ウィンター・エンドの夜
「てめぇ、調子乗ってんじゃねーぞ。このクソガキィ!」
女性の怒鳴り声に会わせて、激しい音と共に飛んできたグラスが私の近くで砕けちる。そのかけらが飛んで腕を、顔を傷つけるのを感じる。
「落ち着いてください、姐さん。」
「そうですよ、どうか、どうか。」
激怒する相手に男達が止めようと必死で抑えている。私はと言えば、せめてもの反抗にとその顔から決して目をそらさなかった。耳のとがった女性のエルフ、私と同じエルフだ。
だが、ここでも私はのけものだった。
「おい」
横から声がかかる。
見ると、オマリと呼ばれている老ドワーフのシーフがこっちをじろりと見ていた。私と見つめ合うと、顎でくいっと出口の方を示した。私にすぐにも出て行けと言っているのだ。
いつもそうだ。
今だ私に向かって罵声を浴びせる同じエルフに背中をむけると私は出口に向かう。
扉を閉めると、ようやくあのイラつく声も聞こえなくなった。ふぅ、とため息をつく。なんてことだろうか。
これは、私の物語。
私はエルフ。
エルフのウ-テウィング。人はウ-テと呼ぶ。過去も、祖先も奪われてこの世界に追い出されてしまった。
そんなわたしがついに、私のための場所へとたどりついたかもしれない、そんな話しになる。
▼▼▼▼▼
ウィンター・エンドの貴族達が集中して住む区画がある。
そこにライバー家が引っ越してきてから、そろそろ5日が過ぎようとしていた。
さて、話しを始める前に少しだけライバー家の財産、それも家について説明しておきたい。
ライバー家の当主はいまだケイン老であったが、ガリランドにて半引退といったていでいたため。事実上はグリフィンとフィンレイの父親がビジネスをとりおこなっていた。彼はこの国の首都に、港にと含めて3件ほど別宅をもっていたがこれらを使うのはほとんどが、この父だけである。
当主のケインといえば、あちこちに冒険時代の”遺物”というか記念品を保管する倉庫とガリランドのあの邸宅がそれだったが、前回の事件の後に追い出されてしまったのであそこは事実上売却する羽目になった。
そしてこのウィンター・エンドの別邸なのだが、ここはそもそも兄弟の母親の私物であった。彼女が死んで、今は直接の管理は父ということになってはいる。しかし、遠からずその権利は順番からいってグリフのものになるはずであった。
つまり、あの父親には絶対に頭を下げたくないという彼等は「将来を見越して」という形で勝手にこの屋敷へと転がり込んだのだる。
「なんじゃ、また吠えておるのか?}
夜半過ぎ、寝る準備をケイン老がしていると庭先で番犬のヤンとマールが激しく吠えているのが聞こえてきた。
その近くでベットを整えていたレイラが応じる。
「ええ、どうもこのあたりは治安が良くないそうで。あの子たちにしてみると、どうも夜は気が休まらないらしいのです。どうしてもとなったらまた。坊ちゃん達の部屋で寝かせるしかないかもしれません。」
「そうか……」
旅の疲れ、そして毎日のあいさつ回りにと忙しい今。すすんでこの危険な夜の街に繰り出そうという者はこの家にはいなかった。だが、あの優秀な2匹にしてみると夜の路地から、暗闇からたれながされる殺伐とした空気に反応せずにはいられないのかもしれない。
孫達の部屋に入れば、さすがに静かにするだろうが彼等は番犬である。ペットのような扱いをいつまでもするわけにはいかなかった。それに―
(グリフや譲ちゃん、フィンも今は色々あるから静かなもんじゃが。落ち着いてくればあの連中も、この路地から漂う気配にイラついて何か始めるかもしれん。そうなる前に、なにかできんものかなぁ。)
もし、ここに孫達がいてこの事を口にしていたなら2人は口を合わせて「いいから、なにもしなくていいから」といったことだろう。
「レイラ、グリフはどうじゃ?ファーギーちゃんは?」
ベットを終え、机に回ったレイラがちょっと手を止めて何かを思い出すそぶりを見せた後、再び動き出しながら
