第20話:腐敗竜フジョーシ=ヤオイ
ドラシール竜王国の王宮、その最深部。天を突くような巨大な円柱が並ぶ広間の中央、一段高い玉座に座るのは一見すると十代の少女ほどの大きさしかない、小柄な人型のドラゴンであった。
彼女こそがこの国の絶対君主フジョーシ=ヤオイ。背中には漆黒の翼を畳み、頭上からは鋭い双角が天を指す。体躯は人間と変わらぬがそこから放たれる圧倒的な威圧感は、城一つを塵に変えるに十分な魔力を秘めていた。
「……側近よ。最近、我が国の概念のバランスが、甚だしく乱れているように感じるのだが?」
女王の声は鈴を転がすような美しさと、地底から響く地鳴りのような重低音が共鳴していた。彼女は今、自らが何百年もかけて編纂してきた「ドラシール正統BL教典:攻めと受けの聖域(全801巻)」の一冊を、指先で愛おしそうになぞっている。
「はっ……。陛下のご慧眼の通りです。北の街道にて異端の動きが確認されております」
「……言ってみろ。童の聖なる二項対立を乱す不心得者は誰だ?」
側近の騎士が震える声で現状を報告する。怪しいローブの女が馬車を引いて各地で少年を女装させて回っていること。そして、その女装した少年があろうことか年上の男を攻めるという事態が多発していること。
「…………ッ!!!」
その瞬間、王宮全体が激しい地震に見舞われた。女王フジョーシの魔力が怒りによって爆発したのだ。
「……女装だと!? 軟弱なり……あまりにも軟弱なり!!」
彼女は玉座から立ち上がり、翼を大きく広げた。
「良いか! BLとは、完成された雄同士がその肉体の限界をぶつけ合い、魂の最奥で響き合う精神的格闘技であるべきなのだ!! 厚い胸板、鍛え上げられた上腕三頭筋、そして戦士としての傷跡……! それらを持つ男たちが愛という名の不可抗力に抗いながらも、最後には涙を流して重なり合う……。それこそが黄金律!!」
女王の瞳が黄金の炎を宿して燃え上がる。
「それを……! 少年を女の如き衣裳で飾り、安易な可愛さに逃げるとは何事か!! 筋肉と筋肉が擦れ合う際に生じる火花を知らぬ素人の仕業よ!! 特に女装したまま攻めるなど……それはもう、実質的に男女の恋愛と何が違うというのだ!! 概念の汚染だ! 解釈の暴力だ!!」
彼女にとってローブの女の広める女装ショタは単なる流行ではない。自らが守り続けてきた男という造形美への信仰を根底から覆す、文明的テロリズムであった。
だが、報告はまだ終わらない。
「陛下……。さらに、民の間で「やきう」なる奇妙な遊びが流行しております。彼らは砂の上を走り回り、点が入るたびに『期待値が爆上がりやwww』と叫び、負ければ『アカン、また貯金が消えた……』と項垂れております。彼らは自らを「なんじぇいみん」と称し、既存の騎士道精神を嘲笑うかのような隠語を用いております」
「やきう……? なんじぇい……?」
女王は、自分の知らない言葉と概念がまるでバイオハザードのように国中に広がっている事実に、かつてない危機感を覚えた。
「……わかった。これは、この国の理を書き換えようとする外神の仕業に違いない。……女装という邪教でBLの純潔を汚し、やきうという名の怪しげな儀式で民の精神を骨抜きにする……。看過できん、断じて看過できん!!」
女王フジョーシ=ヤオイは玉座の前に集まった精鋭の魔導騎士たちを見下ろした。
彼女の小柄な体躯から放たれるのは圧倒的な統治者としての圧。背中の漆黒の翼が不穏に波打ち、その双角の間には異端を焼き払うための黄金の魔力がパチパチと火花を散らしている。
「……騎士たちよ。我が国は今、かつてない概念の侵食にさらされている」
女王の声が、重厚な石造りの広間に反響する。
「北の街道に現れた、少年を女装させるという謎の女。そして、民の間に蔓延し始めたやきうなる奇妙な遊戯。……これらは単なる流行ではない。我がドラシール竜王国が千年にわたり積み上げてきた、「男と男が、男のまま、その魂を削り合って結ばれる」という崇高なるBLの美学を、根底から腐らせる病原菌だ」
女王は一歩、玉座から前へ踏み出した。
「私はこの異変を引き起こしている何者かをまだ知らぬ。それがいにしえの邪神の化身なのか、あるいは隣国の禁忌を犯した魔導師の成れの果てなのか……。だが、どのような存在であろうとも我が解釈に泥を塗る者は我が国の住人とは認めぬ!!」
彼女の脳内にあるのは完璧に統制されたカップリングの秩序。そこに女装という名の安易なデコレーションややきうという名の無粋な集団競技が入り込む隙間など、一ミリたりとも存在しない。
女王が拳を握りしめ、熱く男同士の肉体美について語り始めたその時。傍らに控えていた古参の側近が表情一つ変えずにボソッと呟いた。
「……陛下。一言よろしいでしょうか。……我が国が公式にBLを推奨していたなんて今初めて聞きましたけど。……これまでは確か、竜人の誇りと規律を重んじる国だったはずでは……」
一瞬、広間に静寂が訪れた。女王フジョーシ=ヤオイの動きがピタッと止まる。彼女はゆっくりと首を動かし、側近をギロリと睨みつけた。
「……何だと? 側近よ、貴様……。ドラシールの国旗がなぜ二匹の竜が絡み合うデザインなのか忘れたのか? ……あれこそが究極の絡みの象徴であろうが!!」
「いや、あれは単に天と地の調和を……」
「黙れ!! 私がBLと言えばBLなのだ!! 私がこの国の王である以上、この国の公用語は『尊い』であり、憲法第一条は『解釈違いは死罪』なのだ!! 異論があるなら今すぐ戦場へ行け!!」
「……はあ。承知いたしました(この王、もうダメだ……)」
側近の諦め混じりの溜息をよそに、女王は鼻息荒く再び騎士たちを指差した。
「……精鋭調査団を編成せよ!! 王国が誇る最上級の魔導騎士に加え、概念の真偽を鑑定する審議官を同行させろ。……街道をゆく謎の馬車を包囲しその主を捕縛せよ。……そして、その背後で糸を引く黒幕が何者なのかその正体を暴き出すのだ!!」
「ハッ!! 女王陛下に栄光あれ!!」
「……もし、その黒幕が私の教典を否定するようならば……。……この最小の竜王自らが、真の絶望(ハードBL)というものを、その魂に刻み込んでデリートしてくれよう……!!」
女王の魔力が頂点に達し、王宮の窓ガラスがすべて一斉に粉砕された。それは、未知のバグに対する、国家権力という名のデバッガーが動き出した瞬間だった。
一方その頃。辺境伯の館で、「この国の騎士の制服、もっと腰のライン強調した方が期待値高いやろwww」と勝手にデザインを改ざんしているワイ。そして街道で、美少年の「おばさん、もっと速く走ってよ。トロいんだから」という罵声に、「……はいっ!! 命削って走ります!! 」と馬車を引くローズ。
女王フジョーシの「聖裁」がすぐそこまで迫っていることも知らず、二人のバグは今日も元気に世界の理を壊し続けていた。
「……フフフ。……楽しみだ。……我が教典を脅かす異形……一体どのような醜い姿をしているのやら……」
女王の黄金の瞳が月光のように冷たく、そして激しく輝いた。




