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後編


「……なにも変わっていないのね」


 薄闇の中に浮かび上がる家具や小物をぼんやりと見つめながら、セリアは声を漏らした。

 窓から差し込む僅かな月明りが、主の居なくなった部屋をまざまざと映し出している。

 

「手紙も、なにもないの? 残ってないの?」

「……ああ。アイツは何一つ書き残さなかった。本当に、何も」


 疲れたように肩を落とし、ノアが答える。その声には、力もなにもかもが抜け落ちているように思えた。


「……ただ、アルの亡骸の傍には、何かを書こうとした痕があった。両手が無いから歯とかで、必死にそうしたんだろうな。掠れてぐちゃぐちゃで、全く読み取れなかったが――確かにあれは、文字だったと思う」

「そう……」


 絞り出すようなその声に、セリアはぼんやりとしたまま返事をする。

 

 ――あの丘の上で、どれほどの時間を過ごしたろうか。

 空が紅に染まり、日が落ち――そうしてやっと、セリア達は動き出した。


『――アルの家に行こう』


 誰からともなくそう言いだして、一行はのろのろとした足取りで、この場所へとやってきたのだった。

 

「あたしは、何も知らなかった。剣聖の加護だなんだってそう信じ切って、馬鹿みたいに剣ばかりを振るって……」

「セリアさん……」


 作業台に手を触れ、そっと表面をなぞる。

 ああ、そうだとセリアは思い出す。この台の前に彼は座し、薬草を煎じていたっけ。

 

「アルは、ずっと一人で戦っていたのに」


 償えない、全てがもう遅い。

 

「セリア、お前があの手紙を出した理由は」

「……アルの負担になりたくなかったの。彼はきっとあたしの残りの人生の、その全てを背負っちゃうから」


 村で末期の病に倒れた者が出た時も、そうだった。

 さして面識の無い男に、アルは不眠不休で寄り添って、その最期を看取った。

 

 普段、ほとんど会話をしなかった相手ですら、それほどの献身を傾けるのだ。

 もしも、セリアに対してならば――そんな事、想像もしたくなかった。

 

「あたしは、もう数年と生きられない。なのに弱っていく体を見せ続けて、何から何まで世話をかけて……そんなの、ダメだと思ったの」


 きっとアルは引きずる。もしかしたら後すら追うかもしれない。そんな恐怖が在った。

 決して自惚れではない。彼の性格も、その自己犠牲心もセリアは良く知っていたのだ。

 

 精魂尽き果て、その命すら幼馴染のために燃やし尽くしてしまうかもしれない。

 ならば、いっそ。彼に憎まれ嫌われようと――

 

「アルにね、幸せになって欲しかったの。あたし達が救ったこの世界で、誰か他に素敵な人と、しあわせ、に……」


 なのに、結果はこれだ。最初から、すべてが空回りしていたのかもしれない。

 

「……なんで、だよ」


 精気が抜け落ちた声で、ノアが呟く。

 

「なんで、こうなっちまったんだよ。アルもセリアも、誰も悪くないだろ……? だって互いに互いを思いやっていた、それだけじゃないか」

 

 膝から崩れ落ちるように手を床へと付き、青年はやりきれなそうに拳を震わせた。

 

「こんなの、こんなのないだろ……? これじゃ、あまりにもこいつ等が……」

「……ノア」

「すまねえ、セリア……! 事情も知らずに俺は、俺は……」


 年の離れた息子を抱き起こし、村長が顔を上げた。

 

「すまん、すまんなセリア。わし等を許せとは言わん。あの手紙を送るのもな、だいぶ迷ったんじゃ。アルの遺言ともいえるものを、無碍にしてよいものか、と」

「……アルさんが亡くなられた時点で、サクリファイスの効果は消えていたはずですわ」


 それが何の慰めにならないとしても、言わずにはいられなかったのだろう。

 体を震わせながら、聖女はただゆっくりと首を振った。

 

