第9話 ざまぁ炸裂!「唐揚げタワー」の勝利
カツカレー対決から一夜明けた、ヴォルグ辺境伯城。
爽やかな朝の光が差し込む厨房で、私は大量の鶏肉と格闘していた。
昨日の今日で、まだ筋肉痛が少し残っているけれど、休んでいる暇はない。
なぜなら、今日は『カレー防衛戦・勝利記念パーティー』だからだ!
「セシリア様、この大量の肉、本当に全部揚げるんですか?」
手伝いに来てくれた下働きの少年が、山積みになった肉を見て目を丸くしている。
用意したのは、この地方で最も美味とされる『大角鶏』の腿肉だ。
コカトリスよりも脂が乗っていて、皮が分厚いのが特徴だ。
「ええ、全部よ! 今日は騎士団の皆さんも、使用人の皆さんも、全員参加の無礼講だからね。質より量……いえ、質も量も妥協しないわ!」
私の号令に、厨房スタッフたちが「おおーっ!」と声を上げる。
この数週間で、彼らもすっかり『揚げ物』の虜になり、私の指示なら喜んで従う精鋭部隊へと成長していた。
今回のテーマは、原点回帰。
私がこの世界で最初に揚げた、あの伝説のメニュー。
『唐揚げ』だ。
ただし、ただの唐揚げではない。
祝いの席にふさわしい、見た目のインパクトと、味のバリエーションを追求した最強の宴会料理。
名付けて、『無限唐揚げタワー』の建設である。
◇
一方その頃。
城の離れにある来賓用ゲストハウスでは、地獄のような光景が繰り広げられていた。
「……ない。ないぞ。どこにもない!」
王太子オズワルドは、血走った目で部屋中をひっくり返していた。
彼が探しているのは、昨日こっそり持ち帰った『カツカレーの残り』が入ったタッパーだ。
昨夜のうちに冷めきったカレーを指で掬って舐め尽くし、容器についた最後の一滴まで味わってしまったのだ。
「殿下、落ち着いてくださいませ!」
聖女ミリアが、朝食の盆を持って震えている。
そこに乗っているのは、薄味の野菜スープと、白パン。
以前なら「上品で素晴らしい」と絶賛していたメニューだ。
「ええい、どけ! こんな味のしない湯が飲めるか!」
オズワルドはスープを払いのけた。
彼の舌は、完全に『スパイス』と『脂』に支配されていた。
頭の中を駆け巡るのは、あのサクサクの衣、溢れる肉汁、そして脳髄を揺さぶるような濃厚な旨味。
「……禁断症状だ。手が震える。あの茶色い料理を……いや、あの料理を作った女を……!」
オズワルドは立ち上がった。
その瞳には、狂気にも似た執着の光が宿っていた。
「行くぞミリア。昨日の勝負は無効だ。あんなものは幻術に決まっている。今度こそ、正式な王命をもってセシリアを接収する!」
◇
城の大広間は、熱気に包まれていた。
長テーブルをつなぎ合わせ、その上には数々の料理が並んでいるが、主役は間違いなく中央に鎮座する『それ』だった。
――ジュワアアアアッ!
厨房から最後の揚げ音が聞こえ、私がワゴンを押して登場する。
「お待たせしました! メインディッシュ、『大角鶏の唐揚げタワー』です!」
ドンッ!
大皿の上に積み上げられたのは、黄金色に輝く肉の山脈。
大人の背丈の半分ほどあろうかという高さまで、絶妙なバランスで積み重ねられた唐揚げたち。
湯気と共に立ち昇る、ニンニク醤油の香ばしい匂いが、広間の空気を一瞬で支配した。
「うおおおおおっ! 山だ! 肉の山だ!」
「拝め! 唐揚げの神を拝め!」
騎士たちが歓声を上げ、ジョッキを掲げる。
ギルバート様も、上座でその山を見上げ、満足げに頷いていた。
「……壮観だな。これこそが、我が領の豊かさの象徴だ」
「感心してないで、食べてくださいね。今日は『味変』も用意しましたから」
私はタワーの周囲に、数種類のソースが入った器を並べた。
サッパリとした『ネギ塩レモンだれ』。
ピリリと辛い『香辛料パウダー』。
そして、禁断の白い悪魔――卵と油と酢を乳化させた『自家製マヨネーズ』だ。
「では、乾杯!」
宴が始まろうとした、その時だった。
バーンッ!!
