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第32話 剣 <サニア視点>2






私達との戦闘を放棄し、突如として駆け出した黒鬼のゾンビを追う。

 

私のあとに続いたローザ達も、焦ったように叫んだ。


「アッシュ君!」

「そっちに行ったぞ!」

「気を付けて……!」

「なんて足の速さですの……!?」


 確かに疾い。黒鬼ゾンビは、身体を極端に前に倒す走り方で、一気にルフルたちに肉薄する。途中で邪魔になったゾンビを風のように避けて、飛び越し、跳び越えていく。


 私は歯噛みする。

 このままは追い付けない。

 疾過ぎる。凄まじい身のこなしだ。

 私とローザ達は、黒鬼ゾンビに置き去りされる。

 見る見るうちに離されていく。


 この距離では私の剣は届かない。

 私は駆けながら、ルフル達を見守るしかない。


「う、うわ……っ!」


「な、なんだアレは……!?」


 ルフルの近くでは、結界魔法を展開してゾンビの群れを押し返し、負傷者した冒険者を庇おうとしている2人の神官がいた。


 猛接近してくる黒鬼ゾンビの姿に、彼らは明らかに怯んでいる。そんな神官達を守る位置に立っているアッシュも、驚いたように僅かに目を見開いていた。


 彼らの反応は正常だろう。

あの黒鬼ゾンビは、明らかに他のゾンビとは異質だ。

 

 「ルフル……っ! 防御姿勢を!」


 私は大きく声を張る。ルフルはごく短く応じた。

 

 「りょ……!」

 

 彼女は両腕を広げる。その両手の指には、幾つもの指輪型のアイテムボックスが嵌められていた。


「ポコパンしてやろーじゃんっ!」


鬼面ゾンビと対峙しようとしているルフルも、並みの冒険者ではない。


 次の瞬間には、ルフルの周囲に5体の重装騎士が中空に姿を現し、大振りの突撃槍と盾を構えてみせた。


 重装騎士たちは鎧兜で全身を覆っており、体格にも厚みと広さがあって、いかにも歴戦の強者といった風情がある。


 だが、その中身は人間ではない。

魔工金属と魔導武具によって構成された人形だ。


 ルフルの両手には積層型の魔法円が展開されていて、その魔法円の縁からは微光で編まれた魔力の糸が無数に伸びて、人形達の手足へと接続されている。


 クラン『正義の刃』の6番隊副隊長のルフルは、魔術士兼人形遣いだ。


彼女は魔法詠唱と近接戦闘を1人でこなし、前衛と後衛を同時に行えるほどの戦闘センスを持っている。


「神官さんとアッシュくんは、私の後ろに下がって!」


 ルフルは両手を大きく振るい、指先を優雅に動かした。


 呼応して、中空の重装騎士の人形たちが動く。素早く地面に降り立ち、ルフル達の壁になるように並び、盾を構え、重厚な突撃槍を突き出す構えを取った。


 巨大な岩塊のような防御陣だ。


重装騎士人形を展開したルフルは、神官達とアッシュを守りつつ、疾駆してくる鬼面のゾンビを迎え撃つつもりだ。


 神官の2人は恐怖に顔を引き攣らせながらも勇気を振り絞り、何とか結界を維持している。


その神官2人を背後に庇う位置で、アッシュが表情を消して杖を構えようとしていた。

 

 彼は戦う気なのか。無謀だ。

 大人しく守られていればいいものを。


 黒鬼ゾンビの背を追いながら、私は焦りの中で苛立ちを覚える。

 

 直後だった。


 黒鬼ゾンビが長刀を体の横に構え、重装騎士たちの懐に飛び込んでいく。――と見せかけて、大きく横にズレるように動いた。


極めて鋭いサイドステップだった。


 重装騎士たちの横合いに回り込もうとしたのだろう。やはり、あの黒鬼のゾンビの狙いは、ルフルでも神官でもない。


「忌死死死ィィ――……ッ!!」


内臓を震わせるような笑い声を立てて、アッシュを狙おうとしている。


「うっさいっての……ッ!」


 鋭く右腕を振るったルフルは、踏み込んでくる鬼面ゾンビの動きを目で追っている。重装騎士の人形達が突撃槍を繰り出し、これを追い払おうとした。


「ぅえ!?」


 ルフルが高い声を上げた。

 私も、我が目を一瞬疑った。


 重装騎士の人形達が立ち塞がろうとしたところで、鬼面のゾンビが消えた。それは非常識で、あり得ない加速だった。

 

