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第23話 もしかして、雑魚じゃない……? 1<リーナ視点>







 「んん?」


 ギルドの5号区支部の受付でアイテムボックスを預けていたリーナは、見覚えのある姿を見つけた。


多くの冒険者達で込み合うギルドの建物の、隅っこの方だ。


 さらさらとした灰色の髪に、野暮ったい灰色のローブ。そのローブの下には安物の黒いボディスーツ。黒と白の金属の棒を複雑に噛み合わせたような、特徴的な形状の杖。


 小柄だし、顔立ちのせいで遠目だと女の子にも見える。間違いない。


「雑魚アッシュじゃん。おはよ~」


 ガヤガヤと賑わう冒険者たちを避けつつ、リーナは近づいて声をかける。


「あ、おはようございます」


リーナに向き直ったアッシュは、目許を緩めて軽く頭を下げてくる。


「……そんなふうに頭なんて下げなくていいっての」


相変わらず他人行儀というか、距離を感じる仕種だ。

なんとなくムッとしてしまう。


「珍しいじゃん。アンタが5号区のギルドに来るなんてさ。此処って、割と難易度高めの依頼が集まってくる支部だよ」


 アッシュに言いながら、リーナは周囲から流れてくる冷ややかな視線を感じていた。


 それが自身に向けられているのではなく、アッシュに注がれているものであることも分かっている。


 恐らくだが、アッシュが首から下げている5等級銀の認識プレートを見た他の冒険者は、「右も左も分からねぇ新参冒険者か」という感想を抱いているのだろう。


 冒険者ギルド5号区支部では、低級冒険者向けの依頼はほとんど扱っていない。


だが、目の前のアッシュの落ち着いた様子を見れば、そんなことは分かっていて此処にいるのだろう。


何か用があるのだろうか……?


 違和感を覚えたリーナがそのことを尋ねるよりも先に、アッシュが苦笑交じりにギルド掲示板がある方を一瞥した。


 その視線をリーナも横目で追うと、殺気立ったり苛立ったりしている冒険者達が列を成し、実入りのいい依頼を探して、掲示板に張り出された用紙を睨みつけている。


「掲示板の方もチラッと見させてもらったのですが、低級冒険者向けの依頼は見当たりませんでしたね」


「アンタ向けの仕事を探すなら、もっと低級冒険者向けの依頼が集まる支部に行きなよ。とは言っても、ソロ冒険者向け仕事は少ないだろうけどさ」


「……えぇ。そう、ですね。少しずつ頑張ります」


 眉尻を下げたアッシュは、頼りない笑みを浮かべてみせる。


 いろんな事を全部諦めた上で、それを納得しているような、余計な力の入っていない、自然体な笑みだった。リーナは何だかモヤモヤした。


 ……いつも思うけど、何でこんなに落ち着いてるんだろ。コイツ。


「今日はリーナさん、お1人なんですね」


 アッシュは周囲を見回した。レオンやロイド達のことを言っているのだろう。


「私だって、いつもパーティメンバーとつるんでるワケじゃないって。まぁ、2週間ぐらいは一緒にキュアニス鉱洞に滞在してたけどね……。昨日の夜にアードベルに帰ってきてから、数日の間は休もうって感じだよ」


