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第33話 引き連れた影の曰く





 北防壁の周辺での防衛戦において、アッシュ達はゾンビの全てを退けた。


 負傷者の治癒に関しては、クラン『正義の刃』が多数準備してくれていた高位魔法薬の助けもあり、比較的に素早く完了することもできた。


 魔法薬では回復が追い付かないような重傷者の治癒や解毒は、町の神官達とアッシュ、カルビ、それから、他の冒険者パーティの治癒術士達が共に担当した。

 

 神官達の話では、この人造ゾンビ達の体液は毒性が強く、汚染した者の血液を腐らせるのだという。

 

 そのため、戦闘に参加した者には全員『浄化の霊炎』によって清浄処置を受けてある。北防壁周辺の土地にも、神官達が神聖魔法による浄化を施していた。


 こういったゾンビ達の腐肉に対する浄化処置は、アッシュを含む冒険者と、クラン『正義の刃』に所属する魔術士部隊のメンバーが今も行っている。


 戦いを終えてからもやることは山積みではあったが、死者が出ていないことは幸いだった。


 まだ周辺にゾンビの群れが潜んでいないかについては、『正義の刃』のクランメンバーを始め、斥候としての経験のある冒険者たちが確認に出てくれている。


「……」


 戦場となった北防壁の前に立ったアッシュは、視線を空へと投げた。


 山の向こうへと沈もうとしている夕焼けは、森の深緑に茜色を塗しながら、その輝きを鈍らせていこうとしている。雄大ながらも陰鬱な眺めの一部に、この町も取り込まれつつある。


「片付けるゾンビの数が多すぎるぜ……」

「バラバラになっちまってるのは、もう集めるのも面倒だな……」

「まぁ、適当に寄せとけばいいだろ」

「おう。どうせ全部燃やしちまうからな」

「しかし臭ぇなオイ……。鼻が曲がっちまう」

「神官様たちの浄化魔法が無けりゃ、息もできねぇよ」

「息をした途端、毒にやられちまうだろ」


 北防壁前は、今では冒険者達が手分けして、ゾンビの群れの残骸を何か所かに分けて集めているところだった。


 その片付け作業にはアッシュも参加しているが、酷い臭気だ。


 激しい戦闘の余韻は薄らいでいるものの、その代わりに、妙な湿度を伴った熱気が辺りには立ち込めている。


 死霊魔法系統の影響に曝されたゾンビ達の死肉にも、毒性とは別の、魔術的な汚染が残るらしい。一度ゾンビとして利用された死体には、腐肉を食い荒らすような獣も、蠅などの虫も寄り付かない。


 いずれは焼却処分が必要になるだろう。ただ、今すぐには手が付けらないため、今も冒険者達によって乱雑に寄せ集められているのだ。

 

 魔術によって再活性されたゾンビの腐肉は、死という概念からも疎外されていた。あれらはもはや死体ですらなく、生命の理外にある廃棄物である。


 そしてそれは、アッシュの足元に転がっている黒鬼ゾンビの肉片も同じだった。


 頬を撫でていく冷たい風を感じながら、アッシュは胸を押されるような息苦しさを覚えていた。


 足元に転がる鬼面ゾンビの首。

その髪の色は、アッシュと酷似した灰色をしている。

 

不意に、中年男性ばかりの冒険者パーティが、地面の彼方此方に視線を這わせながら傍までやってきた。


「ゲッへへへ! お宝お宝……!」

「あのゾンビが振ってやがった刀は何処だ……!?」

「ありゃあ、いい値で売れるぞぉ。探せ探せ!」

「剣聖の目が他所を向いてやがる! 今がチャンスだ!」


 どうやら彼らは、黒鬼ゾンビが振っていた野太刀を探しているらしい。


 全員が『4等級・金』のプレートをしていて、装備の質も良くなさそうだった。ゾンビの片づけをそっちのけで、金目のものを漁っている素行の悪さの方も目に付く。


「んん?」

「おぉ?」

「あん?」

「あぁ?」


 彼らはアッシュに気付いて、顔を鬱陶しそうに歪めた。


「なんだチビ、お前も刀を探してんのか?」

「女みてぇな可愛い顔じゃねぇか。尻でも見せろよ」

「けっ。最低等級じぇねぇか。邪魔だ、どけどけ」

「お、おい、待て、こいつ……」


 黄ばんだ歯を見せてアッシュを恫喝していた男達の1人が、何かに気付いたかのように顔を強張らせた。


次の瞬間には、彼ら全員がハッとした顔つきになり、背筋を伸び上がらせる。


 目の前にいるアッシュが、“剣聖”サニアと互角に打ち合っていた黒鬼ゾンビを解体した人物なのだと思い出したようだ。それに時間が掛かったのは、戦闘中のアッシュと、今のアッシュの印象がだいぶ違うからだろう。


