222話 トラウマ級の事故
水曜日の朝。
「ケホッ……おはよう、澪桜。よく眠れた? ゴホッ」
「……す、すまん。もしかして私のせいで風邪引いたのかい?」
こんがりと美味しそうなトーストをテーブルに準備して凹む澪桜。
周は軽く喉を鳴らしながら、ゆっくり近づいて頭を撫でる。
「……澪桜のせいなわけないでしょ。自己管理出来てなかっただけ。でもあれは確かに衝撃的な寝相だよね。一緒に暮らしてビックリしたのはそこだけだもん」
「めっ……面目ねぇ。確かに周さん、全く動かないもんね。私からしたらそっちのがイリュージョン。初めて見た時、死んでるのかと思ったもん」
「鼻に指を当てられて、生存確認されたのは生まれて初めてだったよ。あれもいい思い出。……それと謝らないで、澪桜は何もしてないでしょ」
楽しそうに髪を手ぐしで撫でながら幸せそうに微笑む。
その唇はチアノーゼが出ていた。
「いや、毎回私が毛布を奪って、セルフ簀巻きになるせいだろう? やっ……やっぱり毛布は別々にしたほ」
「絶対ヤダ!! ひとつの毛布でくっついて寝るの!!」
「うぐぅ! 苦しい」
駄々をこねるように周は澪桜にしがみつく。
物凄い力でホールドし、雁字搦めにした。
昨晩からのエアコンで冷えた体が澪桜の体温で溶けていく。
「ああ。至福」
ひんやりと冷たい周の肌が澪桜の熱を奪っていく。
思わず胸の中で突っ込んだ。
「人で暖を取るんじゃないよ。と言いたいとこだけど私のせいだしなぁ」
呆れた澪桜は大きい犬のような周の背中に手を回し、ポンポンと叩く。
「澪桜、しゅき♡」
「はいはい」
スリスリして離れない犬
間違えた、周。
澪桜はため息をついて周を温めるように抱きしめ返した。
「……しかたない、帰るまでに代案を考えとくから。とりあえず、風邪薬飲んで私のPCR使っときなさい。二個あるから。今日帰りに薬局でまた何個か買っておこう。会社にお互い申告しないといけないだろうからね」
「ありがとう、お言葉に甘えさせて貰おう。……でもやっぱり、澪桜にだけは移したくないから今日から書斎で寝るよ。抱きついといて今更かもしれないけど」
ゆっくりと腕の力を抜いて、愛おしそうに澪桜の髪を耳にかけた。
朝焼けのように美しくて、物悲しい表情を浮かべたまままつ毛を伏せる。
「いいよ。一緒に生活してるのに、その時点で意味はない、それに寂しくて眠れないでしょ? ほら、ご飯食べよ、トーストが冷たくなってしまう」
「……うん。澪桜が優しすぎて俺、キュン死にしちゃう」
「ああ、私にもわかるよ、キュンってやつ。あれやろ? 寒い時、風呂場でたまになる―――」
「違う! それヒートショック! ガチでヤバいやつ!風呂場は温めてから入りなさい!! って、……あんこだァ♡ これ、いつ買ったっけ?」
渾身のツッコミを繰り出したかと思うと、コロッと表情を変えて鼻声のままテンションを上げる周。
(なんか最近私の性格が移ってきている気がする)
サラダを頬張りながら澪桜はフォークを回した。
「むぐむぐ……ほら、ブライダルカウンター行った帰りだよ。美味しいよ! あんバタートースト」
朝から会話が途絶えることの無い二人の朝食。
頬を緩ませっぱなしの周に視線を向けて、少しだけ心がザワついた。
色素の薄い周が余計に儚く見えるから。
(咳してたし、大丈夫かな? 酷くならないといいけど。何か今日中に対策を考えておかねば)
あんバタートーストを美味しそうに頬張る彼の頬に付いたパン屑を払って眉を下げた。
出勤前にしたPCRで二人の結果は陰性だった。
それぞれサージカルマスクを付けてその日の業務をこなす。
