後編
「……なにも変わっていないのね」
薄闇の中に浮かび上がる家具や小物をぼんやりと見つめながら、セリアは声を漏らした。
窓から差し込む僅かな月明りが、主の居なくなった部屋をまざまざと映し出している。
「手紙も、なにもないの? 残ってないの?」
「……ああ。アイツは何一つ書き残さなかった。本当に、何も」
疲れたように肩を落とし、ノアが答える。その声には、力もなにもかもが抜け落ちているように思えた。
「……ただ、アルの亡骸の傍には、何かを書こうとした痕があった。両手が無いから歯とかで、必死にそうしたんだろうな。掠れてぐちゃぐちゃで、全く読み取れなかったが――確かにあれは、文字だったと思う」
「そう……」
絞り出すようなその声に、セリアはぼんやりとしたまま返事をする。
――あの丘の上で、どれほどの時間を過ごしたろうか。
空が紅に染まり、日が落ち――そうしてやっと、セリア達は動き出した。
『――アルの家に行こう』
誰からともなくそう言いだして、一行はのろのろとした足取りで、この場所へとやってきたのだった。
「あたしは、何も知らなかった。剣聖の加護だなんだってそう信じ切って、馬鹿みたいに剣ばかりを振るって……」
「セリアさん……」
作業台に手を触れ、そっと表面をなぞる。
ああ、そうだとセリアは思い出す。この台の前に彼は座し、薬草を煎じていたっけ。
「アルは、ずっと一人で戦っていたのに」
償えない、全てがもう遅い。
「セリア、お前があの手紙を出した理由は」
「……アルの負担になりたくなかったの。彼はきっとあたしの残りの人生の、その全てを背負っちゃうから」
村で末期の病に倒れた者が出た時も、そうだった。
さして面識の無い男に、アルは不眠不休で寄り添って、その最期を看取った。
普段、ほとんど会話をしなかった相手ですら、それほどの献身を傾けるのだ。
もしも、セリアに対してならば――そんな事、想像もしたくなかった。
「あたしは、もう数年と生きられない。なのに弱っていく体を見せ続けて、何から何まで世話をかけて……そんなの、ダメだと思ったの」
きっとアルは引きずる。もしかしたら後すら追うかもしれない。そんな恐怖が在った。
決して自惚れではない。彼の性格も、その自己犠牲心もセリアは良く知っていたのだ。
精魂尽き果て、その命すら幼馴染のために燃やし尽くしてしまうかもしれない。
ならば、いっそ。彼に憎まれ嫌われようと――
「アルにね、幸せになって欲しかったの。あたし達が救ったこの世界で、誰か他に素敵な人と、しあわせ、に……」
なのに、結果はこれだ。最初から、すべてが空回りしていたのかもしれない。
「……なんで、だよ」
精気が抜け落ちた声で、ノアが呟く。
「なんで、こうなっちまったんだよ。アルもセリアも、誰も悪くないだろ……? だって互いに互いを思いやっていた、それだけじゃないか」
膝から崩れ落ちるように手を床へと付き、青年はやりきれなそうに拳を震わせた。
「こんなの、こんなのないだろ……? これじゃ、あまりにもこいつ等が……」
「……ノア」
「すまねえ、セリア……! 事情も知らずに俺は、俺は……」
年の離れた息子を抱き起こし、村長が顔を上げた。
「すまん、すまんなセリア。わし等を許せとは言わん。あの手紙を送るのもな、だいぶ迷ったんじゃ。アルの遺言ともいえるものを、無碍にしてよいものか、と」
「……アルさんが亡くなられた時点で、サクリファイスの効果は消えていたはずですわ」
それが何の慰めにならないとしても、言わずにはいられなかったのだろう。
体を震わせながら、聖女はただゆっくりと首を振った。
「……外にいます。私にはここへ居る資格がないと、そう思いますから」