 黒鬼ゾンビは、重装騎士の人形達の分厚い壁を、その超速の踏み込みによって、すり抜けるようにして突破した。

 

「ちょっ……!!?」

 

 そして、邪魔になるルフルに狙いを変えて詰め寄った。超速だった。黒鬼ゾンビは、既に刀を振ろうとしている。


肩越しに黒鬼ゾンビを振り返ったままの、ルフルの無防備な背中に向けて。


 普段は鬱陶しいほどに明るい彼女の表情が、怯みと悔しさで歪んでいた。恐らく、私も駆けながら似たような表情をしているだろう。


 遠い。間に合わない。


私は、黒鬼ゾンビに引き離され過ぎていた。ローザが魔導銃でカバーしようにも、ルフルと黒鬼ゾンビの距離が近過ぎる。

 

 ルフルが斬られる瞬間。

苦い絶望の味。


 それを私が飲み下そうとしたときだった。


「なっ……」


 驚愕のなかで、こんな間抜けな声を洩らしたのも初めてだった。


 完全に意表を衝かれた。


 重く、しかし乾いた金属音が戦場に響く。ルフルを両断しようとする黒鬼ゾンビの刀を、アッシュが杖で受け止めている。


 ルフルの盾となるべく、灰色のローブを翻した彼は動いていたのだ。


「えぇ……ッ!?」


 自らを守ってくれたアッシュの動きを全く目で追えていなかったルフルも、目を瞠っていた。


「禍爬《カハ》ァァァァ……!!」


 刀の打ち込みを止められた黒鬼ゾンビは、怖気が走るような笑い声を洩らしながら、さらに斬撃を繰り出す。


 それはやはり、さきほど私を追い詰めた連撃だった。

 絶え間ない刃の嵐であり、殺意を籠めた乱撃だ。

 

 あぁ……。駄目だ。

私は喉の奥で呻いていた。

 あの猛打を、受け止めることは不可能だろう。


 死んだ。あの少年が、アッシュが、斬り刻まれる。

 

 血肉の断片となった彼が、地面に撒き散らされていく。

 無機質な死の光景が、夕日を兆した陽光に曝される。


 そうなると思った。だが違った。


 私は、ルフル達の許へと駆けている脚を止めてしまいそうになった。


 無言のままのアッシュは手にした杖で、黒鬼ゾンビの怪力が乗った連撃を止めるのではなく、その全てを受け流し、そっと身体の外へと押し出してみせたからだ。


 濁流の如き鬼面ゾンビの斬撃は、ルフルにも神官にも届いていない。アッシュがその全てを阻んでいる。


 それは超越の気配すら孕んだ、神秘的とさえ言える途方もない防御技術だった。


 アッシュは杖を持つ手の間隔を広くして、棒術のように杖を舞わせて斬撃をいなすだけでなく、円を描くように後方へと引いていく。


 明らかに黒鬼ゾンビを引き付けるための動きだった。

 

 「禍禍禍禍……!!」

 

 アッシュに誘われるままに突き進む黒鬼ゾンビは、全身を撓らせ、絶え間なく長い刀を振るう。その姿はまるで、黒い炎が燃えているかのようだった。


 殺意と刃によって、アッシュを焼き尽くそうとしている。


「亞爬爬爬爬爬爬爬爬《アハハハハハハハハ》ァァァ……――ッ!!」


 狂ったような哄笑を面の奥で弾けさせる黒鬼ゾンビは、私に打ちかかってきたときよりも峻烈に苛烈に、怒涛の勢いでアッシュを攻めたて、追いたてる。


 対するアッシュは繰り出される刀を捌きながら大きく下がり続け、ルフルや神官達から黒鬼ゾンビを引き離していく。


「アッシュ君、めっさ強いじゃん……」


 惚けたような顔になったルフルが3秒ほど、遠ざかりつつあるアッシュと黒鬼ゾンビの打ち合いに目を奪われていた。


……あのお馬鹿め。


「ルフル! 人形達の陣形を整えなさいッ!」私は駆けながら、再び声を張る。「周りのゾンビも数は多いままです! 気を抜いてはなりません!」


「わ、分かってるって!」


はっとしたような顔になったルフルは、すぐに両手指に魔力の光を宿らせ、重装騎士の人形を素早く動かした。


「アッシュくんが超かっこよくて、見惚れちゃってただけだってば……!」


 あれで言い訳をしているつもりなのかと呆れそうになるが、ルフルの状況判断能力は私も頼りにしている。


 今もルフルは、彼女なりの最適解を実践してみせた。


 黒鬼ゾンビの襲撃で腰を抜かしそうになっている神官2人を、3体の重装騎士人形で守る陣形を取った。残りの2体を、自身の防御と、周りから距離を詰めて来るゾンビの対処にあてる配置に置いたのだ。