 腰に手を当てたリーナは、首を回してから肩を竦めた。

実際、身体には疲労が残っている。


「ネクロマンサーは見つかりませんでしたか?」


 リーナを見えげるアッシュは、ちょっとだけ心配そうだ。腰に手を当てたままでリーナは「……まぁね」と頷く。


「キュアニス鉱山跡は、規模も小さくないし。潜んでる魔物に気を付けながら賞金首を探すのは、やっぱり楽じゃないよ」


 自分の冒険が充実している実感はあるが、ネクロマンサーを仕留めて、大きな成果を上げたいという野望が果たせなかった。


その空振り感が、リーナの口調をちょっと愚痴っぽくする。


「神官のオリビアとか、クランを組んでる他のパーティの回復役にも、無理させるワケにもいかないからさ。ネクロマンサー捜索は、思ったようには進んでないのが現状かな」


 軽く息を吐いたリーナは、そこでアッシュを横目で見た。


「……そういえばさ、オリビアがアンタのこと心配してたよ。ずっとソロだと大変そうだな、ってね」


 アッシュは申し訳なさそうに眉尻を下げ、「そう、ですか」と呟いた。


 そのあと、一瞬だけ床を見てから顔を上げたアッシュは、「余計な心配をかけてしまって申し訳ありませんと、そうお伝えください」と苦しそうな笑みをつくってみせた。


 そのアッシュの表情を見るのが何となく辛くて、リーナはぷいっとそっぽを向いて腕を組んだ。


「そうやって謝られても、オリビアは困るんじゃない? アンタが誰かとパーティを組んだりする方が、オリビアも安心すると思うんだけど」


 リーナが指摘すると、アッシュが言葉を詰まらせる気配があった。


 2人の沈黙をギルドの喧騒が包み込んでくる。言葉を探すように視線を揺らすアッシュだが、発すべき言葉が頭の中に見つからないのか。何度も唇を噛んでいる。


「他所の街ならともかく、アードベルなら、アンタと同じ等級の冒険者だって少なくないんだからさ。誰かとパーティ組むぐらい、すぐでしょ? 特にアンタは回復役の治癒術士なんだし」


