第10話 エビフライでプロポーズ(ハッピーエンド)
騒がしい王太子たちが去り、ヴォルグ辺境伯領に再び平和な日常が戻ってきた。
でも、それは以前のような灰色で静まり返った日常ではない。
厨房からは常に美味しそうな匂いが漂い、騎士や使用人たちの笑顔が溢れる、賑やかで温かい日常だ。
そんなある日の夕暮れ時。
私は厨房で、特別な食材と向き合っていた。
「よし、真っ直ぐになったわね」
まな板の上に横たわっているのは、北の深海で獲れた『キング・シュリンプ(王様海老)』だ。
私の腕ほどもある巨大な海老で、殻を剥いた身は透き通るような翡翠色をしている。
普通に茹でると丸まってしまうけれど、お腹側に数箇所切り込みを入れ、背中から指でギュッと押して筋を断ち切ることで、揚げてもピンと真っ直ぐな姿を保てるのだ。
今日の夕食は、ギルバート様と二人きり。
景色の良いテラスで食べたいというリクエストがあったのだ。
メインディッシュは、この巨大海老を使った『特大エビフライ』。
そして、それに合わせる黄金のパートナー、『タルタルソース』だ。
ゆで卵を粗く刻み、甘酢に漬けた『ピクルス』のみじん切り、そして『甲羅玉ねぎ』の辛味を抜いたものをたっぷりとマヨネーズに混ぜ込む。
隠し味に、少しだけ『ショウユ』とレモン汁を垂らすのが私流だ。
濃厚なのに、後味はさっぱり。
これが揚げ物に合わないわけがない。
海老に小麦粉をまぶし、卵液をくぐらせ、生パン粉のベッドへ寝かせる。
優しく、でもしっかりと衣を着せてあげる。
準備は完了だ。
鍋の油は百七十度。
さあ、フィナーレを飾る揚げ音を響かせて!
――ジュワアアアア……ッ!
巨大な海老が油に入った瞬間、細かい泡が全身を包み込む。
パチパチという音が、まるで拍手喝采のように聞こえる。
翡翠色だった身が、熱を通されて鮮やかな紅白へと変わり、衣がきつね色に色づいていく。
香ばしい甲殻類の香りが、厨房いっぱいに広がった。
◇
夕日が沈み、空が茜色から群青色へと変わる頃。
城の最上階にあるテラスには、キャンドルの明かりが揺れていた。
テーブルを挟んで向かい合うのは、いつになく正装をしたギルバート様だ。
漆黒の礼服に身を包み、髪も整えているけれど、その表情はどこかそわそわとして落ち着きがない。
「お待たせしました、閣下」
私が大皿を運ぶと、彼はハッとして居住まいを正した。
「……ああ。いい匂いだ」
テーブルに置かれたのは、皿からはみ出さんばかりの巨大なエビフライが二本。
その横には、山盛りのキャベツと、ポテトサラダ。
そして別添えの器に、たっぷりのタルタルソース。
「これが海老か? まるで剣のようだな」
「揚げても縮まないように魔法をかけましたから。さあ、熱いうちにどうぞ」
ギルバート様はナイフとフォークを手に取ったが、少し迷ってから、ナイフを置いた。
「……この形状だ。かぶりつくのが正解だろう?」
「ふふ、よく分かってらっしゃいますね。その通りです」
彼はフォークで海老の背中を突き刺すと、豪快に持ち上げた。
そして、たっぷりとタルタルソースを纏わせてから、頭の方からガブリと噛み付いた。
ザクゥッ!!
