プロローグ
「お前なんだろ!」
怒声は、扉を抜けて家中を響き渡った。時刻はもう夜中だから、外へまでも声は響いているかもしれない。
閑静な住宅街は、男の叫びに包まれた。
そんな声にも、女は顔色一つ変えなかった。
「お前と一緒になってから、俺はずっとこうだ! 毎日毎日仕事に明け暮れているのに、努力は一向に実らないっ。それどころか嫌なことばかりだ! 全部お前のせいなんだろう!」
「言いがかりだわ。わたしが何をしたの言うの?」
「うるさいっ、うるさい!」
女性にしては低めの声が、淡々と言葉を紡いだ。そんな声を聞きたくなさそうに、男は耳をふさぐ。
「おかしな人。わたしと出会って幸せだと言ったのに」
「違うっ。あれは麻薬だ! 俺の神経をおかしくさせていた……っ」
男は震えた。その感覚を思い出したのだ。それは確かに、――歓喜だった。
しかし、魔は確実に男の体を蝕む。
一度抑えた言葉を、男は耐え切れなくなったように吐き出した。
「この……、魔女め!」
スッと女が目を細める。それは怒りではない気がした。だけど、もっと恐ろしい感情を抱いたのだ、この女は。男は恐怖に身震いした。
二人の距離が近くなる。飲み込まれる。肩で息をしようとしても、まるで男の体は呼吸の仕方を忘れたようだった。
「魔女、ね。でももう、あなたは魔女の虜だわ」
目を細めて、口角を上げる。美しい笑みだった。妖かと思うほどに。
男は首を振った。この妖艶さに騙されたのだ。愛したのは女でなく、女の醸し出す妖気。
また一歩、距離が縮まった。
「わたしがいなくちゃ、あなたは一生不幸なまま」
足が固まったように動けない。無理に後ろに下がろうとして、男の体は地に倒れた。それでも必死に首を振って、懇願する。
「やめろ……っ」
「愛しているわ」
女は、男を跨ぐように四つん這いになった。逃げられない男を、さらに追い詰めるように顔を近づける。
唇が触れあった。
また、堕ちていく。