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5 愛するすべての人へ

 朝、部屋に差し込む日差しが圭太けいたの脳を覚醒へといざなった。やがて目覚ましが鳴り、圭太は完全に目を醒ます。

 体を起こそうとして目を剥いた。蒲団が重いと思ったら、りゅうが圭太の脇で眠っていたのだ。昨日からずっと、彼は自分についていてくれていたのか?

「りゅ、龍くん」

「ん……?」

 起こされることに不満そうな声を発しながら、龍の体はむくりと持ち上がった。朝は弱いのか、眠たげに眼をこすっている。まだ眠り眼の龍の様子が思いのほか可愛くて、圭太はついくすりと笑ってしまう。

「龍くん、もう朝だよ」

「……んで、ここに圭太がいるんだよ?」

「いやあのね、ここ、俺の部屋」

「は……?」

 言葉の意味を理解するなり、龍は確かめるようにあたりを見回している。「ああ、そうだ」などと一人でぼやく声も時折混じった。

「ずっとここにいてくれたの?」

「いや、お前が寝てすぐは、一回先生んとこ行ったよ。それでまた戻った」

 真っ暗な部屋に、圭太を一人にするのが不安だったのだろう。龍のおかげで安定しつつあったとはいえ、一度は意識障害を起こした体が、そう簡単に孤独や闇を受け入れないと思ったのだ。もしかしたら、恭平きょうへいがそう指示したのかもしれないが。

「父さんと、何話した?」

「先生が知っている不幸喰いのこと。全部、お互いの知識絞り出してみた。でもやっぱり、二十歳以下の不幸喰いについては分らなくて……」

「……まいねちゃんが不幸喰いである可能性は低いんだ」

「だけど、そうすればつじつまが合うことも少なくないんだ。先生も、異例の可能性がないわけじゃないって言っていたし。だから今日、まいねちゃんに会って、話してこようと思う」

「不幸喰いのことを?」

 と尋ねると、龍は頷いた。途端に圭太の表情が不安に染まる。

「でも、いいの? なんか、不幸喰い会の掟で、第三者にその存在を明かしちゃいけないとかあるんじゃ……」

 テレビの見過ぎとしか取れないような圭太の言葉に、龍はおかしそうに笑った。ベッドを支えにして、立ち上がる。

「そんなん、あったらお前にばれた時点でアウトだろうが」

 あ、そっか。バカな質問だったなと、圭太は照れ臭そうに頭を掻いた。そして立ち上がる龍を合図にすれば、自分も蒲団から出て隣に立った。

「学校行くのか? 本調子じゃないなら、一時間くらい遅刻してもいいって先生が言ってたぞ」

 遅刻というのが父らしくて、つい苦笑が漏れる。しかし、体は案外すっきりしていた。

「平気。どうせ午前中で終わるんだし、行くよ。……それに、今日は龍くんも頑張ってくれるんでしょ?」

 素直な笑みを浮かべてそう訊ねた。当の龍は、困ったように笑い返す。

「俺だけじゃねえよ。先生だって、空き時間に不幸喰いについて調べてくれるって言ってた。それに、あの香苗かなえって子だって、昨日頼んだ楽譜の曲、バイオリンで弾いてくれるって言ってくれたよ」

「へえ、伎倉きくらまで? みんな咲ちゃんのこと心配してくれてるんだね」

「バカ。お前のためだろうが」

「え?」

 意外すぎる返答に目を剥いて、圭太の体はピタリと動きを止めた。先に扉に手をかけていた龍が、何の気なしに振り返って溜息をつく。

「先生はもちろん、仕事の一環てのもあるよ。だけど、お前が何より親身になって調べようとしているから、みんな協力的に動いてくれるんだ。さきちゃんより、誰もがお前を優先してる。家族だし、友達なんだからな」

