前編
満天に輝く星空の下、少女は丘へ向かって歩いていた。
一歩、一歩。踏みしめるようにして足を前へと動かす。
ここへ来るのはもう、今日で最後になるかもしれないから。
「あ……」
なだらかな斜面の上、やがてそこに彼女は人影を見出した。
「……っ!」
胸にわだかまる、モヤモヤとした淀みと歪み。それを振り切るようにして少女は駆け出す。
「――アルっ!!」
居た、やっぱり居た。彼はここに、居てくれた!
それが少女は嬉しくて仕方がない。
「やあ、セリア。もう宴は終わったのかい?」
のっそりとした動作で体を揺らし、彼は笑う。
その足元まで駆け寄ると、少女――セリアはアルを見上げた。
彼の背丈も体格も、村では一番だ。筋肉が付きやすい家系らしい。
セリアは大木のようにがっしりとした、彼の足や太い腕を見る。
当たり前だが力も強いし、ケガの治りだって異常なほどに早い。恵まれた体の持ち主――では、あるのだが。
けれど彼は争いを好まない。誰かを傷つける事を嫌うのだ。
だから、かもしれない。彼が選ばれず、セリアが『それ』を授かったのは。
「抜け出してきちゃった。みんな酔っぱらってばかりで、話にならないんだもの」
「あはは、嬉しいんだよきっと。なにせこの村から伝説のスキル保持者が現れたんだから」
「……うん」
――この世界の人間はだれしも、十六歳になったその時に儀式に臨む。
成人の儀と呼ばれるその日に、神から『技能』を授かるのだ。
それは魔術や武術の才能であったり、特殊な能力の発現であったりと千差万別。
セリアとアルもつい先日にめでたく成人を迎えて共に儀式に臨み、そうして、彼女は『それ』を得た。
「アルは、えっと……薬草を見分ける才能、だったんだよね?」
「……うん。薬師の俺に相応しいだろ?」
「確かに、アルらしいね。それに比べてまさか、まさかだよ。あたしが『剣聖』になるなんて――」
――剣聖。それは数多のスキルの中でも、別格といえる隔絶した才能。
それを天から授かった者は、大いなる宿命を背負うという。
「聞いたよ。王都の方に、勇者様が現れたんだってね。『聖女』や『大賢者』のスキルを授かった方々も……」
「……そうだね、そうらしいね」
――数百年に一度、邪なる神が蘇る。神に選ばれし者たちは、異界よりいでし勇者と共にこれを討つだろう。
それは、小さな子供でも知っている伝説だ。けれどもまさか、現実に起こるとは誰も信じていなかったに違いない。
しかし兆候は現れた。近年、増え始めた魔物災害。
古代に封じられたとされる竜や巨人が復活し、各地で暴れまわり出したのだ。
「えへへ、夢が叶っちゃったなあ。毎日毎日、剣を振っていた甲斐があったね!」
えっへんと胸を張り、セリアはそうおどけて見せた。
勇者と、それに連なる選ばれし者たち。彼らに憧れてごっこ遊びをする子供は多い。
セリアもまた、その一人であった。
「懐かしいなあ。小さな頃からここで、一緒に遊んだよね。セリアは昔からお転婆で、俺を良く追い回してたっけ」
「う」
痛い所を突かれた。恥ずかしい、顔から火が出そうだ。
小さい頃のセリアは向こう見ずな子であった。剣聖様のお通りだ―!などと吠えて、幼馴染の彼をいつも引きずり回していたのだ。
「あの頃から俺は、君のことが好きだったよ」
「え……っ」
不意に告げられた言葉に、息が止まりそうになる。
月明かりに照らされた幼馴染の顔は、いつもと違って見えた。
常と同じ柔和な笑みを浮かべてはいるが、その瞳は怖いくらいに真剣そのもので――
「あ、あ、あたしも……っ!」
だから、セリアも勇気を出せた。
心に秘めていた想いを打ち明けようと決意できたのだ。
「あたしも、アルが好きっ! 大好きっ!」
多分いま、自分の顔は真っ赤になってる。ひょっとしたら涙も浮かべているかもしれない。
でも言うんだ、と。セリアは長年積もりに積もった恋心を開放する。ぶちまける。
「だから、えっと! あたしが邪神をぶった切って帰ってきたら――結婚してっ!!」
言った、言い切った。一世一代の告白をやってのけた!