「上の坊ちゃんは、なにやら商業区でやっているようですよ。娘にも詳しくは話してくれてないようですから、きっと誰にも教えるつもりはないのでしょう。朝早くから夕方まで。でも食事には決まって帰ってきますし。凄い量を食べてますね。
ファーギーさまは下の坊ちゃんとトレーニングしたり、お2人に始終ついてまわってますでしょ。当主が忙しく外出なされてますから、あの人も気軽に遊び歩いたりできないのかもしれませんね。今日も、もうおやすみになってるはずです。」
「そうか、フィンはどうだ?まだ落ちこんどるのか?」
その質問に、レイラは獣人のサフ族にしてはめずらしい苦い笑みを浮かべてうなずいた
「そうか、まーだやっとるのか。あれは…。」
ガリランドにいた時からだが、あのフィンレイには貴族の子にはふさわしくないおかしな習性があった。
自分の部屋を、できるだけみすぼらしく小さな部屋で薄暗くしたいという欲求を持っていた。
その傾向は幼少からあるにはあったが、祖父と孫で一緒になってからはより顕著になった。
ガリランドではメイドの部屋に立てこもり、何度かはこっそり部屋の中身を移し替えることで変えようとしたのだが頑としていうことをきかなかった。この町に来ると決まった時、グリフはきっと今回もそうなるのではなかろうかと思ったのだろう。
なんと先手を打っていた。
この家のいわゆる屋根裏部屋やそれに近い、人が最低限は入れる部屋を徹底的に潰しておいたのである。
おかげで今回も狭くて暗くて小さい部屋に入ろうとしていたフィンレイは、自分の愛してやまない部屋がひとつもないことに気がついて初日など信じられないことに泣いてグリフを罵ったのである。
まさか泣くとは思わなかったので、グリフもケイン老も呆れて対応してしまったのだが、それが許せないのだろうか。彼はそれ以来、ケイン老と行動をともにしながらもどこか元気がないように見えた。
「どうしたものやら…」
再び愚痴ってしまうと、レイラが励ましてきた
「大丈夫ですよ、ご当主。上の坊ちゃんに相談を受けて私達もこれしかないって思ったんです。まだ諦めきれないだけで、そういう家だと思ってしまえばきっと諦めてくれますから。それまでの辛抱ですよ。」
諦めきれない、か。まったくなんでよりにもよって貴族の癖に貧乏症なのやら。苦笑いを浮かべながらケインは聞いた
「それで、メイド方にはこの家の評判はどうなのかの?」
「最高の環境ですから文句などありませんわ。フィン様と違って、どうやら私達は図太くできているようです。もしかしたら自分が人間の貴族にでもなってしまったのではないかって娘と話すほど合っていると感じてます。不思議なくらい。」
はっはっはっ、声を上げて笑うが相変わらず彼女のジョークは酷く笑えない。
(なんだかんだ言うても、家族みな。きっちりこの町で仕切りなおせているってことかの)
「それではそろそろ灯りを消しますけど…よろしいですか、ご当主?」
「うむ、おやすみ。レイラさん」
「はい、おやすみなさい。」
灯りを消すと、忠実なメイドが部屋を出ていった。
暗い部屋の中だが、老人ゆえにすぐには眠れなかった。
そのせいだろうか、どこからか聞こえる女の悲鳴や男の怒鳴り声が気になる。この大都市の治安は聞いた以上に悪い。
(いや、そうではないのかもしれんな。)
あの、ガリランドの一件以来。
それぞれライバー家の男達は変わった。フィンレイはまだまだ子供のようだが時折、厳しい戦士の顔をのぞかせるようになった。
グリフは単純に暗い部屋に入りっぱなしだったのが、日の光の下でも普通に生活するようになっていた。正直これはとても喜ばしいことであり、これならいつ、自分が引退しても安心と言うものだろう。
そして、ケインだが別にいきなり若々しくなったわけではない。だが、かつてあった。危険を皮膚で感じるということが、またわかるようになっていた。その感覚は、ここに来て過ごす夜ごとにはっきりとしたものになっている。