夜のテラスに、重厚な衣の音が響く。
続いて、プリッという弾力のある音が聞こえた気がした。
「……ッ!」
ギルバート様が目を見開き、口元にソースをつけたまま咀嚼する。
「凄い弾力だ……! 歯を押し返してくるほどプリプリしているのに、噛み切った瞬間に海老の甘みが口の中で爆発する! なんだこの濃厚な旨味は!」
「新鮮なキング・シュリンプですからね。味噌も詰まってますよ」
「そしてこの衣とソースだ! サクサクの衣に、酸味とコクのある卵のソースが絡み合って……海老の甘さを極限まで引き立てている! 主役と脇役が完璧なスクラムを組んでいるぞ!」
彼は夢中で食べ進めた。
ザクザク、プリプリ。
美味しい音を聞いているだけで、私も幸せな気分になる。
最後には、カリカリに揚げられた尻尾まで、バリバリと音を立てて完食してしまった。
「……美味かった。人生で一番のエビフライだった」
ギルバート様はナプキンで口を拭うと、深く息を吐いた。
そして、真剣な眼差しで私を見つめた。
その赤い瞳に、揺れるキャンドルの炎が映っている。
「セシリア」
「はい」
「……あー、その」
あの『処刑人』と恐れられる辺境伯が、言葉に詰まっている。
視線を泳がせ、テーブルクロスを指でなぞり、意を決したように顔を上げた。
「俺の人生は、ずっと灰色だった。来る日も来る日も魔獣を斬り、血の臭いと泥にまみれ、食事などただの燃料補給でしかなかった」
彼は静かに語り始めた。
「だが、お前が来てから世界が変わった。あの処刑台で、お前が唐揚げを揚げたあの日からだ。城の中にはいい匂いが満ちて、俺の体には力がみなぎり、何より……食事の時間が待ち遠しくてたまらなくなった」
彼の手が伸びてきて、テーブルの上の私の手を包み込んだ。
熱くて、少し震えている手。
「俺はもう、お前の料理なしでは生きられない体になってしまったらしい」
「ふふ、それは責任重大ですね」
「ああ、取ってもらうぞ、責任を」
ギルバート様は、懐から小さな小箱を取り出した。
パカッ、と開かれた中には、エビフライ……ではなく、大粒のダイヤモンドが輝く指輪が入っていた。
その輝きは、揚げたての衣よりも眩しい。
「セシリア・オルコット。俺と結婚してくれ」
真っ直ぐな言葉だった。
飾り気のない、でも、これ以上ないほど重みのある言葉。
「辺境の地で、危険も多いかもしれない。だが、絶対に守る。お前が安心して料理ができる場所を、俺が一生かけて守り抜く」
彼は私の目をじっと見つめ、少しはにかむように付け加えた。
「だから……俺の胃袋と心を、死ぬまで掴んでいてほしい」
胸がいっぱいになった。
冤罪で国を追われ、処刑されるはずだった私。
ただ美味しいものが食べたくて、がむしゃらに料理を作ってきたけれど。
まさかこんな最果ての地で、一番大切な居場所を見つけられるなんて。
私は、溢れそうになる涙をこらえて、精一杯の笑顔を向けた。
「……はい、謹んでお受けいたします」
ギルバート様の顔が、パァッと輝いた。
彼は立ち上がり、テーブル越しに私を抱き寄せた。
「ありがとう、セシリア……!」
「ただし、条件がありますよ?」
私は彼の胸の中で、いたずらっぽく言った。
「条件? なんだ、なんでも言ってみろ。国を一つ買ってこいとかか?」
「違いますよ。……これからも、私が作った料理は残さず綺麗に食べてくださいね。それから、『美味しい』って言葉も忘れないでください」
ギルバート様は一瞬きょとんとして、それから大きな声で笑った。
「ははは! なんだそんなことか。約束しよう。お前が作る料理は、皿まで舐める勢いで完食する。毎日、毎食、愛を込めて『美味い』と叫ぼう」
「ふふ、約束ですよ、旦那様」
彼は私の左手の薬指に指輪をはめ、そして優しく口づけを落とした。
唇が触れ合う瞬間、ほんのりとタルタルソースの香りがした気がしたけれど、それもまた私たちらしくて愛おしい。
◇
こうして、処刑台から始まった私の『飯テロ』逃亡劇は、最高のハッピーエンドを迎えた。
噂によると、王都ではオズワルド殿下が『唐揚げ欠乏症』で痩せ細り、毎晩のように「揚げ物をくれ……」とうわ言を呟いているらしいけれど、それはまた別の話。
今の私には、やらなければいけないことが山ほどある。
明日の朝食の献立に、領地の食糧改革、それから……。
「セシリア、明日の朝はなんだ? やはり和食か?」
「もう、気が早いですね。明日は焼き立てパンにしますよ」
「パンか! いいな、焼ける匂いで目を覚ましたい」
食いしん坊な旦那様と、その胃袋を満たす幸せな日々。
ヴォルグ辺境伯領の厨房からは、今日もまた、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが漂い始める。
さあ、召し上がれ。
愛とカロリーをたっぷりと込めて。
(完)
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