「……外にいます。私にはここへ居る資格がないと、そう思いますから」


 セリアの背をそっと撫で、そしてミラはノアと共に部屋から出て行った。

 

 残されたのは、セリアと村長の二人だけ。

 重苦しい空気が漂う中、ただ無言で向かい合う。

 

「……あたし、間違ってたのかな」


 ぽつりと、セリアは呟く。

 

「あの時、邪神の呪詛に切り込んだ時ね、皆を庇わなきゃ! 守らなきゃ――って、思ってたの。あれは正しい事だったって、ずっと言い聞かせてた」


 それは決して、皆の前では口に出せないことだった。

 

「もし、あたしが『ああ』しなかったら、皆は無事ではいられなかった。誰かが死んじゃってたかもしれない。でも、それでも……」


 アルは、アルの命だけは助かったかもしれない。

 最悪の思考、吐き気がするほどの身勝手さ。それに苦しみながらも、セリアの口は止まらない。

 

「全部、全部……あたしのせいだっ! あたしがアルを、アルを――!!」

「なあ、セリアや」


 ぽん、と。頭に手が置かれる。皺が寄ってごつごつとした指の感触に、セリアは懐かしさを覚えた。

 悪戯をしたとき、両親の事を思い出して寂しくなったとき。彼はこうやっていつも、自分を慰めてくれたのだ。

 

「お前さんは、勇者様や聖女様。仲間の方々を、大切な人の所に帰してあげれたんじゃなあ」

「え……」

「皆様はご無事であったのだろう? ならばさぞ、ご家族は喜ばれた事じゃろうて。よくやった、よくやったのう……」


 その言葉に、思い出す。涙ながらに彼らに抱き着き、涙を流していた人たちを。

 家族や恋人、各々の縁者たちはみな、セリアに心からの礼をささげてくれた。

 

「お前とアルが成し遂げたのじゃ。二人でやってのけたのじゃよ」

「あ、あ……」

「スキルは、その者の性格や性質、生きざまによって定まると言われておる。セリアはアルの生きる世界を守るため、そしてアルはそんなセリアを守るため――ほんに、似た者同士じゃて」


セリアを労るような穏やかな声で、村長は言葉を紡ぐ。


「お前さんたちは、いつも一緒だったからなあ。今度も二人で一緒に、頑張ったんじゃなあ」


 稲妻に貫かれたかのような衝撃が、セリアを襲う。

 アルと自分が、二人で? そんな風に考えたことはなかった。

 

「本当に、本当に――よく、頑張ったなあ……」

「――っ!!」


 その許しの言葉が、最後の引き金となった。

 セリアは両膝をついて、声にならない声を張り上げた。

 枯れ果てんとばかりに涙を流し、ただひたすらに慟哭する。

 

 その背を、村長がそっと撫でてくれた。

 いつかの昔、両親を想って寂しがる『二人』に、そうしてくれたように――




         ☆    ☆     ☆

 



 セリアは結局、村へと留まった。

 生まれ故郷に身を埋める決意を固めたのだ。


「どうか、どうかお達者で……っ」


 ミラにもそこで、別れを告げた。

 悲痛な顔でセリアの介助を申し出てくれたが、流石に聖女様へそこまでさせるわけにもいかない。

 

 けれども、セリアは忘れないだろう。

 最後に自分を強く抱きしめてくれた、あの柔らかな温もりを。その深い慈愛と優しさを。

 この世界の各地には、未だに戦禍の傷跡が深く刻まれている。ミラならきっと、それを癒す大きな力となるはずだ。


 何度も何度も頭を下げる彼女を見送り、そうしてセリアは村での生活を再開した。

 住まいはアルの実家を選んだ。ノアたちが掃除や手入れをしてくれていたらしく、暮らすのには何の支障も無かった。


 最初は、何をする気にもなれなかった。

 ただボーっと、家とアルの墓を往復するだけ。

 気力もなにもなく、誰かに声を掛けられても生返事をするだけだった。

 

「墓の手入れな、セリアに任せても良いかの?」


 ある日、村長からそう申し出を受け、セリアはハッとした。

 そうだ、なんでそれを思いつかなかったのだ。

 

 自分の愚かさを殴りつけてやりたい気分になる。

 あの墓を守るのは、何よりもセリアの役目ではないか!