だからこそ、冒頭の3人の暴発というのもそう遠くないことも予想出来てしまう。
さて。どうしたらよいものかな。
部屋の外で、エリーにつれられヤンとマールがフィンの部屋へ歩いて行くのがわかる。そしてケインは目をつぶった。時間はかかるだろうが眠るのはもうすぐだ。
▼▼▼▼▼
「あれ?犬ッコロの声がしなくなったぞ。」
「当然だろー、まったく最近はギャンギャン吠えやがって。ぜってー見つけ出したらぶっ殺して食ってやる。」
男はそう吐き捨てると、手に持った干し肉にかぶりつくと憎々しげにそれをかみちぎった。
「犬を食うのかよ、おいおい。食うところなんてあるのか?」
「あぁっ!?どういうことよ。」
「だからさ、こんなナヨナヨしたお貴族様が飼っている犬だぜ?うさぎのほうがまだましってことかもしれねーだろ?」
「そんときゃアレよ。飼い主をやるわ。」
「え、殺すの?」
驚く隣の男の言葉に顔をしかめると、噛んでいた肉を飲み込んでから罵って返す。
「あほ!殺すのはいつものことだろうが、やるっていったら他にもあるだろうがっ!」
「マジかよ?姦るってこと?おいおい、男だったらどうすんだよ。」
それを聞いて周りの連中もゲラゲラと笑いだす。
「うるせーよ、そんな小っこい犬飼ってるのはだいたいにして女に決まってんだろ?この辺ならお貴族様の娘ってことがあるかもしれねーだろ。」
「へっ、単に調子に乗った下の連中がこれ見よがしに貴族の気分を味わいたくてここえをほっつき歩いているだけかもしれねーぞ?」
「それでも女だ。女なら問題ないだろうが。」
「おい、てめーら。」
それまで暗がりでどんよりとした目で馬鹿話を聞いていた1人がそこで声をかけてきた。
「勝手に話で盛り上がってあんましはしゃぐんじゃねーぞ。」
「なんだよ、ブゥイよぉ。世間じゃ夢見る時間だぜ?ちょいとばっかし俺らも夢物語の一つもっていってただけなんだからよ。そんなにピリピリ……。」
「馬鹿野郎!」
ブゥイと呼ばれた男の口から鋭い罵声が飛ぶと、緊張でそれまでの雰囲気が引き締まるのを感じる。
「お前等のアホ話の中でだけならそれもいいがな。知ってるだろ。4ヶ月前、はいったばかりの新入りが何を勘違いしたのか、”貴族ならどれでもいい”とか寝言抜かしやがって。どんだけ冷汗かかされたか。」
「ああ、ひどいもんだったぜ。あのアホだけじゃなく、嫁も、ガキも。兄弟たち全員の首を並べる羽目になった。あれはきちーや。」
「そうだ、なにがいかず後家をちょいと皆で慰めてやった、だ。相手をあんだけ確認しろと言ったのに、お前らみたいにアホ話してるからその辺のわきまえかたをスッポリ忘れる阿呆が、仕事の仕方までスッポリ忘れて馬鹿やらかすんだよ。」
「そうはいうけどよ、ブゥイ……。」
「だいたいな、その件だってアホガキの一族の首だけじゃ終わらなかったんだぞ。結局、大事にしないようにと大金を出す羽目になったんだ。ボスがトチ狂うのもわかるってもんだぜ。」
「ブゥイ、わかった。悪かったよ。」
「いや、わかってねー。お前等だってわかってると言うが、いつもの調子とまるで一緒じゃねーか。いま、うちはヤベ―所にいるんだよ。あの件は早くも情報が回っている、次の季節の幹部会では絶対に突っ込まれる。それをかわすために、こうして連日総動員して稼ぎにせいを出しているんじゃねーか。気合いを入れろ!」
それぞれが、それぞれの形でわかったと返事が出るとなんだかまた退屈な時間が過ぎるかに思えた。
「………でもよ、男だったらしゃれ、ならなくね?」
どこの阿呆がいったのか、それをきいて一斉にゲラゲラと男達は笑いだした。
「馬鹿共が、もうしらねーぞ。」
そういいながらも、ブゥイと呼ばれた男の口元もすこしばかりほころんでいた。
▼▼▼▼▼
「うおおおおらあああああ!」
そう声を上げながら突進するファーギー、それを盾と剣をかまえたフィンが迎え撃つ。
