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第30話「それぞれの藤堂像」

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1. ラージャンからの伝言

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【帰国翌日・外務省大臣室】


G7からの帰国を終え、官邸内は少しずつ日常のリズムを取り戻しつつあった。

美波は、外務省大臣室の前に立った。


ノックする。

「どうぞ」


北川麻衣外務大臣が、書類から顔を上げた。

凛とした目元に、穏やかな微笑みが浮かぶ。

「美波さん、お疲れ様。G7に同行したのね」


「はい。その後インドにも行ってきたんです。

 実は、ラージャン外相から北川大臣へのご伝言があります」

美波が言った。


北川の表情が、わずかに変わった。

「ラージャンが……?」


「はい。空港でお会いしたときに」

美波が続けた。

「『京都のゲストハウスで、若い北川さんが外国人客に笑顔で接していた姿を

 今でも覚えています。彼女は私にとって日本の原風景のような存在なのです』と。

 そして、『また近いうちに必ずインドを訪れてほしい』とおっしゃっていました」


北川は、少しの間、窓の外を見た。

東京の空が広がっている。


「そう……」

北川が静かに言った。

「ラージャンが、そんなことを」


「大臣、あの方はとても親日的な方ですね」

美波が言った。


「そうね」

北川は微笑んだ。

「私の実家が京都でゲストハウスを営んでいたの。

 子供の頃から手伝いをしていたから、様々な国のお客様と知り合うことができた。

 ラージャンも、そのお客様の一人だったのよ」


美波は少し躊躇してから、聞いた。

「大臣、インドで……ラージャン外相が、もう一つおっしゃっていたことがあるんですが」


「何?」


「北川大臣は、若い頃に藤堂龍一先生に影響を受けたとおっしゃっていたと。

 詳しくは大臣から直接聞いてほしいと……」


北川は少し驚いた顔をしたが、すぐに穏やかに笑った。

「ラージャンは、昔のことをよく覚えているのね」

「よかったら、聞かせていただけますか」

美波が言った。


「いいわ」

北川は椅子をゆっくりと引いた。

「少し、昔話をしましょうか」


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2. 龍一先生の言葉

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【北川の回想】


「私の実家が京都でゲストハウスを営んでいたので、子供の頃からお手伝いしていたの。

 外国から来た観光客の方たちと話をするのが楽しかったわ。

 それで色々な国の言葉を覚えたの。

 でもその頃は自分が何をしたいのか、まだはっきりしていなかった」


北川は続けた。


「大学で藤堂龍一先生の政治学の講義を受けるようになってからよ。

 先生は政界を去られた後、女子大学の客員教授をされていたの。

 何度も質問しているうちに名前を覚えてくださって、親しくなった。

 あるとき先生の方から声をかけてくださった。

 私が大学内で留学生と話をしているのを見ていたらしくて、

 『君、語学が堪能なんだね』と」


美波は黙って聞いていた。


「それから少し話をしていたら、先生がこうおっしゃったの」


北川は、その言葉を一字一句忘れていないかのように語った。


「『これからは女性がどんどん活躍すべきだ。

 できれば政治の世界で。

 でも政治でなくとも、君はゲストハウスでの経験があるし、

 語学が堪能だから、グローバルな活動を目指すべきだ』と」


「それと、もう一言おっしゃっていた」


「『日本の外交は、官僚が決めるのではなく、

 国民の声を反映させるべきだ。

 それができる人間になってほしい』と」


北川は、少し笑った。

「当時は、女性が政治家や外交官になるのは

 今よりずっとハードルが高い時代だったの。

 でも先生は、あたりまえのように言ってくださった。

 私に何か特別な能力があると感じたというより

 そういうことが『あたりまえになるべきだ』と思っておられたのでしょうね」


美波の目が、少し潤んでいた。


「……素敵なお話ですね」

美波が言った。


「先生は国会議員時代のことも色々話してくださった。

 志半ばで政界を去ったことも……

 外務省官僚から国会議員に転身した理由は

 そのことを聞いていたせいでもあるの。

 学生時代に聞いた先生の言葉は、ずっと私の中にあるのよ」


北川は、少し間を置いてから続けた。


「その後国会議員になり、藤堂総理から外務大臣の指名を受けたというわけ」


「藤堂総理が『声を聞く政治』を大切にされているのを見ていると

 龍一先生のことを思い出すことがあるわ」


美波は、その言葉の重さを静かに受け取った。


この話を後日美波から聞いた藤堂は、

静かに目を閉じた。


藤堂(心の声)

*祖父は……そういう人だったんだな*

*誠司さんが「日本を変えたい」と思ったのは*

*龍一さんから受け継いだものだったんだ*

*そして今、北川さんが外務大臣として動いている*

*龍一さんの言葉は、こんなところまで届いていたんだな*


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3. お父さん、変わったと思う?

