第4話 野菜嫌いを克服せよ!「かき揚げ」の魔法
ヴォルグ辺境伯領での生活にも、少しずつ慣れてきたある日のこと。
私は食堂で、この城の主であるギルバート様と睨み合っていた。
「……食べない、とはどういうことですか」
私は腰に手を当てて、テーブルの上を指差した。
そこには、新鮮な野菜をたっぷりと使った『彩りサラダ』が、手つかずのまま残されている。
対して、メインディッシュの『オーク肉のステーキ』だけは、綺麗さっぱり皿から消滅していた。
ギルバート様は、食後のコーヒー(泥のように苦い謎の飲み物だったので、私が淹れ直した香り高いものだ)を優雅に啜りながら、悪びれもせずに言った。
「俺は草食獣ではない。肉があればそれでいい」
「野菜も食べないと栄養バランスが崩れます! ただでさえ激務で不規則な生活をしているんですから、ビタミンを摂ってください」
「ビタミン? よく分からんが、野菜など軟弱な貴族が食べるものだ。戦場に生きる男には必要ない」
ふん、と鼻を鳴らすギルバート様。
その顔色は、相変わらず少し青白いし、目の下のクマも消えていない。
どう見ても栄養失調と過労だ。
それに、この辺境の地は寒冷だが土壌が良く、根菜類を中心に素晴らしい野菜が育つのに、それを食べないなんてもったいない!
「……分かりました。そこまで仰るなら、私が閣下に『野菜ってこんなに美味しかったのか!』と言わせてみせます」
「ほう。面白い。言っておくが、俺の野菜嫌いは筋金入りだぞ。幼少期にニンジンの泥臭さで気絶して以来、緑色のものを見るだけで吐き気がする」
威張って言うことじゃないですよ、それ。
私は不敵に笑った。
料理人のプライドにかけて、この偏食魔王を陥落させてやる。
◇
厨房に戻った私は、さっそく食材選びに取り掛かった。
野菜の泥臭さや青臭さが苦手なら、それを消してしまえばいい。
そして、男の人が大好きな『ガッツリ感』を出せば、箸は進むはずだ。
用意したのは、この地方特産の『甲羅玉ねぎ』。
皮は硬いが、熱を通すと砂糖のように甘くなる。
それから、鮮やかな橙色の『甘味人参』に、大地の香りがする『土牛蒡』。
これらを全て、同じ太さの千切りにしていく。
トントントントン……。
軽快な包丁の音が厨房に響く。
野菜だけだとパンチが足りないから、旨味の補強役も必要だ。
私は朝市で手に入れた『リバーシュリンプ(川小エビ)』を取り出した。
殻が柔らかく、丸ごと食べられる小さなエビだ。これをたっぷりと混ぜ込む。
ボウルの中で野菜とエビを混ぜ合わせ、そこに小麦粉を薄くまぶす。
そして、ここが最大のポイント。
衣を作る水は、井戸で冷やしたキンキンの『氷水』を使うこと!
温度差があればあるほど、衣はサクサクに仕上がるのだ。
「今日のメニューは……これよ!」
私はお玉一杯分のタネを掬い上げ、熱した油の中へと滑り込ませた。
――ジュワアアアアアッ!!
一際高い音が弾ける。
タネが油の中で広がり、一つの大きな円盤状に固まっていく。
そう、『かき揚げ』だ。
野菜の水分が蒸発し、甘みが凝縮されていく音。
香ばしいエビの香りと、揚げ油のコクのある匂いが混ざり合う。
こんがりと狐色になったところで引き上げる。
見た目はもう、野菜料理というより巨大なスナック菓子だ。
丼に炊きたての白米をよそい、その上に揚げたてサクサクの巨大かき揚げをドーンと乗せる。
仕上げに、カツオ出汁とショウユ、砂糖を煮詰めた甘辛い『天つゆ』をたっぷりと回しかける。
ジュッ……。
タレが衣に染み込む音が、たまらなく食欲をそそる。
最後に、温泉卵(これも裏技で作った)を頂上にトッピングすれば完成だ。
名付けて、『野菜嫌いもイチコロ! サクサク巨大かき揚げ丼〜とろ〜り温玉乗せ〜』。
いざ、決戦の地(食堂)へ!