興奮のあまりに鼻息を荒くしながら、恐る恐るとアルを見上げる。
すると、どうだ。幼馴染の少年は目を丸くして、困ったように視線を揺らしていた。
――え? 失敗? あたし、やらかした!?
どうしよう、もっと雰囲気とか考えるべきだったか。オロオロとするセリアにしかし、アルは微笑みを返してくれた。
「……それ、俺が言おうと思ってたんだけどね」
「えっ」
「ほら、これ」
いつの間にか、アルの手に何かが握られていた。
目を凝らして見ると、それが薬草であると分かる。
当てれば傷の治りを早め、煎じれば熱病に効く万能薬。
この村ではありふれた、なじみ深いもの。
月光に照らされ若草色に輝くそれを、アルはセリアの薬指へと巻き付けてゆく。
「あ……」
「セリアが帰ってきたら、ちゃんとした指輪を渡すよ。だからこれは、それまでの代わり」
「ア、ル……」
「俺もこうして……ほら、指に巻いとくからさ。お揃いだね」
胸が詰まって何も言えない。感極まるとは、これなのか。
涙が後から後から溢れて、止まらない。
「何があっても君を愛してる。結婚しよう、セリア」
「あ、あうあぁぁぁぁ!!」
もう、言葉にならなかった。
泣きじゃくりながら最愛の幼馴染に抱き着き、セリアはわんわんと声を上げる。
「がらだに、ぎをづけでねえええ!」
「それはセリアの方でしょ」
「だっで、アルがじんばいなんだもん!! アルはやざじいがら!」
そう、そうなのだ。彼は優し過ぎるのだ。
自分たちは二人とも、流行病で両親を亡くしている。天涯孤独の身だ。
だからセリアは強くなろうとして、そしてアルは――異様なほどに献身深くなってしまった。
幼い頃から病を知らず、誰よりも頑丈で強くたくましい体。それをまるで憎むように、他人へ奉仕し続けたのだ。
親から継いだ薬師の仕事。頼られれば昼も夜も無く、すぐさまに駆けつける。寝る間すら惜しむほどだ。
そんな彼がセリアは大好きで――同時に、大きな不安を感じていた。
「ねえ、アル」
「なんだい、セリア?」
「もしも――」
――もしも、私が帰って来なかったら。あなたは自分の幸せの為に生きて。
「……ううん、なんでもないっ!」
その一言を、セリアは言えなかった。それを口に出したら、不安が的中してしまうかと思って。
だから、その代わりに少女は笑う。満面の笑みで、自分は幸せだとそう告げるために。
「絶対、無事に帰ってくるから。約束するから」
「うん、うん……」
そうして二人は顔を上げて笑い合う。
いつもそうしていたように、子供の頃と同じように。なんの不安も憂いもないと、そう告げるように。
やがて二人はふざけ合い、あれこれと思い出を語りながら言葉を尽くす。
別れを惜しむように、逢瀬を少しでも伸ばすように。
星明かりが瞬く丘の上、恋人たちの楽し気な笑い声が響き渡る。
いつまでも、いつまでも――
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――馬車の傾く音で、セリアは目を覚ました。
「ゆ、め……?」
そうだ。懐かしい、とても懐かしい夢を見ていたらしい。
あれはもう、何年も前の光景だ。誰よりも大切だった幼馴染の彼と誓った、あの――
「セリアさん、大丈夫ですか?」
呆けた頭でぼうっとしていると、隣から声が掛けられた。
ふわりと揺れる、長く美しい金の髪。乱れるそれを構いもせず、彼女はセリアの頬へと手を触れた。
「ミラ様……?」
「はい、ミラです。顔色が優れませんね。少し休憩をしましょうか」
「いえ、大丈夫です。早く済ませてしまいたいので」
心配げに顔をしかめるミラに、セリアは微笑みを返す。
瞬間、臓腑の奥に引き攣れるような痛みを感じ、思わず手で腹を抑えようとして――
(――っと、こっちはもう無いんだっけ。慣れないなあ)
利き手だった右腕を引っ込め、もう片方の腕を伸ばして腹をさする。