 それは嬉しいような照れくさいような、くすぐったい感覚だった。みんなが圭太のことを心配してくれていたのは分かっていたが、こうはっきり言われると、困る。

 素直に感謝の意を表せられなくて困るから、圭太は戸惑うように笑った。


***


 その日の放課後、圭太は香苗に会おうと音楽科教室のある塔まで向かった。だけど、幾距離か進めばもういろんな楽器の音が聴こえてきて、結局それ以上は先に行けなかった。

 仕方ないから、校門で待とうと靴を履きかえ、玄関を出たところでまた立ち止まる。

 見覚えのある車が、学校の敷地の中にいた。圭太の学校にはバス停も完備されているため、駐車場を含めた前庭の敷地が広く、生徒を迎えに来る親たちも入ってくることができる。それに混じって、雪華ゆきかの車があった。

 たまたま同じ車なだけかもしれない。だけど、このエンジン音は、きっと紛れもない。

 嫌な汗が背中を流れた。気付かないふりをしよう。用があるのが自分とは限らない、と、車を横切ろうとしたとき。

「圭太くん」

 開いた窓から、雪華の声が圭太を呼んだ。

「……あ、どうも」

「これから、用事とかあるのかしら? よかったら乗らない? 今から咲たちを迎えに行くから、そのあと一緒に遊んでくれないかと思って」

「今日、お仕事は……?」

「休みなの。ね? 行きましょう?」

「俺、人待ってるんです」

 なんとかやんわりと断ろうとしているのに、雪華はなかなか諦めてくれなかった。

 だったら、その人も一緒に。咲があなたにすごく会いたがっているの。お願い。

 と、言葉巧みに言い寄ってくる。

 だけど圭太も、このまま雪華に迎えに行かれては困るのだと気がつくのだった。

 龍が、まいねに話すと言っていた。ならば放課後を狙うはずだ。雪華に迎えに行かれては、龍とまいねの接触が図れない。

「分りました。あの、寄ってほしいところがあるんですけど、いいですか?」


「昨日は、すぐに帰っちゃったそうね」

 圭太が車に乗り込み、学校を出たところで、雪華がそう口を開いた。

 そういえば。後がごたごたしすぎて忘れていた。

「すみません。……急用、できちゃって。家にも誰もいなかったし」

「ええ、まいねから聞いているわ。家が荒れているのも見たのよね。驚いたでしょう?」

「……まあ」

 驚いた、で雪華は済ませられるのか。自分の娘が、発狂するほど傷ついたというのに。

「雪華さんは……、咲ちゃんのいじめがなくなるように動かないんですか?」

 思えば、咲が誰にいじめられているのかも、どういう風にいじめられているのかも、圭太は知らない。でも雪華は母親だ。いじめがなくなるように、学校にかけあったりだってしているのではないのだろうか。

「そうね……。あ、寄ってほしい所ってどこ?」

 はぐらかした。直感でそう思った。どうしてだろう。雪華は咲を心配していると、確かにそう思うこともあるのに、思わないことのほうが多いのは。

 しかし、寄ってほしいところと言ったのは口から出まかせ。できるだけ小学校につくのを遅らせたかったからだった。行き先が思いつかなくて困っていると、

「わたしも、寄りたいところがあるの」

 そう言うなり、雪華はハンドルを切って小学校とは違う道へと入って行った。突然運転が雑になるから、圭太はドア側のひじ掛けに身を寄せる。

「ちょっ……。どこ行くんですか?」

「どうしても、あなたと行きたかったところよ」

 圭太は顔をしかめる。何かがおかしいと、本能が叫んだ。雪華が、圭太をほかの人より特別な目で見ていることは感づいていた。でも、それは恋い焦がれる感情とは違うと思う。

 ――あなたは、わたしが亡くした夫によく似ているから。

 ……何が?

