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前編



 満天に輝く星空の下、少女は丘へ向かって歩いていた。


 一歩、一歩。踏みしめるようにして足を前へと動かす。

 ここへ来るのはもう、今日で最後になるかもしれないから。


「あ……」


 なだらかな斜面の上、やがてそこに彼女は人影を見出した。


「……っ!」

 

 胸にわだかまる、モヤモヤとした淀みと歪み。それを振り切るようにして少女は駆け出す。


「――アルっ!!」


 居た、やっぱり居た。彼はここに、居てくれた!

 それが少女は嬉しくて仕方がない。


「やあ、セリア。もう宴は終わったのかい?」


 のっそりとした動作で体を揺らし、彼は笑う。

 その足元まで駆け寄ると、少女――セリアはアルを見上げた。


 彼の背丈も体格も、村では一番だ。筋肉が付きやすい家系らしい。

 セリアは大木のようにがっしりとした、彼の足や太い腕を見る。

 当たり前だが力も強いし、ケガの治りだって異常なほどに早い。恵まれた体の持ち主――では、あるのだが。


 けれど彼は争いを好まない。誰かを傷つける事を嫌うのだ。

 だから、かもしれない。彼が選ばれず、セリアが『それ』を授かったのは。


「抜け出してきちゃった。みんな酔っぱらってばかりで、話にならないんだもの」

「あはは、嬉しいんだよきっと。なにせこの村から伝説のスキル保持者が現れたんだから」

「……うん」


 ――この世界の人間はだれしも、十六歳になったその時に儀式に臨む。

 成人の儀と呼ばれるその日に、神から『技能スキル』を授かるのだ。


 それは魔術や武術の才能であったり、特殊な能力の発現であったりと千差万別。

 セリアとアルもつい先日にめでたく成人を迎えて共に儀式に臨み、そうして、彼女は『それ』を得た。


「アルは、えっと……薬草を見分ける才能、だったんだよね?」

「……うん。薬師の俺に相応しいだろ?」

「確かに、アルらしいね。それに比べてまさか、まさかだよ。あたしが『剣聖』になるなんて――」



 ――剣聖。それは数多のスキルの中でも、別格といえる隔絶した才能。

 それを天から授かった者は、大いなる宿命を背負うという。



「聞いたよ。王都の方に、勇者様が現れたんだってね。『聖女』や『大賢者』のスキルを授かった方々も……」

「……そうだね、そうらしいね」



 ――数百年に一度、邪なる神が蘇る。神に選ばれし者たちは、異界よりいでし勇者と共にこれを討つだろう。


 それは、小さな子供でも知っている伝説だ。けれどもまさか、現実に起こるとは誰も信じていなかったに違いない。


 しかし兆候は現れた。近年、増え始めた魔物災害。

 古代に封じられたとされる竜や巨人が復活し、各地で暴れまわり出したのだ。


「えへへ、夢が叶っちゃったなあ。毎日毎日、剣を振っていた甲斐があったね!」


 えっへんと胸を張り、セリアはそうおどけて見せた。

 勇者と、それに連なる選ばれし者たち。彼らに憧れてごっこ遊びをする子供は多い。

 セリアもまた、その一人であった。


「懐かしいなあ。小さな頃からここで、一緒に遊んだよね。セリアは昔からお転婆で、俺を良く追い回してたっけ」

「う」


 痛い所を突かれた。恥ずかしい、顔から火が出そうだ。

 小さい頃のセリアは向こう見ずな子であった。剣聖様のお通りだ―!などと吠えて、幼馴染の彼をいつも引きずり回していたのだ。


「あの頃から俺は、君のことが好きだったよ」

「え……っ」


 不意に告げられた言葉に、息が止まりそうになる。


 月明かりに照らされた幼馴染の顔は、いつもと違って見えた。

 常と同じ柔和な笑みを浮かべてはいるが、その瞳は怖いくらいに真剣そのもので――


「あ、あ、あたしも……っ!」


 だから、セリアも勇気を出せた。

 心に秘めていた想いを打ち明けようと決意できたのだ。


「あたしも、アルが好きっ! 大好きっ!」


 多分いま、自分の顔は真っ赤になってる。ひょっとしたら涙も浮かべているかもしれない。

 でも言うんだ、と。セリアは長年積もりに積もった恋心を開放する。ぶちまける。


「だから、えっと! あたしが邪神をぶった切って帰ってきたら――結婚してっ!!」


 言った、言い切った。一世一代の告白をやってのけた!