セリアの背をそっと撫で、そしてミラはノアと共に部屋から出て行った。
残されたのは、セリアと村長の二人だけ。
重苦しい空気が漂う中、ただ無言で向かい合う。
「……あたし、間違ってたのかな」
ぽつりと、セリアは呟く。
「あの時、邪神の呪詛に切り込んだ時ね、皆を庇わなきゃ! 守らなきゃ――って、思ってたの。あれは正しい事だったって、ずっと言い聞かせてた」
それは決して、皆の前では口に出せないことだった。
「もし、あたしが『ああ』しなかったら、皆は無事ではいられなかった。誰かが死んじゃってたかもしれない。でも、それでも……」
アルは、アルの命だけは助かったかもしれない。
最悪の思考、吐き気がするほどの身勝手さ。それに苦しみながらも、セリアの口は止まらない。
「全部、全部……あたしのせいだっ! あたしがアルを、アルを――!!」
「なあ、セリアや」
ぽん、と。頭に手が置かれる。皺が寄ってごつごつとした指の感触に、セリアは懐かしさを覚えた。
悪戯をしたとき、両親の事を思い出して寂しくなったとき。彼はこうやっていつも、自分を慰めてくれたのだ。
「お前さんは、勇者様や聖女様。仲間の方々を、大切な人の所に帰してあげれたんじゃなあ」
「え……」
「皆様はご無事であったのだろう? ならばさぞ、ご家族は喜ばれた事じゃろうて。よくやった、よくやったのう……」
その言葉に、思い出す。涙ながらに彼らに抱き着き、涙を流していた人たちを。
家族や恋人、各々の縁者たちはみな、セリアに心からの礼をささげてくれた。
「お前とアルが成し遂げたのじゃ。二人でやってのけたのじゃよ」
「あ、あ……」
「スキルは、その者の性格や性質、生きざまによって定まると言われておる。セリアはアルの生きる世界を守るため、そしてアルはそんなセリアを守るため――ほんに、似た者同士じゃて」
セリアを労るような穏やかな声で、村長は言葉を紡ぐ。
「お前さんたちは、いつも一緒だったからなあ。今度も二人で一緒に、頑張ったんじゃなあ」
稲妻に貫かれたかのような衝撃が、セリアを襲う。
アルと自分が、二人で? そんな風に考えたことはなかった。
「本当に、本当に――よく、頑張ったなあ……」
「――っ!!」
その許しの言葉が、最後の引き金となった。
セリアは両膝をついて、声にならない声を張り上げた。
枯れ果てんとばかりに涙を流し、ただひたすらに慟哭する。
その背を、村長がそっと撫でてくれた。
いつかの昔、両親を想って寂しがる『二人』に、そうしてくれたように――
☆ ☆ ☆
セリアは結局、村へと留まった。
生まれ故郷に身を埋める決意を固めたのだ。
「どうか、どうかお達者で……っ」
ミラにもそこで、別れを告げた。
悲痛な顔でセリアの介助を申し出てくれたが、流石に聖女様へそこまでさせるわけにもいかない。
けれども、セリアは忘れないだろう。
最後に自分を強く抱きしめてくれた、あの柔らかな温もりを。その深い慈愛と優しさを。
この世界の各地には、未だに戦禍の傷跡が深く刻まれている。ミラならきっと、それを癒す大きな力となるはずだ。
何度も何度も頭を下げる彼女を見送り、そうしてセリアは村での生活を再開した。
住まいはアルの実家を選んだ。ノアたちが掃除や手入れをしてくれていたらしく、暮らすのには何の支障も無かった。
最初は、何をする気にもなれなかった。
ただボーっと、家とアルの墓を往復するだけ。
気力もなにもなく、誰かに声を掛けられても生返事をするだけだった。
「墓の手入れな、セリアに任せても良いかの?」
ある日、村長からそう申し出を受け、セリアはハッとした。
そうだ、なんでそれを思いつかなかったのだ。
自分の愚かさを殴りつけてやりたい気分になる。
あの墓を守るのは、何よりもセリアの役目ではないか!
