第4話 断頭台の抱擁、あるいは聖なる鎖
アイギス砦の最上階。勝利の咆哮を上げる騎士団員と兵士たちの歓声は、勇者カイルの耳には届いていなかった。
彼は血に濡れた己の掌を見つめ、あの日、この狂気の世界へ足を踏み入れた瞬間の記憶を、思い出していた。
異世界アスガルド。その召喚の舞台は、聖教国ソルシエールの王宮広間だった。
大理石の床に刻まれた幾何学模様。天窓から差し込む荘厳な光。そこには、国王アルドリックを筆頭に、臣下たち、そして一人の少女が待機していた。
「……待っていたぞ、勇者カイルよ」
玉座に座るアルドリック王の声は、威厳に満ちてはいたが、その奥底には計算高い冷徹さが透けて見えた。
カイルは勝手に召喚されたのではない。あの日、白銀の空間で女神ステラと「契約」し、自らの意志でこの地へと降り立ったのだ。
歩を救うためなら、魔族でも何でも殺し尽くしてやると誓って。
「女神様より、そなたが自ら名乗りを上げたことは聖女を通して聞き及んでいる。これよりこの国は、魔族との聖戦の勝利をそなたに委ねる」
王の傍らには、透き通るような白銀の髪をなびかせた聖女エルゼが佇んでいた。彼女は女神ステラの神託をその身に受ける「器」であり、この国の精神的支柱だ。
王から告げられたのは、人類を滅ぼさんとする魔族と『氷の魔王』ルナレスの脅威、そして魂なき魔族たちの残虐非道な行いだった。
「……話はわかった。俺がやるべきは、魔王を討つこと。それだけだ」
カイルの短い返答に、王は満足げに頷いた。
その場に一人の騎士が進み出る。褐色の肌に銀髪、白銀の鎧を纏った女性の姿はとても美しく、凛々しい。
「騎士団長、リリアです。勇者カイル様のこれからの戦い、我ら聖教騎士団が全霊をもって支えましょう」
リリアの鋭い眼光は、カイルを「英雄」としてではなく、一つの「戦力」として検分していた。
「ああ。宜しく頼む」
国王との謁見の後、豪華な客室に案内された。
「この客室をお使い下さい。この後、勇者カイル様歓迎の式典が執り行われる予定です。後ほどお迎えに参ります。何か御用の時は扉の前の使用人にお申し付けください。それでは」
それだけ言うとリリアは部屋を立ち去ろうとするが、不吉な報せが一人の兵士によって舞い込む。魔族討伐に当たっていた騎士団が、多大な犠牲を出して撤退したという。
急遽式典は中止になり緊急会議が開かれた。カイルの初陣は、その数日後だった。
女神ステラから授かった圧倒的な魔力と聖剣。初めて目にする魔族は、カイルの瞳には理性の欠片もない、醜悪な牙を持つ獣にしか見えなかった。
「殺せ。あいつを救うために」
自分に言い聞かせ、剣を振り抜く。熱光が炸裂し、数百の魔族の肉体がひしゃげ、赤い飛沫が駆の顔を熱く濡らした。
「ああ……あああああッ!」
カイルは膝をつき、胃の中のものをすべてぶちまけた。自分が奪ったのは、ただの「化け物」の命ではない。確かな脈動を持っていた「生命」を、己の手で無に帰したという、逃げ場のない感念。
「俺は人殺しだ……。こんなの、俺は……!」
絶望に打ち震え、血に染まった手を擦り合わせるカイルの前に、ふわりと甘美な香りが漂った。
「泣かないで、カイル様」
聖女エルゼだった。
彼女は祈るように膝を突き、カイルの汚れきった手を迷うことなく自身の頬へと当てた。
「これは穢れではありません。貴方のその手は、世界を浄化し、そして何より――貴方が愛するあの方を救う聖なる代償なのです。これこそが、世界に真なる夜明けをもたらす、祝福された救済なのですから」
その声は、震えるカイルの心を呪いのように締め上げた。エルゼの碧眼の奥、一瞬だけ見えたのは、慈愛などではない、底知れぬどす黒い神性の狂気。
彼女は懐から、女神ステラとの神託に使用される『魔鏡』を取り出した。
「ご覧なさい。女神様が貴方の献身に応え、あの方の姿を映し出してくださいます」
鏡面には、穏やかな光に包まれて眠る少女の姿。
「女神様のご厚意です。貴方が魔族を討ち、聖剣にその命を捧げるたびに、あの方の命の灯は絶えることなく守られるでしょう」
それは、救いなどではない。カイルが殺戮を止めれば、妹への窓もまた永遠に閉ざされる。女神ステラと聖女が仕掛けた、逃げ場のない「管理」の始まりだった。
――アイギス砦の執務室。
「……カイル様、また過去を振り返っておられるのですか?」
エルゼの涼やかな声が響く。彼女はカイル以外の前では、常に清廉で慈悲深い聖女として振る舞っていた。だが、カイルと二人きりになった瞬間、その空気は冷酷な管理者のそれへと変じる。
「エルゼ……見せてくれ。あいつを……。俺が守ったものの、続きを」
カイルの声は、もはや渇いた砂のようだった。連戦の疲労で心身ともに摩耗し、彼はもはや、エルゼが掲げる鏡の中にしか自分の居場所を見出せなくなっていた。
エルゼは慈愛に満ちた仕草で魔鏡を掲げる。鏡の中の少女は、依然として何も知らずに眠り続けている。
「……歩……」
「ええ、とても安らかな寝顔です。ですが、カイル様。次なる獲物を捧げなければ、この光は霧散してしまうでしょう」
エルゼはカイルの頬を撫でる。その指先は氷のように冷たい。
精神が摩耗し、エルゼに依存するしかないカイルは、ただ縋るようにその手を受け入れるしかなかった。
「勇者様、聖女様。休まれているところを申し訳ありません」
扉を叩き、騎士団長リリアが入室する。エルゼは一瞬で、汚れなき聖女の微笑をその面に張り付けた。
「構いませんよ、リリア団長。勇者様の御容態を案じていたところです」
リリアはカイルの生気のない瞳を、どこか不審そうに、あるいは憐れむように見つめた。だが、聖女の完璧な振る舞いに、それ以上の追求を口にすることはできなかった
――その頃。凍てつく北の魔王城では。
遠くを見る魔法(千里眼)でアイギス砦の様子を見ていたルナレスは胸に手を当てて決意を口にする。
「光の勇者、あなたを絶対に倒してみせる。これ以上同胞を殺させはしない。どうか力をお貸しください。闇の神よ」
(心の奥底に残る朧げな記憶。顔も声も思い出せないけど、きっとあの人ならあきらめない。だから私も)
――アイギス砦の執務室。
「勇者様、新たなるご神託です」
エルゼが、その白い指先で地図上で戦場を指し示す。
「次の地は『嘆きの平原』。そこには、魔族共が救世主と崇める、あの禍々しき『氷の魔王』が降臨します。……さあ、その聖剣で、真なる夜明けを」
女神ステラの神託が、エルゼを通じて下される。
カイルは黙って、聖剣の柄を握りしめた。
神の檻に囚われた『光の勇者』と、悲劇を纏った『氷の魔王』。
互いの「救いたいもの」のために、世界で最も残酷な再会を果たすまで――あと、一刻。
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