大広間の重厚な扉が、乱暴に開け放たれた。
現れたのは、肩で息をするオズワルド殿下と、青ざめた聖女ミリア、そして数名の近衛騎士たちだ。
「――そこまでだ! そのふざけた宴を直ちに中止せよ!」
オズワルド殿下の怒声が響く。
楽しい空気が一変し、騎士たちが一斉に剣に手をかけた。
しかし、ギルバート様は片手でそれを制し、冷ややかにグラスを揺らした。
「……お帰りいただいたはずだが。何の用だ、殿下」
「黙れ辺境伯! 私は考え直したのだ。昨日の勝負は、空腹による一時的な判断ミスの可能性が高い! よって無効とし、セシリアの身柄を……」
殿下の言葉が、途中で途切れた。
彼の視線が、私の横にある『唐揚げタワー』に吸い寄せられたからだ。
ピクリ、と殿下の鼻が動く。
漂ってくるのは、揚げたての鶏肉特有の、あの甘く香ばしい脂の匂い。
空腹の獣の前で肉を焼くようなものだ。
「な……なんだ、その茶色い山は……」
「唐揚げタワーです、殿下。お帰りの前に、少しつまんでいかれますか?」
私は意地悪く微笑んで、皿に取り分けた唐揚げを差し出した。
あえて一番高いところから取った、揚げたての一切れだ。
「……っ、ふざけるな! 私はそのような餌になど……!」
殿下は拒絶しようとした。
しかし、その体は正直だった。
足が勝手にふらふらと前へ進み、震える手が私の皿へと伸びていく。
「いけません殿下! それは悪魔の食べ物ですわ!」
ミリアが止めようとするが、殿下はそれを振り払った。
「う、うるさい! 毒が入っていないか、私が確認するだけだ!」
殿下は唐揚げを掴み、ガブリと齧り付いた。
――カリッ! ジュワッ!
静まり返った広間に、最高のSE(効果音)が響き渡った。
分厚い皮が弾け、中から熱々の肉汁が飛び出す。
「んぐっ……!!」
殿下は目を見開き、天を仰いだ。
「これだ……! この味だ! カリカリの衣を破ると、弾力のある肉が歯を押し返し、噛み切った瞬間に旨味の爆弾が炸裂する! 昨日のカツとは違う、より野性的で、より濃厚な鶏の脂!」
彼は一口でそれを飲み込むと、まるで何かに憑かれたように、タワーの前に跪いた。
「もっとだ……もっとくれ! 体が、細胞が、この油を求めている!」
「殿下、こちらの白いソースをつけてみてください」
私は悪魔の囁きをした。
小皿に入ったマヨネーズを差し出す。
「なんだこの白いドロドロは……」
「『マヨネーズ』です。唐揚げの親友ですよ」
殿下は疑いつつも、唐揚げにマヨネーズをたっぷりとなすりつけ、口に放り込んだ。
その瞬間。
殿下の目から、一条の涙がツーッと流れ落ちた。
「…………神よ」
彼は震える声で呟いた。
「酸味……コク……まろやかさ……。脂っこい肉に、さらに油のソースをつけるなど狂気の沙汰だと思ったが……これは計算され尽くした芸術だ! 肉の旨味が倍増し、背徳的なまでの多幸感が脳を溶かしていく!」
殿下はもう止まらなかった。
王族としてのプライドも、婚約者の存在も忘れ、唐揚げタワーに手を突っ込み、マヨネーズをつけ、貪り食う。
「うまい! うまいぞ! セシリア、お前は天才だ! ミリアのゼリーなど、ただの色付き水だ! 私はもう、この唐揚げがないと生きていけない!」
その姿は、あまりにも無様で、そして哀れだった。
聖女ミリアは顔面蒼白になり、へなへなと座り込んだ。
自分の婚約者が、元婚約者の料理に完全に屈服し、這いつくばって食べているのだから。
「……見苦しいぞ、殿下」
冷徹な声が降ってきた。
ギルバート様が、ゆっくりと玉座から立ち上がり、階段を降りてくる。
その手には、自らの愛剣が握られていた。
抜身ではないが、鞘から放たれる覇気だけで、広間の空気が凍りつく。