翌朝、ケイン老が自室を出て階下に降りると、庭先から実に男らしいファーギーの声となにかがぶつかり合う音で相手をしているのがフィンだとわかった。
さっそく覗いてみたい気もするが、若い2人が朝から汗を流しているのを邪魔するのも何なので、食堂へとそのまま向かうことにした。
メイド達とも挨拶を交わして席に着くが、どうやら今日も自分1人だけらしい。
さっそく仕事中のエリーに声をかけた
「グリフはどうした?」
「ああ、もう出かけられましたわ。フィン様とファーギーがあの調子ですから寝られないとかぶつくさ言ってましたけど、昼にいったん戻って今日も夕刻までもどらないとおっしゃってました。」
「そうか」
その返答はケインがだいたい予想していた通りの内容だった。
そろそろ何を1人でごそごそやっているのか、聞きださんといかんだろうなぁと思いつつも、実際にそうしようとすればあの孫は実にひねくれた返答をかえして真面目な話を避けようとするだろう。まったく、どうしてそんなところだけ自分と似てしまったというのか。
「フィンはファーギーちゃんとずっとあれか?」
今度は料理を運んできたレイラに尋ねると、彼女は少し困ったような顔をして
「ええ、あれはですね。ちょっと違いまして……。」
「ほう、なにがあった?」
ゆで卵にどばっと塩をかけると、レイラの目が少し釣り上がったが、お構いなしにそれにかぶりつく。そして、先を続けてと催促の合図をする。ため息をつきながら、若い2人の話しを始めた。
「今朝はファーギー様が早く目を覚まされたようでして、何を考えたのかフィン様の部屋へ……まぁ、上の坊ちゃんは寝起きが悪いですからたいした勘だとは思いますけど。とにかく起こしにいったようでして。」
「なんじゃ、起こしただけか?まったく、フィンの奴はいつまでたっても女遊びをしようとせんのぅ。グリフは最悪じゃったが、あいつときたら聖職者かと思うほどなんもせん。あの年齢ならファーギーちゃんの色香に迷って間違いの百や二百あっておかしくなかろうに。」
「人間の男女でそんなに間違いを起こしたら、あとが大変でしょうに……とにかく、ご本人的にあまり嬉しくない起こされ方をしたようで。このアバズレがよくも!とか朝から叫んで怒って降りてこられまして。で、2人仲良く庭でド突き合ってるんです。」
やれやれと、首を振りながらもケイン老は再び塩の盛られた小皿に手を伸ばそうとすると、それを阻止しようと一瞬早くレイラが小皿を手にさっさと部屋を出ていってしまった。その後ろ姿に未練たらしいい視線を送るが、もう諦めるしかないだろう。
そして、エリーに向きなおすと
「エリー、フィンにそろそろ切りあげろと言っておいてくれ。それで今日の予定じゃが…」
すると、言いかけるケインを止めるように
「それなのですが、先ほど子爵様の使いの方がお見えになりまして。急用ができたので日を改めて欲しいと。」
「ありゃ、本当か?」
「はい。フィン様にもお伝えしておきましたが、数日待ってから返事をした方がいいのではといっておられました。結論はご当主様におまかせするとも。」
「ふむ。待つ、か。」
確かに、その方がいいかもしれない。ここに来たばかりで世情も疎い、挨拶ぐらいしかないこちらのために、つつき回すのも悪いかもしれんな。
「考えておこう……しかし、困ったの。これで今日一日。やることがなくなってしまったわ。」
田舎暮らしが長かったフィンのために、いろいろとその後も見て回るつもりだったので時間をたっぷりととっていたのが災いした。
(さてさて、どうしようか。どうせ皆して、わしに寝てろ。とか言うに決まっとるしな。)
まったく世の中はいつだっておかしいが、これもそのひとつだ。こうして起きぬけの老人が暇だというと、大抵はそれじゃ、休めとか言って動き回らないことを要求して来る。
まったく、どういうことなのか。
寝ようにも眠りは浅く、起きようとすればあけ方に目を覚ます、そんな老人に一日寝てろとは酷い話ではないのか!?