周は澪桜から貰った湿布味の生薬パウダー入のど飴で、喉の違和感を誤魔化しながら一日を過ごした。
***
その日の夜。
リラックスする服に着替え、並んでご飯の準備をする。
今日は豚の生姜焼きと、ナスの煮びたしと、なめこ汁。
生姜とネギをふんだんに使った病人専用料理(澪桜比)
「さあ! アホほど生姜食べて、内側から温もれ!」
「ケホッ……ありがとう澪……!?」
テーブルに並べる準備をしていると、不意にしっとりとした手が周の額に触れた。そこからゆっくり首筋に落ちる。
ゾクッと体に電流が走る。
その手の動きがやたら艶めかしくて。
つい、周は衝動に駆られた。
喉仏を鳴らし大きな手で澪桜の手を包む。
「っ……その触り方反則。ご飯食べる前に……俺をその気にさせるつもり?」
「? ……体温を測ったんだよ。おでこだと正しい温度が測れない。脇は篭もり熱がある。だから頸動脈」
「……頸動脈て。体温計あるでしょ」
「おお!確かに!!ピってするやつあったね!」
全くもって色気のない返しについムカついた周。
澪桜の無意識な動きに翻弄されっぱなしで。
思わずポケットに入れていた湿布味のアレを澪桜の口にほおり込む。
「ンガガン! コロッ……何をする!? 美味しい!」
「……風邪予防だよ。……って、え!? これ美味しいって思ってたの!? 嘘でしょ!?」
「嘘って何が?ったく!今からご飯なのに、飴なんか口に入れるんじゃないよ。ガリっボリっ」
「……速攻噛んでる……」
ピンポーン
呼び出しの電子音が部屋に響いた。
食事の支度をする手を止めて、顔を見合わせる二人。
出前や宅配便の予定も無い日に呼び出しが鳴ったのは、同棲して初めてだった。
周がすかさずモニターを見に行く。
「やっ……山本!?」
久しぶりにモニターに映る気怠げな顔に驚いて、直ぐに通話を押した。
「お前何しに来た? いきなり来て何の用だよ」
『おー! 周ぇ! 久しぶり。さっきLINUしたろー? お前が未読無視するからだ! クソ! ここ蚊がいる!! オラ、さっさと開けろよ』
「澪桜が居るのに嫌に決まってるだろ。用があるなら俺がそっちに行く」
『いや、お前に用はない。安達に用があったんだよ。商店街の福引で当たった醤油セットが邪魔でさ〜。安達料理するだろ?コレ、貰ってくれよ〜』
「え!? 醤油セット!? ……山本さん、そんな良いもの貰って良いんですか!? 嬉しい!」
ニョキっと澪桜の顔が周の左側から現れて、勝手に解錠ボタンを押した。
「ドアを、開けまーーーーす!」
「みっ澪桜!?」
急いで画面を確認したが、もう既に山本は居なかった。
2分後。
ピンポーン。
部屋のインターホンが鳴る。
周は一応スコープを覗き、鍵を開けた。すると、すかさず滑り込むセールスマンのように山本が入ってきた。
「ういーす! お疲れぇ〜安達いるか〜?」
「あ、山本、勝手に上がんな!」
「お疲れ様です! 山本さん」
周のうしろから顔を出す澪桜に、山本はクシャッと頬を綻ばせた。
「なんか、あれだな。周の家にお前がいるの不思議だなぁ〜。頭じゃ分かってたけど、実際目の当たりにすると変な感じだわ。お前ら一緒に暮らしてるんだもんなぁ」
「そうですね! 居候させてもらってます!」
「居候ちがうでしょ?! 澪桜は俺の未来のお嫁さんなんだから! ここはもう、澪桜の家なの!!」
「あはははははは!! 周キモい! お前、安達の前だと本当にキモいな!」
「うるっせぇぞお前! 醤油置いてさっさと帰れ!! そして死ね!」
「おお! バイオレンス周さんが出てきた」
シャーーーーー! っと威嚇する猫のようになる周。
だがそんなの慣れたもの。
飄々とした態度で気にも留めずに廊下を歩く。