 直後には、ルフル達を狙って躍りかかったゾンビ共の5、6体ほどが、重装騎士人形の盾によって殴り飛ばされ、突撃槍に突き崩されて吹っ飛んでいく。


「炎ndsy揺tdwu巍bmy束yeh舞ureb……!」


 重装騎士を操りながら詠唱していたルフルも、手の中に炎の鞭を編み出し、彼女の正面から向かってくるオークに似た巨体ゾンビを強かに打ち据えて焼き払っている。


 人形を展開しているルフルは多対一を得意としているだけでなく、味方を守りながら相手を殲滅する戦い方にも慣れているのだ。


「おお! やるじゃねぇか! あのギャルっぽいヤツ!」


 私のすぐ近くで並走していたカルビが、はしゃぐような声を発しながら大戦斧を振るい、横から飛び掛かってきたゾンビを薙ぎ倒した。


「アードベル支部の『正義の刃』には、凄腕の人形遣いが居るって噂を聞いたことがあるけれど……。彼女がそうなんでしょうね」


 カルビの傍を駆けているネージュも大槍を突き出し、彼女達の横合いから追い縋ってこようとしていた獣に似たゾンビを、一撃で凍りつかせていた。


 このカルビとネージュを前衛に任せ、その後ろに続いて駆けているローザも、感嘆したようにルフルの戦いぶりを見ていた。


「戦闘用の人形を5体同時に操りながら、攻撃用の魔法まで唱えてるのは凄い集中力だよ……。彼女だけで1つのパーティレベルの戦力ってことじゃん」


「今の状況ではとても心強いですわ!」


ローザを守るべく並走しているエミリアが、背後から追い縋ってきているゾンビを大盾で殴り飛ばしながら頷いている。


「村の神官の方々も手を貸して下さるようですし、皆が力を合わせれば、こんなゾンビの群れなど敵ではありませんことよ!!」


 自信と希望に満ちたエミリアの声に鼓舞されて、私の冷静さも持ち直した。


 戦場の冒険者達のパーティと、『正義の刃』のクランメンバー同士がうまく連携を取ることで、負傷者を庇いながらゾンビを相手取り、撤退戦の様相を呈してきている。


 一方で、町の北防壁に押し寄せてきていたゾンビの群れの数は、間違いなく減った。その勢いが落ちているのも明らかだった。


 ゾンビ共を蹴散らす勢いは冒険者にも無いが、ゾンビ達に押し切られる気配はない。このまま耐えて耐えてゾンビの数を削り続ければ、私達の勝利だ。


 押し寄せたゾンビの量を、冒険者達の協力と勇敢さが凌駕しようとしている。


「よく来てくれましたね。ルフル」


 私は近づいてくるゾンビ4体を即座に斬り捨てながら、ルフルの傍に立った。


「そりゃ来るよ。ってか、ちょっと遅くなってごめん!」


重装人形を操って神官達を防護する陣形を維持するルフルは、気まずそうに笑みを過らせた。


「合流できて良かったよ」


 そのルフルの言葉に頷くように、重装騎士の人形に守られている神官達が、強張った表情のままで深く息をついた。そして祈るように手を組んでみる。


私が傍にきたことで、本格的に安心して緊張が緩んだのだろう。


 神官達の姿勢は、女神への感謝の祈りか。

 だが、祈りを捧げるにはまだ早い。


「えぇ。私達もゾンビの数を減らしましょう」


 言いながら別のゾンビ3体を斬った私は、すぐにアッシュの姿を目で探した。