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【藤堂邸・リビング】


土曜日の午後。

藤堂は今日も官邸で仕事をしている。

美咲と彩花と健太の三人だけがリビングにいた。


健太はソファでタブレットゲームをしていた。

彩花は大学の課題のレポートを開いていたが、

なんとなく手が止まっていた。


美咲が、コーヒーを三人分持ってきて、テーブルに置いた。

「少し休憩しなさい」


「ありがとう、お母さん」

彩花がレポートを閉じた。


しばらく、三人でコーヒーを飲んでいた。


美咲が、ふと言った。

「ねえ、お父さんのこと、どう思う?」


「え?」

健太がタブレットから顔を上げた。


「いきなりどうしたの、お母さん」

彩花が笑った。


「以前と変わったと思う?」

美咲が続けた。


健太は少し考えた。

「変わった?……今の方が好きだよ」

健太が答えた。

「昔のお父さんって、もっとなんか……遠かった気がする。

 今は話しかけやすいし、スポーツの話もしてくれるし」


「そっか」

美咲が微笑んだ。


「彩花は?」


彩花は、コーヒーカップを両手で包みながら、少し考えた。


「……変わったよ。確かに」

彩花が言った。

「でも、なんか……本当のお父さんが出てきた気がする、って言うか」


「本当の、お父さん?」

美咲が繰り返した。


「うまく言えないんだけど」

彩花が続けた。

「以前のお父さんは、すごく優秀な人だとは思ってたけど

 どこか仮面をかぶってるみたいで……

 今のお父さんは、失敗したときに焦ってたり

 私たちとご飯食べてるときに嬉しそうだったり

 なんか……人間っぽい気がする」


健太が吹き出した。

「人間っぽい、って何だよ」

「いいじゃん、褒め言葉だよ」

彩花が笑った。


美咲は、二人の顔を見ながら、静かに頷いた。

「そうね。私もそう思うわ」


しばらく笑い声が続いた後、美咲が彩花に聞いた。


「ところで彩花、大学を卒業したら何がしたいか考えてるの?」


彩花は少し照れたように答えた。

「陽菜とも時々話してるんだけど……外国で仕事がしたいなって」


「政治家になりたいんじゃなかったの?」

美咲が聞いた。


「う~ん」

彩花が苦笑いした。

「お父さん、あの勢いだとあと何十年も政治家やりそうな雰囲気でしょ。

 お父さんと一緒に仕事をする姿を想像したら、う~んってなっちゃって」


健太が爆笑した。

「それ、お父さんに言えないよ」

「当たり前でしょ」

彩花も笑った。


美咲も笑いながら、少しだけ遠い目をした。


美咲(心の声)

*あなたが誰であれ……*

*この家族を、大切にしてくれた*

*彩花も、健太も、こんなに明るく育った*

*それだけで、十分よ*


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4. 何かあると思うの

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【与党本部・幹事長室】


夕方。

八重樫幹事長の部屋に、橘官房長官が立ち寄った。

「少し、よろしいですか」


「どうぞ」

八重樫が書類から顔を上げた。


橘は、ソファに腰を下ろした。

「G7、本当に大きな仕事でしたね」

橘が言った。


「そうだな」

八重樫が頷いた。

「あそこまでできるとは、正直、私も思っていなかった」


しばらく沈黙が続いた。


八重樫が、ふと言った。

「橘、一つ聞いていいか」


「何ですか?」


「総理は……なぜあそこまで熱意があるんだ?」

八重樫が言った。

「私も長く政治家をやってきたが

 あれほどのエネルギーを持った人間を見たことがない。

 『日本を変えたい』だけではあそこまでやれないだろう」


橘は、少しの間、考えた。


「実は……私も同じ質問を総理にしたことがあるんです」

橘が言った。


「なんと答えた?」


「『病気で死の淵まで行った。

 だから、のんびりしているわけにはいかない』と」

橘が続けた。

「『幸運にも生き延びた。やるしかない』と、そうおっしゃっていた」


八重樫は黙って聞いていた。


「でも……」

橘が静かに言った。

「その理由だけで、あそこまでやれるとは思えないんです」


「つまり?」


橘は窓の外を見た。

「何か……もっと深いものがあると思うんです。

 私には分からないけれど」


八重樫は腕を組んだ。

「そうか……」

八重樫が言った。

「私も、時々そう感じることがある。

 目の奥が……どこか遠くを見ているというか」


「そうなんです」

橘が頷いた。

「でも、それを確かめようとは思わないわ」


「なぜ?」


「どんな事情があるとしても」

橘が微笑んだ。

「あの人が、日本のために全力を尽くしていることは

 疑いようがないから」


八重樫は、深く頷いた。

「……その通りだな」


二人は、しばらく黙ってコーヒーを飲んだ。


窓の外、東京の夕暮れが広がっていた。


八重樫(心の声)

*藤堂……お前は本当に、不思議な男だ*

*でも、だからこそ*

*お前の夢を、信じられる*


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5. ついにその時が

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【田中邸・応接間】


夕暮れ時。

田中丈太郎の応接間に、磯村匠海が座っていた。


縁側から、庭の木々が見える。

田中は、いつものように湯呑を手に持ちながら、ゆっくりと外を眺めていた。


「オヤジ」

磯村が静かに言った。


「何だ」


「そろそろ……例のプロジェクトの活動を始めようかと思うのですが」


田中は、湯呑をゆっくりと置いた。

少しの間、庭を見つめていた。


「そうだな」

田中が言った。

「まず、総理に見せてやるか」


磯村は、静かに頷いた。


庭の木々が、風にゆれた。


ついに——

トルグの肝いりプロジェクトが、姿を現そうとしていた。


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第30話 完

次回:第31話「アイリーン・プロジェクト始動」

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