一も二も無く頷き了承し、是非ともお願いしますと伏して頼み込む。
それから、セリアの日々は少しずつ、少しずつ変化していった。
毎朝、夜明けとともに目を覚まして水を汲み、そうして最愛の人が眠る場所へと足を運ぶ。
「アル、聞こえる? 今日もね、良いお天気だよ……」
石の表面を丁寧に磨き、さらに自身が削り取ってしまった箇所を整えて修復してゆく。
手伝いを申し出てくれた昔馴染みの友人たちには礼を言い、彼らが行う雑事をこちらからも手助けする。ただ、それを繰り返す毎日だ。
けれどもそうしていくうちに会話が増え、ふれあう人の数が増し――やがて彼女の周りに多くの人々が集っていった。
「ねえねえ剣聖さまっ! お話を聞かせて!」
「ええ、いいわよ。今日は何の話からしましょうか」
特に、懐いてくれたのは村の子供たちだ。
セリアが旅立つ前は幼過ぎて、会話もろくにできてはいなかった彼らは、初めて見る伝説の英雄に目を輝かせていた。
冒険の旅のあれこれを、血生臭くなり過ぎないように工夫して話し、そうして拍手と笑顔で祝福される。
自分がそんな賞賛を得て良いものなのかと心苦しくもあったが、それでも子供たちは愛おしく可愛らしく思えた。
その幻想を崩してはならないと、剣を再び手に取ったのは、そんな頃。セリアが村に帰ってから数か月が過ぎた時であった。
魔物の残党が、近くの村へ姿を現し始めた。野盗たちが徒党を組み、近隣を荒らしまわっている。
そんな噂が飛び交い始めたのである。
村の近くに駐屯している兵たちだけでは、手が回らなさそうな事態か、どうなのか。
セリアはそれらの真偽をきっちりと見定め、殲滅すべしと思えば躊躇いなく剣を振るっていった。
「おい、聞いたか!? またセリアが魔物を倒してくれたってよ!」
「すっごいでっかい化け物だったんだろ!? それをあっさりぶった切ってくれるんだから、すげえよな!」
片手と片目を失い、寿命を著しく縮めた体であっても、それでもなお剣聖の力は圧倒的であったのだ。
誰も、その足元にすら及ばない。極限まで鍛え上げられた剣技の前に、あらゆる邪悪は露と消え果てた。
(……本当にあたしは、考えなしだったよね。こんな連中がまだ蔓延ってるのに、村に戻らないと考えていたなんて)
もしも、アルが生きていたとして。その訃報を後で聞いたら?
セリアは後悔の果てに、愚かにも泣き叫んだことだろう。
どれだけ視野狭窄に陥っていたのか。いかに呪いと戦いの日々で摩耗していたとはいえ、どうかしている。
「……きっと、あたしのそんなどうしようも無い部分を、いつもアルが助けてくれてたんだね」
村に帰って来てからセリアは、折に触れるたびにそう思う。
振り返ってみると、厳しい旅の最中、ふとした時に奇妙な温もりを感じることがあったのだ。
心が安らぐような安心感。それはきっと、アルがセリアに与えてくれたものだったのだろう。
それを実感するたびに胸が苦しくなり、息が止まりそうになる。
後悔と罪悪感は、未だに消えない。
それを振り払うため――というわけではないが、セリアは野盗・魔物退治と並行して、村の衆へと剣を教えることにした。
いつか、自分が居なくなったその時。彼らには大事な人を、家族を守れるようになって欲しかったから。
「えっとね、剣を振る時は腕の力だけでするんじゃなくて、重心をこう――」
人に何かを教えるという事は難しく、セリアは度々に頭を悩ませた。
剣の術理を分解して、なるべくわかりやすく。挫折をさせないように苦心する。
それは大変ではあるが、同時にとても楽しい日々であった。
やがてその噂を聞きつけたか、旅の武芸者やセリアに憧れる若者たちが村へと訪れるようになる。
そうしてその中から、正しき心を持って力を振るえる者たちを見定め、彼女は剣技を授けていった。
いつか、何百年かのちに再び邪神が蘇ったとき。その時代の勇者たちの手助けとなり、人々を守れる力となればいいと、セリアはそう願う。
やがて季節がひとめぐりし、新たな春の訪れが見えたころ。
アルの墓へ赴くセリアの顔に、少しずつ笑顔が戻り始めていた。
☆ ☆
聖女ミラを含む旅の仲間たちは、その後も何かにつけて村へと訪れてくれた。
邪神討伐を終えたとはいえ、戦後の処理はまだまだ続く。