 

 一も二も無く頷き了承し、是非ともお願いしますと伏して頼み込む。

 

 それから、セリアの日々は少しずつ、少しずつ変化していった。

 毎朝、夜明けとともに目を覚まして水を汲み、そうして最愛の人が眠る場所へと足を運ぶ。


「アル、聞こえる? 今日もね、良いお天気だよ……」

 

 石の表面を丁寧に磨き、さらに自身が削り取ってしまった箇所を整えて修復してゆく。

 手伝いを申し出てくれた昔馴染みの友人たちには礼を言い、彼らが行う雑事をこちらからも手助けする。ただ、それを繰り返す毎日だ。


 けれどもそうしていくうちに会話が増え、ふれあう人の数が増し――やがて彼女の周りに多くの人々が集っていった。

 

「ねえねえ剣聖さまっ! お話を聞かせて!」

「ええ、いいわよ。今日は何の話からしましょうか」


 特に、懐いてくれたのは村の子供たちだ。

 セリアが旅立つ前は幼過ぎて、会話もろくにできてはいなかった彼らは、初めて見る伝説の英雄に目を輝かせていた。

 

 冒険の旅のあれこれを、血生臭くなり過ぎないように工夫して話し、そうして拍手と笑顔で祝福される。

 

 自分がそんな賞賛を得て良いものなのかと心苦しくもあったが、それでも子供たちは愛おしく可愛らしく思えた。

 

 その幻想を崩してはならないと、剣を再び手に取ったのは、そんな頃。セリアが村に帰ってから数か月が過ぎた時であった。

 

 魔物の残党が、近くの村へ姿を現し始めた。野盗たちが徒党を組み、近隣を荒らしまわっている。

 そんな噂が飛び交い始めたのである。

 村の近くに駐屯している兵たちだけでは、手が回らなさそうな事態か、どうなのか。

 セリアはそれらの真偽をきっちりと見定め、殲滅すべしと思えば躊躇いなく剣を振るっていった。

 

「おい、聞いたか!? またセリアが魔物を倒してくれたってよ!」

「すっごいでっかい化け物だったんだろ!? それをあっさりぶった切ってくれるんだから、すげえよな!」

 

 片手と片目を失い、寿命を著しく縮めた体であっても、それでもなお剣聖の力は圧倒的であったのだ。

 誰も、その足元にすら及ばない。極限まで鍛え上げられた剣技の前に、あらゆる邪悪は露と消え果てた。

 

(……本当にあたしは、考えなしだったよね。こんな連中がまだ蔓延ってるのに、村に戻らないと考えていたなんて)


 もしも、アルが生きていたとして。その訃報を後で聞いたら?

 セリアは後悔の果てに、愚かにも泣き叫んだことだろう。

 

 どれだけ視野狭窄に陥っていたのか。いかに呪いと戦いの日々で摩耗していたとはいえ、どうかしている。


「……きっと、あたしのそんなどうしようも無い部分を、いつもアルが助けてくれてたんだね」


 村に帰って来てからセリアは、折に触れるたびにそう思う。

 振り返ってみると、厳しい旅の最中、ふとした時に奇妙な温もりを感じることがあったのだ。

 

 心が安らぐような安心感。それはきっと、アルがセリアに与えてくれたものだったのだろう。

 

 それを実感するたびに胸が苦しくなり、息が止まりそうになる。

 後悔と罪悪感は、未だに消えない。

 

 それを振り払うため――というわけではないが、セリアは野盗・魔物退治と並行して、村の衆へと剣を教えることにした。

 いつか、自分が居なくなったその時。彼らには大事な人を、家族を守れるようになって欲しかったから。


「えっとね、剣を振る時は腕の力だけでするんじゃなくて、重心をこう――」

 