 興奮のあまりに鼻息を荒くしながら、恐る恐るとアルを見上げる。

 すると、どうだ。幼馴染の少年は目を丸くして、困ったように視線を揺らしていた。


 ――え? 失敗? あたし、やらかした!?


 どうしよう、もっと雰囲気とか考えるべきだったか。オロオロとするセリアにしかし、アルは微笑みを返してくれた。


「……それ、俺が言おうと思ってたんだけどね」

「えっ」

「ほら、これ」


 いつの間にか、アルの手に何かが握られていた。

 目を凝らして見ると、それが薬草であると分かる。

 当てれば傷の治りを早め、煎じれば熱病に効く万能薬。


 この村ではありふれた、なじみ深いもの。

 月光に照らされ若草色に輝くそれを、アルはセリアの薬指へと巻き付けてゆく。


「あ……」

「セリアが帰ってきたら、ちゃんとした指輪を渡すよ。だからこれは、それまでの代わり」

「ア、ル……」

「俺もこうして……ほら、指に巻いとくからさ。お揃いだね」


 胸が詰まって何も言えない。感極まるとは、これなのか。

 涙が後から後から溢れて、止まらない。


「何があっても君を愛してる。結婚しよう、セリア」

「あ、あうあぁぁぁぁ!!」


 もう、言葉にならなかった。

 泣きじゃくりながら最愛の幼馴染に抱き着き、セリアはわんわんと声を上げる。

 

「がらだに、ぎをづけでねえええ!」

「それはセリアの方でしょ」

「だっで、アルがじんばいなんだもん!! アルはやざじいがら!」


 そう、そうなのだ。彼は優し過ぎるのだ。

 自分たちは二人とも、流行病で両親を亡くしている。天涯孤独の身だ。

 だからセリアは強くなろうとして、そしてアルは――異様なほどに献身深くなってしまった。


 幼い頃から病を知らず、誰よりも頑丈で強くたくましい体。それをまるで憎むように、他人へ奉仕し続けたのだ。

 親から継いだ薬師の仕事。頼られれば昼も夜も無く、すぐさまに駆けつける。寝る間すら惜しむほどだ。


 そんな彼がセリアは大好きで――同時に、大きな不安を感じていた。


「ねえ、アル」

「なんだい、セリア?」

「もしも――」


 ――もしも、私が帰って来なかったら。あなたは自分の幸せの為に生きて。


「……ううん、なんでもないっ!」


 その一言を、セリアは言えなかった。それを口に出したら、不安が的中してしまうかと思って。


 だから、その代わりに少女は笑う。満面の笑みで、自分は幸せだとそう告げるために。


「絶対、無事に帰ってくるから。約束するから」

「うん、うん……」


 そうして二人は顔を上げて笑い合う。

 いつもそうしていたように、子供の頃と同じように。なんの不安も憂いもないと、そう告げるように。


 やがて二人はふざけ合い、あれこれと思い出を語りながら言葉を尽くす。

 別れを惜しむように、逢瀬を少しでも伸ばすように。


 星明かりが瞬く丘の上、恋人たちの楽し気な笑い声が響き渡る。


 いつまでも、いつまでも――



☆    ☆    ☆ ☆  ☆



 ――馬車の傾く音で、セリアは目を覚ました。


「ゆ、め……?」


 そうだ。懐かしい、とても懐かしい夢を見ていたらしい。

 あれはもう、何年も前の光景だ。誰よりも大切だった幼馴染の彼と誓った、あの――


「セリアさん、大丈夫ですか?」

 

 呆けた頭でぼうっとしていると、隣から声が掛けられた。

 ふわりと揺れる、長く美しい金の髪。乱れるそれを構いもせず、彼女はセリアの頬へと手を触れた。


「ミラ様……?」

「はい、ミラです。顔色が優れませんね。少し休憩をしましょうか」

「いえ、大丈夫です。早く済ませてしまいたいので」


 心配げに顔をしかめるミラに、セリアは微笑みを返す。

 

 瞬間、臓腑の奥に引き攣れるような痛みを感じ、思わず手で腹を抑えようとして――


(――っと、こっちはもう無いんだっけ。慣れないなあ)