 腕を組み、ギルドの壁に肩をつける姿勢でもたれたリーナは、アッシュが喋り出すのを待ってみようと思った。


 この手の話題で、コイツがどう答えてくるのか。興味があった。


だが、伏せるように視線を斜め下へと泳がせているアッシュは、黙ったままだ。


 その様子は、言葉を吟味しているというよりも、喉の奥に言葉を閊えさせたまま、この場での消極的な黙秘を選ぼうとしているようにも見えた。


「……アッシュ、そっちの壁に寄って」


 リーナはアッシュの肩を掴んでから、壁際に押しやるように自分も移動した。


 リーナのすぐ後ろを、何人かの冒険者が舌打ちしたり鬱陶しそうな目線を向けつつ通り過ぎていく。


「す、すみません」


 アッシュが頭を下げると、その冒険者達は肩越しに振り返った。


 彼らはアッシュの首元に揺れる5等級の認識プレートをチラリと見てから、冷笑とも侮蔑ともつかない表情を浮かべ、すぐに興味を失ったように視線を逸らして歩いて行った。


「他の利用者の邪魔をしてしまいましたね」


 明らかに見下された筈のアッシュの方はといえば、困ったような笑みを浮かべて、頬をポリポリと指で掻いているだけだ。


 荒々しさの混じるギルドの喧騒の中では、ひっそりとしたアッシュの存在感など今にも吹き消えてしまいそうだ。


「……アンタさ、悔しくないの?」


 リーナは、気付けばそう訊いていた。自分の中にあったモヤモヤが、ムカムカとしたものに変わっていくのを感じたからだ。


「えっ」


 意外そうな顔になって見上げてくるアッシュに、リーナは更にムカムカした。


「私に雑魚って言われたりさ、コイツ雑魚じゃんって思われたりすんの、アンタは悔しくないのかって訊いてんの」


 ムカつくついでに腰に手を当てて、びしっとアッシュの鼻先に指を突きつける。


 目の前で指を向けられ、ちょっと驚いたような顔になったアッシュは僅かに身体を仰け反らせ、何度か瞬きをした。


 アッシュの視線は、向けられた指先とリーナの顔を何度か行き来する。


 その暢気な反応を見ていると、リーナの脳裏に過る記憶があった。リーナ達がキュアニス廃鉱へ向かう前の、あの早朝の景色だ。


「特にレオンとか、目の前でアンタのこと悪く言うじゃん。何か言い返してやりなよ」


 あの時のアッシュは、5等級の治癒術士なんて邪魔になるだけだと言われても、ただ黙ったままで、やはり困ったような笑みを浮かべているだけだった。


ああまで遠慮なくレオンから色々と言われて、悔しくはないのか。

その本心をアッシュに訊いてみたかった。


「いえ、悔しいとは思いません。僕自身が何かを言われる分には、特に気にしていませんし……」


 温和な表情のアッシュは、やはり余計な力の籠っていない声音で言う。


「それに5等級であっても、冒険者として人々の暮らしに貢献することはできますよ」


 穏やかなアッシュの口調は、殺伐として荒々しいギルドの雰囲気には全くそぐわない。だが、凛として芯が通っているように感じられた。


「5等級や4等級冒険者が主に行っている薬草の採取にしても、その種類や量も豊富になって、錬金術士の方々が作る魔法薬の原料として重宝されていますし」


 言葉を続けるアッシュの口調は柔らかかったが、自分自身を説き伏せるようでもある。


「大陸に点在する町や村の衛生環境や、そこに備えられる魔法医薬品の普及に関しても、4等級以下の冒険者達が支えている部分は大きいはずです」


「そりゃあ、まぁ、そうかもしれないけどさ……」


 アッシュに向けていた指を引っ込め、その指でリーナは頬を掻いた。


 治癒魔法による肉体治癒は、確かに偉大な奇跡だ。


 だがその分、術者や被術者の生命を削るため、無闇やたらと使用するものではなく、まずは魔法薬や医術に頼るべきというのが一般的な認識である。


 今ほど冒険者達の活動が盛んでは無かった頃は、魔法薬の材料自体が貴重であり、その分だけ、錬金術士達が製造した魔法薬品は高価になりがちだった。


 そのため、大陸に多く存在する貧しい寒村や集落で病が流行っても、治療用の魔法薬の備えが不十分であるだけなく、そもそも神官や医術士、医術魔導師を招くだけの財力が無いことも珍しくなかった。


 冒険者という業界が活気づくようになってくると、大量の低級冒険者たちが生まれ、一攫千金を夢見る彼らの活動の規模も増していった。


 結果的に、各産業が扱う素材も大量に採取されてくるようになり、錬金術士達も各種薬品の製造量を増やすことが可能になった。


 辺境の寒村や集落に対して、より安価で安全な薬を普及させようとする王国の政策も追い風となり、風邪薬から滋養薬、身体の傷を癒したり毒を取り除く魔法薬まで、それぞれの村や集落で備えておくこともできるようにもなった。


 現在の大陸の医療分野は、医術魔導師と神官、それに医術士、錬金術士達がそれぞれに協力し合い、高度な治療サービスを提供している。


 この土台が築かれるには、数多の低級冒険者達の存在が不可欠だった。彼らの一人一人の活躍は小さく目立たないが、今でも彼らの活動は無くてはならないものだ。


「辺境農村部の守備にしても、上級冒険者の補助として、低級冒険者が必要とされる場合も多いですし。……多分、リーナさん達も受けられたことがあるんじゃないですか?」


「うん。まぁ……、あるよ。駆け出しの頃だったかな。中級冒険者達が受けた、ゴブリン退治の手伝い」


 リーナは答えてから、少しだけ記憶を辿る。


 あれは確か、山間部の小さな村を守る依頼だった。依頼を受けた中級冒険者パーティは、ゴブリンの数の多さを警戒し、リーナ達のパーティを同行させたのだ。


 新参冒険者だったリーナにとって、それは大きな仕事だった。めちゃくちゃ緊張していた。レオンやロイド、それに、オリビアだって同じだったろう。ちゃんと生き延びることができるかも不安だった。


 だが、新参冒険者であるリーナ達のことを、村の人々は歓迎してくれた。彼らはゴブリンの脅威に曝されていて、真剣に助けを求めていた。


 あのときのリーナ達は間違いなく、正しく“冒険者”だった。


新参冒険者も中級冒険者も関係が無かった。自分以外の誰かのために、危険を冒して命を張って、ゴブリンと戦う。その大事な役割を背負ったのだと感じた。


“冒険者”としての自分が、誰かに求められる感覚。

 