彼女たちも多忙であろうに、そんな様子は欠片も見せない。それどころか健やかに日々を過ごすセリアを見て、安堵の笑みを零してくれるのだ。
「セリアの大事な人に、挨拶をさせてくれないか」
何度目かの来訪の際、穏やかにそう申し出たのは、勇者ユートであった。
セリアの仲間たちの中で、その話題が出ることは少ない。皆、どこか後ろめたさを感じているようであった。
躊躇うミラ達を促し、勇者は彼女らと共に丘の上へと立つ。
小さな墓の前で、ユートはしゃがみ込むと、そっと両手を合わせた。見慣れない仕草だが、彼の故郷での習わしなのかもしれない。
勇者は異世界で事故に遭い命を落とし、この地に転生してきたという。信じられないような話であったが、それを語る彼の表情はいつも穏やかであった。
どれくらいそうしていたろうか。
意図を図りかねるセリア達の前で、ようやく勇者は立ち上がり――墓標へ向けて、深々と頭を下げた。
そこにあるのは感謝か、それとも謝罪か。もしかしたらその両方であったのかもしれない。
吐き出される言葉は無く、ただ誠意だけがそこに在った。
やがて勇者はセリアに向き直ると、何かを言いたげに口を動かしたが、やはり形になる声はなかった。
彼は諦めたようにそっと首を振ると、どこか切なげにほほ笑む。
「――さようなら、セリア」
それが、勇者とセリアが交わした最後の言葉。
凜とした足取りで丘から去ってゆく彼が、この村を訪れることは二度となかった。
仲間たちの話によれば、勇者はその後も世界を巡り、戦災で傷ついた人たちの為に尽力しているという。
世界最大の英雄として国家間の調整にまで関わり、今度は人間同士での争いが起きぬように、日夜飛び回っているらしい。
「あの方は勇者なのですわ。悲しいほどに……」
いつだか、ミラがそう零したことがあった。
そんな彼女も、そして他の仲間たちも。それぞれの分野で、人々のために己が知恵と力を振るっているようだ。
セリアは祈る。彼ら皆の幸せを――ともに旅した大切な友達のゆく道に、どうか希望がありますように、と。
そうして季節は何度も巡る。月日は積み重なり、穏やかな時間が過ぎてゆく。
その間も、変化は緩やかに起こり始める。
まず魔物や盗賊の数が次第に減少し、ほぼ姿を見せなくなった。
村の若者たちが立派に成長し、次の世代へと剣の教えを伝え始めてくれた。
何もかもが順風満帆。
神様からのご褒美かと見紛うくらいに、村での暮らしは夢と希望に満ちていく。
やがてセリアは出歩くときに杖をつくようになった。
視界がぼやけて物が見えづらくなり、食事の回数も減ってゆく。剣を振るどころか、握る事さえ難しい。
四度目の冬を迎えるころには、自力では床から抜け出せなくなり、一日の殆どを寝て過ごす事が多くなった。
「今までセリアはとっても頑張ったんだから! なにも気にせず休んでて!」
そう言ってくれたのは、村の女性たちだ。
有難いことにセリアの介助を嫌がりもせず、喜んで引き受けてくれたのである。
――ごめんね、みんな。あたしのワガママを聞いてくれてありがとうね。
そう。満足に身動きが取れなくなっても、セリアはそれでもアルの墓標には欠かさず通い続けた。
ノアや村の人々の助けを借り、彼への想いを重ねてゆく。
そうしてセリアがこの村に帰ってきて、五巡目となる暖かな春を迎えたその日。
ついに、その時はやってきた。
☆
その朝、セリアはとても爽快な気分で目が覚めた。
体が軽い。手足も自由に動く。まるで羽でも生えたかのように、あちこちがふわふわとしていた。
けれど何も驚きはしない。ああそうか、と。微笑みさえ浮かべることができた。
タンスを開き、一枚一枚手に取り眺めてゆく。村の女性たちが繕ってくれた、どれも自慢の逸品だ。
じっくりと選び抜いたあと、その中のひとつを取り出し、体に合わせる。
それは決して派手でも煌びやかなものでもない。ただ、昔セリアが身に着けていた服に良く似ていた。
四肢は細くなり、肉もげっそりと削げ落ちている。着られるか心配だったが、不思議なことにピタリと体に馴染んだ。
そうして鏡台に腰掛け、慣れない化粧を始める。旅の仲間のひとりがプレゼントしてくれたものだ。
使い方もちゃんと習っている。この日の為に、セリアは一生懸命覚えたのだ。