 利き手だった右腕を引っ込め、もう片方の腕を伸ばして腹をさする。

 

 そうしているうちに、腹部へ暖かな光が輝き始めた。同時に、痛みが少しずつ和らいでゆく。

 視線の先にあるのは、細くしなやかな指先。ミラが治療魔法を掛けてくれたのだろう。


「すみません、ミラ様。いつもいつも、申し訳なく……」

「言わないでください。貴女は何も謝る必要はありません」


 悲痛な色を宿しながら、それでもミラは微笑む。慈愛に満ちたそれは、まさしく『聖女』のもの。


「……セリアさん。お気持ちは、やはり変わりませんか?」

「はい、向こうに送った手紙の通りです」

「……っ!」


 何かを堪えるように下唇を噛むミラに、申し訳なさが募る。

 戦後の処理で忙しいだろうに、彼女はこうしてセリアの里帰りに同行してくれたのだ。

 どれほどに感謝の言葉を積み上げても足りない。彼女に出会えた事はまさに、神の思し召しと言って良いだろう。


「村は……無事なんですよね」

「……はい、そのように聞いておりますよ。近隣の村々も含め、大きな被害は出ていないそうですわ」

「そう、ですか」


 ならいい、それならいい。

 改めてそれを確認し、セリアは大きく息を吐き出した。後は自分が、終わらせるだけだ。


 すると、車輪が石を跳ねのける音と共に、馬のいななき声が響く。

 どうやら峠に差し掛かったらしい。すると、故郷へはもうすぐのはずだ。


 揺れる馬車の勢い、それに身を任せてセリアは窓へと目を逸らす。


 ぼんやりと映るそれには、今の自分の姿が見えた。


 自慢だった赤い髪。彼が綺麗だと言ってくれたそれは、昔よりも長く伸び、右目を覆い隠している。


 ――今のあたしを見たら、アルはどう思うかな?


 自嘲気味に首を振り、セリアは苦笑する。

 情けない。どこまで未練がましいのだ。自分に、そんな感傷を抱く資格は無いのに。


「あ……」


 窓の外に広がる青い空。

 雲を横切るようにして、一羽の鳥が飛んでゆく。

 

 舞い落ちる羽を見ているうちに、きぃんと耳鳴りがした。


『ねえねえ、アル! トリっていいよね! あたし、トリになりたいなっ!』

『え、そうかなあ? お空からおっこちたらコワいし、ヤダなあ』


 遠い昔に『彼』と交わした会話が、脳裏に蘇る。


『もー! アルのよわむしっ! トリには羽があるからヘイキなのっ!』

『なんでそんなに、トリさんになりたいのさ?』

『それは、だって――』


 その会話をはっきりと思い出し、低い苦笑が漏れる。

 そうだ、子供の頃のセリアはそうだった。いつも無茶な事ばかりを言って、『彼』を困らせていたっけ。

 

 ――あの頃のあたしは、どうして鳥になりたかったんだっけ?


 そこから先が、上手く思い出せない。記憶が霞んで曖昧だ。

 確かあまりにもグズる『彼』を説得しようと、セリアは――


「……セリアさん?」

「ああ、いえ……なんでもありません」

「やっぱり、気が進まないのでは?」


 セリアの頬に手を当てながら、ミラが顔を曇らせる。


「いいえ、もう決めた事ですから。私は彼にそう告げます」


 これ以上、彼女へ負担をかけるわけにはいかない。

 セリアは窓から顔を背け、そうしてきっぱりと言い放つ。

 

「……他に愛する人ができました。私の事は忘れてください、って」


 ――そう。セリアは彼との約束を、守る事ができなかったのだから。

 

 

                                                       

     ☆    ☆    ☆    ☆

 

 

 

「……やっと帰ってきやがったか」


 懐かしい、村の入り口。そこに立っていたのは村長と、その息子の姿。

 静かに立つ父親とは別に、彼は肩をいからせている。全身から立ち昇る怒気に、セリアは懐かしさを覚えた。


(……あたしがアルを泣かせたら、いつも怒ってくれたっけ)