そうしているうちに、腹部へ暖かな光が輝き始めた。同時に、痛みが少しずつ和らいでゆく。
視線の先にあるのは、細くしなやかな指先。ミラが治療魔法を掛けてくれたのだろう。
「すみません、ミラ様。いつもいつも、申し訳なく……」
「言わないでください。貴女は何も謝る必要はありません」
悲痛な色を宿しながら、それでもミラは微笑む。慈愛に満ちたそれは、まさしく『聖女』のもの。
「……セリアさん。お気持ちは、やはり変わりませんか?」
「はい、向こうに送った手紙の通りです」
「……っ!」
何かを堪えるように下唇を噛むミラに、申し訳なさが募る。
戦後の処理で忙しいだろうに、彼女はこうしてセリアの里帰りに同行してくれたのだ。
どれほどに感謝の言葉を積み上げても足りない。彼女に出会えた事はまさに、神の思し召しと言って良いだろう。
「村は……無事なんですよね」
「……はい、そのように聞いておりますよ。近隣の村々も含め、大きな被害は出ていないそうですわ」
「そう、ですか」
ならいい、それならいい。
改めてそれを確認し、セリアは大きく息を吐き出した。後は自分が、終わらせるだけだ。
すると、車輪が石を跳ねのける音と共に、馬のいななき声が響く。
どうやら峠に差し掛かったらしい。すると、故郷へはもうすぐのはずだ。
揺れる馬車の勢い、それに身を任せてセリアは窓へと目を逸らす。
ぼんやりと映るそれには、今の自分の姿が見えた。
自慢だった赤い髪。彼が綺麗だと言ってくれたそれは、昔よりも長く伸び、右目を覆い隠している。
――今のあたしを見たら、アルはどう思うかな?
自嘲気味に首を振り、セリアは苦笑する。
情けない。どこまで未練がましいのだ。自分に、そんな感傷を抱く資格は無いのに。
「あ……」
窓の外に広がる青い空。
雲を横切るようにして、一羽の鳥が飛んでゆく。
舞い落ちる羽を見ているうちに、きぃんと耳鳴りがした。
『ねえねえ、アル! トリっていいよね! あたし、トリになりたいなっ!』
『え、そうかなあ? お空からおっこちたらコワいし、ヤダなあ』
遠い昔に『彼』と交わした会話が、脳裏に蘇る。
『もー! アルのよわむしっ! トリには羽があるからヘイキなのっ!』
『なんでそんなに、トリさんになりたいのさ?』
『それは、だって――』
その会話をはっきりと思い出し、低い苦笑が漏れる。
そうだ、子供の頃のセリアはそうだった。いつも無茶な事ばかりを言って、『彼』を困らせていたっけ。
――あの頃のあたしは、どうして鳥になりたかったんだっけ?
そこから先が、上手く思い出せない。記憶が霞んで曖昧だ。
確かあまりにもグズる『彼』を説得しようと、セリアは――
「……セリアさん?」
「ああ、いえ……なんでもありません」
「やっぱり、気が進まないのでは?」
セリアの頬に手を当てながら、ミラが顔を曇らせる。
「いいえ、もう決めた事ですから。私は彼にそう告げます」
これ以上、彼女へ負担をかけるわけにはいかない。
セリアは窓から顔を背け、そうしてきっぱりと言い放つ。
「……他に愛する人ができました。私の事は忘れてください、って」
――そう。セリアは彼との約束を、守る事ができなかったのだから。
☆ ☆ ☆ ☆
「……やっと帰ってきやがったか」
懐かしい、村の入り口。そこに立っていたのは村長と、その息子の姿。
静かに立つ父親とは別に、彼は肩をいからせている。全身から立ち昇る怒気に、セリアは懐かしさを覚えた。
(……あたしがアルを泣かせたら、いつも怒ってくれたっけ)
五つ上の、セリアにとっては兄のような存在。確か、数年前に結婚をしたとも聞いた。
「……ノア」
「挨拶も無しかよ。変わっちまったな、お前」
久しぶりに見た彼は、記憶にあるよりも更に大人びていた。
家庭を持ち、相応に経験を積んだのだろう。
セリアとは人間の格が違った。
