表現できた)と、一人納得して頷いた。

 ディードはアルコールの瓶を傾けつつ、電動車を発進させる。

「さて、と。スティは《大戦》の話を聞きたいんだろうけど、さすがに一から十までってのは疲れる。まずは何から訊きたい?」

「それじゃあ、ディードって実はお金持ちなの?」

「なぜそう思った?」

 最寄りのゴミ集積所に到着して、電動車が停止。ゴミ袋を投げ入れ、再発進させる。

 ディードの家が建っているのは、草木も多いソニス市郊外の丘陵地帯だ。お隣さんとも数百mは離れていて、よしんば襲撃が起きても近所迷惑にならない立地となっている。

「だって入社して半年しか経ってないのに、家を建てちゃったから」

「通帳や給料明細は全部お前に預けてんだから、金銭の流れくらい調べられるだろ?」

「そこは私的な領域だから、無断で詮索するのは気が引けたのです」

「これ以上どこに気を使う要因がある?」

 ディードは理解不能という表情でスティを見た。スティはディードと視線を合わせず、返事もしない。まるで何かに耐えている、いや、怯えているようだった。

 やはりスティはディードとの距離を計りあぐねているのだ。たった一歩間違えただけで二人の関係が破綻してしまう気がして、結局一歩も踏み出せない漠然とした恐怖感だ。

「金持ちってのとは違うな。確かに俺の家系は貴族階級だったけど、ソニス領主のもう少し下、単なるソニス市の地方貴族だ。それに資産は実家と一緒にソニス湖に沈んじまった。エルレイド革命で銀行も凍結されたから、その時点で無一文になっている。

 地方っつっても貴族の家系だから、革命後は民衆に敵視されててあまり出自を掘り返されたくない。そういうわけで、スティにも今まで黙っていた」

 ディードは誠心誠意の謝罪を籠めた瞳でスティを見た。受け止めたスティは、小さく「ん」とだけ言って小さな不満を呑みこんでやる。

 ディードは失われた思い出に睫毛を伏せた。反して口元には誇らしげな笑みが浮かぶ。

「中学生だった俺を養うために、姉ちゃんは大学を中退して必死に働いてくれた。だから俺は姉ちゃんが作った《厄介者の群》に貢献して、恩返ししたいんだよ」

「自慢のお姉さんなのね」

「ああ。《白百合》社との確執がなければ、自慢の恋人を紹介して喜ばせてるところだ」

 微笑を浮かべていたディードに、不意に陰が差す。

「……俺と《白銀の影》は、どこから違っちまったんだろうな……」

 ディードは痛みと悲しみを等分して呟いた。古くからの知り合いが豹変するのを目の当たりにしたように、不甲斐なさと自噴が湧き上がってくる。

 同じ国で生まれ育ち、貴族の家系で、《大戦》を発端にして家族を失い、望みもしないのに兵錬武を与えられた。ディードと《白銀の影》には共通点が多すぎる。

 そして両者は目的すらも共通していた。片やディードは兵錬武自体への復讐として犯罪者を狩り、片や《白銀の影》は自己の家族を奪った連中への復讐に動いている。

 ディード自身、目の前に《新生の轍》が、《始まりの十一人》が、そして再び〈ソニス4〉が現れたとしたら復讐に走るのだろうかと、何度も考えたことがある。

 だが、その答えはもう出ていた。《新生の轍》が目の前に現れ、ペルテキアを手渡してきたあの日に、ディードはこの道を進むと決めたのだから。

「ああ、そうか。俺と《白銀の影》は、最初から違っていたのか」

 ディードはようやく本質に気付いたとばかりに呟いた。両者は最初の選択、『真製兵錬武で何を成すか』という時点から違っていたのだ。

 しかしディードの表情に晴れやかさなどない。あるのは絶望にも似た空虚感だけ。

「俺の復讐は、十年前に終わっていた」

 ディードには最初から別の選択肢などなかった。それは《白銀の影》も同じだろう。

 両者は写し身のような相似形だったからこそ、最初の違いが決定的な決裂となっていた。同じ道筋を歩んでいた二人が、一つの分岐を違えただけで全く異なる場所に辿りつくように。

 ディードの追求は、両者の違いと対立を浮かし彫りにしただけだ。

「同属の後始末か。やはり俺を動かしているのは、因縁とか呪縛とか、そういう類の宿命らしいな」

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