「へ、へへ。今のは、冗談でして……」

「ど、どうもすいやせんねぇ、旦那」

「俺達も、ちょっと疲れてて……」

「か、勘弁してつかぁさい」


 顔中に脂汗を掻き、頬の筋肉を引き攣らせまくった中年冒険者パーティは、アッシュに赦しを請うような、ぎこちない笑みを懸命に維持していた。


「えぇ」


 アッシュは出来るだけ温和に笑みを作り、緩く首を振ってみせる。


「そちらの皆さんも、御無事で何よりです。……ですが、まずはゾンビの片付けを優先しましょう」


 言いながらアッシュは、中年冒険者たちに一歩だけ近づく。中年冒険者たちは3歩ほど飛び下がって、2人が尻餅をついた。


「そ、そうっすよねぇ! 仕事中に物漁りなんて!」

「お、俺はね、こいつらを止めたんですよ!」

「バカお前! 言い出したのはテメェだろうが!」

「し、失礼しましたぁ!」


 笑みを浮かべながら怯える彼らは、逃げるように走り去っていく。


 その背中に声をかけることも出来ずに、アッシュは見送った。溜息を飲み込む。詠唱を紡ぎ直して、黒鬼ゾンビに向けた浄化処置を再開した。


 魔術的な作業のなかで、呼吸が僅かに浅くなる自覚があった。

 

――いいか、よく聞け。

 

夕焼けに染まる視界の隅に、過去の記憶が滲んでくる。


――まだ殺せるだろう?


 象牙色のローブを纏った、あの男の声も耳元で甦る。

 アッシュと同じ髪と瞳をした、他の“人形”達の姿が思い出された。

 彼らも、彼女達も、アッシュと同じく“魔王の器”だった。


――殺し合え。

――お前の価値を証明しろ。

――お前の意味を立証しろ。

――優れた器として。


――そうだ。分かるか?


――お前は魔王の入れ物だ。


――その資質を維持しろ。

――その機能を練磨しろ。

――他の人形共を上回る力を見せろ。


――躊躇うな。

――もっと殺せ。

――これでも、まだ足りん。

――お前達は人形だ。

――お前達は人間ではない。


――故に。


――お前達は法とは無縁だ。

――お前達には罪も罰も無い。

――お前達は道具だ。


――さぁ。


――殺せ。

――壊せ。

――潰せ。


“魔王になるために”


「……僕は……」


 自分の内面で疼くような記憶へと、無意識に言葉を差し向けようとして飲み込む。左手で顔をおさえた。右手に握る杖が、やけに重い。


 体ごと記憶に飲み込まれそうになっている自分に、アッシュは気付く。しっかりしろと自分に言い聞かせる思いで頭を振る。


 アッシュは意識的に呼吸を整え、しゃがみこみ、鬼面ゾンビの仮面に手をかけた。外れそうだった。直後だった。


「お~い、アッシュ~! 何か珍しいモンでも見つかったか~?」


 悠長だが迫力のある声が背後から響いてくる。

 次に、その暢気な口振り諫めるような低い声も。


「……ダンジョンで戦利品を漁ってるわけじゃないのよ」


「分かってるつーの。いくらゾンビを倒しても、魔骸石の1つも手に入らねぇんだ。現実逃避ぐらいさせろよ」


 渋い顔をしているカルビとネージュが、アッシュの許へと歩み寄ってこようとしている。その少し後ろにはローザとエミリアが続き、周りを見渡しながら難しい顔をしていた。


「人造の魔物だから、結晶化現象が起きないんだろうけどさ……。それでも後味が悪いよ。部分的には、人間の死体だって使われてるっぽいし」


 不味そうな顔になっているローザが、ぼやくように溢している。


「えぇ。ゾンビを相手にするのは心が痛みますわ。ですが、せめて魔骸石が採取できたなら、この町の復興にも大いに役に立ちますのに」


 ローザの心情にも理解を示したエミリアも、残念そうに言葉を繋いでいた。


「お疲れ様です、皆さん」


 アッシュが軽く頭を下げると、口許に笑みを湛えたカルビが軽く手を振ってくれる。


「おう。アッシュもな。おっと……、ソイツは……」


片方の目を窄めたカルビは、地面に転がっている黒鬼ゾンビを睨むように見た。


「“剣聖”サマと打ち合ってたヤツか。ゼナルブ墳墓にいた墓守も大概だったが、コイツはまた別格だったな」


「えぇ。かなり強力なゾンビでしたわね」

 