そんな一老人の怒りの声を心の中でつぶやいていると、レイラが茶を持ってきた。なにか理由をつけなくては、きっとこのあとで休めとか言い出すに違いない。
「それで、ケイン様。他に何かありますか?」
ほら、来たぞ。
「うん、実はな。今日の予定であった子爵との面会がなくなってしまってな。」
「あらあら、そうでしたか。それでしたら丁度よかったじゃありませんか。」
「そうか?そうだな。ここに来てからあいさつ回りで忙しかったしな。」
「そうですよ、ですから今日はゆっくりと骨休めを…。」
「いや!そうはいかん。そうだ、レイラ。今日は買い物に出るじゃろ?町を見ておきたい、ワシもついていっていいよな?」
間髪いれずに一気呵成にそういいたてると、メイドの表情が曇る。うひひひひ、どうだ。困っておるわい。
「私達の買い物、ですか?」
「そうじゃ、ここはでかい町だからの。少しでも時間を作って、みて回らんとな。」
「ご当主、その。今日はやめた方がいいのでは?」
「なんじゃ、老人をのけものか?別に朝っぱらから綺麗なお姉ちゃんのたくさんいるイケナイ店を探しに行くのに比べれば買い物に付き合うなど健全そのものではないか。」
ちょっと意地悪をして、哀れっぽく嘆いて見せつつ、酷い台詞をそこに混ぜておく。だが、彼女の顔は曇ったまま変わらなかった。
「そうなんですけど。あのですね、今日私達が行くのは治安がそれほどよくないところらしいのです。」
「ならば決まりじゃ!ワシをそこに連れてってくれ。なに、断るなら1人でいくだけだからな。いいな?そのかわりいい子にしておるから、なっと」
はァ、とひとつため息をつくメイドを前に、ケイン老の機嫌はすこぶる良かった。
これでいい。今日はいろいろと面白い事になりそうだ。
▼▼▼▼▼
はっとして私は目を開けた。
どうやら朝食を終え、ひと仕事する前にとこの木陰で横になったのだが気持ち良すぎてついつい眠ってしまったらしい。
(まったく、仕事の前なのに気がぬけてるわよね。)
そんなことを思いながら、気合いを入れようと片手で自分の横腹をポンと叩いた。
昔、物乞いをしていた時分。覗き見た酒場でよく太った男が腹いっぱい食い散らかしながら食べた後。こうしてポンとたたくとひとつ頷いてから必ず勘定をしていた。
なんて醜いとその行為を嫌悪していたはずなのに、いつの間にか自分もその人間をまねて同じことをするようになっていた。
これはどうも癖になってしまっているらしく、『彼』と食事した時もやってしまい「オッサンみたいだなぁ。ってそれ、俺の事じゃん」などといわれて笑われてしまったのを思い出す。
「なんだよ、オッサンみてーだなー」
『彼』とは違う、あきらかに若い男の声がしてその方向に顔を向ける。
「よっ」
そういって馴れ馴れしくする彼の名前はバボという浅黒い肌のまだ少年としての幼さが残るシーフだった。
「バボ。なに?ずっと見てたの。」
「まぁね。朝からすやすや気持ちよさそうに寝ててさ。今日は仕事に出ないのかと思ったぜ。」
「まさかそんなわけないじゃん。だからこうして起きたんじゃない。」
ツンツン返してしまうのはなんとかしたいと思うのだけれど、こればかりはどうしようもなかった。
(もう一生治らないのかもね)
シーフギルドに入り浸っている連中の中で、私に話しかけるのはいまではこのバボぐらいのものだ。しかし、それも仕方ない。あんなに幹部に目をつけられている私と仲良くするなんて、いってみるなら自殺行為にちかいものがある。
「なんだよ、もうちっと優しく相手をしてくれてもいいだろ?」
「なに?人間の恋愛みたいに、ベタベタ抱き合って親愛の情を交わせって言うの?」
