土蜘蛛塚
「はぁ……はぁ……くそっ……俺はぜったい……捕まらねえぞ……」
日が傾いた時刻に、山奥の獣道を男が昇っていた。
彼は陽に焼けて脂ぎった壮年男で、街道筋で鳴らした狂暴剽悍の盗賊であり、その名を野伏の万吉という。
彼は氷川村の小名宿から走り詰めであった。
それというのも、ひと時前……
裏甲州(成木)街道の馴染みの盗人宿に集まり、手下の権蔵、弥之助ら幹部と次に襲うと狙い定めている稲葉家の見取り図を手に入れ、品定めしていた。
稲葉家は青梅村周辺でつくられる石灰、木材、織物を江戸に売る問屋として栄えていた。
この稲辺家の住居は火災から守るために周辺を土や石灰で塗り固めた土蔵造りに甍の屋根をおいた頑丈な建物であり、普通の商家の十倍の費用がかかったという。
忍び込みにくいが、すでに引きこみ役の渡り中間を潜りこませている。戦利品も十倍はあろうと舌舐めずりした。
そこで一番年下の宇平が用意した泥鰌鍋をつつき、酒でも飲むかと一息ついたときだった。
突然、玄関から大声があがり、戸板を倒される音がして、大勢の捕り方が侵入してきた。
かねてから宿屋を盗人の巣窟と見抜いた関八州廻りが、野伏の万吉一味が網にかかるのを待ち伏せていたのだ。
手下たちはすでに大勢捕まったが、頭目である万吉と手下の宇平はなんとか逃れ、奥多摩の山奥へと逃げた。
夜の登山は滑落や遭難などの危険があるが、それどころではない。
そして、この山は『土隠山』といい、地元の人間が『祟り山』と恐れる禁足地である。
が、万吉と宇平注連縄をくぐり、構わずはいった。
『祟り山』とは、忌み地であり、原因不明の超自然的存在が人間に災いをあたえる山地のことだ。
古来より人々は天災、飢饉、流行り病、その他の災厄を古代の神の祟りとし、民は畏れ、敬った。それが神社祭祀のはじまりであり、祟り山は山岳信仰のはじまりともいわれている。
奥多摩だけでも御霊の尾根の自害沢、病ヶ沢、骨窯、喰わない作り、天蓋山、位牌山、地獄谷戸、生首、居合澤、北蓑戸、等などの現在も続く『祟り山』が存在する。
万吉は途中で、繁みにまぎれ、宇平と生き別れとなったが、知ったことでは無かった。
陽がつるべ落としに沈んでいく。ふと、見下ろすと、御用提灯や松明をもった山狩りの捕り手の火が見えた。
目に見えて足取りが遅くなる。
単身の盗賊と集団の捕り手との違いだ。
遅れれば網にかかるが、急げば山奥に潜み、悪運があれば隣国へ逃げ切れるかもしれない。
灌木の枝で体中に引っ掻き傷ができ、暗い沢の砂利で足を切ったが、痛みも気づかぬほど走って逃れた。
ようやく、捕り手が見えなくなると、斜面に開けた地が見え、一息つくことにした。安心すると疲れがどっと出た。荒い息を整え、森閑とした周囲を見回すと、開けた地の中心部に土を盛った塚が見えた。
直径四間(約7.2m)はある大きなものだ。そして、塚の中心を見上げる。
「なんだこりゃあ……」
万吉が思わずつぶやいてしまう。彼の眼前には巨大な岩がそびえていた。
高さ二間(約3.6m)もある巨岩で、流紋岩のようだがわかならい。わからないが、ボロボロの注連縄がまかれ、恐ろしく鬼気迫る奇岩であった。
押し込み強盗で金品を奪い、女を犯し、人を殺しておいて、せせら笑うという残忍非道の男が思わず総毛だってしまう迫力があった。
この巨岩は古代からある磐座のようだった。磐座とは、古神道でいう、古代民が信仰した岩のことである。
古神道とは、現在の神道とは異なり、日本に仏教や密教などの外来宗教の波及がおよぶ以前の、人が社会を持ち始めた太古の時代に自然発生した原始宗教ともいうべきものをさす。
または純神道、神祇信仰とも言い換えられる。
その崇拝したものは後世の神仏などではなく、自然や精霊を崇拝したアニミズムであり、その発展形として霊魂などを先祖崇拝も含む。
万吉をはじめ、この時代の人々に縄文・弥生・古墳時代などの知識はない。
だが、古代からある古墳や住居の跡、貝塚や土器などを見て、大和朝廷より以前の、遥か昔の民がいたということはなんとなくわかっていた。
この古代の塚と磐座の一体化した遺跡がいつ頃からあるのか、地元の人も知らないが、古老たちは『土蜘蛛塚』と呼んでいた。
古代における塚とは、墓ともいわれているが、古代人の遺骸が入っていない塚もあった。
無念をもって死んだ者たちが神霊となり、荒神となって祟らぬように、塚をつくって鎮魂し、器物や生き物を生け贄に祀り、信仰対象となった場合もある。
塚の前に御供え物の干からびた饅頭があるのを見つけた万吉は、かまわず口に入れて、バリバリと噛んで、唾液で湿らせて喉に押し込んだ。
本来なら泥鰌鍋をつついて、酒を楽しむ予定が、惨めな有り様となったと、情けなくなる。
その時、遠くで人声が聞こえた。
しかし、疲れ果て、足が動かない。ふと見上げると、土蜘蛛塚の正面に観音開きの木扉が見えた。
――ひとまず、ここに隠れるか……
盗賊の万吉が朽ちかけた注連縄を引きちぎり、合わせ目に貼った御札を破り、木扉を開く。
暗闇だが、人が入れそうだ。
中からすえたカビ臭い匂いが漂い、眉をしかめる。
その時、何の前触れもなく地面が揺れた。
地震が続き、万吉は地べたに這いつくばって空き地の中心に移動した。
巨石が倒れるかもしれないと思ったからだ。
しかし、地揺れは数分で治まった。
塚の土に地割れのヒビがあちこちに走っている。
遠くで、地震に動揺する捕り手たちの声が前より近くで聞こえた。慌てた万吉は、塚の空洞へ、構わず頭を突っ込んだ。
すると、眼前に青白く光る陰火が二つ見えた。
「ひっ!!」
思わず叫び出そうとしたが、必死に口を押えた。
――くそっ、驚かしやがって……きっと、猫か小獣が塚の中に潜りこんだに違いねえ……
万吉が構わず首を突っ込んだ。
とにかく今は中に入って、猫を追い出し、身を隠さねばならない。
光る眼を睨みつけると、青白い陰火はさらに三つ、四つ、五つと増えていき、八つの燐火となった。
四匹の猫がいるのかと思ったが、位置の配列がおかしい……
ジャゴッ!!
塚の木扉から何かを断ち切る嫌な音がした。
万吉の体がズルズルと後ろに下がり、尻を地面につけた。
彼の首があるべき場所に、首はなかった。
遅れて、首の切断面から血の奔流があがった。
ふたたび地揺れが起こった。
巨石の磐座も土塚も亀裂が入り、落とした甕のようにひび割れ崩れていった。
そして、崩壊した塚の中から、長い柱が数本突き出てきた。
いや、それは柱ではない、先端に鉤爪があり、黒褐色の体毛が生え、関節のある巨大な昆虫の足のようであった……
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