--第12話「倒れた少女」
戦場の喧騒が遠ざかっていく。
耳に届くのは、風と炎の音、そして少女の浅い呼吸だけだった。
「……生きてる。かすかだけど、まだ息がある」
ハルヒは瓦礫をどかし、少女の体を慎重に抱き上げた。
その身体は驚くほど軽く、温もりが薄い。
白銀の髪が血に染まり、頬に落ちた煤が涙のような筋を描いていた。
年の頃は十七、十八。
破れた衣の下に刻まれた印章が、淡く輝きを放っている。
――時の紋章。
それは、かつて存在したはずのない“時の加護”の証。
伝承でしか聞いたことのない紋章を前に、ハルヒは息を呑んだ。
「……この子、いったい……」
「彼女は“クロノ・シーア”よ。」
ミリアが静かに答えた。
「時の流れを視ることができる、特異な血を継ぐ者。だけど、もうずっと前に絶えたと聞いていた……」
“時を視る者”――
ハルヒの心に、手の中の時計が重く響いた気がした。
「助けるぞ。」
ハルヒはそう言って立ち上がる。
だが、すぐに魔族の影が瓦礫の向こうから迫ってきた。
黒い槍の穂先が風を裂き、地面に突き刺さる。
「チッ……来るか!」
スキル《瞬動》《反射加速》を発動。
光の軌跡を残しながら間合いを詰め、魔族の腕を切り裂く。
だが数が多い。六、いや十はいる。
「ミリア! こっちは俺が引きつける!」
「無茶よ、あなた一人じゃ――」
「平気だ。俺は“無魔の剣士”だ。魔力がない代わりに、限界はない」
そう言い切り、ハルヒは走った。
戦場の風が背中を押す。
剣を握る手に、痛みではなく覚悟だけが残る。
スキルが連鎖する。
《反動制御》《視界拡張》《反撃予測》《瞬動二連》――
魔法の補助もアビリティの加護もない。
それでも、体を削るように技を重ね続けた。
「うおおおおおッ!」
剣閃が走り、魔族の鎧が砕ける。
立て続けに二体、三体を斬り伏せたその刹那――
背後から、熱を帯びた風が吹き抜けた。
「《炎閃・ルクスバースト》!」
眩い閃光とともに、炎が敵陣を呑み込む。
赤く輝く剣を振り抜いたのは――レオン=ヴァルグレア。
「やるじゃないか、新参者!」
彼は軽く笑いながら、ハルヒの隣に立った。
その笑みは、戦場に似つかわしくないほど爽やかで、どこか兄のように頼もしかった。
「お前たち……」
振り返ると、他の五人も戦線に加わっていた。
ガルドの咆哮が響き、敵陣が揺らぐ。
リィナの風が矢を運び、セリアの光が的確に貫く。
ユグノアの指示が全体を統率し、ミリアの治癒が仲間を包む。
――六人の英雄。
戦場の中で、彼らはまるでひとつの生命体のように動いていた。
その連携は完璧で、息ひとつ乱れない。
「……これが……“伝説の始まり”か」
ハルヒは呟く。
そして、彼らの輪の中に、自分が足を踏み入れていることに気づく。
魔族を退けたあと、レオンが剣を肩に担いだ。
「よし、こいつらは片付いたな。……で、お前、名前は?」
「ハルヒ・クロノス。現代――いや、今は説明しても信じてもらえないと思うけど」
「……現代?」
レオンは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑った。
「なるほど、異国の言葉か。まあいい、強い奴なら歓迎だ」
その時、ミリアが呼ぶ声がした。
「彼女、目を覚ましそう!」
ハルヒとレオンが駆け寄る。
少女のまぶたが、ゆっくりと震え、青白い瞳がわずかに開いた。
焦点の合わない視線が、まっすぐハルヒを捉える。
「……あなた……“時の外”の人……?」
かすれた声が、風に溶けるように届いた。
ハルヒの胸の奥で、時計の針が激しく震えた。
チチ……チチ……
「……どうして、そのことを……?」
少女は、微笑もうとした。
だが、唇から零れたのは血の色だった。
「あなたが来たということは……“時の流れ”が……もうすぐ……崩れる……」
言葉は途切れ、意識が闇に落ちていく。
ミリアがすぐさま治癒魔法を施すが、紋章の光は弱まる一方だった。
「……クロノ・シーア……この時代で、時を知る唯一の存在。もし彼女が……」
ミリアの声が震える。
「放ってはおけないな」
レオンが短く言い、仲間たちを見回した。
「この子を本陣まで運ぶ。お前も来い、ハルヒ・クロノス」
「……わかった」
燃え続ける戦場を背に、彼らは歩き出した。
その行く先で、時代と運命が重なり始める。
――こうして、ハルヒは六人の英雄と肩を並べて歩き出す。
それが、後に歴史に刻まれる《第七の英雄》の始まりだった。