 人に何かを教えるという事は難しく、セリアは度々に頭を悩ませた。

 剣の術理を分解して、なるべくわかりやすく。挫折をさせないように苦心する。

 

 それは大変ではあるが、同時にとても楽しい日々であった。

 

 やがてその噂を聞きつけたか、旅の武芸者やセリアに憧れる若者たちが村へと訪れるようになる。

 そうしてその中から、正しき心を持って力を振るえる者たちを見定め、彼女は剣技を授けていった。

 いつか、何百年かのちに再び邪神が蘇ったとき。その時代の勇者たちの手助けとなり、人々を守れる力となればいいと、セリアはそう願う。

 

 やがて季節がひとめぐりし、新たな春の訪れが見えたころ。

 アルの墓へ赴くセリアの顔に、少しずつ笑顔が戻り始めていた。

 

 

 

            

☆    ☆

 




 聖女ミラを含む旅の仲間たちは、その後も何かにつけて村へと訪れてくれた。


 邪神討伐を終えたとはいえ、戦後の処理はまだまだ続く。

 彼女たちも多忙であろうに、そんな様子は欠片も見せない。それどころか健やかに日々を過ごすセリアを見て、安堵の笑みを零してくれるのだ。


「セリアの大事な人に、挨拶をさせてくれないか」


 何度目かの来訪の際、穏やかにそう申し出たのは、勇者ユートであった。

 セリアの仲間たちの中で、その話題が出ることは少ない。皆、どこか後ろめたさを感じているようであった。

 

 躊躇うミラ達を促し、勇者は彼女らと共に丘の上へと立つ。

 小さな墓の前で、ユートはしゃがみ込むと、そっと両手を合わせた。見慣れない仕草だが、彼の故郷での習わしなのかもしれない。

 勇者は異世界で事故に遭い命を落とし、この地に転生してきたという。信じられないような話であったが、それを語る彼の表情はいつも穏やかであった。

 

 どれくらいそうしていたろうか。

 意図を図りかねるセリア達の前で、ようやく勇者は立ち上がり――墓標へ向けて、深々と頭を下げた。

 

 そこにあるのは感謝か、それとも謝罪か。もしかしたらその両方であったのかもしれない。

 吐き出される言葉は無く、ただ誠意だけがそこに在った。

 

 やがて勇者はセリアに向き直ると、何かを言いたげに口を動かしたが、やはり形になる声はなかった。

 彼は諦めたようにそっと首を振ると、どこか切なげにほほ笑む。

 

「――さようなら、セリア」


 それが、勇者とセリアが交わした最後の言葉。

 凜とした足取りで丘から去ってゆく彼が、この村を訪れることは二度となかった。

 

 仲間たちの話によれば、勇者はその後も世界を巡り、戦災で傷ついた人たちの為に尽力しているという。

 世界最大の英雄として国家間の調整にまで関わり、今度は人間同士での争いが起きぬように、日夜飛び回っているらしい。

 

「あの方は勇者なのですわ。悲しいほどに……」


 いつだか、ミラがそう零したことがあった。

 そんな彼女も、そして他の仲間たちも。それぞれの分野で、人々のために己が知恵と力を振るっているようだ。

 セリアは祈る。彼ら皆の幸せを――ともに旅した大切な友達のゆく道に、どうか希望がありますように、と。

 

 