◇
夕食の時間。
執務を終えて食堂に現れたギルバート様は、運ばれてきた丼を見て眉を寄せた。
「……なんだこれは。鳥の巣か?」
「失礼ですね。芸術的な揚げ物ですよ。どうぞ、冷めないうちに」
彼は怪訝そうに丼を覗き込んだ。
野菜の姿形は見え隠れしているが、全体が黄金色の衣で覆われているため、一見すると何の料理か分からないはずだ。
タレの甘辛い香りに鼻をピクつかせ、彼はゆっくりとフォークを突き刺した。
ザクッ。
乾いた、いい音がした。
大きく切り取ったかき揚げを、白米と一緒に口へと運ぶ。
ガリッ、サクサクッ、ザクザクッ。
口の中で盛大な音が鳴り響く。
私は固唾を飲んで見守った。
ギルバート様の動きが止まる。
「…………む?」
彼は目を見開き、口の中のものを確認するように何度も咀嚼した。
「甘い……? なんだこの甘さは。砂糖菓子か? いや、もっと自然で奥深い甘みだ」
「それが玉ねぎと人参の甘みですよ。じっくり揚げることで、野菜本来の糖度を引き出したんです」
「これが野菜だと!? 馬鹿な、あの忌々しい青臭さがどこにもない! それに、時折弾けるこの香ばしい旨味の塊は……」
「川小エビです。殻ごと揚げてあるので、カルシウムもたっぷりですよ」
「なんと……」
ギルバート様は衝撃を受けた顔で、二口目を頬張った。
今度はもっと豪快に。
「美味い! この衣のサクサク感と、中の野菜のトロッとした食感の対比がたまらん! それに、この甘辛いタレが染みた飯! これだけで無限に食えるぞ!」
「ふふっ、まだ終わりじゃありませんよ。上の卵を崩してみてください」
言われて、彼はフォークの先で温泉卵を突いた。
ぷちっ。
薄い膜が破れ、濃厚なオレンジ色の黄身がとろりと溢れ出す。
黄身は黄金色のかき揚げに絡まり、まるで溶岩のように流れ落ちていく。
「なっ……これは反則だろう!」
彼は叫び、黄身の絡まった部分を掬い上げた。
パクッ。
とろりと濃厚な卵のコクが、甘辛いタレと合わさり、まろやかなハーモニーを奏でる。
「くっ、野菜料理だと思って侮っていた……。これは野菜ではない、極上のスナックだ! いや、メインディッシュだ!」
ギルバート様は完全に理性を失い、一心不乱に丼をかき込み始めた。
ガツガツと食べるその姿は、とても辺境伯家の当主とは思えないけれど、作り手としては最高に嬉しい。
苦手だったはずの牛蒡の土臭さも、「この歯ごたえが良いアクセントだ!」と絶賛している。
作戦は大成功ね。
と、その時だった。
「……ん? なんだ、体が熱いぞ」
完食して満足げに息を吐いていたギルバート様が、急に胸元を緩め始めた。
カッと顔が紅潮し、全身から湯気が出ているように見える。
「閣下? 大丈夫ですか?」
私が慌てて駆け寄ると、控えていた執事のセバスチャンが驚愕の声を上げた。
「こ、これは……! 閣下の魔力回路が、活性化しておりますぞ!」
「魔力回路?」
「はい! 慢性的な疲労で滞っていた魔力の流れが、急激に回復しております! 見てください、あの濃かった目の下のクマが、みるみる消えていくではありませんか!」
言われてみれば、ギルバート様の顔色はさっきまでの土気色が嘘のように、健康的で艶やかな肌色に変わっている。
目力も増し、全身から力がみなぎっているようだ。
「……凄い。疲れが霧散したようだ。三日三晩寝ずに魔獣を狩り続けた後のような疲労感が、たった一杯の丼で消え去るとは」
ギルバート様は自分の掌を握りしめ、信じられないといった顔で私を見た。
「セシリア。お前の料理には、何か特別な魔法でもかかっているのか?」
「ええ? まさか。ただの『美味しくなあれ』っていうおまじないくらいですけど」
私は首を傾げた。
前世の知識で作っただけだし、特別な魔術なんて使っていないはずだ。
でも、ギルバート様は真剣な眼差しで私の手を取り、跪いた。
「『美味しくなあれ』……それが最強の魔法なのかもしれん。セシリア、お前はやはり俺の女神だ」
「ちょ、大げさですよ!」
「大げさなものか。これなら明日の遠征も万全の状態で挑める。……なぁ、頼みがあるんだが」
彼は私の手を握りしめたまま、上目遣いで言った。
その顔は、おねだりする子犬そのものだ。
「明日の朝も、この『かき揚げ』を作ってくれないか? いや、弁当にして持たせてほしい。冷めても美味いんだろう?」
「ふふ、冷めたら少ししんなりしますけど、それがまた美味しいんですよ。分かりました、早起きして作りますね」
「愛している! ……あ、いや、お前の料理を、だぞ!」
真っ赤になって言い直すギルバート様を見て、私は思わず吹き出してしまった。
セバスチャンやメイドたちも、微笑ましそうに私たちを見守っている。
どうやら私の料理には、食べた人を元気にする不思議な効果があるらしい。
それが『加護』なのか『愛』なのかは分からないけれど。
この人がこんなに元気になってくれるなら、野菜だろうが何だろうが、美味しく料理してみせようじゃないの。
私は空っぽになった丼を下げながら、明日の朝食の献立を考え始めた。
かき揚げの残りで『天むす』にするのもいいかもしれないわね。




