妖怪退治人集結!
こうして身を清めた三女忍は身形を整え、男風呂からあがり、黒羽二重で正装した半九郎と夕食をすませ、青梅の宿場町の西端にある陣屋へと向かった。
陣屋敷地は六千三百平方メートルで、かつては豪壮な建物であったろうが、今は古びている。
近くには稲葉家の屋敷や金剛寺があった。
その門前で番士に取り次ぎを願い、寺社奉行からの書状を渡して、しばし待つ。陣屋からは怪我人たちの呻き声が聞こえた。
妖怪退治の激戦で生き残った者であろう。
そして、金剛寺から炊き出しの匂いが漂ってきた。
椀を持った老若男女がならぶ行列が見える。
氷川の宿場から避難してきた住民たちが、稲葉家が蔵から出した施し米の炊き出しで飢えをしのいでいるのだ。
子供が母親に「早くおうちに帰りたいよう……」と愚図る姿がいたましい……紅羽たちの心に、切なさと、妖怪への怒りが込み上げてくる。
「いいか、お前たち……我らの使命は重大であるぞ……」
「わかっておりまする、松田殿……」
「あの人達が早く帰れるように、ですね……松田の旦那」
と、返事した竜胆と紅羽の水蜜桃のような臀部を何者かがスルリと触った。
「ひゃあああああっ!!!」
「きゃああああっ!!」
二人がふり向くと、いつの間にかそこには、顎髭が胸までたれた関羽髭に、蓬髪で筋骨たくましい三十代くらいの大男がいた。
白装束に袈裟と鈴懸を着込み、兜巾をまとい、錫杖をジャリンと鳴らした。
腰に法螺貝をぶら下げた天狗のような姿の人物――山伏だ。
山伏とは、日本古来よりある山岳宗教者であり、山中で起臥し、山の霊力を吸収して修行する僧をいう。
神仏習合の影響が濃い神社の神職や寺院の僧侶がなることが多い。
平和な江戸幕府の世となると、民間の祈祷師として、呪術や占いなどをした。
「ぶぅるぁああああぁぁぁ……久しぶりだな、妖怪退治人の小娘どもぉぉぉ~~」
「げっ、いつの間にあたし達の背後に……あんたは……」
「いつぞやの破戒山伏……空気を読め、助平山伏っ!!」
紅羽が巨漢山伏の腹に回し蹴りを放った。
が、山伏は左掌で受ける。
しかし、竜胆の第二の回し蹴りが顔面に炸裂して、顔に足形がめり込んだ。
「……げほぉぉぉ……紅羽の回し蹴りの陰に隠れて、第二撃の蹴りをこのわしに喰らわすとは……少しは腕を上げたな、天摩流……」
「いきなり人の尻を触るとはなんと見下げた破戒僧じゃっ!!!」
「そうだよ、この助平山伏っ!!」
紅羽と竜胆が気配を読めずに、うっかり背後を取られてしまった未熟さと気恥ずかしさから、怒りを山伏に叩きつけた。
「なっ、なんだ……いきなり現れたこの山伏は……お前たちの知り合いなのか?」
「この人は同じ妖怪退治人でもある、轟竜坊のおっちゃんなのです!」
面食らった松田半九郎の疑問に黄蝶が答えた。
轟竜坊は出羽国羽黒山で『羽黒派古修験道』を修行した豪僧であり、凄腕の妖怪退治屋でもある。
紅羽たちとは、以前、暗闇坂の辻斬り事件で出会った。
轟竜坊は蔵王権現をまつる金峰山道場で滝打ち・断食・床堅などの修業中に、土蜘蛛出現と退治人募集の報を聞き、甲府街道から大菩薩峠を越えて、封鎖された街道を避け、山道から青梅にやってきたのだった。
「そうなのか……しかし、山伏といえば、厳しい戒律を守り、女人を避けるというが……いきなり……尻を……」
「なんじゃい、そこな三白眼の男は町方役人か? わしは修験者で、寺社方支配であるぞ、文句があるなら、寺社役同心を呼んでこんかい!!」
「……山伏のおっちゃん……このお兄ちゃんは松田新九郎様といって、寺社役同心なのですよ」
「だから、町方同心なぞ…………なんじゃって? 寺社役同心?」
轟竜坊が黄蝶・紅羽・竜胆をうかがうと、首をたてにふった。
大きな手を蠅のようにスリスリとすって、髭面を近づけて低姿勢に取り入りはじめた。
「こっほぉりゃあああ、失礼つかまつりました……拙僧は妖怪退治を生業にしておる轟竜坊という、つまらん者ですが、よろしくしてつかあさい!!
