第5話 深夜の背徳、「フライドポテト」と「コーラ」
草木も眠る丑三つ時。
ヴォルグ城の執務室には、まだ明かりが灯っていた。
山積みになった書類の山と格闘しているのは、この城の主、ギルバート・フォン・ヴォルグ辺境伯だ。
彼は眉間に深い皺を刻み、羽ペンを走らせていたが、ふと手を止めた。
ぐううううう……。
静寂な部屋に、不似合いな音が響く。
昼間、あんなに『かき揚げ丼』を食べたというのに、激務による魔力消費が激しいのか、彼の胃袋はすでに空っぽだった。
一度気になり出すと、空腹感というのは波のように押し寄せてくる。
ギルバートはペンを置き、フラフラと立ち上がった。
目指す場所は一つ。
この城で唯一、温かい光と、極上の香りが漂う聖域――厨房だ。
◇
「あら、奇遇ですね。閣下もお腹が空きましたか?」
薄暗い厨房に入ると、そこにはランプの明かりの下、腕まくりをした私が立っていた。
私もまた、小腹が空いて眠れない同類だったのだ。
「……セシリアか。すまない、何か残っていないかと探みに来たんだが」
「残り物はありませんよ。昼のかき揚げは騎士団の皆さんが完食しましたから」
「そうか……」
世界が終わったような絶望顔をするギルバート様。
あの『処刑人』が、空腹ごときで子犬のようにシュンとしている。
これを見せられたら、料理人として放っておけるわけがない。
「安心してください。ちょうど今、私のお夜食を作ろうとしていたところなんです」
「夜食だと? こんな真夜中にか」
「はい。真夜中に食べるからこそ、美味しい料理があるんですよ」
私は不敵に微笑み、手元のカゴを見せた。
中には、泥を落としたばかりの『大地の黄金』がゴロゴロと入っている。
この地方の主食である芋だ。
今夜のメニューは、深夜の誘惑の代名詞。
カロリーと糖質の塊。
『フライドポテト』だ。
私はポムを洗い、皮付きのまま細長いスティック状にカットしていく。
ザク、ザク、ザク。
水にさらして余分なデンプンを落とし、しっかりと水気を拭き取る。
鍋の油は百六十度。
今日二度目の揚げ物タイムだ。
――ジュワアアアア……。
静かな夜の厨房に、油の音が優しく響く。
昼間の激しい音とは違う、少し控えめで、でも確実に食欲を刺激する音だ。
芋の水分が抜け、ホクホクとした甘い香りが立ち昇る。
「……芋を揚げているだけか? だが、この香りは……」
ギルバート様が鍋を覗き込み、ゴクリと喉を鳴らした。
「まだですよ。ここからが魔法です」
一度引き上げて冷まし、油の温度を一気に二百度まで上げる。
二度揚げだ。
再び投入すると、バチバチッ! と激しい音が弾けた。
きつね色に色づき、表面がカリカリに硬化していく。
油から引き上げ、ボウルに入れて、熱々のうちに『岩塩』と『乾燥香草』を振る。
そしてボウルを上下に煽る。
ザッ、ザッ、ザッ。
芋と塩が擦れ合う音が、深夜のテンションを加速させる。
「はい、どうぞ。揚げたてですよ」
私は皿に山盛りにしたポテトを差し出した。
フォークなんて野暮なものはつけない。
「手でつまんで食べてください」
「手で? ……行儀が悪いな」
そう言いながらも、ギルバート様は恐る恐る熱々のポテトをつまみ上げた。
指先が熱さに触れ、少し慌てながら口に放り込む。
カリッ。
ホクッ。
「……ッ!!」
深夜の静寂を切り裂く、クリスピーな咀嚼音。
彼の目がカッと見開かれた。
「熱ッ! でも……なんだこれはい! 外側はカリカリで香ばしいのに、中は雪のようにフワフワだ! そしてこの塩気が……絶妙すぎる!」
「皮付きなので香りも強いでしょう? どうです、背徳的な味がするでしょう」
「ああ……止まらん。なんだこれは、手が勝手に動く!」
ギルバート様はもう一本、また一本と、無心でポテトを口に運び始めた。
塩分と油分。
疲れた脳と体に、最もダイレクトに響く悪魔の組み合わせだ。
「喉が渇きますね。飲み物も用意しましょう」
私は冷蔵庫(魔石で冷やした箱)から、あらかじめ仕込んでおいた『黒い液体』の入った瓶を取り出した。
グラスに氷を入れ、その黒い原液を注ぐ。
そして、近くの湧き水から汲んできた『天然炭酸水』を注ぎ入れた。
シュワワワワ……。
黒い液体の中で、無数の泡が弾ける。
柑橘とスパイスの、どこか薬草のような、でも甘く爽やかな香りが漂った。
「なんだその黒い水は。毒か?」
「失礼な。『クラフトコーラ』ですよ。疲労回復に効くスパイスを十種類以上煮出した、特製シロップの炭酸割りです」
私はグラスを渡した。
ギルバート様は怪しげに黒い泡を見つめていたが、ポテトの塩気で乾いた喉には抗えなかったらしい。
意を決して、グイッと煽った。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……プハァッ!