「まぁ、そうだな。挨拶してからハグ、キス…そういうの大事だっていうじゃないか。」
「悪いけどね、バボ。」
腰に手をやり相手を見据えて仁王立ちする。
(ああ、だめだ。これはどうしてもいっちゃうんだよなぁ)
心の中ではそう思っても口の方はもう止まらなかった。
「あんた達人間のおしつけって、不愉快なのよね。だから挨拶しても、ハグはしないし、キスもなし。だいたい、そんな恋人みたいな事よくもやれるわよね。」
「恋人って……ま、おれはべつにいいけどさ。」
「あたしはごめんなの。人間の男にギャーギャーいわれるなんてね。」
バボの顔が歪んで、心なしか顔が真っ赤になっている気がした。どうも人間の表情はいまだによく読めない。
「そりゃあさ、そりゃ。俺だって正直言えばお前がいいって言ってるわけじゃないさ。…でもよ、お前がハグもキスも恋人みたいだって言うならそうなってもいいくらいの気持ちでって意味で…。」
「だからないってば。それに、一応聞くけど。あんたロリコンなの?」
「…ああ、なんで?」
いきなりだがとても失礼な言い方に、彼は怒りを通り越してひきつった顔で間抜けにもこちらに聞き返してきた。
「あたし、あんた達が好きな贅肉があちこちについた体はしてないのよ?それなのに恋人でもいいくらいって。あれでしょ、大人の女じゃなくて幼い女が好きっていい放つ変態がいるって聞いてるし。」
「おい、そりゃひどすぎるだろ。あんまりだ。仲良くしようというだけで、お前はいつも相手をロリコン呼ばわりするのか?」
「あんたは人間の男よ、だからそうね。」
エルフである自分は別に人間の男共が喜ぶような凹凸が身体にはないし、もともと小柄と言うこともあってシーフギルドでも”小枝のように貧相”だといわれるが、そんな人間の目でいわれても気にするつもりはない。
だが、そういうのを好む人間の男はいるんだぜ。というのは常々耳にしていることだ。そういった趣味の男を前にする体験をしたいとは全く思わないが。
結局、この朝も。バボはいいところなく相変わらずツンツンするウ-テになかなかにきつい肘を喰らっただけに終わってしまった。
(まったく、なんて可愛げのない女だよ。ギルドでもあいつに構ってやるのはもう俺くらいしかいないっていうのにさ。)
人間の彼にはわからなかったが、この国のシーフギルドの幹部にいるエルフはなぜかしらないけれどウ-テのことを酷く嫌っていた。というかむしろ憎悪していると言っていいほど、目の端にうつれば必ず激怒せずにはいられないというくらいひどかった。とにかく顔を見たら必ず罵声を浴びせていた。
どうやらエルフ同士の事情があるらしいのだが、誰も説明できないのでその理由はいまだに知らない。
彼女はそれに一度として反抗した姿を見たことはないが、それでもギルドに彼女が出入りするのは別の幹部にとても可愛がられているからだという、おかしな事情があったからだ。
そうだ、彼女自体がおかしな存在であると言ってよかった。
シーフギルドは結構厳格なところがあって、それなりに巡列は決まっている。
ところが、ウ-テはくわしく聞くとギルドに所属していないという。つまり、シーフではないはずなのだが、ギルドに彼女だけは出入りを許されているのでとりあえずシーフ見習いってことになるらしい。そんなの、聞いたことのない役職だが。
ふと、顔を上げるとこの広大なウィンター・エンドの街並みが目に飛び込んできた。
(彼女、今日はマーケットでの仕事って言ってたな。)
正式なシーフではない彼女にギルドの仕事はないし、許されていない。しかし、彼女はギルドに収める少額の金と生活費を稼ぐくらいのことは許されているらしかった。