「うん……! でも先に、アッシュくんを助けないと……!」


 焦りの滲んだ声で、ルフルも戦場に視線を流す。


「それは私も同意見ですが……」


 アッシュの姿を見つけるのには、僅かに時間がかかった。


 その理由は単純だ。アッシュと黒鬼ゾンビが、戦場を高速で移動しながら戦っているからだ。


 いや、正確には戦っているというよりも、アッシュが黒鬼ゾンビを誘い、徹底的に戦場から引き離そうとしているふうでもある。


 彼らの間で何らかの決着が着くにせよ、私の剣は届かず、間に合わないだろうという確信があった。


 それは戦闘力の上下でもなく、剣技の浅深と強弱の問題でもない。

 入り乱れた戦場の中にある、立ち位置や戦い方の相違の大きさだった。


 ルフルもそのことを理解しているからこそ、焦燥感を必死に押し殺すような表情でアッシュの戦いを見守りながら、私と共に、周りのゾンビを薙ぎ倒すことを優先した。


 アッシュのカバーに入ろうとしていたローザ達も、それは同じだった。

 

「くそ! 下がれ!」

「このままだと突破できなくなるぞ!」

「駄目だ! 後ろにもゾンビが居やがる!」


 アッシュの許へと向かおうとしているローザ達の近くだった。


冒険者5人が、負傷した仲間を庇いながら戦っていた。それを助けようとしていた『正義の刃』のクランメンバー4人も、ゾンビに囲まれつつあった。


 ローザ達の間には、僅かに動揺と逡巡の気配があった。

 だが、彼女達はすぐに判断した。


「チィッ……! しょうがねぇなオイ!」

「数が多いわ。もう取り囲まれてる」

「ならば、ここはローザさんに任せるしかありませんわね!」

「……了解! マジックキャンセラーを使うから気を付けて……!」


 ローザ達は、助けられる場所にいる同業冒険者達を見捨てるのではなく、助ける方を選んだ。


 恐らくだが、ローザ達はアッシュのことを信頼しているのだ。

 アッシュならば、あの黒鬼ゾンビに負けないと。


 ローザ達がゾンビの群れを割って入り、そのすぐ後に、空間を鋭く揺らすような振動があった。


 同時に、冒険者や『正義の刃』のクランメンバーに押し寄せようとしていたゾンビ共が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


無音のままに起こった奇妙な光景だったが、アレは、ローザの持つ魔導具によって齎された現象に間違いない。


 ディスペル系統の効果を持つ魔導具は強力ゆえに、非常に高価であると同時に魔力消費も尋常ではなく、並みの冒険者では扱いきれない代物だ。


 だが、通常戦闘で魔導銃を使いこなすローザであるならば、その実戦使用にも耐えうる。なるほど。あのパーティでローザを中心軸に据えるのは、良い戦い方なのだろう。


 なんにせよ、ローザ達には感謝せねばならない。彼女達は『正義の刃』のメンバーだけでなく、他の冒険者まで守ってくれている。心強い。


 私は息を吸いながらゾンビ3体を斬り捨て、息を吐きながら別のゾンビ4体を斬り伏せながら、アッシュの戦いにも意識を配っていた。

 

 視線だけを戦場に走らせる。

 

 夕日の中で土埃が舞い上がり、乾いた土の匂いと腐肉が混ざり合う向こうに見つけた。

 