 そうして季節は何度も巡る。月日は積み重なり、穏やかな時間が過ぎてゆく。


 その間も、変化は緩やかに起こり始める。

 まず魔物や盗賊の数が次第に減少し、ほぼ姿を見せなくなった。

 村の若者たちが立派に成長し、次の世代へと剣の教えを伝え始めてくれた。


 何もかもが順風満帆。

 神様からのご褒美かと見紛うくらいに、村での暮らしは夢と希望に満ちていく。


 やがてセリアは出歩くときに杖をつくようになった。

 視界がぼやけて物が見えづらくなり、食事の回数も減ってゆく。剣を振るどころか、握る事さえ難しい。

 四度目の冬を迎えるころには、自力では床から抜け出せなくなり、一日の殆どを寝て過ごす事が多くなった。


「今までセリアはとっても頑張ったんだから! なにも気にせず休んでて!」


 そう言ってくれたのは、村の女性たちだ。

 有難いことにセリアの介助を嫌がりもせず、喜んで引き受けてくれたのである。


 ――ごめんね、みんな。あたしのワガママを聞いてくれてありがとうね。


 そう。満足に身動きが取れなくなっても、セリアはそれでもアルの墓標には欠かさず通い続けた。

 ノアや村の人々の助けを借り、彼への想いを重ねてゆく。


 そうしてセリアがこの村に帰ってきて、五巡目となる暖かな春を迎えたその日。


 ついに、その時はやってきた。

 

 

                        

                              

 

 


 その朝、セリアはとても爽快な気分で目が覚めた。

 体が軽い。手足も自由に動く。まるで羽でも生えたかのように、あちこちがふわふわとしていた。


 けれど何も驚きはしない。ああそうか、と。微笑みさえ浮かべることができた。

 タンスを開き、一枚一枚手に取り眺めてゆく。村の女性たちが繕ってくれた、どれも自慢の逸品だ。

 じっくりと選び抜いたあと、その中のひとつを取り出し、体に合わせる。


 それは決して派手でも煌びやかなものでもない。ただ、昔セリアが身に着けていた服に良く似ていた。

 四肢は細くなり、肉もげっそりと削げ落ちている。着られるか心配だったが、不思議なことにピタリと体に馴染んだ。


 そうして鏡台に腰掛け、慣れない化粧を始める。旅の仲間のひとりがプレゼントしてくれたものだ。

 使い方もちゃんと習っている。この日の為に、セリアは一生懸命覚えたのだ。

 剣を振るよりもよほどに難しいそれを何とか終え、その出来栄えによし、と微笑む。


「セリア!? 起き上がって大丈夫なの!?」

「セリアお姉ちゃん、元気になったんだね!」

「ああ、良かった……! 神のご加護がやっと」


 外に出ると、人々が驚きながらもセリアの体調の変化を祝福してくれる。

 中には涙を流して喜んでくれる人までいて、少し困ってしまう。

 

 申し訳ないとは思ったが、その理由は口に出せない。

 きっと、それを告げれば止められてしまうだろうと思うから。

 悲しませてしまうと思うから。

 

 それがセリアの自己満足だとしても、最期に見るのは皆の笑顔でありたかったから。


 村の人々の中に、ノアや村長たちの姿は無い。昨夜から、隣村との寄り合いで出かけているのだ。

 そういえばミラたちも、いつもならそろそろ訪れる頃合いだろうか。彼らに挨拶ができないのは残念であったが、こればかりは仕方がない。遺してきた書き置きで許してくれればいいと、そう思う。