エミリアの表情は普段よりも硬く、引き締まっていた。


「アッシュさんが引き付けてくれていなければ、冒険者側の被害はもっと深刻だったかもしれませんわ。高い戦闘力を備えたゾンビが多数現れると想定するなら、まだまだ厳しい戦況になりますわね」


エルンの町の防衛が、決して余裕のある任務ではないことを改めて噛み締めている様子だった。


「でも、ゴースト系統のアンデッドを相手にするよりはマシでしょう。あっちは物理攻撃が殆ど通用しないもの」


 やや警戒するような目つきのネージュも、黒鬼ゾンビの残骸の傍にしゃがみこんだ。


“ゴースト”の言葉を聞いたカルビは表情を一瞬だけ強張らせ、ギクッと身体を震わせていた。だが、アッシュ以外は気付かなかったようだ。


「いかに強力なアンデッド兵とはいえ、魔力を元にして動いている以上は、その魔力を保持、そして維持するための肉体は必須……。なら私達も、アンデッドの肉体と戦えばいいのだから」


 静かな表情のネージュは言い方も落ち着いていて、腕を組んだローザも素直に頷いていた。


「実体を持たない魔物よりは相手にしやすそうだけど、楽観するにしては数が多い過ぎるって」


 やや険しい表情のローザの視線が、黒鬼ゾンビの髪の毛に注がれている。アッシュと同じ色をした、灰色の髪――。おそらく、カルビやネージュ、エミリアも、薄々気付いている。


 アッシュは、今の自分がどんな表情をしているのか分からなかった。


これは、一つの機会だと思った。

打ち明けるべきだと感じた。


 この目の前の黒鬼ゾンビの存在を遣り過ごして、何も喋らないという選択肢もある。だが、このまま黙っていることは、何か不誠実な気がした。


「あの……」


 俯いたアッシュが、顔を上げて声を出そうとしたきだった。


「何をしているのです」


 凛然とした声が背後から響いた。


 彼女達が近くまで来ていることに気付かないほど、アッシュの感覚と視野は狭まっていたようだ。まず声がした方にローザ達が振り返り、それにアッシュが続く。


 少し険しい表情のサニアと目が合った。


彼女は部下らしい騎士風装備の男性を3人と、ルフルを引き連れている。夕日を浴びる彼女達の、軍人然とした暗銀の装備が眩しかった。


「やっほー! お疲れー!」


ピースサインを作ったルフルが、ローザ達を順に見ながらウィンクをして、明るい声で言ってくれる。


「噂には聞いてたけど、ローザパーティーは実力派だね~! さっきは私達のクランメンバーも助けて貰ったし、感謝してるよ!」


 含みのないルフルの口振りは、どこまでも快活だ。


「恐縮です」とローザが微苦笑で応じて、腰に手を当てたカルビが「まぁな」と不敵な笑みを刻んだ。


「礼を言われるほどのことではありません! 淑女として、そして冒険者として、当然のことをしたまでですわ!」


 傲然と胸を反り返らせるエミリアが、また『御嬢様笑い』のポーズを取ろうとするのを阻むように、ネージュが冷たい声を横から刺しこんだ。


「乱戦一歩手前でも他の冒険者を助けることができたのは、瞬間的にゾンビを無力化できるローザが居てくれたからこそ、……そうよね」


「それを言ったら、私のことをカバーしてくれた皆の御蔭だよ」


 ちょっと困ったようにローザが肩を竦めるのを見て、「いいパーティだねぇ」とルフルも軽く笑っていた。


「噂じゃトラブルメーカーだって耳にするけど、ローザもカルビも、エミリアもネージュも、別にそんなに非常識ってワケでもなさそうだし。これからもズッ友って感じで、仲良くしよ!」


