10話 スケッチ
帰宅後の澪桜視点です。
車が立ち去った後、公園と反対側の道路に面している、小さなアパートに向かう。
築65年、二階建ての鉄筋アパート。錆びた今にも崩れ落ちそうな階段を上るとガンガンと冷たい音が響く。
この1番奥が澪桜の部屋だ。
隣は60代半ばのおじさんが住んでいて、たまにおはぎとか果物とかおすそ分けし合う仲だ。
孫のように可愛がってくれている。
今どき珍しい関係だと思う。
わたしがここに引越したのはただ単に安いから。私の部屋は不動産からとある告知をされた部屋。
古いアパートの1番角部屋の為、傾きが凄いのと、何度かシロアリ被害にあったといういわく付き。
長年借り手がおらず、東京で某駅まで徒歩40分、というとても不便な立地の為破格で借りれたのだ。
節約生活の私にはこれ以上ない物件だった。
案外住んでみると傾斜もさほど気にならない。確かに壁は薄い。でも隣の人は夜タクシーのバイトに行ってるようなので基本問題ない。
住めば都とはよく言ったものだ。
……シロアリは……床が抜けた時に考えることにした
ふう……とため息つき、部屋に入る
質素という言葉しか出てこないような殺風景な部屋。
タンス、ベッド、扉付きカラーボックス、ちゃぶ台、座椅子。その程度しか置いていない。
もちろん生活に必須な家電はある。
でもテレビは無い。殆ど寝に帰ってきているような部屋に必要なかったからだ。見たければスマホで観ればいい。
とりあえずゆっくり風呂に入り、部屋着に着替え、カラーボックス上段に置いてある薄水色のルーズリーフを取り出す。
澪桜は一つだけルーティンがあり、金曜日は必ず家計簿を付ける。
……と言っても、1週間分のレシートに記載されている金額と買ったものを書くだけだ。
めんどくさい事は続かない性質なので簡易的にしている。
ついでに先程までの楽しかったひと時を思い出し……浸る。
明日山本さんにはお礼を言わなくては。
色々心配かけてしまったみたいだし、力いっぱいご馳走になってしまった。
沙也加ちゃんは……平常運転で面白かったな。
そして
多分2度目にあったはずの結城さん。全く覚えてなかったけど、実際話してみると物腰柔らかくてとても話しやすい人だった。
結城さんにもご馳走になってしまった……後でお礼を言わなくては。
そしてなにより……
目を瞑り思い出す。
あれは……最近では稀に見るほどの絵になる構図だった。
全て計算されたような骨格。鼻の位置。唇の口角。
そして描いたら楽しそうな長いまつ毛と整った透明感のある瞳。
その儚さをさらに美しく演出するような色素の薄い髪の毛。
あれは神が与えたもうた奇跡の造形美だった。
サラサラサラと今日のあの景色を形にする。
書き始めること2時間と少し……
「……できた。……我ながらいい出来だわ」
むふー!っと両手を伸ばし満足気に絵を見つめ、悦に浸る。
澪桜にはある特技があった。
この特技のおかげで想像力を駆使した絵心は無いものの、写実は完璧なので美術は高い評価しかされたことが無い。
私生活で役には立てないが、趣味でたまに綺麗だと思ったものを描き起こしたりしていた。
景色とか動物とか人とか建造物とか。
見たものを瞬時に正しく記憶し、描き起こせる能力。軽いスケッチから陰影をかなり付ければ写真のようにも描ける。
今回は軽くスケッチした。
また気が向いたら後でいくらでも書き起すことは出来るから。
むしろあの雰囲気は……優しいトーンのスケッチがよく似合う。
そんな気がした。
ブー
スマホが鳴る
結城からだった。
『今日は素敵な時間を本当にありがとうございました。皆さんや安達さんとのお話とても楽しかったです。』
ブー
もう一度すぐ鳴った
『これから、友達としてどうかよろしくお願いします。』
澪桜はクスッと笑いながら返信を返す
「結城さんも無事に帰宅したみたいで安心致しました。私もとても楽しいひと時でした。ご馳走にまでなってしまって申し訳なかったです。」
「こちらこそ、これからお友達としてよろしくお願いします。」
……本当、楽しかったな。
チラッと……ちゃぶ台の上に広げたままのルーズリーフに視線をやった
無地の紙に描いたその人物は重厚な木目の店内でキャンドルとライトの柔らかい光の中に佇む、美しい横顔で手に持つグラスを見つめ微笑んでいた。
───アンバーとスモーキーなチェリーの香りを思い出させる柔らかなスケッチが完成していた。