「……!? なんだこの刺激は!」
彼は口元を拭い、グラスを凝視した。
「舌の上で泡が弾ける! そして甘いのに、後味はスパイシーで……鼻に抜けるこの香りは、シナモンか? それともレモンか? 複雑すぎて分からんが、爽快だ!」
「ポテトを食べて、コーラを飲む。これを交互に繰り返すと、どうなると思います?」
「……永遠に止まらなくなる、気がする」
「正解です。それが『ジャンクフード』の呪いですよ」
ギルバート様は、まるで禁断の果実を知ってしまった少年のように笑った。
片手でポテトをつまみ、もう片方の手でコーラを飲む。
公爵家の当主としてはあるまじき行儀の悪さだが、この深夜の厨房という密室では、誰も咎める者はいない。
「美味い……。王宮の晩餐会で出るどんな高級料理より、今のこの芋と黒い水の方が、遥かに美味く感じる」
彼は私の隣に腰掛け、ポテトの山を崩していく。
ふと、彼が私の顔をじっと見つめた。
その指先には、油と塩がついている。
「セシリア。お前は本当に魔女かもしれんな」
「またその話ですか?」
「ああ。こんな真夜中に、こんな罪深いものを食わせるんだ。俺を太らせて食うつもりか?」
「ふふ、閣下は激務で痩せすぎですから、少しはお肉をつけた方がいいですよ」
私が笑うと、彼はふいに真面目な顔になり、ポテトをつまんでいた指をペロリと舐めた。
その仕草が妙に色っぽくて、私はドキリとした。
「……お前が作るものなら、毒でも喜んで食う。だから、これからも俺のそばで、この悪魔的な料理を作り続けてくれないか」
それは、ただの夜食の感想にしては、あまりにも熱っぽい響きを持っていた。
薄暗いランプの光の中で、赤い瞳が揺れている。
心臓がトクンと跳ねた。
この人、無自覚にこういうこと言うから困る。
「……毒なんて入れませんよ。明日も仕事があるんですから、しっかり食べて精をつけてください」
私は照れ隠しに、自分もポテトを一つ口に放り込んだ。
塩辛い。でも、甘い。
なんだか胸がいっぱいで、味なんてよく分からなくなってしまった。
結局、山盛りのポテトはあっという間になくなり、コーラの瓶も空になった。
ギルバート様は「生き返った」と満足げに笑い、再び執務室へと戻っていった。
その背中は、来た時よりも一回り大きく、頼もしく見えた。
後に残されたのは、空っぽの皿とグラス。
そして、私の中に芽生えた、小さな甘い予感だけ。
……深夜の揚げ物は、胃袋だけじゃなく、心臓にも悪いみたいだ。
私は熱くなった頬を冷たい手で冷ましながら、片付けを始めた。
明日の朝は、胃もたれしないように優しいお粥でも作ってあげようかな。
そんなことを自然と考えている自分に、私は苦笑いした。