 そこまで言ってから、ルフルはアッシュにも向き直ってウィンクをしてみせる。


「アッシュくんも、さっきはありがとっ!」


 ルフルの気軽な振る舞いに続き、騎士風の装備で身を固めた男性達も、胸の前で拳を作るような敬礼姿勢をアッシュ達にとってくれた。


 兜の面頬を上げている彼らの表情は、ローザ達に対してというよりは、アッシュと対面することにやや緊張している様子だった。


 やはり彼らも先程の戦いで、『5等級』でありながらも黒鬼ゾンビの一騎打ちを制したアッシュの姿を見ていたのかもしれない。


 今のアッシュは得体の知れない低級冒険者として、悪く言えば怪しまれ、警戒されているようだ。


「いえ、此方こそ……。神官の方々の守備を放棄してしまうような形になって、申し訳ありませんでした」


 アッシュも頭を下げた。自分の無害さを証明するように、卑屈な笑顔を唇の端に過ぎらせてしまう。


「やや、しょうがないって! 私もアッシュくんに助けて貰わなかったら今頃、きっとバラバラにされてたもん」


 そう言って肩を揺らすルフルは、趣味の悪い冗談を笑うような口振りだった。


 それでも無理をしている風でないのは、冒険者にとっての死や使命というものに対する、ルフルなりの覚悟が確固たるものだからだろう。


「そういったことを冗談めかして口にするのは感心しませんよ、ルフル」


 呆れ気味に眉間に薄い皺をつくったサニアが、横目でルフルを諫めるように見て、軽く息を吐いた。


それから、アッシュの目の前にまで歩み出てきて、アイテムボックスから何かを取り出した。


 厳重な様子で布に巻かれているあれは、長さのある剣、いや刀か。


その長さからして、さきほどまで黒い鬼面のゾンビが手にしていた、あの長刀のようだった。恐らく、『正義の刃』のメンバーが回収していたのだろう。


「魔物の所有物、および、晶石化した魔骸石の所有権は、それを討伐した者にあります。冒険者業界における鉄則でしょう」


 サニアは手にした刀を横向きにして、アッシュに差し出してくる。


「これを持つ資格があるのは、ゾンビを討った貴方です。……受け取って下さい」


「えぇと、はい……。あ、ありがとうございます」


 いきなりのことに、アッシュはあたふたとしながら、布に包れた長刀を両手で受け取った。その長さもあってか、ズシリとした重さが腕に伝わってくる。


 サニアの鈍色の瞳が、アッシュの足元に転がっている黒鬼ゾンビ首や、胴体の残骸を見比べていることには気付いていた。


「そちらのゾンビに、何か気になることでも?」


 慎重そうなサニアの問いかけが、ローザ達にではなく、明確にアッシュに向いたのを感じた。


「……これは、私の勝手な憶測なのですが」と前置きしたサニアが、黒鬼ゾンビの灰色の髪を視線だけで見下ろして、切り込んできた。


「このゾンビと貴方との間に、何か関係が……?」


 その口調には、アッシュを詰問するような、或いは咎めるような響きはない。むしろ、アッシュのことを対等以上に扱おうとしている意志を感じた。


「え、えぇ。気になる、といいますか……」


 足元のゾンビに視線を落としたアッシュは一瞬、言葉に詰まる。


 その束の間の沈黙のなかで、ローザ達からの視線も感じていた。やはりアッシュのことを気遣ってくれている風でもあった。


 彼女達の優しさに、アッシュは誠実でありたかった。


「言葉にするのは、少し難しいのですが」


 呼吸を整える間を置いてからサニアに向き直ると、彼女は一瞬、目を細めた。新たな情報が得られる予感に、ルフルの表情にも深刻さが増している。

 