自分には別に仲間達と組んでやらなければいけない仕事は決まっている。今日はもう彼女に会うことはできないだろう。
しばらく歩くと、階段に座り込んでだべっている仲間達を見つけることができた。どうやらバボを待っていたらしい。
さっそくその中の1人が笑いながら声をかけてきた。
「よォ、色男。今朝の彼女はどうだった?」
バボはただ苦笑いしてそれには返事をしなかった。
「なんだよ、俺達を待たせてまで探しに行ったのに。今日もキスどころか、ハグもできなかったんだろ?」
そういって呆れた顔の彼等に、たまらずバボは言い訳をする。
「おいおい、そう焦るなって諸君。俺は獲物をそうそうにあきらめたりはしない。今日の2人の会話はそのうちきっと結果につながるって。」
「よく言うぜ」
ゲラゲラと笑いが怒るが、手をひらひらさせてバボは気にしていないようだった。
「なぁ、お前は良くやってるけどよ。あれはもうやめとけよ。いい加減、俺達も見ていて気の毒になってきたぜ」
「そうそう、ありゃお前。エルフのくせにまるで冷たい岩だ、ドワーフなんだよ。どんなに評判のよくないエルフの娼婦でも、あれはないぜ。」
そうそう、と同意する声が上がる中。バボは笑いながら答えた。
「俺は耐える男なんだよ。それにな…忘れてないだろ?お前ら、彼女を落としたら奴が皆からそれぞれ金貨2枚。いいか?2枚ずつ出してもらうって約束。忘れてもらっちゃ困るからな。」
ひでぇ、金のためかよーと笑いがおこる。
そうなのだ。
ウ-テを誰が口説き落とすのか。いま、シーフギルドの若い連中はそれで賭けをしていた。
ちなみにこれまで6人の男が挑戦して、誰一人触ることすらできなかった。
そもそもこんなバカな賭けが始まったのには少しばかり事情があった。
ウ-テのよくわからない存在に、はっきりさせようと思った勇気、というかバカがいた。そいつは驚いたことに、ウ-テを可愛がっていたギルドの幹部。名前をマッカローニという中年の男性がいるのだが、彼に直接面と向かって聞いたのだ。
「あのエルフはあなたの女と言うことで理解してよろしいのですか」と。
それを聞いてその場にいた古参のシーフ達は大受けしてたが、さすがに本人は気を悪くしたようで顔をしかめていたという。しかし、口を開いた彼は別にとがめるわけではなく逆になぜそんなことを聞くのかと言った。
「あのウ-テというエルフはどうも幹部の1人とひどく仲が悪いようなのです。しかし、だからといってここの出入りはやめようとはしないし。聞けばギルドに正式に所属してないのでシーフですらないという。皆どう接していいのかわからないのです。
しかし、あなたは彼女の世話をよく見ていると聞きました。だからあなたの女なのかなと思ったから聞いたのです。」
マッカローニはそれを聞いて、わかったと答えると。まず、そんなデリカシーのない聞き方は今後するなよと注意した後で答えた。曰く、「俺の女ではないし、たしかに正式なシーフでもない。だが、お前等が”仲良く”してくれるというなら俺は歓迎する。」
こうした、一種のお許しが出たことで彼女をネタにした賭けが始まったのだが。思った以上に彼女のガードは固く。
人間の男の味を誰が教えるのか、というかなりひどいこの賭けはなかなか終わりが見えなかった。
おかげで中には飽きてきている者や、終わりにしようという者もでてきていたが。それでもまだ続けるのは、この諦めない新しい挑戦者バボのそんざいがあったからといえるかもしれない。
「見てろよ。シーフは一度喰いついた獲物は離さないものさ。」
彼は仲間達に向かってそう言うと自信ありげにして見せていた。
感想等よければください、励みになりますので。