さっさと周に重たい醤油セットの箱を渡し、澪桜の頭を撫でた。
「……山本さん、それセクハ――うげっ!?」
「おまっ! 勝手に撫でんなボケぇ!!!」
慌てて澪桜を抱き寄せた。
必死で独占しようとする周。
可愛いなと思いつつ、その腕からすり抜けて山本に着いて行く。
「クン。おっ……いい匂いだなぁ。俺、腹減ってきた」
「山本さんも食べて帰りますか? 生姜焼き。しょうがマシマシver.」
「なんで?」
「周さんが風邪気味なんですよ。あ、山本さん。明日ちゃんとPCRしてから出勤してくださいね」
「お前、部屋に上がる前にそれ言えよ……」
呆れた顔で促されるまま席に座る。
澪桜は貰った高級そうな醤油にテンションを上げて、瓶を掲げ喜んでいた。
「超お高級なたまり醤油だ!!馬刺しを買って食べよう!!刺身でもいい!周さん、近いうちにお刺身定食ごっこしようね」
「安達に喜んでもらってなにより。重てぇの持ってきた甲斐がありましたわ〜」
軽く流しながら、目の前に並べられる食事に興味津々とばかりに視線を向ける。
「生姜焼きにはマヨネーズ〜♪」
「出た! 澪桜のマヨ信仰」
「周さん、山本さん! 是非生姜焼きにマヨネーズ付けて食べてみて下さいよ〜。世界が変わるから〜」
「変わらないよ。日本のままだよ」
「ぶっ! 相変わらずお前ら仲良いなぁ〜。羨ましいよ」
片眉を下げていたずらに笑う。
周はなめこ汁をよそいながら首を傾げた。
「あ、そう言えば……お前、松井さんとその後どうなの?」
「えっ? 沙也加ちゃんがどうした?」
「おっお前!バカ!!!」
さっきまでの余裕は消え、山本は慌てて周の言動を遮るように両手を振って立ち上がろうとした。
ガタン!!
パシャッ!!
勢いよく動いた山本の手に引っかかったマグが倒れてゆっくり落ちる。
お茶が零れてテーブルと床に広がった。
「わ、悪ぃ!」
慌ててテーブルの下に落ちたマグを取ろうとする山本。
周は呆れた顔で床に広がったお茶をダスターで拭き始めた。
「お前何してんだよ。我が家を汚すために来たなら帰れ」
「お前が安達に変なこと言うからだろ!?」
「……相変わらず仲が良いねぇ。お二人さん☆」
澪桜が変な顔でウインクをすると、テーブルの下で零れたお茶を拭く二人が噛み付いた。
「「良くねぇよ!!」」
息ぴったりの男二人を放置し、澪桜は鼻歌混じりに料理を運ぶ。
山本はテーブルのティッシュを取り、周を手伝うようにしゃがんでテーブルから滴るお茶を拭く。
澪桜に聞こえない程度の小声で文句を言いながら。
「……安達はまだ何も知らないんだから、お前、余計なこと言うなよ」
「はいはい、分かりました。でも、ビビって芋引いてばっかいたら、あっという間に松井さんを誰かに掻っ攫われるぞ?あの詐欺師みたいに」
「おまっ安達と付き合えたからって調子にの―――おわっ」
拭いたばかりの床に手を取られ、バランスを崩した山本。
「バカ! ちょっ」
中腰で床を拭く周に勢いよく正面衝突をする。
ドシャッ!!!
バランスを崩し倒れる二人。
余りの衝撃に固く目を閉じていたが、予測に反して身体に走るはずの痛みがいつまで経っても来ない。
その代わりに、フワッと何か柔らかい感触が唇に当たる。
山本と周はゆっくり、目を開けた。
何故か至近距離で重なる視線―――
離れる唇。
……え?
唇?
フニって……
さっき当たった感触ってまさか……
互いの視線が、そこに向かった。
「「ぎゃああああああああああああ!!! うぉええええええええええ」」
認めたくない現実が山本と周を襲う。
夜だというのに、騒音お構いなしな男二人の物凄い断末魔がこだました。




