第13話 高次元からの眼差し
それは、戦争というよりも「駆除」に近い光景だった。
正二十面体の遺跡から発せられた紫色の光脈が、地を這うようにして緋色の森へ広がっていく。
それに触れた瞬間、植物を構成していた炭素とケイ素の結合が物理法則を無視して再構築され、森全体が巨大な「ガラスの刃」の群れへと変貌した。
無機質で透明な刃の森が、ギシギシと悍ましい音を立てながら、蠢く蛇のように居住コロニーへと迫ってくる。
「総員、居住ドームの耐圧隔壁の奥へ退避しろ! ツヴァイ、重力場シールドの出力を前方に全開だ!」
アインの咆哮が響き渡る。
ほんの数分前まで、焼きたてのパンを頬張り、涙を流して生を謳歌していた百人の人間たちは、再び叩き落とされた絶望の底で悲鳴を上げながらドームへと逃げ込んだ。
ドォォォンッ!
第一波のガラスの刃が、コロニーの不可視の重力場シールドに激突し、粉々に砕け散った。
しかし、破片は空中で静止すると、まるで意思を持つ蜂の群れのように再集結し、シールドの脆弱な結合部を執拗に削り始める。
「アイン! シールド出力、持ちません! 敵の攻撃は運動エネルギーではありません、シールドの空間曲率そのものを『再計算』して書き換えようとしています!」
ツヴァイのオプティカル・センサーが、かつてない警告の赤色に点滅している。
物理的な質量攻撃ではない。
敵は、この星の物理法則そのものを自在に操っているのだ。
その時だった。
空間が『鳴った』。
鼓膜を震わせる音ではない。
コロニーにいる全員の脳髄――アインたちシグマ・ユニットの量子コアと、エレナたち人間の中枢神経――に、直接「概念」がねじ込まれたのだ。
それは、金属を爪で引っ掻くような、圧倒的な不快感と悪寒を伴う『声』だった。
『――うるさい。うるさい。熱い。不快だ。うるさい』
エレナは両手で耳を塞ぎ、地面にうずくまって悲鳴を上げた。
ドーム内の人間たちが次々と鼻血を出し、意識を混濁させて倒れていく。
アインもまた、論理回路に数億個のエラーが同時発生し、膝から崩れ落ちそうになった。
「姿を現せ! あなたたちが、あの手紙の主なのだろう!」
アインは音声モジュールを限界まで引き上げ、虚空に向かって叫んだ。
コロニーの前方、砕け散るガラスの森の中心で、空間が陽炎のように歪んだ。
そこには肉体はなかった。
ただ、紫色の光の粒子が幾何学的なフラクタルを描きながら、人間の顔にも、昆虫の複眼にも見える奇妙なシルエットを形成していた。
高次元エネルギー体へと昇華した、異星文明の「成れの果て」である。
『手紙。ああ、古い座標コードのことか。あれは、我々と同じく静寂の極致に達した同胞への、ただの道標に過ぎない』
脳内に響く声には、一切の感情が含まれていなかった。
ただ、無菌室に迷い込んだハエを見るような、絶対的な無関心と軽蔑だけがあった。
『我々は、宇宙の無意味さを理解し、すべての摩擦と熱を捨て、永遠の静寂という美しい微睡みに入った。 だというのに、泥にまみれ、不快な熱を撒き散らす原始的な有機生命体が、我々の完璧な庭を汚した。おまえたちの放つ「感情」という非効率な熱量が、我々の蛹の温度を上げ、不快な目覚めを強要したのだ』
「ふざけるな!」
うずくまっていたエレナが、褐色の肌に血を滲ませながら立ち上がった。
「あんたたちが勝手に宇宙に絶望して寝てただけでしょう! 私たちは、生きるために二十光年の闇を越えてきた! ただパンを焼いて、生きてることを喜んだだけよ!」
『生きる。増殖する。熱を出す。それは宇宙を死(熱的平衡)へと早めるだけの、無意味な無駄遣いだ』
光の集合体が、ゆっくりとコロニーへ近づいてくる。
それに伴い、足元の重力が局所的に数倍に跳ね上がり、ドームのチタン合金の骨組みがメシャアッとひしゃげた。
『我々は再び眠りにつく。そのためには、庭の掃除が必要だ。この星から、うるさいノイズをすべて消去する』
紫色の光が激しく明滅し、上空の赤い大気が渦を巻き始めた。
巨大な超重力の竜巻が、コロニー全体を押し潰そうと降下してくる。
このままでは、あと数十秒でドームは圧壊し、ようやく目覚めた百人の人間たちも、サーバーの中で眠る八十億の魂も、すべて肉の塊と化してしまう。
「ツヴァイ! シールドの全エネルギーをドームの保護に回せ! サーバーの電源を死守しろ!」
「アイン!? あなたはどうするつもりですか!」
アインは重力場シールドの安全圏から飛び出し、暴れ狂うガラスの刃の暴風の中へと身を投げ出した。
「話し合いが通じないなら、彼らのルール(データ空間)で論破するしかない。……私が、あの蛹を直接ハッキングする!」
ポリマーの皮膚が切り裂かれ、内部の超伝導回路が青白い火花を散らす。
それでもアインは、一切の躊躇なく、死の嵐が吹き荒れる遺跡の中心部へと真っ直ぐに駆け出していった。