「ええ、そうよ。私は邪神を倒した勇者パーティーの一人――『剣聖』だもの」
「お相手も、それに相応しい奴だってか? お貴族様か? それともまさか勇者――」
後ろから、震える気配が伝わる。声に出さずに手でミラを制し、セリアは髪をかき上げた。
「勇者様の名誉に誓って言うけれど、彼とはそんな関係じゃないわ」
「……どうだかな」
吐き捨てるように俯くノアに、セリアは密かに心を痛めた。
彼は変わっていない。恐らく、アルの心情に寄り添ってくれているのだろう。
それが嬉しくて――同時に、とても申し訳なく思う。
「それで、手紙の内容のわけを聞きましょうか。来ないと後悔するって……なに?」
これ以上は、色々な意味で耐えきれない。
本題を急かすように、セリアは冷たい視線を彼らへ向けた。
「あたしが書いた別れの手紙。その返事を何故か、あなた達が代筆したのよね?」
「ああ、そうだ。俺と親父が書いた」
忌々しそうに睨みつけてくるノアの、その視線を真っ向から受け止める。
「セリアさ――」
もどかしそうに前へ出ようとするミラを、再びセリアは押し留めた。
「……そいつは?」
「セリア様の従者ですわ」
セリアが口を開くより早く、ミラがそう言って頭を下げた。
伝説の聖女であり、貴族令嬢でもあるミラ。
彼女にこんな態度を取らせることなど、本来は許されないだろうに。
「あたしも、それなりの身分になったって事よ。で、話してくれる? なんであたしをここへ呼びつけたの?」
『――とにかく、帰ってこい。来なければ絶対に後悔する。これは脅しではないぞ』
理由も書かれず、その言葉だけが繰り返し文面に記されていた。
「早くアルに会わせて頂戴。あたしもね、暇じゃないのよ。王都でやる事はいっぱいあるんだから」
「……分かった。付いてくるといい。彼の所まで案内しよう」
口を開いたのは、それまで黙り込んでいた村長だ。
彼は息子と違い、ただじっと二人を見つめていた。
心まで見透かすようなその視線に耐えられず、セリアは目を逸らす。
「……お願いします」
尊大な態度を取るべきと分かってはいたが、村長の前だとそうもいかない。
彼は、両親を亡くしたセリアにとっての親代わりだ。
結局、自分はなにも成長していない。何も変わっていない。
伝説の剣聖と称えられたはずの女はしかし、情けなく苦笑する事しかできなかった。
村長たちの背を追いながら、ひたすらに歩く。
移り変わってゆく風景を見ているうちに、セリアはふと気付いた。
(この道は、あの場所への……)
そうか。彼らはあの丘へ向かおうとしているのか。
恐らく、アルもそこでセリアを待っているのだろう。
それを想像するだけで、鳩尾の辺りが軋み、喪失感に苛まれる。
胸の奥に生じた痛みを堪え、セリアは涼し気な表情を保つ。
――忘れるな、被害者面をするな。自分には悲しむ権利なんてない。
そう言い聞かせ、ひたすらに足を動かす。
三年前の、あの夜を思い出した。あの時もこうして、セリアは丘へと続く道を歩いていたのだ。
(アルに会える、アルに会える、アルに会える……)
再会の場所へと近づくごとに、抱え込んだ罪悪感とは裏腹に体が熱を帯びてゆく。
考えちゃいけないと思っているのに、浅ましい喜びの念が込みあがってきた。
(アル、アル……!)
斜面が緩やかになり、やがて終着点が見えてくる。
そうだ、あの時もそうだった。そして今も同じく、あそこには見上げるばかりの巨体が――
「――あ、れ?」
セリアは目を瞬かせた。
居ない、彼が居ない。何処にも姿が見えない。
隠れているのか、それともしゃがんでいるのか。
あれだけの背丈と体格だ。アルが何処にいようと、セリアに見つけられないはずが無いのに。
「彼は、どこに……?」
立ち止まった村長たちに問いかけようとして、彼らの視線の先に在るものに目を留めた。
群生する草花の中に、何かがある。小さな石造りの人工物だ。
(……お墓?)