 そうして通りをゆっくりと、セリアは踏みしめるように歩いてゆく。


『かけっこ、競争だよ! よーい――はじめっ!』

『セリア、セリア。ちょっと待ってよ。速い、速すぎるってば!』


 川を横切り、水面に反射する輝きを見つめる。


『ほら、あそこっ! お魚がいるよっ! 美味しそう!』

『飛び込んじゃダメだって! 村長さんに怒られるよ!』


 思わず笑みが零れる。この村のあちこちに、アルとの思い出があった。

 やんちゃで向こう見ず、いつも彼を振り回してばっかりの厄介な女の子。


 そんなワガママな彼女を、いつだって見捨てずにいてくれた。

 ずっと、ずっと傍で見守り続けていてくれたのだ。


 そう、そうだ。風にも土にも水にも、この村の全てに溶け込むようにして、アルの気配があった。

 それを全身で感じ、胸いっぱいに吸い込んで、セリアはただひたすらに歩き続ける。


 やがて、あの坂を超え――『それ』が見えてきた。


「アル、お待たせ」


 それはとても美しい光景だった。

 花々が綺麗に咲き乱れ、暖かな日差しがそれらを照らす。

 その中心で、彼の墓石が輝いて見えた。


 ゆっくりと、ゆっくりと歩み寄り、それに手を置く。


「本当にアルって、肝心なことはだんまりなんだものね」


 いつもそうだ。

 どれだけ献身を重ねても平気だとばかりに、自分自身の傷や痛みはひた隠す。


「あたしの気持ちだってさ、考えてくれてもいいじゃない」


 そう言って口を尖らす。

 言いたいことは、文句は山ほどにあった。


「あたしがそれを聞いた時、どんな気分だったと思うのよ。ほんっとうに図体ばっかりデカくて、余計なお世話を焼きまくってさ、ほんっとうに――」


 墓石に、額をぶつける。冷たい感触が、肌に心地良かった。


「――バカ、なんだから」


 涙は流さない。そんなものはとうに流し尽くしていた。

 それに最後の最期くらいはおめかしをして、綺麗な自分を見てもらいたかったから。


「あ……」


 力が抜ける、立っていられない。

 膝から崩れるようにして倒れ込み、なんとか墓石へと体を寄せる。


 震える手に、ふと触れるものがあった。


「この、薬草は……」


 あの夜を思い出す。彼が器用に巻いてくれた、約束の指輪。

 ずっと大切に身に着けていたのに、戦いの中で千切れて消えてしまった。


 セリアはそれを摘み、自身の薬指へと巻き付けようと試みるも――当然、上手くはいかない。

 当然か、と苦笑する。片手で出来るものではない。ただでさえ自分は、剣を振る以外は不器用だというのに。


「……アル」


 段々と、まぶたが重くなる。目を開けていることも難しい。

 

「あたたかい、な……」


 冷たいはずの石が、どうしてだろう。春の日差しを浴びていたせいなのか。

 じんわりとそれは暖かく、セリアの心身にぬくもりを与えてくれる。


 それがとても心地良くて、幸せで。


(いいのかな。あたしだけこんな気持ちでいて、いいのかな……)


 だから、少しだけ怖くなる。安らいだ心の隙間に、不安が忍び寄ってくる。

 

 アルは、たったひとりであんな無残な最期を遂げたのに、自分はどうだ。

 皆に見守られ、祝福されて。穏やかに日々を過ごしてきた。


 ――彼は自分を恨んではいないだろうか。


 同じ呪いを受けたセリアだからこそ分かるのだ。

 あれは全身を引き裂かれ、内臓に至るまでが腐り落ちていくような、極限の苦痛。

 ほんの一端を受けた自分でさえああなったのだ。

 

 その大部分を引き受けたアルは――どれだけ苦しみ、悶えたろうか。

 どんな聖人でも耐えることは叶わない、あれはその類のモノなのに。


 誰に称賛されることも、その献身を認められることもなく。

 ただ、意味も分からず気味悪がられるばかりで。そんな孤独の中で、彼は。

 

(アルが、最期に書き残したかったことって、なんだったんだろう……)


 怖い、怖くてたまらない。もしも、セリアに対する恨みがそこに在ったなら。


 彼の優しさを疑うなんて恥ずべきことだと分かってる。

 いや、たとえ仮にそうだとしても、甘んじて受けるべきなのに。

 そう考えただけで、震えが止まらない。


「……っ」


 もしかしたら、これがセリアへの罰なのかもしれない。静かな最期など自分に相応しくはないのだ。

 絶望と後悔の果てで、目の前が真っ暗になってゆく。

 堪えなくては、と思うのに。目の端に涙が浮かぶのが分かる。

 