「死死死死死死…………!!!」


 黒鬼ゾンビの振るう刃の暴風は、私が相手をしていたときよりも、明らかに激しさと鋭さを増していた。


杖を手にして守勢に回っているアッシュの身体を少しずつ斬り、削っている。


 だがアッシュは、斬られた頬や首筋、腕、肩、横腹、脚からの出血には一切の関心を払わず、ただ杖を体の前に構え、下がりながら、黒鬼ゾンビの斬撃を捌き続けている。


 だが、あれだけ防戦一方であるはずなのに、アッシュが追い込まれている風には見えない。


 黒鬼ゾンビと対峙している彼の表情が、呼吸の気配すら感じられないほどに静かだからだろうか。


 だが、とうとうアッシュは下がれなくなった。

 防壁を背にするところまで、アッシュが下がってしまったからだ。


 北側防壁は、木と縄で編まれたものだが十分な頑丈さがある。よじ登って逃げることはできるだろうが、黒鬼ゾンビがそんな猶予を与えるはずがない。


「禍亜亜亜亜亜亜《カアアアアアア》ァァ…………!!」


 防壁を背にして動きを止めたアッシュに向かって、黒鬼のゾンビが刀を大上段から振り下ろした。


 あの小柄な体格の者が、あれだけの長い刀を諸手上段で打ち込む姿は滑稽にさえ見えるかもしれない。少なくとも、子供の剣術ごっこのような稚拙な印象を与えるだろう。


 普通なら。だが、あの鬼面ゾンビは違う。


ゾンビである筈なのに、己の身体の使い方が驚異的に巧いのだ。全身を撓らせて刀を叩き込むその気迫は、間違いなく必殺だった。


 そして、普通でないのはアッシュも同じだった。

 いや、それ以上だった。私は戦慄した。


 表情を消したアッシュの手の中で、彼の杖が2つに分かれた。

 そして、瞬間的に二振りの短剣に姿を変えたのだ。


 それは黒鬼ゾンビが刀を上段に振り上げたのと、殆ど同時だった。


 すぅっ……と身体を前に倒したアッシュは、振り下ろされてくる刀を両手の短剣で受け止めつつ、斜め後ろへと受け流した。音がしなかった。アッシュの短剣と黒鬼ゾンビの刀が激突したはずだが、無音だった。


 それはアッシュの反撃が、完全なタイミングと恐るべき正確さによってなされたものである証だった。


「那《ナ》……ッ!?」


 受け流されたゾンビの刀は、受け流されて防壁の一部を切り裂いた。


 だが、木と縄で組まれた防壁の全てがそれで崩れるわけではない。このとき既に、アッシュは瞬間的に半円を描いて鬼面ゾンビの背後に回り込むことで、立場を逆転させていた。


 アッシュが見せた一連の攻防、その初動は私も捉え切れなかった。


馬鹿な。疾過ぎる。


 だが、黒鬼ゾンビの方はアッシュの動きに対応していた。即座に振り返って地を蹴り、アッシュに斬りかかった。


 対するアッシュは、今度は下がらなかった。


 それどころか、姿勢を落として踏み込む。


黒鬼ゾンビが繰り出す斬撃の全てを、二振りの短剣で受け流し、弾いて、捌き、或いは打ち返しながら。


 それは互いの絶技の応酬だったが、拮抗は1秒ほどだった。いや、拮抗したように見えたのも恐らく、アッシュが黒鬼ゾンビの隙を探っていたからだろう。


 一切の表情を消したアッシュが、黒鬼ゾンビの懐に詰め寄った。


 肉を切らせて骨を断つというような、傷を覚悟で飛び込んだのではない。黒鬼ゾンビの斬撃を瞬間的に全て捌ききって、刀を下から上へと弾き飛ばすように打ち上げていたのだ。


「臥亜《ガア》ァ……ッ!!?」


 長い刀を握ったままの鬼面ゾンビが、身体を大きく仰け反らせた。

 笑えるくらいに隙だらけだった。


 余りにも無防備になった黒鬼ゾンビの目の前に、アッシュは両手の短剣を下げたままで踏み入る。


 そこで彼が見せたのは、私の知る剣術とは異なる理論と哲学によって構築された、殺戮兼解体技術だった。


 恐ろしいほどに無機質な目になっているアッシュは、両手の短剣を神速で操り、黒鬼ゾンビの首、胸、肩、胴、股関節を、瞬く間に、だが丁寧に解した。


黒鬼ゾンビの両肩が斬り飛ばされ、両太ももが切断され、胴体が縦に3つに分かれて、最後に首が地面に落ちる。


 なんだ、あれは――。

 

ありえない立ち方をしている鳥肌を自覚しながら私は、周りのゾンビを斬りながら彼を見ている。目を離せずにいる。


 自分の背と肩に戦慄が走るのを感じた。そして、愚かにも動揺した。


 常軌を逸している。

 あれで、5等級の治癒術士などと……。


 彼の足元に散らばった黒鬼ゾンビは、もう動かない。

 完全な死の中へと還ったように、肉片のまま沈黙している。


 その残骸を見下ろしているアッシュが、微かに顔を歪めていることに気付いた。


 あの表情は嫌悪か。それとも、忌避だろうか。それも黒鬼ゾンビにではなく、己自身に向けられた、何か強い負の感情の兆しにも見える。


 私の視線に気付いていない様子の彼は、すぐにその表情を消した。そして、切り裂かれた灰色のローブを脱ぎ捨てて、手近にいたゾンビの群れに飛び込んでいく。


 黒いボディスーツ姿になった彼の姿は、さきほどまでの黒鬼ゾンビと重なって見えた。


 彼は手当たり次第にゾンビに襲い掛かり、恐ろしいほど平然とバラバラにしていく。


粛々と、淡々と、ゾンビ達に完全な死と静寂を与える彼の剣の冴えには、私とは種類の違う切実さが見え隠れしているように感ぜられた。


 私の脳裏には再び、村長と話をしていたときの彼の姿が過る。


“微力ではありますが、僕にできることなら助力は惜しみません。”