 それは確かに幸福だった。

 自分が何者かである確信と共に、他者に貢献している実感もあった。


 少しのあいだ黙り込んでいたリーナは、そこでアッシュと目が合う。


「人には其々に役割があると、僕は養護院で教えて貰いました。比べるのではなく、互いに支え合うことが大事だと」


 ゆっくりとした口調で、アッシュは優しい笑みを目の端に過らせた。


「……だから僕は、等級のことを言われても特に悔しいとは思いません。僕を悪く言う人が居たとしても、その人と僕とでは、演じる役割が違うだけだと思っています」


アッシュは言い終わるまで、何度か人生をこなしてきたような落ち着いた顔つきのままだった。


 コイツにこういう表情をされると、言葉が続かない。何を言っても無駄に思える。熱くなりかけている自分が馬鹿みたいだ。


「……あっそ。まぁ、アンタが納得してるんなら、別にいいんだけどさ」


 リーナは嘆息を隠すようにそっぽを向いて腕を組みなおし、鼻から息を吐きだす。その姿勢のままで、横目でアッシュを見下ろした。


「そこまで御立派なことを言うんだったら、何で神官にならなかったのよ? アンタは私と違って、治癒魔法の才能だってあるじゃない。養護院にいたときも、神官の人達が何人もアンタに会いに来てたでしょ」


 アードベルの養護院を運営しているのは女神教の神殿だ。養護院で治癒魔法の才能を見込まれた子供が、そのまま神官としての道を選ぶことも少なくない。


 だが、貴重な治癒魔法の才能を持っている筈のアッシュは神官にはならずに、冒険者である治癒術士になる道を選んでいる。


「低級でも上級でも、冒険者が活躍する分野ってのは確かにあるわよ。でも、それは神官とか医術魔導士だって同じでしょ? アンタみたいなチビの場合、身体を張る冒険者よりも、ああいう高度な技術を扱う職の方が向いてたんじゃないの?」


 リーナは言いながら、自分の声音が意地悪なものにならないように気を付けた。これは、いつかアッシュに訊いてみたいと思っていたことでもあった。


「実際、神官にならないかって、声をかけられてたんでしょ?」


「えぇ。それは、まぁ……。でも、僕には向いていないと思ったんです。神官や医術魔導士になると、どうしても大きな組織に所属することになりますから」


 曇った笑みをつくったアッシュは、バツが悪そうに視線を落とした。


 言葉を探しているような間が在って、その沈黙の中に、周囲の冒険者たちの威勢のいい声が入り込んでくる。うるさいなと思ったが、こんなところで立ち話を続けているリーナ達が悪いのだから仕方がない。