 サニア達を含めた『正義の刃』のメンバー達は、今も町の周囲を見回ってくれている。


 回復用魔法薬のストック、食糧、水、魔法薬以外の医薬品の管理なども担当してくれているし、この町の防衛態勢を維持するためには、大型クランの組織力が必要不可欠だ。


 メンバーの戦闘力を把握し、情報を集め、問題を処理しながら、適宜戦力を集め、或いは分散し、町を護るための最適な人員運用がサニア達には求められる。


 エルンの町を守るために命を懸けている彼女達には、自分が話せることは、正直に打ち明けるべきだと思った。


「……この黒いアーマーを纏っていたゾンビは、もしかしたら……、僕と同じかもしれないと思ったんです」


 勿体ぶるつもりもなかったが、正確な言葉が思い浮かばない。黙り込んだローザ達が、僅かに息を飲む気配があった。


 空には夕日が濃く滲み、やけに冷えた風が吹いてくる。


ゾンビ達の臭気を払うような、そして、アッシュ達の存在など一顧だにしないような、あまりにも透明な風だった。ぬるい温度が頬に絡みついてきた。


「同じ、というのは……?」


 アッシュの目の前にいるサニアが、怪訝そうに眉を顰めている。


「ううん? どゆこと?」


 サニアの隣で、首を傾げたルフルも難しい顔になっていた。彼女達の後ろに控えている騎士風の男達も、顔を見合わせて何かを小さく言い合っている。


「同じと言うのは、僕と……、“彼”の境遇のことです」


“彼”とは当然、アッシュの足元で眠っている黒鬼ゾンビのことだ。


「僕も、“教団”に囚われていたことがあるので」


 アッシュが言うと、瞬間的にサニアの顔が強張った。

 ルフルが目を見開いて、「ぇ……」と小さく溢すのが聞こえた。


 養護院やギルド関係者、王都法務省の役人など以外に、この告白をするのは初めてのことだった。


 胸や背中が軋むような感覚のなかで、ローザ達の顔を見れないまま、アッシュはサニアに頭を深く下げる。


「サニアさん達から“教団”の話を聴かせていただいたときに、このことは打ち明けておくべきでした……。結果的に隠すようなことになってしまって、申し訳ありません」


 アッシュは言いながら、ローザがゆっくりと息を絞り出す気配を感じていた。


 エミリアが奥歯を噛み締める、ゴリゴリゴリッという音も聞こえた。カルビが緩く鼻を鳴らしている。過去に“教団”との関りがあったらしいネージュからも、言葉を詰まらせている気配が分かりやすく伝わってくる。


 ローザ達にこそ頭を下げるべきだともアッシュは思い、そうしようと思った。だが、それよりも先にサニアが口を開いた。


「頭を上げてください。謝って貰うことではありません。むしろ、その告白には私達が礼を述べるべきでしょう」


 沈痛な面持ちになったサニアは、その眼差しの鋭さを幾分か和らげていた。


「しかし、そうでしたか……。貴方も、この面をしたゾンビも、“教団”の被害者だったということですね」


「被害者という言葉が適切かどうかは、僕も判然としないのですが……」


 自分の記憶と過去を他者に曝すことになる予感は、酷く寒々しいものだった。体の内面が朽木のように罅割れ、穴が空いて、体温が零れ落ちていくような――。


 この心細さと同時に、どこまで話すべきなのかと思う。


覚悟も覚束ないままのアッシュの左肩に、歩み寄ってきたサニアが険しい表情で右手を置いた。


「このような強力なゾンビ達が出現するのであれば、私達も村の防衛計画を少し見直す必要が出てきます」


 アッシュの左肩に乗った篭手の重みと冷たさの奥に、この町を守ろうとする彼女の意志を感じた気がした。


「貴方が“教団”で過ごした時間を、もう少し詳しく聞かせて貰っても構いませんか?」


 そのサニアの懸命さを前に、何かを隠すことなどできるだろうか。


「はい。……僕は」


 自分がどのような表情を浮かべているのかも分からないまま、アッシュが頷こうとしたときだった。


「まァ、待て待て。それは待とうぜ。剣聖サマよ」


 今まで黙っていたカルビが、サニアの手からアッシュを奪い返すようにして肩を組んできた。今までと変わらない、遠慮のない手つきだった。


 突然のことに、一瞬アッシュは呆然としてしまう。


「……今は、私と彼が話をしているところですが」


 表情を険しくするというよりも、ほとんど無表情になったサニアが目を細め、カルビに身体ごと向き直った。対するカルビは軽い笑みを浮かべている。


「あぁ、確かに。こうやって話に割り込んじまったことは謝るぜ。だが、もう十分じゃねぇか。これ以上アッシュの過去を掘り返す必要はねぇだろ?」


 なぁ? とカルビに顔を覗き込まれ、アッシュは狼狽える。


「いえ、でも……」


 ローザ達もルフルも、やや困惑した顔で、カルビとサニアを見守っている。


「そもそも、アッシュの過去がこの妙なゾンビ共と何らかの接点があったとしても、アタシ達のやることは一緒だ。変わらねぇよ」

 