 何かが頭に引っかかる。だけどその何かが分かる前に、車が止まった。ゆっくりあたりを見回すと、そこは公園のようだ。

 人が集まる大きな公園ではない。ブランコとジャングルジムと滑り台があるだけの、小さな公園。

 雪華が車から降りたので、圭太も後に続いた。何も言わない彼女が、奇妙だった。

 ブランコに手をかけて、雪華が空を仰ぐ。

 もう夏が近い。太陽は高く、綿をちぎったような雲がわずかに、空間を占める青の邪魔をしていた。

「ここね、夫とよく来た公園なの。夜には星がよく見えるから、わたしたちはそれを楽しみにしていたわ」

「……なんで、そこへ俺と……?」

「言ったでしょう? あなたは夫によく似てる」

 だから来た、というのでは、あまりにも納得がいかなかった。だいたい、ここは田舎でもないが都会でもなく、夜になればどこにいてもそれなりに星は見えるはずだ。それなのに、こんな大通りから外れた人気のない公園へ、わざわざ赴いていたのか?

「そういう場所へは、俺でなく咲ちゃんを連れてきたらどうですか?」

「咲は、もう少し大きくなったら連れてくるわ」

 ふと、気が重くなってきた。何なのだろう。どうしてこうも、彼女のそばは居心地が悪いのか。

「あの、俺の用事はいいです。大したものじゃないから。だから、はやく咲ちゃん達を迎えに行きませんか?」

「ねえ、ここをどう思う? とてもいい場所だと思わない? とっても気持ちいい風が吹いているでしょう?」

 圭太の声などまるで届いていないように、雪華はうっとりと話し続けた。なんだか妙に口が渇いて、圭太はごくりと唾を飲む。

 そうか。この場所。この場所が、よけいに圭太の気分を鬱にさせているのだ。とてもじゃないが、ここは“気持ち悪い”。

「あの、龍くんが、咲ちゃんの不幸の元凶を取り払おうとしてくれてます。あとはいじめがなくなれば、咲ちゃんはきっと大丈夫です。だから、だから行きましょう?」

「何言ってるの? 圭太くんたら。咲は不幸なんかじゃないわ。あの子は、とても幸せな子。だってわたしの娘だし、そばにまいねだっているんだから」

「は……?」

 振り返った雪華の瞳は、ギラギラと光っていた。

 この人……イッてる。

「あの、雪華さん……、父さんの所に……」

「初めて会ったときから、あなたはあの人に似ていると思っていた。優しくて、優しくて、愚かなその心。咲の友達になってくれてありがとう。今度は、わたしがあなたを癒してあげる」