剣を振るよりもよほどに難しいそれを何とか終え、その出来栄えによし、と微笑む。
「セリア!? 起き上がって大丈夫なの!?」
「セリアお姉ちゃん、元気になったんだね!」
「ああ、良かった……! 神のご加護がやっと」
外に出ると、人々が驚きながらもセリアの体調の変化を祝福してくれる。
中には涙を流して喜んでくれる人までいて、少し困ってしまう。
申し訳ないとは思ったが、その理由は口に出せない。
きっと、それを告げれば止められてしまうだろうと思うから。
悲しませてしまうと思うから。
それがセリアの自己満足だとしても、最期に見るのは皆の笑顔でありたかったから。
村の人々の中に、ノアや村長たちの姿は無い。昨夜から、隣村との寄り合いで出かけているのだ。
そういえばミラたちも、いつもならそろそろ訪れる頃合いだろうか。彼らに挨拶ができないのは残念であったが、こればかりは仕方がない。遺してきた書き置きで許してくれればいいと、そう思う。
そうして通りをゆっくりと、セリアは踏みしめるように歩いてゆく。
『かけっこ、競争だよ! よーい――はじめっ!』
『セリア、セリア。ちょっと待ってよ。速い、速すぎるってば!』
川を横切り、水面に反射する輝きを見つめる。
『ほら、あそこっ! お魚がいるよっ! 美味しそう!』
『飛び込んじゃダメだって! 村長さんに怒られるよ!』
思わず笑みが零れる。この村のあちこちに、アルとの思い出があった。
やんちゃで向こう見ず、いつも彼を振り回してばっかりの厄介な女の子。
そんなワガママな彼女を、いつだって見捨てずにいてくれた。
ずっと、ずっと傍で見守り続けていてくれたのだ。
そう、そうだ。風にも土にも水にも、この村の全てに溶け込むようにして、アルの気配があった。
それを全身で感じ、胸いっぱいに吸い込んで、セリアはただひたすらに歩き続ける。
やがて、あの坂を超え――『それ』が見えてきた。
「アル、お待たせ」
それはとても美しい光景だった。
花々が綺麗に咲き乱れ、暖かな日差しがそれらを照らす。
その中心で、彼の墓石が輝いて見えた。
ゆっくりと、ゆっくりと歩み寄り、それに手を置く。
「本当にアルって、肝心なことはだんまりなんだものね」
いつもそうだ。
どれだけ献身を重ねても平気だとばかりに、自分自身の傷や痛みはひた隠す。
「あたしの気持ちだってさ、考えてくれてもいいじゃない」
そう言って口を尖らす。
言いたいことは、文句は山ほどにあった。
「あたしがそれを聞いた時、どんな気分だったと思うのよ。ほんっとうに図体ばっかりデカくて、余計なお世話を焼きまくってさ、ほんっとうに――」
墓石に、額をぶつける。冷たい感触が、肌に心地良かった。
「――バカ、なんだから」
涙は流さない。そんなものはとうに流し尽くしていた。
それに最後の最期くらいはおめかしをして、綺麗な自分を見てもらいたかったから。
「あ……」
力が抜ける、立っていられない。
膝から崩れるようにして倒れ込み、なんとか墓石へと体を寄せる。
震える手に、ふと触れるものがあった。
「この、薬草は……」
あの夜を思い出す。彼が器用に巻いてくれた、約束の指輪。
ずっと大切に身に着けていたのに、戦いの中で千切れて消えてしまった。
セリアはそれを摘み、自身の薬指へと巻き付けようと試みるも――当然、上手くはいかない。
当然か、と苦笑する。片手で出来るものではない。ただでさえ自分は、剣を振る以外は不器用だというのに。
「……アル」
段々と、まぶたが重くなる。目を開けていることも難しい。
「あたたかい、な……」
冷たいはずの石が、どうしてだろう。春の日差しを浴びていたせいなのか。
じんわりとそれは暖かく、セリアの心身にぬくもりを与えてくれる。
それがとても心地良くて、幸せで。
(いいのかな。あたしだけこんな気持ちでいて、いいのかな……)
だから、少しだけ怖くなる。安らいだ心の隙間に、不安が忍び寄ってくる。
アルは、たったひとりであんな無残な最期を遂げたのに、自分はどうだ。
皆に見守られ、祝福されて。穏やかに日々を過ごしてきた。
――彼は自分を恨んではいないだろうか。
同じ呪いを受けたセリアだからこそ分かるのだ。
あれは全身を引き裂かれ、内臓に至るまでが腐り落ちていくような、極限の苦痛。