 マイペースで話を続けるカルビに、薄く眉間を寄せたサニアは反論の言葉を探しているようだった。ルフルと騎士風の男達も、堂々としたカルビの主張に耳を傾けている。


ただ、雰囲気としては険悪ということもなく、どちらかというと落ち着いていた。


 恐らくそれは、今の状況を作ったカルビが全く感情的ではないからだ。


「とにかくだ。この立ち話のついでに、アタシ達にとっての重要なことを整理しようぜ」


不意に夕焼けを睨んだカルビだが、その口調は淡々としていた。


「まず第一に、この町を守ることだ。これは間違いねぇ。もっと言えば町の住人を守ることだ。そんでもって目の前に迫ってる問題は、今夜を生き残ることだろ」


 妙な圧も嫌味も無い。だからこそ静かな説得力があった。サニアも黙って聞いている。


「今夜が一番ヤバそーっていうのも異論は無いよ」と頷いたのはルフルだ。顎を指で摘まんでいる今の彼女からは、知性溢れる参謀のような雰囲気が漂っている。


「夜に紛れてゾンビ達が押し寄せてきたことは、今までに9回……。ゾンビ共からしたら、夜の暗がりを利用しない手は無いもん」


 言いながらルフルは、沈んでいく夕日を視線だけで見遣り、懐中時計を取り出して時間を確認した。


「この北防壁での戦いで、あーしらも打撃を受けてるからね。この消耗を抱えたまま、今夜もゾンビ共と戦えって言われたらキツイかも」


「だよな」とカルビも頷いてから、サニアの背後に並んでいる騎士風の男達を指差した。


「ついでに言えば、今夜を乗り超えたあとに優先すべきことも明白だ。町の住人を他所へ逃がすか、町の守りを固め直すかって話になるはずだぜ。『正義の刃』が中心になってな」


 ギクリとした様子の男達に、カルビが凄みのある笑みを向ける。


「負傷者で数を減らしてる領兵騎士団より、剣聖サマのクランの方がよっぽど粒が揃ってる。地下施設の探索に出向いているメンバーも健在なんだろ?」


「えぇ。既に別動隊にも連絡を取り、一時的に町に戻るよう頼みました」


 今度は、サニアが重く頷いた。


「私達が優先すべきは地下施設の探索ではなく、町の住人を守ることです。これについても異論の余地はありません」


 抜き身の剣のような、鋭い冷徹さをもってサニアがカルビに同意する。カルビは満足そうに肩を揺らした。


「なら、次に留意しとく点は何かっつったら――」


「ゾンビを操ってる黒幕が、まだ姿を見せてないことじゃない?」


今まで何かを考えこむ顔になっていたローザが、腕を組んだまま口を開いた。


「ゾンビが町を襲ってくる目的もそうだけど、あれだけ大量のゾンビが発生するのは不自然だもん。……何か裏があるのは間違いなさそうだよね」


 また厄介なトラブルを警戒する口調でローザが言うと、サニアがゆっくりと瞬きをしながら視線を下げた。細かく頷いているのは、納得する部分もあるからだろう。


「どのような悪しき企みが蠢いていようともォォ……! “淑女魂《しゅくじょスピリッツ》”が燃えるままに、私《わたくし》は町を守り切るまで戦い抜く覚悟でしてよォォォォッホッホッホ!」


 ここぞとばかり胸を張ったエミリアが、体の前で握り拳を作って掲げた。


「これだけのゾンビが押し寄せてくる事態が起きた以上、私達の仕事は明日からなどと、悠長なことは言っていられませんわ! 今すぐにでも守備位置について、私たちも夜に備えるべきです!」


「だね……。この戦いで少なくない負傷者も出てるし。こういうときこそ、冒険者同士で協力しないと」


 概ねカルビの意見に賛成らしいローザは、「……っていうか、私達が町に到着した初日に、色々と起こり過ぎじゃない?」と重たい溜息を吐き出し、自分達のトラブル体質を嘆いた。


「動ける冒険者全員で、今夜を越えることに集中すべきなのは間違いないわね」


 滲むように暗がりを濃くしていく夕空を見上げたネージュも、この話題を区切るように落ち着いた声で言う。


 サニアもルフルも、そして彼女達の後ろに控えるように居並んでいる騎士風の男達も、既に今夜の戦いに気持ちを備えようとしている顔つきだった。


「さぁて……。剣聖サマよ。色々と要点を振り返ってみれば、アタシの言った通りだろ?」


 そこでカルビが、唇の端を持ち上げるように軽く笑った。


「この黒い面をしたゾンビが、アッシュの過去と何らかの関りがあろうが、近接戦闘に優れていようが、魔術の扱いに特化したようなゾンビが現れようが、アタシ達のやることは変わらねぇんだよ」