 あのときの彼の穏やかな表情と声は、間違いなく彼のものだった。そして、自己を否定するかのような利他的で態度も。


 そして、破滅的な献身を実践するだけの実力を持っている彼は、あの神業で、“自己の消滅”を本気で望むのだろうか。


 いや、これらは私の主観的な感覚と印象によって、ただ悪戯に縫い上げた妄想と憶測に過ぎない。それは十分に理解している。私は無心とは程遠く、余計なことを考え過ぎている。分かっているのだ。


 だが、私は身に染みている。


 練磨された技には、その人物の精神が反映される。

 大なり小なり必ず、信念や生き方が映し出されるものだ。

 そこに表出するものを、完全に謀ることはできない。


 あのアッシュという少年が、どのように生きてきたのか。

 何を想い、何のためにあの強靭さを手に入れ、磨いたのか。


 あの途方もない殺戮技術を、他者のためにのみ振るう決断の理由もあったはずだ。

 そしてその決断こそが、彼と言う存在の本質ではないだろうか。


 だから――。

 あぁ、だからだろう。


 私には、彼もまたひとつの“剣”になろうとしているように見えるのだ。


 もっと余計な要素を削ぎ落して表現するならば、彼は己を“道具”として純化すべく、二振りの短剣を舞わせているように感ぜられる。


 誰にも見返りを求めない彼の強さを、美しく思う。


「アッシュくん、やっば……。強いっていうか、何かもう別次元じゃん!」


 素直な感嘆の声を上げるルフルも目を輝かせ、「うはぁ~……かっこいい~」と妙にうっとりとした顔になっている。


「ねぇねぇ! アッシュくんをウチに誘わない!?」


 ルフルの無邪気な提案は、私の鼓動を僅かに乱した。

 彼を『正義の刃』に。それは確かに名案に思えた。


「……そのような話は後です」


「いやまぁ、そりゃそうなんだけどさ」


 ノリの軽いルフルだが、彼女の操る人形の動きには隙がなく、乱れも無い。強固な連携によって神官2人を護りながら、武器の届く範囲のゾンビを残らず薙ぎ倒している。


 私は戦場を視線だけで見回す。ゾンビの群れに手こずっている冒険者の姿は、もう見えない。『正義の刃』のクランメンバーを中心に立ち回る彼らは、逆にゾンビを包囲して殲滅にかかっている。


 通信用魔導具にも連絡が入り、村の住人たちの退避準備が整っているという報告があった。


住人たちの中には負傷者もおらず、すぐにでも他の村や町への移動も可能だということだった。


 だが、じきに夕刻であり、そのあとには夜がくる。


 どれだけのゾンビが潜んでいるか分からない夜の山と森を、村の住人達を護りながら越えることは現実ではない。


 仮に、村の住人の女子供を優先的に護りながら移動させるにしても、その護衛役に割く戦力は十分なものでなくてはならないし、村を守る戦力も減少することになる。


 今のように大量のゾンビが押し寄せてくる事態に備えるためにも、配置されている人員を削るような事態は避けたかった。


 もしも住人達を他の町村へと護送するならば、“教団”が利用していたと目される地下施設の探索に出向いている別動隊と合流してからになるだろう。


 私は通信用魔導具でそのことを伝え、村の住人達を護りながら待機するよう頼んだ。そして、この北側防壁での戦闘が終結に向かっていることも伝えてから、通信を切った。


 息を薄く吐く。

 私はもう冷静だ。

 この戦場に立つ私は、“剣”としてある。


「……私達の優勢も決定的です。ゾンビの掃討に移りましょう、ルフル」


「りょ! そんじゃ、サクッとやっちゃおっか!」


 私は剣を握り直しながら頷きを返す。

 何かを考えるのは、このゾンビ共を全て斬ってからでいい。


 だが、あのアッシュという少年とは、少し話がしたいと思った。


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