そうだ、そうとしか見えない。セリアの両親が葬られた時に作られた物と、同じ形だ。
でも、こんな所にどうして在るのだろう。ここは墓地でもなんでもないのに。
風に揺れて、若草色の波が踊る。思わず一歩を踏み出し――そうして、セリアの瞳が『それ』を捉えた。
「……え?」
実戦の中で鍛え上げられた超人的な視力が、墓石に刻まれた文字を正確に読み取っていた。
読み取って、しまった。
息が止まる、心臓が止まる。比喩では無しに、そう感じた。
何故なら、あれは。あの表面に記された『名』は――
「――い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
駆け出す、駆け寄る。何十歩もの距離を一息で走破し、セリアは墓標にすがりついた。
「なんで、なんでぇぇぇ!? どうして、どうしてよっ!? なんでここに、この名前がっ!」
掻き毟るように、墓石に爪を立てる。
剣聖の膂力は凄まじい。石の端をこそぎ取るようにして穿ち、破片と共に血しぶきが舞い踊った。
「セリアさん!? 落ち着いてくださいっ!」
背後から押さえつけられるが、半狂乱となったセリアには通じない。
それでも辛うじて残った理性が、聖女を害しようとする腕の動きを制止する。
「なんでここに、アルの名前が刻まれているのよっ!?」
間違いない、この村の住人に他にその名は存在しない。
この下に、アルが居る? 葬られている? 死んでしまっている!?
「どういう事なのよっ!? 話してよっ!! 話せっ!!」
「セ、セリア……!?」
突然に掴みかかられ、ノアが慄くようにのけ反った。
あの墓石のように肩が削り取られるのでは――という恐怖がその瞳に宿るが、しかし。それはすぐに怪訝な色へと揺れる。
「お、お前」
彼の視線はセリアの右腕に注がれている。長袖で隠していた『モノ』が、混乱に乗じて姿を見せていたのだ。
「その腕、は……?」
ノアの肩は、片手一つで抑え込まれている。何故なら、もう一つは存在しないからだ。
セリアの右手――肘から先は、腐り落ちて無くなっていた。
「それに、その片目……っ!」
その呟きを耳にして、セリアは遅まきながら秘密が露呈した事に気づく。
髪を振り乱してしまった事で、腕だけでなく右目すらも露わになっていたのだ。
「あ、これは……」
慌てて隠そうとするも、もう遅い。完全に見られてしまった。
「セリア、そなたは片手と片目を失っておったのだな……」
村長が、やり切れなさそうに首を振る。
「儂等に話してくれんかね、セリア。何か事情があるのだろう?」
「そ、村長……」
「お前さんは昔から、嘘を吐くのが下手じゃったからなあ……」
ノアもハッとして、セリアを凝視している。その手がわなわなと震えているのを見て、セリアは力なく項垂れた。
「……セリアさんに残された時間は、もう長くはないのです」
「ミラ様……っ!」
セリアが慌てて声を上げると、聖女は両目を瞑ってゆっくりと首を振った。
「申し訳ありません、セリアさん。けれどもう、この方々に隠し通すことはできないかと」
「う……」
――彼女の言うとおりだった。もはや言い繕うことはできそうもない。
そも、昔からセリアは彼の前でウソを貫き通せた覚えが無かった。
もしかしたら、こうなる事は必然だったのかもしれない。
そう。帰郷を決めたその時から、きっと――
「ドジっちゃったの。アイツをぶった切った時、呪いみたいのがパーって広がって、それを避けきれなくて……」
今でもあの光景は、夢に見る。滅びの寸前だった邪神から放たれた、どす黒い閃光。
それが視界を真っ黒に灼き上げた、あの瞬間を。
「……いえ、違います。セリアさんは私たちを庇ってくれたのです。彼女は魔剣を振るい、その技を持ってほぼ全ての呪詛を防ぎきってくれました。そのおかげで私たちは皆、五体満足で……!」
無念そうに眼を閉じたまま、ミラが声を震わせる。
あの時、倒れ伏したセリアへ真っ先に駆け寄ってくれたのが彼女であった。
あんなにも悲痛に、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくった聖女の顔を、セリアは見た事が無い。
「お前、それじゃあ……」
「……うん。見た目はあまり傷とか無いんだけどね。体の中身がもう、ボロボロなんだ」
外傷が殆ど無かったのだけは救いであった。片目と片腕こそ腐り落ちたが、その他は綺麗なまま。
だからアルに会える、会えてしまうと思った時、セリアは密かに安堵したのだ。
最期に、綺麗な姿を彼に見てもらえる――と。
「……ねえ、アルは?」
なのに、どうして。どうして肝心の彼が、幸せになって欲しいと願った最愛の人が。
こんなふうに、冷たい土の下で眠っているの!?