 乱暴な言い方だが、飾らないカルビの言葉には不思議な実直さがある。


「この町にいる奴らが力を合わせて、死ぬ気で戦って、ゾンビ共をぶっ倒して、町を守る」


カルビは言いながら、肩を組んだアッシュにもニィっと笑って見せた。


「重要なことは、これで全部だろ」


「確かにそれは、そうかもしれませんが……」


 快活に言い切るカルビに、アッシュは上手く応えることができない。曖昧に頷くことしかできなかった。


この場でアッシュの過去が暴かれることを、彼女は少し強引にだが避けようとしてくれている。それは明白だったし、その意図を汲んだのだろう。


「……私の勇み足と無思慮を、あなたに詫びねばなりませんね」


 軽く息を吐いたサニアが、目を伏せるように軽く頭を下げた。


「立場と理屈を利用して、あなたの過去を問うべきではありませんでした」


 真摯なサニアの態度は、アッシュが“教団”の被害者であることを、改めて重く受け止めたからかもしれない。


「い、いえ、そんな、頭を上げてください」


 アッシュが少し慌てたところで、肩を組んだままのカルビが、この場での立ち話を切り上げるようとした。


「まぁ取りあえずは、アタシ達ができる議論はここまでってことでいいか?」


 問いかける口調のカルビに最初に応じたのは、小さく苦笑を溢したルフルだ。


「今は議論の場を持って情報を集め直すよりも、あーし達が覚悟をキメ直す方が先決だね。最善を尽くすのも前提で」


「……えぇ。夜を迎える前に、もう一度クランメンバーを集めましょう」


 沈着な表情のサニアが頷いて、この場での立ち話も潮時という空気になった。


結論によって話題が締め切られて、解散の雰囲気を皆が感じたのは間違いない。


 夕日の中に増していく夜の気配は、アッシュ達のような冒険者達に次の仕事を与えてくる。


「それじゃあ」と挙手をしたローザは、サニアやルフル、騎士風の男達を順に見てから、次にエミリアやネージュ、カルビを見回しながら、町の南方向へと親指を立てた。


「私達も、そろそろ持ち場に向かおう。ほら、私達って1日早く防壁の守備につくことになるから、今の防壁守備の人達とダブっちゃうからさ。事情を説明しないといけないし」


「それがいいですわ! コミュニケーションと協力は、いつだって冒険者活動の基本ですし、善は急げという格言もありますからね!」


 意気揚々と頷いたエミリアが、サニア達に向き直って貴族風の礼をしてみせる。その余りに優雅な所作には、サニア達も面食らっている。


「では、ごきげんよう皆様。この場での話は、非常に有意義なものでしたわ」


「そうね。やるべきこともハッキリしたし、気が楽になったわ。それに……」


 ネージュが続いて、苦しげな微笑みを一瞬だけアッシュに向けてきた。


 何かを言いたそうに唇を動かした彼女だが、兆しかけた彼女の声は、そのまま薄い溜息となって夕日の中に溶けていった。


「つーか何より、腹も減ったしな」


 敢えて不真面目な口振りになったのだろうカルビは、アッシュの肩を組んだままで踵を返した。ほとんど肩を抱かれているような体勢のアッシュも、カルビと一緒に身体を反転させることになる。


「あ、あの」アッシュが抵抗する間も無かったし、そもそも、この場での立ち話を明確に解散させようとしているらしいカルビには、恐らく何を言っても無駄だった。


「持ち場についたらメシにしようぜ。腹が減ってたら戦えねぇ、っていう格言もあるだろ? そういやアレも、異界からきた言い回しだっけか」


 暢気に言いながら、カルビはアッシュの肩を組んだままで町の南へと歩き出す。そのカルビの背中に、サニアの声が掛かる。


「貴女の助言には感謝します」


 事務的ではない口調だった。カルビは肩越しに振り返って、ひらひらと手を振った。


「礼なんていいっつーの。とにかく、別動隊ってのが町に帰ってくるまで、お互い生き残ろうぜ」


「りょ!」と短く応じて肩を揺らしたルフルが、カルビに手を挙げて、そのままローザ達にも手を振ってみせた。


「うちのメンバーが帰ってきたら、もうちょっと楽観できる状況になるよ」


 カルビに肩を組まれたままのアッシュも、ルフル達には肩越しに頭を下げた。


 一瞬だけアッシュと目が合ったサニアが、ほんの微かにだが眉を下げて、静々と目礼をしてくれたのが印象に残った。それと、やけに熱のこもった、ルフルのウィンクと投げキッスも。