ほんの一端を受けた自分でさえああなったのだ。
その大部分を引き受けたアルは――どれだけ苦しみ、悶えたろうか。
どんな聖人でも耐えることは叶わない、あれはその類のモノなのに。
誰に称賛されることも、その献身を認められることもなく。
ただ、意味も分からず気味悪がられるばかりで。そんな孤独の中で、彼は。
(アルが、最期に書き残したかったことって、なんだったんだろう……)
怖い、怖くてたまらない。もしも、セリアに対する恨みがそこに在ったなら。
彼の優しさを疑うなんて恥ずべきことだと分かってる。
いや、たとえ仮にそうだとしても、甘んじて受けるべきなのに。
そう考えただけで、震えが止まらない。
「……っ」
もしかしたら、これがセリアへの罰なのかもしれない。静かな最期など自分に相応しくはないのだ。
絶望と後悔の果てで、目の前が真っ暗になってゆく。
堪えなくては、と思うのに。目の端に涙が浮かぶのが分かる。
ああ、まったくもって自分は弱い。伝説の剣聖なんて嘘っぱちだ。本当はいつだって寂しかった。
アルが居てほしい、アルに会いたい、アルの傍でその笑顔を見ていたい。
「ア、ル……」
恐怖におびえながら、それでもその時を迎えようと、セリアが歯を食いしばったその時。
――暖かく、やわらかい何かが指に触れた。
「……?」
誰かが、肩を揺さぶっている。頬に手を寄せ、撫でてくれている。
すぐ傍で聞こえる息遣いに覚えがあった。そのごつごつとした指先に覚えがあった。
「――リア」
そしてその、懐かしい声に。
「――セリア」
セリアは、覚えがあった。
「え……」
まぶたが開く。涙と光で滲んだ視界の向こうに、誰かが居る。
「ごめん、セリア。いっぱい悩ませて、苦しませて」
これは夢か、それとも今際の幻か。
「あ、ああ――」
声が引き攣る。四肢が震える。思考の全てが停止する。
もういい、どうだっていい。夢でも幻でも構わない! 構うもんか!
「――ああああああああああああっ!!」
泣き叫びながら、飛びつく。
頬がふれあい、指先が肌へと張り付く。
間違いない、間違えるはずなんてない!
『彼』は、目の前に居る『彼』は――!
「アル、アルぅぅぅぅ!!」
最期は穏やかに、綺麗に。そんな可愛い考えなど、頭から吹き飛んでいた。
わあわあとみっともなく涙を流し、愛しい彼へとすがりつく。
「ごべんなざい、ごべんなざぃぃぃ!! わぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁん!」
「謝るのは俺の方だよ。泣かせてごめん、独りよがりでごめんなあ」
セリアの背中が、ゆっくりと撫でられる。
あやすように、労わるように。いつも彼が、そうしてくれていたように。
「俺が言いたいことは、一つだけだったんだ。伝えたいことも、それだけだったんだよ」
「う、うん。なに……?」
セリアは覚悟して耳を傾ける。
どんな言葉を吐かれても、全てを受け止めようと、そう思って。
しかしアルは、そんな幼馴染の気持ちを察したように、ゆっくりと首を振った。
「約束だよ」
「えっ?」
「あの夜、ここでした約束さ」
セリアの体が、今度こそ決定的に戦慄いた。
まさか、彼はまさか。腐り落ちた体で、這いずってまでここへ来たその理由は。
「おかえり、セリア」
たった、それだけのために?
その一言を贈るためだけに、彼は――
「バカ、ね……あんたってば、ほんっとうにおバカ」
その言葉はきっと、セリア自身にも跳ね返る。
それが分かってるからこそ、泣き笑いの顔で彼の胸を小突く。
「そんなにあたしと、結婚したかったの……?」
どこまで行っても、自分たちは同じ。子供の頃と何も変わらない。
いつも誰かに迷惑を掛けて、二人でごめんなさいと謝るのだ。
ケンカをしても、次の日には仲直りをして。そうして揃って笑い合う。
「当たり前だろ? だって俺はセリアが好きなんだから」
変わらない、今も昔もなにひとつ変わらない。
生まれた時から、最期の時まで――セリアとアルはずっと、似た者同士の幼馴染なのだ。
「もう、仕方ない人ね」
愛しい人の唇へと顔を寄せ、セリアは喜びの中で幸福を噛み締めた。
後悔は消え、悲しみも何処かへ過ぎ去ってゆく。だって、そうでしょう?