 五つ上の、セリアにとっては兄のような存在。確か、数年前に結婚をしたとも聞いた。


「……ノア」

「挨拶も無しかよ。変わっちまったな、お前」


 久しぶりに見た彼は、記憶にあるよりも更に大人びていた。

 家庭を持ち、相応に経験を積んだのだろう。

 セリアとは人間の格が違った。


「ええ、そうよ。私は邪神を倒した勇者パーティーの一人――『剣聖』だもの」

「お相手も、それに相応しい奴だってか? お貴族様か? それともまさか勇者――」


 後ろから、震える気配が伝わる。声に出さずに手でミラを制し、セリアは髪をかき上げた。


「勇者様の名誉に誓って言うけれど、彼とはそんな関係じゃないわ」

「……どうだかな」


 吐き捨てるように俯くノアに、セリアは密かに心を痛めた。

 彼は変わっていない。恐らく、アルの心情に寄り添ってくれているのだろう。


 それが嬉しくて――同時に、とても申し訳なく思う。


「それで、手紙の内容のわけを聞きましょうか。来ないと後悔するって……なに?」


 これ以上は、色々な意味で耐えきれない。

 本題を急かすように、セリアは冷たい視線を彼らへ向けた。

 

「あたしが書いた別れの手紙。その返事を何故か、あなた達が代筆したのよね?」

「ああ、そうだ。俺と親父が書いた」


 忌々しそうに睨みつけてくるノアの、その視線を真っ向から受け止める。


「セリアさ――」


 もどかしそうに前へ出ようとするミラを、再びセリアは押し留めた。


「……そいつは?」

「セリア様の従者ですわ」


 セリアが口を開くより早く、ミラがそう言って頭を下げた。

 伝説の聖女であり、貴族令嬢でもあるミラ。

 彼女にこんな態度を取らせることなど、本来は許されないだろうに。

 

「あたしも、それなりの身分になったって事よ。で、話してくれる? なんであたしをここへ呼びつけたの?」


『――とにかく、帰ってこい。来なければ絶対に後悔する。これは脅しではないぞ』


 理由も書かれず、その言葉だけが繰り返し文面に記されていた。


「早くアルに会わせて頂戴。あたしもね、暇じゃないのよ。王都でやる事はいっぱいあるんだから」

「……分かった。付いてくるといい。彼の所まで案内しよう」


 口を開いたのは、それまで黙り込んでいた村長だ。

 彼は息子と違い、ただじっと二人を見つめていた。


 心まで見透かすようなその視線に耐えられず、セリアは目を逸らす。


「……お願いします」


 尊大な態度を取るべきと分かってはいたが、村長の前だとそうもいかない。

 彼は、両親を亡くしたセリアにとっての親代わりだ。


 結局、自分はなにも成長していない。何も変わっていない。

 伝説の剣聖と称えられたはずの女はしかし、情けなく苦笑する事しかできなかった。



 村長たちの背を追いながら、ひたすらに歩く。

 移り変わってゆく風景を見ているうちに、セリアはふと気付いた。



(この道は、あの場所への……)


 そうか。彼らはあの丘へ向かおうとしているのか。

 恐らく、アルもそこでセリアを待っているのだろう。


 それを想像するだけで、鳩尾の辺りが軋み、喪失感に苛まれる。

 胸の奥に生じた痛みを堪え、セリアは涼し気な表情を保つ。


 ――忘れるな、被害者面をするな。自分には悲しむ権利なんてない。


 そう言い聞かせ、ひたすらに足を動かす。

 三年前の、あの夜を思い出した。あの時もこうして、セリアは丘へと続く道を歩いていたのだ。


(アルに会える、アルに会える、アルに会える……)


 再会の場所へと近づくごとに、抱え込んだ罪悪感とは裏腹に体が熱を帯びてゆく。

 考えちゃいけないと思っているのに、浅ましい喜びの念が込みあがってきた。


(アル、アル……!)


 斜面が緩やかになり、やがて終着点が見えてくる。

 そうだ、あの時もそうだった。そして今も同じく、あそこには見上げるばかりの巨体が――


「――あ、れ?」


 セリアは目を瞬かせた。

 居ない、彼が居ない。何処にも姿が見えない。


 隠れているのか、それともしゃがんでいるのか。

 あれだけの背丈と体格だ。アルが何処にいようと、セリアに見つけられないはずが無いのに。


「彼は、どこに……?」


 立ち止まった村長たちに問いかけようとして、彼らの視線の先に在るものに目を留めた。


 群生する草花の中に、何かがある。小さな石造りの人工物だ。


(……お墓?)


