205話 煩悩まみれの変態クソ野郎
同日月曜日。
クレストリンク
新規事業開発部は今日、二人の新人が異動してくる。
例のあの二人が。
就業開始してから30分ほど経った頃。
オフィス外のガラス越しに、人事部の社員が二人を連れて来るのが見えた。
確認した周が入って来るように合図を送り、パソコンに集中する社員に軽く声をかけた。
「皆さんすみません、少し視線をこちらにお願いいたします」
入ってきた男女は周の誘導に従って、少し開けたスペースに並び視線だけこちらに向けた社員達に目線を合わせる。
先に沈黙を破ったのは女性の声。
「本日付で名古屋支部から異動致しました、神崎璃乃と申します。システム企画部という部署で働いていました。慣れるまでは皆様にご迷惑おかけしてしまうかと思いますが、頑張りますので仲良くして頂けたら嬉しいです」
甘ったるい猫なで声が響く。
ウエーブがかったセミロングの艶めいた髪を靡かせ、猫のようなあざとさを纏った微笑みでお辞儀をした。
一部の男性社員が鼻を伸ばし、それを見た女性社員は呆れる。
間髪入れずに異動してきた男性社員が鼻にかかった声を出した。
※「……黒瀬守。アメリカ本社より異動してきました。AIロボティクス工学系に携わってました。こういう営業は初めてなので、すぐ慣れるとは思いますがノウハウを教えて頂けると幸いです。……よろしく」
気怠げ……いや面倒くさそうに言う男性。
社員達も言い方や内容に引っかかっただろう。
しかも若干マウントくさい。
女性の方は……いかにもだし。
周は思った以上に癖の強い二人に引き攣りながらも締めくくった。
「では黒瀬さんと神崎さんはあちらのデスクに。今日より新人研修の為、1時間ほどの映像で基本の業務内容を把握して貰った後は、各ミーティングに参加して頂きます。その後は実務経験で覚えて行ってください。分からない事がある場合は誰でもいいのですぐに聞いてください」
「えっ……マネージャーでもいいんですかぁ?」
猫のような目が周を捉える。
若干不快に思ったけど笑顔を崩さずに口を開いた。
「……もちろん。僕がいる場合は……ね」
二人から目線を外した周は、すぐにデスクに戻って何事もなかったかのように仕事に戻った。
(……この感じだとすぐに藤堂さんに連絡する羽目になりそうだな)
呆れたようにため息をついて。
パソコンに向かい業務別の教育担当全てに通達する。
今回、周の部署にはインターンが入ってこない為、指導は問題の二人のみ。普段ならまとめて指導するだけ、後は社員全員でサポートに回るがそういう訳にはいかない。
“指導の際、必ず2人きりにならないこと。たとえ同性だとしても”
“必ず質問があった場合も二、三人で情報共有しながら対応し、すぐ自分に報告すること”
“何か怪しい動きがあった場合速やかに報告すること”
普段ならここまで指示しない。
だが今回は嫌な予感がする。
担当は皆、周よりベテランの人間、もしくは信頼を置ける人材。もちろん担当以外の社員全員も信じてはいる。
……ただ色恋は、人を変える事も知っているし、カビに触れれば感染して同類になることも知っているから。
金と女というモノほど、人を変えるものは無い。
……それは自分が一番よく分かってる。
送信をクリックし、画面を睨む視線が……窓に移って少しだけ柔らかくなる。
(天気悪いな。台風前だし、澪桜さん頭痛起きてないといいけど。今日はちゃんと薬持ってるかな)
澪桜の事が片時も頭から離れない周は自嘲するように微笑む。
仕事を頑張る意味すら数年前と今では180°変わってしまった。
また視線を画面に戻し……目を細めて刃のように尖らせる。
そう。人は変わる。
だからこそ油断の一つもあってはならない。
信用しすぎると足元を掬われるのは自分だから。
マウスから手を離し、胸元のポケットに刺したボールペンの頭を押した
***
普段より多いミーティングと会議を終えた後、いつもの時間に休憩を入れる。
最近お気に入りの3階の休憩室。
いつもの窓際の席で愛情たっぷりの弁当を食べた。
この時間が何よりの至福。
今日は珍しく人が少ない。
周はイヤホンを取り出して、澪桜にLINUしようと画面を開く。
今来たばかりの通知を開き、メッセージを目で追った。
「……そっか」
画面を見て、消え入りそうな声で呟いて少しだけ体を伸ばす。
甘えるようにチャットを返し、返信を待つ……。
(澪桜さんはきっと今から昼食だよね。今頃食べてるのかな)
必死に食べる澪桜を想像して頬を緩め、返信が来るまでの間、手持ち無沙汰になった周は休憩室にあるコーヒーチェーンのテナントでコールドブリューを購入して席に戻った。
キリッとした苦味と旨みが体を清めるように広がる。
ため息をついて、全身からストレスと力が抜けていくのを感じた。
眼精疲労で凝り固まったこめかみを、片手で包みマッサージしていると、つい昨日の事がよぎる。
いつもの、幸せな小鳥キスのつもりだった。
なのに。
あの艶めいた……声。
熱を帯びた吐息。
「お願い、もっとして?」
脳内再生がリアルすぎて、耳元で囁かれた気がした。