 じりじりと、圭太へと近づいてくる。心臓が鳴った。ドクン。いや違う。そんな易しい音じゃなくて、もっと生々しい、自分の危機に警報を鳴らす、音。

 もっと早く、どうして龍に相談しなかったのかと、圭太は後悔した。不幸に打ち勝てなかったのは、咲じゃない。雪華だ。

 夫を亡くした傷。咲がいじめられているという戸惑い。二人の少女を養わなくてはならない負荷。そのすべてが、彼女の心をどん底に落としていた。

「あの、俺は大丈夫ですから、雪華さんこそ……、父さんや龍くんと、話をしたらどうですか?」

篠塚しのづか先生や柳沢やなぎさわ先生のこと? あの二人はいいわ。たいした傷を負っていないもの」

 雪華の言葉の意味が分からず、圭太は顔をしかめる。じりじりと彼女が近づいてくる分だけ、後ろに下がった。

 ポケットを探って、携帯を探す。しかし、鞄ごと雪華の車においてきてしまったようだ。

 走れば逃げられる距離にあるのに、足が震えて、後ずさるのがやっと。情けないけれど、結局圭太の力など、その程度だった。


***


「まいねちゃん」

 校門から出てくるまいねを視界に止めれば、龍は真っ先に呼びとめた。隣の咲は、今日は目の端だ。

「こんにちは」

 相変わらず礼儀正しい挨拶が返ってくる。龍も同じ言葉を返して、咲を見た。

「まいねちゃんと話がしたいんだ。咲ちゃんも近くにいてくれていいけど、できたら聞かないでほしい。ダメかな?」

「いいよ。いつも咲の話、先生と一緒にきいてくれるもんね」

 まいねと似ていて気さくだが、それとは違って無邪気な返答だった。いつ会っても、この少女は明るい。

 学校は咲が嫌だろうと思い、龍は二人を車に乗せた。それで篠塚病院まで移動して、院内にある資料室にまいねを入れる。咲は、看護婦たちに相手をしてもらうことにした。

「何か飲む? ああ、でもここ、熱いのしかないんだ。看護婦さんに頼もうか」

「大丈夫です。何ですか? 話って。咲のこと?」

 賢い少女は、何も言わなくても龍が戸惑っていることを感づいている。

 だけど、「君は不幸喰いなのか?」などと、安易には聞けないのだ。別に、不幸喰い会の掟があるわけではないが。

「うん、じゃあ、ここ掛けて」

 恭平の椅子を引っ張って、龍の椅子の前に置いた。向かい合う形になったその椅子に、まいねを座らせる。

 ちょこんと座った少女は、丸い目を不思議そうに瞬かせていた。

「今日は、いい天気だね」

「そうだね」

「……君は、ご両親がいないんだよね」

「うん。……でも、大丈夫! あたしには咲もおばさんもいるから」

 一瞬の悲しそうな顔はかき消して、まいねはにこりと笑った。確かに、彼女の不幸はそう多くない。

「でも、咲ちゃんはあまり幸せそうじゃないね」

「いじめがなくなれば、もっと幸せになるよ。それに咲には、あたしのおまじないがあるから、きっと大丈夫」

「おまじないって、何?」

 途端にまいねは口を閉ざした。それが余計に、龍の予感を確信に近づける。

「違うなら、違うと言ってくれて構わない。でもまいねちゃん、ひょっとして君には、人の不幸が見えるのか?」

「不幸……? あたしが見えるのはオーラだよ。人のオーラ。傷ついている人は、とっても光ったオーラをしてる」

 それが、不幸が見えるということだ。普通にオーラが見えるのなら、不幸な人ほど光ってなんていないだろう。

 あとの切り返しに困りながら、龍はまいねをじっと見た。不幸が見えるということは、

「……不幸喰いを、知ってる?」

「お兄ちゃんは、知ってるの?」

「俺は、不幸喰いだ」

 まいねが、長い髪を耳にかけた。首を掻いたり、ちらちらと龍を見たりする。戸惑っているのだろう。

「君は、不幸喰いなのか?」

「……みんなは、そんな力ないの。変な力。お兄ちゃんも持ってるの? 本当に?」

「本当だよ。……圭太お兄ちゃん、すっごく光ってるだろ?」

 少女がうなずく。圭太のことを割合に出せば、認めざるを得ないだろう。彼の不幸の具合は、尋常じゃないから。

「まいねちゃんは、不幸喰いなんだね? そして、咲ちゃんの不幸を喰っているんだね?」

「そしたら、咲は幸せになるから」

 圭太の言うとおりだ。この少女は、不幸喰いが相手を幸せにするのだと信じているらしい。無理もない。不幸喰いの在り方は、この幼い少女にはまだ難しいはずだ。

「まいねちゃん、不幸喰いはね、むやみやたらに人の不幸を喰っていはいけないんだ。それは相手を幸せにはしない。より不幸にする」

 教えてやらねばならないと思った。知らないのなら、知っている人間が。大人の不幸喰いが。しかし、今まで素直だった少女は、途端に頑なになる。

「違うよ、不幸喰いは、不幸を食べてあげる分だけ、相手を幸せにするの。咲はあたしを、必要だって言ったよ。おまじないが、必要だって。だからあたしは食べてあげるの。だってそうでしょ? 不幸なんて、持たないほうが幸せでしょ」

 確かに、安易に考えたらそうだろう。不幸を喰われるということは、その体内から傷がなくなり、痛みが消える。まいねの言うことは正しい。理屈では。

「そうじゃない。不幸を喰われてしまえば、たしかにそのときは幸せかもしれない。自分を痛めていたのもが、すっかり無くなるんだからね。でも、無くなったら心は元の弱いままだ」