やっと今、ここに――
「……ただいま、アル」
――約束は、果たされたのだから。
寄り合いから戻ったノア達が、彼女を見つけたのはその翌朝の事であった。
「セ、リア……」
呆然とノアはつぶやく。
最初にそれを視界に収めた時、彼らはセリアがただ眠っているものかと思った。
何故なら恋人の墓石に寄り添い、目を閉じた彼女は――この上なく幸せそうに見えたから。
「な、んで……」
剣聖と称えられたその女性は、身動き一つしていない。
まるで幼い子供のようにあどけない顔で、夢見るように微笑んでいる。
「……そうか」
村長が深い息を吐く。
やるせなさを感じる声にはしかし、どこか安堵の色があった。
「そうじゃな、お前たちはいつも一緒じゃったものな。前にも言った通りであったのう」
「親父……?」
戸惑う息子へ頷きを返し、村長はセリアの前に片膝をついた。
「たとえ死であっても、この子達を引き裂くことはできなかったようじゃて」
大したものだ、と。老村長は笑う。
彼はそっとセリアの手を持ち上げ、そうして目を伏せた。
「あ……っ!?」
父が落とした視線の先へと顔を向け――ノアは、思わず声を上げてしまう。
「……なんとなくな、そんな気はしておったよ。だってお前さんは、子供の頃からセリアの事が大好きじゃったからのう。本当に、本当に大好きであったものなあ」
村長は穏やかな表情で『それ』を優しく撫で上げた。
「……ありがとうなあ、アル」
もう、堪えることは出来なかった。ノアもまた膝を付き、滂沱の涙を流す。
周囲に居た村人たちも皆、声を震わせ、そして誰もが嗚咽を零し始めた。
彼らの視線が向けられた先にあるのは、セリアの片手。
鍛錬の結果が色濃く刻まれたそれには今、朝露が輝いている。
そして、その薬指には綺麗に巻かれた、若草色の――『指輪』があった。
「おい、あれ……」
その時、誰かが声をあげた。
同時にバサリという音が跳ね、何かが空へと舞い上がる。
「鳥……?」
そう、それは真っ白な羽をもつ、美しい鳥であった。
それも二羽。つがいであろうか、仲が良さそうに寄り添い合いながら、彼らは翼をはためかせている。
鳥たちはまばゆい日差しを羽に受け、やがて丘の上をゆっくりと旋回してゆく。
悼むように、祈るように。誰かに別れを告げるように――
「おい、ノア。あそこに歩いているのって」
その声を聞き、ハッとしてノアは崖下へと目をやった。村の入り口に向かって、複数の人影が近づいている。
先頭を歩く、純白の法衣を羽織った女性。彼女にノアは見覚えがあった。
同時に鳥たちが羽ばたきながら丘を離れ、そうして聖女たちの真上へと差し掛かる。
気配を感じたか、彼女らはふと顔を上げ――不思議そうにそれを眺めているようだ。
「あ……」
それは、誰の声だったか。
つがいが、鳴いた。それはとても、とても美しい鳴き声であった。
『――だってほらみて、とっても気持ちがよさそうだもの!』
それは、幻聴だったのだろうか。
晴れ渡った空の向こうから、声が聞こえてくる。
『こわくないよ、へいきだよ! あたしがいっしょにいてあげるから!』
『ほんと? ボクがトリさんになっても?』
幼い子供たちの声。泣きたくなるくらいに懐かしい声だ。
『うまれかわっても、セリアはボクといてくれる?』
誰もが呆然とそれを見つめるなか、鳥たちはやがて翼をはためかせ、飛び去ってゆく。
名残を惜しむように、残響だけを後にして。
『うん、やくそくっ! だってあたしたちはさ――』
春の日差しの中で舞い散る羽を、ノア達はただじっと見つめ続けた。
視線の先にはもう『彼ら』は居ない。それでも、願うくらいは許されるだろうか。
比翼のつがいはどこまでも自由に、楽しそうに。
無邪気な幼子たちが、はしゃぎあうように寄り添いながら。
『――ずーっと、ずうぅぅっと! いっしょだよっ!』
蒼い空の向こうへと、羽ばたいていった――
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