「僕は、その……、他の人と関わるのが得意ではありません。養護院にいた頃も、ほとんど友達も出来なかったですし」


「それはアンタが1人で本ばっかり読んでたからじゃん。誰かと仲良くなろうっていう努力が足らなかっただけだって」


 呆れたようにリーナが言うと、「まぁ、その通りではあると思いますけど」と、アッシュは床に向かって自嘲交じりの笑みを浮かべた。


 この話題を深堀りしていくと、アッシュの内部にある、アッシュが隠したがっている部分に無闇に触れるような気がした。


 自分でこの話を振っておきながら、リーナはこの話題を切り上げたくなった。


「……人付き合いが苦手だから、ソロでも仕事ができる冒険者を選んだってワケ?」


「えぇと、まぁ、そういうことになります。ただ……、誰かの役に立ちたいとは思いました」


 絞りだしたように苦しげな、それでも優しさのある笑みを浮かべるアッシュを見て、リーナは思う。


 アッシュが冒険者という生き方を選んだのには、もっと切実な理由があるのではないか。


 自分の内部に誰も踏み込ませず、誰の内部にも踏み込まない。そういう孤独さで自らを囲うような、隠蔽の性質を帯びるような生き方の理由が――。


 腕を組んだままのリーナは軽く瞑目し、アッシュの方を見ずに壁に後頭部をつけた。


「神官にならずに養護院を出て、なにか別の仕事を探すとなれば……、まぁ、冒険者みたいに“ソロ”ってわけにはいかないもんね」


「冒険者の道を選ぶにしては、ポジティブな理由とは言えないかもしれませんけど」


「まぁ、強い弱いは置いといて、アンタは意外と度胸もあるし……、ある意味でソロに向いてるのかもね」


 リーナは唇を尖らせるついでに、脳裏に浮かんだ昔の光景を見つめなおしていた。


 牙を剝いて唸る狼を目の前にした、泰然としたアッシュの後姿。死も傷も恐れず、ただリーナ達を守ろうとしてくれた、あの後姿を――。 


 「……ねぇ。アンタさ」


 相変わらずギルド内は騒がしいままだが、リーナの気持ちは落ち着いていた。自分の記憶から意識を戻して、自分の目の前にいるアッシュに向き合う。


「今度、私のパーティに同行しない? 報酬もちゃんと分けるよ」


 ゆっくりと息を吐いたリーナは、見下ろすようにしてアッシュの目を覗き込んだ。


「えっ」


 意外そうな顔になったアッシュには構わず、リーナは淡々と言葉を続ける。


「ソロを続けてきたアンタの治癒魔法の腕は疑ってないし、ウチに来てくれたら心強いと思ってる。……ちょっと前にアンタをパーティに誘った時も、本当はさ、冗談にするつもりはなかったのよね」


 リーナは不機嫌そうな表情を意識し、維持した。この話を、どんな表情でしていいのか分からなかったからだ。あまり真剣にしたくもないし、軽々しくもしたくなかった。


「アンタがソロに拘るなら、それはそれでいいんだけどさ。ソロのままで他のパーティに同行したって、別にいいワケでしょ?」


 ぽつぽつと、出来るだけ平板な声でリーナは語る。


「ソロだと前衛も後衛も無いけど、同行するんなら誰かに守って貰えるし、治癒術士としての役割を果たせれば、それで集団戦に貢献できるじゃん。戦闘も探索も、ソロより楽だと思うんだけど」


 ギルドの中を行き交う他の冒険者たちの喧騒に弾かれて、リーナの声は遠くにいけずにいる。ただ隣にいるアッシュだけが、黙ってリーナの話を聴いている。


「……レオンやロイドは、アンタを足手纏いって言ってたけど、私はアンタのクソ度胸を知ってる。実際、アンタは今までずっとソロでやってきたんだから。その経験は嘘じゃない。少なくとも私は、アンタはそこまで足手纏いにはならないと踏んでるのよね」


 リーナは眉間に皺寄せ、アッシュに言葉を押し込むように続ける。


「だから、次に私達が冒険に出るときには、アンタに同行依頼を――」


 声を強張らせて、リーナがそう言い掛けた時だった。


 ギルドの入り口あたりで、どよどよっとした不穏なザワつきがあるのが分かった。


 恐れと畏れが入り混じった、低いどよめきだった。このギルド支部に、名の知れた冒険者でも訪れたのだろうか。


 ちょっと気になったリーナは、首を伸ばして入り口の方をチラッと見た。ギルドに入ってきて、周りの冒険者から注目されているのは、どうやら女性冒険者のようだった。


 蒼と黒の配色を中心とした、小洒落た装甲服を着ている。


見覚えがあった。思わず顔が強張ったリーナは、慌てて目を逸らす。危うく彼女と目が合いそうになったからだ。


「どうされました?」


 アッシュが暢気に訊いてくるので、「……ぃ、いや、別に」とだけリーナが答えた時には、ギルド内のどよめきを引き連れたその人物が、既に此方に向かって歩いて来る気配があった。