「油にまみれて地べたを這うのが、次期国王の姿か」
「う、うるさい! 辺境伯、この女を寄越せ! 金なら払う! 料理長として雇ってやる! いや、毎日この唐揚げを作るなら、正妃にしてやってもいい!」
口の周りをマヨネーズだらけにした殿下が叫んだ。
その言葉を聞いた瞬間。
ギルバート様の周囲の温度が、絶対零度まで下がった。
「……正妃だと?」
ギルバート様は、私を背に庇うようにして立った。
その背中は大きく、頼もしく、そして怒りに震えていた。
「貴様が捨て、毒婦と罵り、断頭台へ送ろうとした女性だ。今さらその価値に気づいたところで、もう遅い」
「な、なんだと……私は王太子だぞ!」
「王太子だろうが関係ない。セシリアは、私のものだ」
ギルバート様は、広間にいる全員に聞こえるよう、はっきりと言い放った。
「彼女はただの料理人ではない。私の心と体を癒やし、この冷え切った城に温かい火を灯してくれた、かけがえのないパートナーだ。――彼女の作る料理も、彼女の笑顔も、その指先一つだって、貴様には渡さん」
「ギルバート様……」
私は胸が熱くなった。
ただの食欲魔人かと思っていたけれど(失礼)、ここまで真っ直ぐに想いを告げられると、さすがにときめいてしまう。
「さあ、失せろ。二度と私の領地に足を踏み入れるな。……もし次にセシリアを侮辱すれば、この『処刑人』の剣が火を吹くぞ」
ギルバート様の一喝に、殿下は「ひぃっ!」と情けない声を上げた。
唐揚げの脂で滑る手で床をかき、這々の体で逃げ出した。
聖女ミリアも、もはや反論する気力もなく、涙目でその後を追っていった。
後には、静寂と、唐揚げのいい匂いだけが残された。
「……ふぅ。やれやれ、騒がしい客だったな」
ギルバート様は剣を置き、振り返って私を見た。
いつもの不機嫌そうな顔ではなく、どこか照れくさそうな、優しい顔で。
「大丈夫か、セシリア」
「はい。おかげさまで、すっきりしました」
「そうか。……なら、祝い直しか?」
彼は唐揚げタワーを見上げた。
殿下が食い散らかした部分は少し崩れているけれど、山はまだ高くそびえ立っている。
「ええ、祝い直しです! みなさん、お待たせしました! 今日は勝利の唐揚げパーティーよ! 食べて、飲んで、歌いましょう!」
「うおおおおおっ! セシリア様万歳! 辺境伯様万歳!」
騎士たちが一斉にタワーに殺到する。
サクサク、カリカリ、ジュワッ。
幸せな音が広間中に満ち溢れる。
ギルバート様は、私に一つ、揚げたての唐揚げを差し出してくれた。
「……あーん、してみるか?」
「えっ」
「あいつに見せつけてやればよかったな。……ほら、口を開けろ」
彼は少し顔を赤らめながら、私の口元に唐揚げを運んでくる。
周囲の騎士たちが「ヒューヒュー!」と冷やかしているのが聞こえる。
もう、この戦闘狂の旦那様ったら、意外とロマンチストなんだから。
「……はい、あーん」
私は大きく口を開けて、彼の手から唐揚げをパクリと食べた。
肉汁と共に広がったのは、今までで一番甘く、そして温かい味がした。
ざまぁ展開も終わって、これにて一件落着。
……と思いきや、ギルバート様が耳元でとんでもないことを囁いた。
「さて、邪魔者も消えたことだし……そろそろ結婚式のメニューも考えておいてくれ」
「……はい?」
「言っただろう、お前は俺のものだと。……逃がさんぞ、セシリア」
唐揚げタワーの影で、私は真っ赤になりながら、これからの忙しくも幸せな日々を予感していた。
とりあえず、ウェディングケーキの代わりに『特大エビフライタワー』でも作ろうかな。
私たちの美味しい領地改革は、まだまだ始まったばかりなのだから。