「分かんないっ!」

 まいねは耳をふさいだ。これまで信じてきたものが違うといわれるのは、辛いだろう。

「まいねちゃん、ちゃんと聞いてほしい。不幸を喰われた後の人間は、冷凍庫に入れた水を氷になる前に取り出すのと同じなんだ。水は寒さに耐えて硬い氷に変わる。でもそれを邪魔したら、水は水のままだ。あっという間に流れてしまう、弱い心のままなんだ」

「ちがう……」

「違わないよ。事実、咲ちゃんは暴れたんだろう? それは、彼女の心がまだ水のままだからだ」

「ちがうっ!」

 聞きたくないと、まいねは耳をふさいだままかぶりを振った。ダメだ、もっと、ちゃんと、言わなくては。

「咲ちゃんを幸せにしたいなら、もっと他の方法を考えよう? 俺も協力する。不幸を喰うのは、まいねちゃんにとっても好きなことかもしれないけど、少し我慢しようよ。できるだろ」

「ちがう……、ちがうのぉっ!」

 その様子に、龍は目を細めた。違う?

 何が。

「まだ、俺の言うこと……信じれくれない?」

「そうじゃ、そうじゃなくて……」

 ついにまいねは泣き出した。遠慮もなく嗚咽をあげて、子供の泣き方だ。

 龍は辛抱強く待った。無理に泣きやませる必要はない。とことん待てるだけの精神を、龍も今日こんにちまでの学習で身につけている。

 やがて涙が収まってきた少女は、ずっと待ち続けてくれる龍に妥協したように、話しだした。

「ち……がうの。咲じゃ、咲じゃないの。部屋をあんな風にしたのは、咲じゃない」

「え?」

 わずかに眉をしかめて、問い返す。

 咲じゃない。

「誰が……」

「おばさんが、やったの。あたし、毎日咲におまじないしてるから、あの日も咲、ぐっすり寝てて。仕事から帰ってきたおばさんが、部屋をめちゃくちゃにした。あたしは起きちゃって……、そしたらおばさん、これは咲がやったことにする、って」

 それだけ報告するだけでも、まいねにとってはかなりの勇気が要ったのだろう。耐え切れなくなったように、また涙を流し始めた。

 だけど理解ができなくて、涙するまいねを怪訝に見つめることしか、龍にはできなかった。

 つまり、雪華は何がしたかったのか。

 そう、一番大事なものを見落としていたのは、龍も同じだったのだ。

「おばさんね、あたしは咲を幸せにできるって言ってくれたの。おまじないをすれば、咲はどんどん幸せになるって」

「え?」

「だから、あたし」

「ちょ、ちょっと待って。小柴こしばさん……おばさんは、君が不幸喰いだと知っていたのか?」

 嫌な予感がした。じっとりと、背中と掌が汗ばむ。

 だけど無情にも、まいねはすんなりと頷いた。

「まいねに不幸喰いのことを教えてくれたのは、全部おばさん」

 呆然と椅子の背もたれに体重を預ける。ギギッと音がしても、かまっていられなかった。

 雪華が、咲を不幸にすることを望んでいた? でも、まいねにやらせたのは何でだ?

「おばさんは、不幸喰いじゃないのか?」

「不幸喰いだよ」

 さも当たり前だというように、まいねは言った。たしかにそうだ。不幸喰いのことを知っているならば、相手も不幸喰い。力なくしてその存在を知っているものなど、かなり珍しい。

 たぶん、恭平は律子にそんなこと話していないし、圭太も、自分が不幸を喰ってしまわなければ、わざわざ正体を明かしたりはしなかっただろう。

 それだけ、圭太は貴重な存在だった。

「だったら、どうしておばさんは咲ちゃんの不幸を……おまじないをしなかったんだと思う? 不幸って、おいしいものだろう? 俺だったら、まいねちゃんにさせずに自分でするな」

 不幸をおいしいと表現するのは、かなりの嫌悪感があった。だけど、誘導尋問のようなことをしてでも、聞かなくてはならない。

 案の定、まいねは龍の欲しい答えをくれた。

「おばさんには、ほかに幸せにしたい人がいるんだって。それまでは、おばさんがずっと咲におまじないしてたんだよ。咲が寝ている間だから、あたし以外知らないと思うけど。あたしがおまじないをするようになったのは、最近なの」