 ……あれは、アッシュに向けられたものなのか。


妙な疑問が残ったが、サニア達とローザ達の間に、険悪な空気が残らなかったことには素直に安堵していた。


 アッシュが自らの過去を話し出す前の空気は、間違いなく、もっと暗澹としたものだったはずだ。


 だが、こうして穏やかに、それでいてサニア達との仲間意識を共有して話し合いが締め切られたのは、何かの奇跡のような気さえした。


 カルビと肩を組まれたまま歩くアッシュは、そっとカルビの横顔を見上げた。ほとんど同時だった。カルビもアッシュのことを横目で見下ろしながら、唇の端を持ち上げてみせる。


「どうした? カルビお姉ちゃんの横顔に見惚れちまったか?」


 冗談めかした言い方は、やはりアッシュの緊張や迷いを柔らかくしてくれる。


「えぇ。……その、さっきは、ありがとうございました」


 アッシュは礼を言いながら、その礼が一体何に対する、どういった感謝を伝えたいものなのか、自分でも覚束なかった。


 だが、うまく言語化できない今の感情と感覚がどれだけ曖昧であったとしても、“ありがとうございました”という気持ちは真実であったし、それ以外に言葉が見つからなかった。


「んん~? 礼なんて要らねぇよ。さっきのも、アタシの我儘みたいなモンだ」


 軽薄な口調を崩さないカルビが、喉を鳴らして笑う。


「アタシはな、アッシュ。お前の過去なんざ、どうでもイイと思ってる。興味が無いって意味じゃなくてな。今のお前との関係に重心を置きてぇんだ、アタシは」


 声を引き締めるでもなく、強張らせるでもない。


「お前がどういうふうに生きてきたのかとか、そういう話はアタシだって気になる。……だがな、さっきみたいな、その情報があったほうが有用だろうみてぇな感じで、お前の過去を聞きたくなかったんだよ」


 カルビの声音には無駄な力が入っていない。自然体であるがゆえに、聞く者を身構えさせない。傍を歩いているローザやネージュ、エミリアが黙っているのも、カルビの話をじっと聴いているのが分かった。


「そういう話をするのは、もうちょっと何か、違う雰囲気があるだろ? 話す方も聴く方もな、そんな肩肘張って、居住まいを正すような感じじゃなくてな。美味い飯と酒を囲んで、いい気分になってるときに、実は昔よー、ってなぐらいのノリが一番いい」


 そこまで言ったカルビは、「なぁ」とローザ達に振り返ってから、また軽く笑った。


「その話が大事なことってぐらいは、アタシ達だって分かる。打ち明ける側の勇気とか、決心とかもな。……だから、お前が話したいときになったら、教えてくれりゃあいい」


 穏やかな声のカルビに、ローザが少し感じ入っているふうの表情になってから、眩しそうに目を細めた。


「それぐらいの方が、私達のパーティらしいかも。……っていうか、私達自身も、お互いの全部は知らないもんね」


「とはいえ、過去や生い立ちとは関係なく、皆さんが信頼に足る人物であることは間違いないのですから」


 エミリアは芝居がかった仕種で縦ロールの紅髪をかき上げて、嫣然と微笑んで胸を反らした。


「冒険者パーティとして、これ以上に大事なことなどありませんわ」


 自信に満ちたエミリアの物言いには、ローザ達やアッシュの生きてきた時間を軽視するのではなく、それがどのようなものであっても向き合う意志が窺えた。


 エミリアに続いたのは、緩く息を吐きだしたネージュだった。


「少なくとも、私達は今のアッシュ君を信頼して、こうして同行をお願いしているのは間違いないわ」


 過去に“教団”と関わりがあったらしい彼女の眼差しには、同情とも哀れみともつかない、どこか切実な、慎みのある親近感が籠っているように感じられる。


「……はい。ありがとうございます」


 カルビと肩を組まれたままのアッシュは、ローザ達にも小さく頭を下げた。


 自分のことを受け容れてくれている彼女達に対して、純粋な感謝の気持ちを口にする。手のなかにある刀の重さが、今という時間をアッシュに意識させた。


「だから、礼なんていいっつーの」


 呆れ交じりの、だが嫌味のない苦笑で喉を鳴らしたカルビが、ぐしゃぐしゃとアッシュの頭を撫でてくれる。遠慮のない手つきだが、決して乱暴ではない。


 言いたいことは全て言ったというふうに、カルビはアッシュと組んでいた肩を解いた。


「今夜は長くなりそうな気がするぜ。……トラブルの予感ってヤツだ」


「不吉なことを言わないでよ……」


疲れたような顔と声で、ローザが弱々しく訴えた。


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