 そうだ、そうとしか見えない。セリアの両親が葬られた時に作られた物と、同じ形だ。

 でも、こんな所にどうして在るのだろう。ここは墓地でもなんでもないのに。

 風に揺れて、若草色の波が踊る。思わず一歩を踏み出し――そうして、セリアの瞳が『それ』を捉えた。


「……え?」


 実戦の中で鍛え上げられた超人的な視力が、墓石に刻まれた文字を正確に読み取っていた。

 読み取って、しまった。


 息が止まる、心臓が止まる。比喩では無しに、そう感じた。


 何故なら、あれは。あの表面に記された『名』は――


「――い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 駆け出す、駆け寄る。何十歩もの距離を一息で走破し、セリアは墓標にすがりついた。


「なんで、なんでぇぇぇ!? どうして、どうしてよっ!? なんでここに、この名前がっ!」


 掻き毟るように、墓石に爪を立てる。

 剣聖の膂力は凄まじい。石の端をこそぎ取るようにして穿ち、破片と共に血しぶきが舞い踊った。


「セリアさん!? 落ち着いてくださいっ!」


 背後から押さえつけられるが、半狂乱となったセリアには通じない。

 それでも辛うじて残った理性が、聖女を害しようとする腕の動きを制止する。


「なんでここに、アルの名前が刻まれているのよっ!?」


 間違いない、この村の住人に他にその名は存在しない。

 この下に、アルが居る? 葬られている? 死んでしまっている!?


「どういう事なのよっ!? 話してよっ!! 話せっ!!」

「セ、セリア……!?」


 突然に掴みかかられ、ノアが慄くようにのけ反った。

 あの墓石のように肩が削り取られるのでは――という恐怖がその瞳に宿るが、しかし。それはすぐに怪訝な色へと揺れる。


「お、お前」


 彼の視線はセリアの右腕に注がれている。長袖で隠していた『モノ』が、混乱に乗じて姿を見せていたのだ。


「その腕、は……?」


 ノアの肩は、片手一つで抑え込まれている。何故なら、もう一つは存在しないからだ。

 セリアの右手――肘から先は、腐り落ちて無くなっていた。


「それに、その片目……っ!」


 その呟きを耳にして、セリアは遅まきながら秘密が露呈した事に気づく。

 髪を振り乱してしまった事で、腕だけでなく右目すらも露わになっていたのだ。


「あ、これは……」


 慌てて隠そうとするも、もう遅い。完全に見られてしまった。


「セリア、そなたは片手と片目を失っておったのだな……」


 村長が、やり切れなさそうに首を振る。

 

「儂等に話してくれんかね、セリア。何か事情があるのだろう?」

「そ、村長……」

「お前さんは昔から、嘘を吐くのが下手じゃったからなあ……」


 ノアもハッとして、セリアを凝視している。その手がわなわなと震えているのを見て、セリアは力なく項垂れた。


「……セリアさんに残された時間は、もう長くはないのです」

「ミラ様……っ!」


セリアが慌てて声を上げると、聖女は両目を瞑ってゆっくりと首を振った。


「申し訳ありません、セリアさん。けれどもう、この方々に隠し通すことはできないかと」

「う……」


 ――彼女の言うとおりだった。もはや言い繕うことはできそうもない。

 そも、昔からセリアは彼の前でウソを貫き通せた覚えが無かった。

 もしかしたら、こうなる事は必然だったのかもしれない。


 そう。帰郷を決めたその時から、きっと――


「ドジっちゃったの。アイツをぶった切った時、呪いみたいのがパーって広がって、それを避けきれなくて……」


 今でもあの光景は、夢に見る。滅びの寸前だった邪神から放たれた、どす黒い閃光。

 それが視界を真っ黒に灼き上げた、あの瞬間を。


「……いえ、違います。セリアさんは私たちを庇ってくれたのです。彼女は魔剣を振るい、その技を持ってほぼ全ての呪詛を防ぎきってくれました。そのおかげで私たちは皆、五体満足で……!」


 無念そうに眼を閉じたまま、ミラが声を震わせる。

 あの時、倒れ伏したセリアへ真っ先に駆け寄ってくれたのが彼女であった。

 あんなにも悲痛に、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくった聖女の顔を、セリアは見た事が無い。


「お前、それじゃあ……」

「……うん。見た目はあまり傷とか無いんだけどね。体の中身がもう、ボロボロなんだ」


 外傷が殆ど無かったのだけは救いであった。片目と片腕こそ腐り落ちたが、その他は綺麗なまま。

 だからアルに会える、会えてしまうと思った時、セリアは密かに安堵したのだ。


 最期に、綺麗な姿を彼に見てもらえる――と。


「……ねえ、アルは?」

 

 なのに、どうして。どうして肝心の彼が、幸せになって欲しいと願った最愛の人が。

 こんなふうに、冷たい土の下で眠っているの!?


