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一時の拠点

 やっと我が家に帰って来られたが、自分の家なのに入る事を躊躇してしまう。

 出て行くまでは、周りの家と変わらない洋風の家だったはずなのに、この数時間の内に要塞と言っても過言ではないほど様変わりしている。


「お家をリフォームしてたから、暫く来れなかったの?」

「このリファームに、俺は一切関与してないよ」


 お茶目で能天気な小雪ちゃんが、無理に笑おうとして顔を引きつらせている。他の家にも、窓に鉄格子は付いているが、俺の家はそれを軽く凌駕している。ドアの前には 有刺鉄線(ゆうしてっせん)が何重にも巻かれたバリケードは勿論、床には電流が流れる電気マットが敷かれ、さらに至る所に、何が引き金になるか分からない銃火器が設置されている。


「大和兄ちゃん……これどこから入るの?」

「下手に動いたら死ぬかもしれないから、設計者に聞くしか……ん?」


 家の前で立ち尽くしていると、1台の装甲車がゾンビを跳ね飛ばしながら、突っ込んでくる。あまりの乱暴な運転に、ゾンビ化した奴が運転しているのかとも思ったが、装甲車は俺の家の前で停まり、運転席から銀の甲冑騎士が下りてきた。


「遅かったから迎えに行ったけど、心配いらなかったみたいね」


 この声は……母さんか。

 その甲冑をどこから盗んで来たのか、この家はどうやって改造したのか、もう何から突っ込んで良いのか分からない。


「えっと、母さん? とりあえず家の中に入ろうか」

「そうね! 2人とも付いて来て」


 ガチャガチャと鈍い足音を立てながら、母さんは俺達の前を歩く。

 その後に付いて行こうとすると、小雪ちゃんが俺の袖をクイクイっと引張る。


「どうしたの?」


 小雪ちゃんは何も言わずに、俺の体によじ登り、ぷるぷると震えながら抱き付いてきた。小雪ちゃんからしたら、今の母さんはゾンビと同じくらい怖いのだろうか? だが、息子である俺すら引いてしまうのだから、小雪ちゃんが怖いと思うのは仕方が無い。


「この隠し通路を、こんな形で使う事になるなんて」


 母さんは芝生の一部を捲ると、そこにはマンホールの蓋らしき物が隠されていた。

 何重にも張り巡らされた罠。芝生の下に隠された隠し通路。罠は知識と経験さえあれば作れるけど、この隠し通路は1朝1夜で掘れるものではない。この隠し通路は、母さんが家を建築する時に準備しておいた物だろう。


「さあ、付いてきて」

「狭すぎて、1人じゃないと降りられないのか」


 母は親指を突き立てて、何も言わずに下りて行ってしまった。正直、この隠し通路を下りるのはゾンビと闘うよりも数倍恐怖を感じる。


「ここ下りないといけないの?」


 小雪ちゃんが目に涙を滲ませながら聞いてくる。

 家のバリケードを作った母が、ここを下りて行ったという事は、ここ以外には安全に入るルートが無いと言っているのと同じ事だ。


「小雪ちゃん。家の玄関が少し変わったんだ。怖いだろうけど、1人で下りて来れる?」


 穴が狭いから、おんぶして下りる事は出来ない。

 小雪ちゃんは風が込上げる暗い穴を暫く見つめ、息を大きく吐くと『怖くない、怖くない』と独り言を呟きながら下りて行った。


「ん!?」


 どこからか視線を感じたが、周囲を見渡しても人影はない。


「気のせい……か?」


 小雪ちゃんの声が木魂す穴に入り、ゾンビが入って来ないように、蓋を閉めてから下りていく。隠し通路を作るのはいいが、通る人の事を考えて、ライトの1つでも付けて置いて欲しいものだ。


「よっこらせ」


 隠し通路の先は、母さんが嫁入り道具として持って来た、桐タンスの底に繋がっていた。子供の頃に『ここには大切な物が入ってるから開けないこと』と言われていたけど、まさか大切な物が、あの隠し通路だったとは……。


「ふぅ~。さすがに蒸すわね~」


 甲冑を脱ぎ、汗を拭うのは間違いなく俺の母さんだった。母さんには家の事や隠し通路の事などを聞きたいが、今は先の事を考えた方が良いだろう。


「大和。食糧は1週間分備蓄してあるから、1週間は家にいましょう?」

「この町内の人口は約420人……俺が帰って来るときに、30人殺したから残りは約390人。その数のゾンビが押し寄せて来たら、いくら頑丈なバリケードでも持ち堪えられない。光一と合流出来た時点で、ここから離れた方が良いと思う」


 鈍間なゾンビでは、母さんが作ってくれてバリケードを破壊できるとは思えないが、こうでも言わないと母さんは納得してくれない。バリケードは強固で、ゾンビが何人で襲ってきたとしても関係ないが、さっきの視線が気になって、ここに居てはいけない気がする。


 俺だけでも2人の事は守れるが、俺がいつ自力で動けなくなるか分からない。今日か、明日……数分後の可能性だって大いにある。2人の事を守る為には、光一に協力してもらうしかない。光一は妹である小雪ちゃんの事は守ってくれるだろうが、俺の母さんの事を守ってくれるとは限らない。これだけは、光一の事を信じるしかないか。