リーナは鳥肌が立った。


「待たせてしまったかしら。アッシュ君」


 その声は恐ろしいほどに冷たく澄み、艶やかで、鋭さも備えていた。


今しがたまでギルド内に籠もっていた騒々しい熱気を、全て凍りつかせるような声だった。吹雪の雪山に放り込まれたような錯覚を覚える。


「あぁ、おはようございます」


 声がした方に振り返ったアッシュが会釈して、彼女と穏やかな挨拶を交わす。リーナは度肝を抜かれた。というか信じられなかった。


「あの、ローザさん達は……?」


「私以外の3人は、其々に買い忘れたものがあったみたい。ローザは職人街、カルビとエミリアの2人は、アイテムショップ通り寄ってから、こっちに向かうと言っていたわ」


 彼女は馴れ馴れしくない気安さというか、親しみの籠った表情でアッシュと向き合っている。


「もう少ししたら来ると思うけれど。……準備が悪くて、ごめんなさいね」


「いえ。待ち合わせの時間には、まだまだ余裕もありますから。謝って貰うようなことではないですよ」


 アッシュは穏やかに口許を緩めていて、彼女との会話にも気負った感じがない。自然体だ。ゆったりとさえしている。


 だがリーナの方は、顔を引き攣らせまくって身体を仰け反らせ、驚愕と共に困惑するしかなかった。


 だって……。


“べヒモス・フリーザー”などと呼ばれ、多くの冒険者から一目置かれるどころか恐れられている彼女が――。


あのネージュ=グラキエースが、その息を飲むような怜悧な美貌に、優しい微笑みを浮かべてアッシュを見つめているのだ。


 滅多に見られないようなネージュの微笑みに、周囲の冒険者達の中からは驚きと共に、うっとりとした溜息にも似た切なげな吐息が幾つも漏れ出す気配があった。


 周りの男たちにはネージュの美貌に見惚れているようだが、リーナは動揺から立ち直るのに精一杯だった。


 え……、なに、何なの……?

 これは何ごとなの……? どういう状況……?

 ちょっと意味不明なんだけど……。

 最低等級の雑魚アッシュが、なんで……――。


「な、なぬ、ぅな、なんで、ネ、ネージュさんが、アッシュと……」


 リーナはおろおろとしながらも何とか声を絞り出したが、その視線をアッシュとネージュの間で行き来させてしまう。


 その不用意な眼差しを受け止めたネージュが、ゆっくりとリーナに向き直った。冷厳と澄んだ薄青い瞳が、リーナを見据えてくる。


「……貴女は?」


 ひぃん……。


リーナの喉の奥で、小さく悲鳴が漏れた。


 表情を消したネージュの眼差しは、リーナを刺し貫いてくる氷の大槍さながらだった。


 えっ、怖っ……。


 無意識のうちに唾を飲み込んだリーナは、背筋を伸ばしてしまう。ギルド内にいる他の冒険者達が、好奇の眼差しを遠慮なく向けてきているのが分かる。


 だが、ネージュの存在感に飲まれているリーナにとっては、そんなものは全く気にならない。いや、気にする余裕もない。


「あっ、いやっ、私は、えぇと何て言うか、コイツの知り合いで、ちょっと話をしてただけで……っ」


「ふぅん……。そう」


 リーナに向けられるネージュの声音は冷え冷えとしていて、心臓が冷たくなる。歯の根が鳴りそうだ。おっかない。身体が勝手に逃げ出しそうだ。


 ただ、ネージュからリーナに対する悪意は感じない。それに敵意もだ。多分、ネージュ自身にリーナを威圧しようという意思は無いのだろう。


 その証拠に、「何か大事な話の途中だったのなら、少し外すけれど」と、リーナを気遣うようなことも言ってくれる。


「い、いえっ、そんな大事って言うほどの話ではないんですけど、その……」


 リーナは答えながら腹筋に力を入れて、ネージュの目を見つめ返した。


「ほら、コイツってソロじゃないですか。だから今度、うちのパーティに同行しないかって話をしてたんです」


「……あぁ、なるほど」


 さっきまでのリーナ達の状況を察した様子で、ネージュは頷いた。


「貴女も、アッシュ君に同行を依頼しようとしていたのね」


「ぅえっ? 貴女“も”っていうことは、その……」


 何度も瞬きをしながら、リーナは反射的にアッシュとネージュを見比べてしまう。一瞬、理解が追い付かなかった。



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