「……黙っていてすまぬ。彼は、半年前に亡くなったのじゃ」

「はんとし、まえ……」


 それはセリア達が邪神を打ち倒したのと、同じ頃だ。


「ひどい、死に様だった」


 ノアが目をぎゅっと瞑り、体を震わせた。その時の光景を思い返しているのだろうか。


「……肉が崩れて、全身が血にまみれていた。腐り切った臭いが立ち込める中、アルは、アルは……」

「な……!?」 

「必死で、必死でここまで這いずって来たんだろう。俺が見つけた時にはもう……」


 絞り出すようなその声に、セリアは頭をぶん殴られたような衝撃を受ける。

 なんで、どうしてアルが? 魔物に襲われた? でも、他に被害があったようにも――


「もしや、魔物に……?」


 同じことを思ったのだろう。ミラがそう問いかけるもしかし、ノアは首を振った。


「違う。アイツはセリアが旅立ってから、おかしくなっちまったんだ」

「え……?」

「生傷が絶えなくなり、家にこもりがちになり――そうしてある日、アルは血の海に沈んでいたんだ」


 ノアの表情は真っ青で、幽鬼のごとく血の気が失せていた。


「片腕が、無くなっていた。間違えて毒物を取り込んだから切り落とした――なんてアイツは言っていたが、とてもそうとは思えなかった」

「片腕……」


 ぶるりと怖気に身を委ねるノアを見ながら、ミラがつぶやく。


「その後も、アルは度々に重傷を負うようになっていったんだ。何が起きているのか、サッパリ分からなかった。でも、アイツはただ……」

「ただ、なに!?」

「……セリアの、名前を。それだけを呟いて――」


 なんだそれは、なんなんだそれは。いったい、彼の身に何があったというのか。

 完全に混乱するセリアであったが、傍らに寄り添う聖女は冷静さを失っていなかった。


「あの、ノアさん。アルさんが失った腕というのは右ですか?」

「あ、ああ……確かそうだ」

「それはいつのことです? 季節は?」


 なんだ、彼女は何に気付いたのだ。目を瞬かせるセリアを他所に、ミラの表情が硬く険しく変じてゆく。


「あれは、確か……そう、二年前だ。寒い冬の日だったように思う」

「二年前の、冬……!」


 両眼を見開き、聖女が慄く。青ざめたその顔からは、常に無い動揺が感じられた。

 ミラらしくもないその仕草に、セリアの頭が冷えてゆく。

 

(……なんだろう。二年前、二年前の冬といえば――)


 ――そうだ、思い出した。

 確かあの時、とセリアは記憶を探り出す。

 そう、自分達は氷雪吹き荒れる山中で、邪神の先兵と剣を交えていたはずだ。


「セリアさん、あの雪山で遭遇した魔将を覚えていらっしゃいますか?」

「はい、あれは忘れられませんよ。無数の腕に剣を携えた、恐ろしい相手でしたね……」


 繰り出す斬撃は変幻自在。雨あられと降り注ぐ剣を、セリアは必死で躱したのを思い出す。


「あの時、貴女は右腕に斬撃を浴びましたね?」

「え、ええ……そういえば」


 そうだ、避けきれずに受けた一撃。あれはもう、腕を斬り飛ばされると覚悟した。

 しかし、結果は無傷。当たり所が良かったか、それとも剣聖スキルの加護によるものか。

 無意識の内に剣戟を受け流していたのだろうと、セリアも仲間たちも結論付けた。


「……あ、れ?」


 奇妙な符号が脳内で火花を散らす。

 二年前、セリアは右腕を失いかねない一撃を受けた。けれど全く支障は無くて。

 そして、アルは同じ頃に右腕を――


「ノアさん、私の質問にお答えください。そして可能な限り、当時の状況を思い出してくださいませ」

「あ、ああ……」

「では、まず――」


 そうして、ミラはひとつひとつ事例を挙げる。

 溶岩の漂う地で巨人と戦ったこと。稲妻が閃く空中都市での竜との死闘。

 そこでセリアが負った『はず』の怪我、その部位を考えられる限りに聖女が並べてゆく。


「……これも、同じ」


 ひとつそれが噛み合うたびに、セリアの中に言い知れぬ不安と恐怖が湧き上がってゆく。

 まさか、そんな馬鹿な。あれは、スキルの加護では無かったのか。

 