「光一君……大丈夫かしら?」

「あいつなら大丈夫だよ」


 光一はスポーツ界で『鏡の選手』として有名だった。

 どれだけ時間を掛けて磨いた技術や戦法でも、1度見せれば盗まれ、今度はその技術や戦法が自分に返ってくる。長期戦になれば、自分の技や戦法は奪われ続けて、まるで自分を相手にしているかのような錯覚に陥る。


「そ、そうよね! 大和を負かした事があるんだもん」

「その話はしないでくれ」


 枩原光一。

 俺に敗北の悔しさを教えてくれた奴であり、敗北する悔しさを味わわせた奴でもある。近頃は竹刀を交えなくなったから、実力は多少衰えているだろうが、それでも常人以上の強さがあるから、ゾンビに食い殺されるなんて事はないだろう。


「着替えてくるから、少しだけ見張りをお願いしてもいいかな?」

「少しなんて言わず、ゆっくりすればいいわよ!」

「……ありがとね」


 母さんは急に頬を赤くして「今日は暑いわね~」と言いながら、どこから盗んで来たのか分からない狙撃銃と弾丸の箱を持って、足早に2階へ行ってしまった。


「俺がゾンビだったら、母さんだけは絶対に敵にしたくないな」


 汗で濡れた服を洗濯機に放り込み、新しい服を慎重に選ぶ。

 光一と合流して、この家を離れたら暫くはゾンビとの闘いが続く。少しでも傷を付けられたら感染してしまう。動きやすさを重視するなら、学校の体操服かジャージの方がいいけど、これではあまりにも布地が薄い。かと言って、重ね着をすれば動きにくくなるだろうし、服1つ選ぶにも命懸けとは……母さんの甲冑が少し羨ましい。


「そういえば」


 子供の頃に父さんから貰った服の事を思い出し、タンスの奥に閉まって置いた箱の中から、10年越しに取り出す。


「和服……か?」


 内側は肌にピタっとフィットするが、伸縮性に優れていて曲げ伸ばしに窮屈感はない。

 外側の布地は丈夫な糸で縫われ、簡単に壊れる事はないし、通気性が優れているから、長袖の体操服よりも涼しい。


「この服にするか」


 父さんは「仲間と剣技を高めていた時に着ていた服」だと言っていたけど、一体どんな人達と競い合っていたのだろうか? そもそも、俺が母さんから教わった剣術は、母さんが父さんに教わった技術らしいから、父さんは俺や母さんを遥かに凌駕する手練れだったのかもしれない。


「着替えるだけで息が上がるなんて……俺も老いたな」


 着替えを終えて、ベッドで横になる。

 母さんは休めばいいと言ってくれたが、母さんにも限界がある。その時、俺は2人を守り切れるだろうか? こんな脆弱な肉体で、2人が逃げるだけの時間を稼げるだろうか?


「はぁ~。体だけじゃなくて、精神まで脆弱になりつつあるな」


 守れるか守れないか、時間を稼げるか稼げないかじゃなくて、守るんだよ! 足が動かなくなれば、這いながら剣を振るう。腕が動かなくなれば、足で剣を振るえばいい。もし、体が動かなくなれば、俺がゾンビの餌になって時間を稼げばいいだけの話。


「だだだだだ!」

「ん?」


 昼間より元気なのは、小雪ちゃんが夜行性の証拠だろうな。


「大和兄ちゃん! 元気いっぱいの白兎だよ」

「はは、その服は母さんから貰ったのか?」


 お風呂から上がった小雪ちゃんは、俺が小さい頃に着ていた耳付の兎パジャマを着ていた。帽子に付いている兎の耳を、手でパタパタと動かしながら、ぴょんぴょん跳び撥ねながら近づいてくる。


「可愛い白兎を飼ってみませんか?」

「そうだな、それなら檻に入れないとね」

「白兎は大人しいから、檻は必要ないよ?」

「そうか、餌は大好物の人参で良いんだよね?」

「し、白兎はお肉と魚が大好物だから」

「……やっぱり檻必要なんじゃないかな?」

「それなら檻に入るよ!」


 小雪ちゃんはベッドに跳び乗り、布団の中にもぞもぞと入ってくる。

 腹部に手を回され、横腹に小さい顔をぐりぐりと押し付けてきた。くすぐったいから、引張り出そうとすると、それに抵抗して脇腹に強烈な頭突きをお見舞いされてしまった。


「ねぇ、小雪ちゃん?」

「白兎を抱っこしてる時は静かに!」


 抱きしめる手にいっそう力が込められる。

 余計な事をして、また頭突きを喰らうのは嫌だし、大人しく小雪ちゃんの言う事を聞く事にする。


「……」

「……小雪ちゃん?」

「スゥー,スゥー,スゥー」


 布団を捲ると、小雪ちゃんは気持ちよさそうに寝ていた。


「しっかし、この子はよく寝るな」


 小雪ちゃんの寝顔を見ていると、瞼が重くなってきた。この子と一緒にいると、悩みや不安がどうでもよくなって、とても安心する。


「小雪ちゃん? 大きくなったら、俺と結婚しないか?」

「スゥー、スゥー」


 ふふ、馬鹿な事言ってないで、俺も少しだけ寝るとするか。

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