そして、なにか妖怪退治の案件がでた場合には、このわし、轟竜坊にいってください……たいてい、山伏町にいるので、そこんとこよろしくお願いしやす……」
「おい……わかったから、髭面を近づけるなよ……轟竜坊殿……」
三女忍が轟竜坊の豹変ぶりに呆れた視線をおくる。
「いきなり、日和見ったぁぁぁ……」
「黄蝶、あれがダメな大人の例だ……よくみておくがよいぞ……」
「わかったのです……」
天摩くノ一衆がジト目で山伏を見た。
「うぬっ……竜胆とやら、このわしを勝手に駄目な大人の手本にするじゃアないっ!!」
そこへ、番士がやってきて、松田半九郎と三女忍、轟竜坊たちは青梅の西端にある屋敷へ案内された。
ここは森下陣屋といって、長きに渡って徳川家の代官所であった屋敷である。
元は天正十八年に徳川家康が関東移封となり、直轄領を支配する代官所の出張所として築かれたものだ。
大久保長安が八王子代官となり、その支配下で大野善八郎尊長・鈴木孫右衛門らが青梅代官を勤めた。
青梅代官は三田・加持・高麗・毛呂領の山の根二万五千石を支配していた。
が、森下陣屋は三十七年前、延享元(1744)年に伊奈半左衛門忠逵の代に廃止された。
長らく閉鎖されていた屋敷だが、この度の土蜘蛛退治のために、関東郡代の伊奈家から派遣された代官・戸須田忠右衛門が軍事拠点とした。
ちなみに陣屋の敷地址は、現在は熊野神社が祀られている。
この多摩の辺りは徳川家の天領であり、伊奈家が代々支配している。
伊奈家は関八州の幕府直轄領およそ三十万石を治めており、行政・裁判・年貢の徴収、警察権なども執行していた。
幕府の天領地はほかの大名家よりも年貢がすくなく、多くの住民たちは徳川家びいきであり、伊奈家はとても尊敬されていた。
ともかく、紅羽達一行は大広間の青畳に案内された。
そこにはすでに盤渓寺十羅漢の代表として頭目・崑崙坊と副頭目の八仙坊が来て単座していた。
二人とも巨顔で褐色の肌で、そっくりなので兄弟であろう。
「松田殿……これから会うお方は代官の戸須田様ですか?」
「いや、戸須田様は土蜘蛛退治で怪我をして、奥で休んでおられるようだ。代わりに祐筆の鞍手伝兵衛殿がお会いになられる……」
取次役に書状を渡すと、しばらくして二十代の半ばの青白く細身の役人がきた。
「おおっ……あなた方がさいきん江戸で評判の妖怪退治屋たちか……一騎当千の強者の面構えであるな……」
鞍手伝兵衛が僧侶の崑崙坊、八仙坊、山伏の轟竜坊、松田半九郎の強面顔を見て、頼もしげにいう。
そして次に、美貌の女侍、巫女、町娘の綺麗所三人組を観て、「ほう……」と昂揚するが、いささか不安気な顔になった。
「こちらは……思いのほか、若いのですな……」
文官である鞍手伝兵衛はいささか不安気な顔で三女忍を見た。