「ど、どういう事なんだ!? なんでアルの負った傷とセリアのそれが一致するんだよ!?」

「これは、まさか」


 ミラの顔からは完全に血の気が失せていた。先ほどのノア以上に、その美しい顔は青ざめている。

 きっと、自分も同じ表情をしているだろうと、セリアは思う。

 何故なら、それらが示す事実が確かなら。彼は、アルは。


「……サクリファイス」


 ぽつり、と。村長が呟いたのはその時だった。


「そ、んちょう?」


 喉がカラカラに乾いている。唾液すら生じず、声が上手く出てこない。

 老村長はそんなセリアを痛ましそうに見ながら、そっと目を伏せた。


「アルが授かったスキルの……本当の名じゃよ」

「え?」


 なんだそれは、なんなんだそれは。まるで予想だにしない事実に、セリアは言葉を失った。


「すまん、セリア……! 成人の儀のあと、アルから止められておったのだ。絶対に誰にも話さないで欲しいと、秘匿して欲しいと。さもなければ、()()()()()()()――と」

「う、失われるって……なにが」


 セリアのその問いに応じたのは、村長では無かった。


「やはり……やはり、そうでしたか」

「ミラ様?」

「なんという、残酷な……こんな、こんなことって」


 声を――いや、全身を震わせるように慄かせ、ミラが目を閉じる。


「ミラ様、なにか分かったのですか!? アルは、アルはいったい……っ!」

「それ、は」


 眉根を寄せ、苦しそうに聖女は首を振る。

 恐らく、彼女は知っている。セリアの幼馴染の死因と、その原因を。


「教えてください! お願いします、お願いします……っ!」


 ミラの様子は明らかにおかしい。もしかしたら、そこに恐ろしい真実が隠されているのかもしれない。

 けれどもセリアはなりふり構わず、聖女の胸へと縋り付いた。


「……邪神との決戦後、私はセリアさんの治療法を探るべく、様々な文献を調べました。古今のあらゆるスキルを伝承や民話に至るまで目を通し……そして、その中に『それ』はあったのです」


 たどたどしく途切れ途切れに言葉を紡ぐミラを前に、セリアは不意に眩暈を覚えた。


 

 ――聞いてはいけないと、何故かセリアはそう思った。


 自分で教えてくれと、たった今そう願ったにも関わらず、真逆の危機感が背筋を痺れさせてゆく。

 この先の真実を知れば、きっと自分は後悔する。

 けれど、体は石のように動かず固まり、耳を塞ぐことすらできなかった。


「サクリファイス、それは恐らく――指定した対象に及んだ傷や呪いを、そのまま自分に移すスキルです」

「……っ!?」

「名も発動条件も、残されてはいませんでした。ただそこに、失敗例が記されているだけで」


 失敗例? それはどういう意味なのか。

 そんなセリアの疑問をしかし、ミラは正確に読み取ったようだ。


「――代価を、報いを得るべからず。真実の口を開いてはならぬ。称賛を欲さず、望みを抱かず。ただひたすらに身を捧げよ。献身とはすなわち、無償の愛である」

「それ、は」

「人の身では不可能であったと書かれていました。そんなものを耐えきる事はできない、と」


 当たり前だ。献身にも限界はある。

 助けた人に褒められもせず、知られることも無く。ただひたすらに苦しみだけを押し付けられる? 

 そんなことは無理だ。

 

 そう、無理なはずなのに。


 けれど、それができてしまう人間を――セリアは、たった一人だけ知っていた。


「アルは、アルは……そんな、うそ……」


 膝が笑う、力が抜ける。立っていられず、セリアはその場にへたり込んだ。


 だって、それが本当ならば。そんな残酷な事が真実ならば。


 ――アルを殺したのは……あたし、なの?

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