ぶわっ
思わず全身が粟立ち、悶えそうになる気持ちを必死に抑えて、コーヒーで邪心を清める。
(……昨日はマジでやばかった。過去一かもしれない……澪桜さんがエロ……いや、色気が最近ヤバい)
清めきれなかった煩悩がすぐに復活し、昨日の色っぽい澪桜が脳裏でまた再生された。
潤む瞳。
濡れる小さな唇。
緩いカットソーから覗く
細い鎖骨。
微かに見えた――
白い谷間。
また昨日のように喉仏が大きく音を立てて動く。
コーヒーを飲んでるはずなのに、渇きが癒えない。
あのまま
澪桜さんに応えてたら。
唇を強引に奪って何度も味わったあと
押し倒して。
服の下に指を這わせ……
跳ねる澪桜さんの耳元で甘く囁き。
感じる君を俺でいっぱいにして
その先を―――
昨日の言葉の、その先を想像しただけで興奮する自分に嫌気がさす。
しかも職場の休憩室で。
少し紅潮した頬を耳を隠すように前髪を下ろした。
「……猿か俺は」
(何が「何年でも待てるよ」だよ。たった2ヶ月でコレかよ)
と自分に呆れてものが言えない。
昨日、衝動に駆られないように必死に取り繕ったあと
深く眠りに落ちた彼女の寝息を聴きながら後頭部を眺めていた周は、ハリのある髪に手を触れたまま、眠れない夜を過ごした。
(まぁ。とりあえず今のとこ上手く誤魔化せてるから大丈夫だとは思うけど)
勿論、付き合う前と違って今は欲情に対して臆病になってる訳じゃない。
澪桜さんのタイミングを待ってるだけ。
ただ、昨日のアレは
あんな無防備にキスだけ可愛くせがまれるのはキツイ。
俺一人、その先を求めても仕方ないから。
ムードって大切だけど、皆どうやって誘ったり合意したりして、初夜を迎えてるのか……本当にわからない。
まして相手があんな純粋の化身みたいな――
ブー
澪桜からやっとメッセージが来た。
今さっきまで溢れていた煩悩が遥か彼方にすっ飛び、コーヒーを嗜みながら口角が上がってしまう。
間髪入れずに返信を打った。
自分の打つその内容の破壊力に
つい、職場だと言うことを忘れて、スライムになりそうな自分を必死で律した。
二人の未来。
この独りよがりな衝動以外は心底順調。
本当に、衝動以外は。
周の頭の中でTシャツと短パンの澪桜が楽しそうにクルクル回る。
正直、夏が
今の季節がまたヤバい。
澪桜さんは暑がり。夏は室内で基本服を着たくないらしい。
タンクトップとホットパンツが基本装備だと言っていたからそれはお願いしてやめてもらった。
そう、あの長い足が。
惜しげも無く露出していて。
毎日見放題。
あの綺麗な太ももが。
……ふともも。
はっ!!
また煩悩に支配されていた周。
下ろした前髪をぐしゃぐしゃにした。
こんなに毎日ムラムラしてるなんて絶対知られたくない!
流石に毎日はキモいから!!
もし俺が女なら絶対気持ち悪い!
その時が来たら……スマートに応える。それがいい男なんだ!
でもそれって俺から誘うの?
ん?
澪桜さんから?
いや、流石に女性にそんな事言わすの……
悶々と答えのない悩みをループしているとまた、邪心に塗れる。
ああ〜でも澪桜さんの艶かしいあの長い脚。
ふくらはぎから足首にかけてきゅっと引き締まって、
めっちゃそそるんだよなぁ。
またあの長く細いのに柔らかそうな太ももが……
(俺の変態クソ野郎が!! 煩悩よ今すぐ消え失せ)
ゴン!!
勢いよく立ち上がろうとしたら、太ももがテーブルに当たって筋にクリーンヒット。
太ももばっか考えてたからきっと天誅を喰らったのだろう。
「…………!!!」
ゆっくり座り直して誰に知られる事もなく、静かに悶絶する。
幸い、痛みで強制的にピンクな脳内はリセットされた。
そこに財布を持って歩いてくる女性社員三名。
その中に一際目を引く女性が一人。
通り過ぎる男性社員達に二度見される。
視線に気付き流し目でご褒美とばかりに軽く微笑んで見せた。後ろで固まる男達に気付いた神崎は悦に浸ってヒールを鳴らす。
傍を歩く小柄な社員が口を開いた。
「あ! ラッキー。みてみて、眼福がいる」
「ホントだ。結城マネージャーの休憩が見れるなんて眼福だね! この時間に休憩取ってるんだ。さすがシゴデキ上司。昼に休憩取れるとか。私たちなんてまともに昼休み取れるの久しぶりなのに」
「だよねー! だいたい15時位になるもんねぇ」
世間話をしながらテナントに向かう二人。
一人、ついてきて無いことに気付いて振り返る。
「あ、神崎さん! こっちですよ」
神崎は窓を眺めながらコーヒーを飲む周へ視線を向けて止まっていた。
声をかけられ人形のように整った笑顔で女性社員に返す。
「はぁい。今行きます」
女性社員二人が列の方に視線を戻した途端、微かに口元を歪めた。
「ふぅん。彼ってここで休憩とってるんだ」
誰にも届かない声が微かに響く。
※の件につきましてお詫び。
大変申し訳ございません。
192 キツネとゴリラに出てきた登場人物ですが、佐久間誠から黒瀬誠に変更させて頂きました。
混乱するようなことをしてしまって本当にすみません。
引き続きどうかよろしくお願いいたします。