「……黙っていてすまぬ。彼は、半年前に亡くなったのじゃ」
「はんとし、まえ……」
それはセリア達が邪神を打ち倒したのと、同じ頃だ。
「ひどい、死に様だった」
ノアが目をぎゅっと瞑り、体を震わせた。その時の光景を思い返しているのだろうか。
「……肉が崩れて、全身が血にまみれていた。腐り切った臭いが立ち込める中、アルは、アルは……」
「な……!?」
「必死で、必死でここまで這いずって来たんだろう。俺が見つけた時にはもう……」
絞り出すようなその声に、セリアは頭をぶん殴られたような衝撃を受ける。
なんで、どうしてアルが? 魔物に襲われた? でも、他に被害があったようにも――
「もしや、魔物に……?」
同じことを思ったのだろう。ミラがそう問いかけるもしかし、ノアは首を振った。
「違う。アイツはセリアが旅立ってから、おかしくなっちまったんだ」
「え……?」
「生傷が絶えなくなり、家にこもりがちになり――そうしてある日、アルは血の海に沈んでいたんだ」
ノアの表情は真っ青で、幽鬼のごとく血の気が失せていた。
「片腕が、無くなっていた。間違えて毒物を取り込んだから切り落とした――なんてアイツは言っていたが、とてもそうとは思えなかった」
「片腕……」
ぶるりと怖気に身を委ねるノアを見ながら、ミラがつぶやく。
「その後も、アルは度々に重傷を負うようになっていったんだ。何が起きているのか、サッパリ分からなかった。でも、アイツはただ……」
「ただ、なに!?」
「……セリアの、名前を。それだけを呟いて――」
なんだそれは、なんなんだそれは。いったい、彼の身に何があったというのか。
完全に混乱するセリアであったが、傍らに寄り添う聖女は冷静さを失っていなかった。
「あの、ノアさん。アルさんが失った腕というのは右ですか?」
「あ、ああ……確かそうだ」
「それはいつのことです? 季節は?」
なんだ、彼女は何に気付いたのだ。目を瞬かせるセリアを他所に、ミラの表情が硬く険しく変じてゆく。
「あれは、確か……そう、二年前だ。寒い冬の日だったように思う」
「二年前の、冬……!」
両眼を見開き、聖女が慄く。青ざめたその顔からは、常に無い動揺が感じられた。
ミラらしくもないその仕草に、セリアの頭が冷えてゆく。
(……なんだろう。二年前、二年前の冬といえば――)
――そうだ、思い出した。
確かあの時、とセリアは記憶を探り出す。
そう、自分達は氷雪吹き荒れる山中で、邪神の先兵と剣を交えていたはずだ。
「セリアさん、あの雪山で遭遇した魔将を覚えていらっしゃいますか?」
「はい、あれは忘れられませんよ。無数の腕に剣を携えた、恐ろしい相手でしたね……」
繰り出す斬撃は変幻自在。雨あられと降り注ぐ剣を、セリアは必死で躱したのを思い出す。
「あの時、貴女は右腕に斬撃を浴びましたね?」
「え、ええ……そういえば」
そうだ、避けきれずに受けた一撃。あれはもう、腕を斬り飛ばされると覚悟した。
しかし、結果は無傷。当たり所が良かったか、それとも剣聖スキルの加護によるものか。
無意識の内に剣戟を受け流していたのだろうと、セリアも仲間たちも結論付けた。
「……あ、れ?」
奇妙な符号が脳内で火花を散らす。
二年前、セリアは右腕を失いかねない一撃を受けた。けれど全く支障は無くて。
そして、アルは同じ頃に右腕を――
「ノアさん、私の質問にお答えください。そして可能な限り、当時の状況を思い出してくださいませ」
「あ、ああ……」
「では、まず――」
そうして、ミラはひとつひとつ事例を挙げる。
溶岩の漂う地で巨人と戦ったこと。稲妻が閃く空中都市での竜との死闘。
そこでセリアが負った『はず』の怪我、その部位を考えられる限りに聖女が並べてゆく。
「……これも、同じ」