「幸せにしたい人?」

「うん。けいたお兄ちゃん」

「――っ!?」

 世界が、凍りついたのかと思った。

 そのくらい、龍の体は冷え切ったのだ。一瞬で。

 圭太。彼の不幸は、尋常じゃない。それは、もう何度も思ってきたことだ。だから、分かっている。不幸喰いにはその力を私的に悪用するやつがいて、圭太はそういう者にとって格好の獲物であると。

 だけど、どうして、油断していたのか。

 咲の近くに不幸喰いがいると、分かっていたのに。だから、圭太に関わらせまいとしていたのに。

「おばさんは……何か言ってた? 最近、圭太のことで」

「……ダメだって、言ってた。今のけいたお兄ちゃんは、ダメだって。早く、助けてあげなくちゃって」

「言ってたのか?」

 思わず身を乗り出した。あまりの剣幕にまいねはびくりと肩を震わせ、やがて頷く。

 このとき、初めて龍に焦りが生まれた。圭太、そういえば、帰りが遅くはないだろうか。

「他に……、他には!」

「え、えっと……、」

「どこで圭太に会うかとか、不幸を喰う場所とか、何でもいいんだ」

 必死に訴える龍を見て、まいねも必死に考えてくれているようだった。しかし、雪華はなにも漏らしはしなかったのか、なかなか思わしい答えが返ってくることはない。

 そうしていたら、急にドアが叩かれた。ノックに返事をする前に、ドアを開いた恭平が入室してくる。

「龍くん、分かったよ。万人に一人の確率で、二十歳以下の不幸喰いが生まれる。だけどその場合は、必ず血縁者に不幸喰いがいるらしい――」

 まいねがいることに、そこまで話をしてから気がついた恭平は、まずった、と顔をしかめた。

 すかさず龍が助け船を出す。

「彼女も、不幸喰いでした」

「……君が」

 万人に一人の可能性を目にして、恭平は狼狽しているようだった。だけど、問題はそこではない。

「そして、小柴さんも不幸喰いだそうです」

「血縁者か……。そうだね、彼女も……」

「圭太を狙っています」

 サッと、恭平の顔が青ざめる。

「圭ちゃん……、帰ってきたか?」

「まだだと思います」

 嫌な予感は、恭平にもあるらしい。あわてて携帯を出して、圭太に連絡を取る。

 しかしどれだけコールを待っても、圭太は電話に出ないようだった。

「先生、伎倉さんに。あの子なら、圭太が学校にいるか分かるかもしれない」

「ああ、うん」

 わずかに震える手を叱咤して、恭平は香苗に電話をかけ直す。ただ見守るしかできない龍も、汗ばむ掌を力強く握った。

「香苗ちゃん? 篠塚です。うん、よかった、番号変わってなくて。あの、今どこかな? ――……うん、圭ちゃんに会った? え、うん。うん。……そうか、わかった」

 恭平が電話を切れば、間髪入れずに龍は口を開く。

「なんて」

「圭ちゃんには、会っていないらしい。今ちょうど学校を出るところで、圭ちゃんの靴はもうなかった」

「何やってんだ、あいつ」

 怒りは、ほんの少し圭太にも向いた。どうして、何かあるなら自分に相談しないのだろう。雪華に対する圭太の態度、おかしかった。分かっていたのだ。雪華が自分に、決して“きれいではない感情”を向けていること。

「……一回」

 油断していれば聞き逃しそうなくらいか細い声が、耳に届いた。言うべきか悩んでいるように、まいねはぎこちなく言葉を紡いでいく。

「一回だけ、おばさんに連れて行ってもらったところ、がある。すごく不幸が充満している場所。おばさんの一番好きな場所」

「それってどこ?」

 恭平がたずねた。口調はゆっくりだが、焦っていることが分かる。今彼らの念頭にあるのは、たった一つ。

 圭太。


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