 ああ、まったくもって自分は弱い。伝説の剣聖なんて嘘っぱちだ。本当はいつだって寂しかった。

 アルが居てほしい、アルに会いたい、アルの傍でその笑顔を見ていたい。


「ア、ル……」


 恐怖におびえながら、それでもその時を迎えようと、セリアが歯を食いしばったその時。


 ――暖かく、やわらかい何かが指に触れた。


「……?」


 誰かが、肩を揺さぶっている。頬に手を寄せ、撫でてくれている。

 すぐ傍で聞こえる息遣いに覚えがあった。そのごつごつとした指先に覚えがあった。


「――リア」


 そしてその、懐かしい声に。


「――セリア」


 セリアは、覚えがあった。


「え……」


 まぶたが開く。涙と光で滲んだ視界の向こうに、誰かが居る。


「ごめん、セリア。いっぱい悩ませて、苦しませて」


 これは夢か、それとも今際の幻か。


「あ、ああ――」


 声が引き攣る。四肢が震える。思考の全てが停止する。

 もういい、どうだっていい。夢でも幻でも構わない! 構うもんか!


「――ああああああああああああっ!!」


 泣き叫びながら、飛びつく。

 頬がふれあい、指先が肌へと張り付く。

 間違いない、間違えるはずなんてない!


 『彼』は、目の前に居る『彼』は――!


「アル、アルぅぅぅぅ!!」


 最期は穏やかに、綺麗に。そんな可愛い考えなど、頭から吹き飛んでいた。

 わあわあとみっともなく涙を流し、愛しい彼へとすがりつく。


「ごべんなざい、ごべんなざぃぃぃ!! わぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁん!」

「謝るのは俺の方だよ。泣かせてごめん、独りよがりでごめんなあ」


 セリアの背中が、ゆっくりと撫でられる。

 あやすように、労わるように。いつも彼が、そうしてくれていたように。


「俺が言いたいことは、一つだけだったんだ。伝えたいことも、それだけだったんだよ」

「う、うん。なに……?」


 セリアは覚悟して耳を傾ける。

 どんな言葉を吐かれても、全てを受け止めようと、そう思って。

 しかしアルは、そんな幼馴染の気持ちを察したように、ゆっくりと首を振った。


「約束だよ」

「えっ?」

「あの夜、ここでした約束さ」


 セリアの体が、今度こそ決定的に戦慄いた。

 まさか、彼はまさか。腐り落ちた体で、這いずってまでここへ来たその理由は。



「おかえり、セリア」

 


 たった、それだけのために? 

 その一言を贈るためだけに、彼は――


「バカ、ね……あんたってば、ほんっとうにおバカ」


 その言葉はきっと、セリア自身にも跳ね返る。

 それが分かってるからこそ、泣き笑いの顔で彼の胸を小突く。


「そんなにあたしと、結婚したかったの……?」


 どこまで行っても、自分たちは同じ。子供の頃と何も変わらない。

 いつも誰かに迷惑を掛けて、二人でごめんなさいと謝るのだ。

 ケンカをしても、次の日には仲直りをして。そうして揃って笑い合う。


「当たり前だろ? だって俺はセリアが好きなんだから」

 

 変わらない、今も昔もなにひとつ変わらない。

 生まれた時から、最期の時まで――セリアとアルはずっと、似た者同士の幼馴染なのだ。


「もう、仕方ない人ね」


 愛しい人の唇へと顔を寄せ、セリアは喜びの中で幸福を噛み締めた。

 後悔は消え、悲しみも何処かへ過ぎ去ってゆく。だって、そうでしょう?

 やっと今、ここに――


「……ただいま、アル」



 ――約束は、果たされたのだから。






 


 寄り合いから戻ったノア達が、彼女を見つけたのはその翌朝の事であった。

 

「セ、リア……」


 呆然とノアはつぶやく。

 最初にそれを視界に収めた時、彼らはセリアがただ眠っているものかと思った。

 

 何故なら恋人の墓石に寄り添い、目を閉じた彼女は――この上なく幸せそうに見えたから。


「な、んで……」


 剣聖と称えられたその女性は、身動き一つしていない。

 まるで幼い子供のようにあどけない顔で、夢見るように微笑んでいる。


「……そうか」


 村長が深い息を吐く。

 やるせなさを感じる声にはしかし、どこか安堵の色があった。


「そうじゃな、お前たちはいつも一緒じゃったものな。前にも言った通りであったのう」

「親父……?」


 戸惑う息子ノアへ頷きを返し、村長はセリアの前に片膝をついた。


「たとえ死であっても、この子達を引き裂くことはできなかったようじゃて」

 