ひとつそれが噛み合うたびに、セリアの中に言い知れぬ不安と恐怖が湧き上がってゆく。
まさか、そんな馬鹿な。あれは、スキルの加護では無かったのか。
「ど、どういう事なんだ!? なんでアルの負った傷とセリアのそれが一致するんだよ!?」
「これは、まさか」
ミラの顔からは完全に血の気が失せていた。先ほどのノア以上に、その美しい顔は青ざめている。
きっと、自分も同じ表情をしているだろうと、セリアは思う。
何故なら、それらが示す事実が確かなら。彼は、アルは。
「……サクリファイス」
ぽつり、と。村長が呟いたのはその時だった。
「そ、んちょう?」
喉がカラカラに乾いている。唾液すら生じず、声が上手く出てこない。
老村長はそんなセリアを痛ましそうに見ながら、そっと目を伏せた。
「アルが授かったスキルの……本当の名じゃよ」
「え?」
なんだそれは、なんなんだそれは。まるで予想だにしない事実に、セリアは言葉を失った。
「すまん、セリア……! 成人の儀のあと、アルから止められておったのだ。絶対に誰にも話さないで欲しいと、秘匿して欲しいと。さもなければ、失われてしまう――と」
「う、失われるって……なにが」
セリアのその問いに応じたのは、村長では無かった。
「やはり……やはり、そうでしたか」
「ミラ様?」
「なんという、残酷な……こんな、こんなことって」
声を――いや、全身を震わせるように慄かせ、ミラが目を閉じる。
「ミラ様、なにか分かったのですか!? アルは、アルはいったい……っ!」
「それ、は」
眉根を寄せ、苦しそうに聖女は首を振る。
恐らく、彼女は知っている。セリアの幼馴染の死因と、その原因を。
「教えてください! お願いします、お願いします……っ!」
ミラの様子は明らかにおかしい。もしかしたら、そこに恐ろしい真実が隠されているのかもしれない。
けれどもセリアはなりふり構わず、聖女の胸へと縋り付いた。
「……邪神との決戦後、私はセリアさんの治療法を探るべく、様々な文献を調べました。古今のあらゆるスキルを伝承や民話に至るまで目を通し……そして、その中に『それ』はあったのです」
たどたどしく途切れ途切れに言葉を紡ぐミラを前に、セリアは不意に眩暈を覚えた。
――聞いてはいけないと、何故かセリアはそう思った。
自分で教えてくれと、たった今そう願ったにも関わらず、真逆の危機感が背筋を痺れさせてゆく。
この先の真実を知れば、きっと自分は後悔する。
けれど、体は石のように動かず固まり、耳を塞ぐことすらできなかった。
「サクリファイス、それは恐らく――指定した対象に及んだ傷や呪いを、そのまま自分に移すスキルです」
「……っ!?」
「名も発動条件も、残されてはいませんでした。ただそこに、失敗例が記されているだけで」
失敗例? それはどういう意味なのか。
そんなセリアの疑問をしかし、ミラは正確に読み取ったようだ。
「――代価を、報いを得るべからず。真実の口を開いてはならぬ。称賛を欲さず、望みを抱かず。ただひたすらに身を捧げよ。献身とはすなわち、無償の愛である」
「それ、は」
「人の身では不可能であったと書かれていました。そんなものを耐えきる事はできない、と」
当たり前だ。献身にも限界はある。
助けた人に褒められもせず、知られることも無く。ただひたすらに苦しみだけを押し付けられる?
そんなことは無理だ。
そう、無理なはずなのに。
けれど、それができてしまう人間を――セリアは、たった一人だけ知っていた。
「アルは、アルは……そんな、うそ……」
膝が笑う、力が抜ける。立っていられず、セリアはその場にへたり込んだ。
だって、それが本当ならば。そんな残酷な事が真実ならば。
――アルを殺したのは……あたし、なの?