 大したものだ、と。老村長は笑う。

 彼はそっとセリアの手を持ち上げ、そうして目を伏せた。


「あ……っ!?」


 父が落とした視線の先へと顔を向け――ノアは、思わず声を上げてしまう。

 

「……なんとなくな、そんな気はしておったよ。だってお前さんは、子供の頃からセリアの事が大好きじゃったからのう。本当に、本当に大好きであったものなあ」


 村長は穏やかな表情で『それ』を優しく撫で上げた。


「……ありがとうなあ、アル」


 もう、堪えることは出来なかった。ノアもまた膝を付き、滂沱の涙を流す。

 周囲に居た村人たちも皆、声を震わせ、そして誰もが嗚咽を零し始めた。


 彼らの視線が向けられた先にあるのは、セリアの片手。

 鍛錬の結果が色濃く刻まれたそれには今、朝露が輝いている。


 そして、その薬指には綺麗に巻かれた、若草色の――『指輪』があった。


「おい、あれ……」


 その時、誰かが声をあげた。

 同時にバサリという音が跳ね、何かが空へと舞い上がる。


「鳥……?」


 そう、それは真っ白な羽をもつ、美しい鳥であった。

 それも二羽。つがいであろうか、仲が良さそうに寄り添い合いながら、彼らは翼をはためかせている。


 鳥たちはまばゆい日差しを羽に受け、やがて丘の上をゆっくりと旋回してゆく。

 悼むように、祈るように。誰かに別れを告げるように――


「おい、ノア。あそこに歩いているのって」


 その声を聞き、ハッとしてノアは崖下へと目をやった。村の入り口に向かって、複数の人影が近づいている。

 先頭を歩く、純白の法衣を羽織った女性。彼女にノアは見覚えがあった。


 同時に鳥たちが羽ばたきながら丘を離れ、そうして聖女たちの真上へと差し掛かる。

 気配を感じたか、彼女らはふと顔を上げ――不思議そうにそれを眺めているようだ。


「あ……」


 それは、誰の声だったか。

 つがいが、鳴いた。それはとても、とても美しい鳴き声であった。



『――だってほらみて、とっても気持ちがよさそうだもの!』



 それは、幻聴だったのだろうか。

 晴れ渡った空の向こうから、声が聞こえてくる。


『こわくないよ、へいきだよ! あたしがいっしょにいてあげるから!』

『ほんと? ボクがトリさんになっても?』


 幼い子供たちの声。泣きたくなるくらいに懐かしい声だ。


『うまれかわっても、セリアはボクといてくれる?』


 誰もが呆然とそれを見つめるなか、鳥たちはやがて翼をはためかせ、飛び去ってゆく。

 名残を惜しむように、残響だけを後にして。



『うん、やくそくっ! だってあたしたちはさ――』



 春の日差しの中で舞い散る羽を、ノア達はただじっと見つめ続けた。

 視線の先にはもう『彼ら』は居ない。それでも、願うくらいは許されるだろうか。 


 比翼のつがいはどこまでも自由に、楽しそうに。

 無邪気な幼子たちが、はしゃぎあうように寄り添いながら。

 


『――ずーっと、ずうぅぅっと! いっしょだよっ!』



 蒼い空の向こうへと、羽ばたいていった――

 

最後までお読みくださいまして、ありがとうございます!


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― 新着の感想 ―
久々に心のこもった良い作品を読ませていただきました。 ありがとうございます。
セリアが呪いを受けたところは、過去の身代わりでアルが失っていた部位だから呪いを肩代わりできなかったのかな。 とても悲しいけれど、お互いを想い合う様が美しい二人でした。 苦労した分、二人には来世と…
号泣しました。 とても素敵な作品をありがとうございます。
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