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アイツ、今頃なにしてんだろ……。<リーナ視点>







 キュアニス鉱洞の入り口、その近場にある岩に腰掛けたリーナは、遠くの夕日をぼんやりと眺めていた。


 今日の探索も、無事に一段落したところだ。魔物もそれなりに狩ったし、クラン内での怪我人も出ていない。魔骸石をはじめ、魔物由来の素材の収穫も上々。

 

 だが、賞金首のネクロマンサーについては、今日も空振りだった。ゾンビの姿も見つけられない。


 まぁ、そう簡単にいかないことは覚悟の上だ。

 

 「明日は別の穴から入ってみるか~……」


 ぐぐぐっと両腕を上げて、リーナは伸びをした。


 充実感のある甘い疲れが、身体に染みている。

 埃っぽい風には既に夜の気配があった。

 

 荒涼とした静けさの向こうからは、クランを組んだメンバー達の騒ぐ声が聞こえてくる。ロイドやレオンのはしゃいだ声も混じっていて、どうやら酒盛りでもしているらしい。


 騒ぎたい気持ちも分かった。


 もしもネクロマンサーを見つけられなくても、このまま魔物を狩り続けてアードベルに帰れば、それなりの稼ぎが出るはずだからだ。

  

 今回のリーナ達の冒険は、ほぼ成功していると言っていい。


 その安心感も手伝ってか。


 ふっと脳裏を過ったのは、頼りないアッシュの姿だった。


「……アイツ、今頃何してんだろ」


 ドブ掃除でもしてんのかな?  いや、どっかのゴハン屋さんの手伝いとか? 前に入った飲み屋の店主が、アイツは料理が上手いとか言ってて、ちょっとびっくりした。


 冒険者としてのアイツが、コツコツ頑張ってるんだろうなってのは分かる。ああ見えて根性あるし。意外と勇気もあるし。むしろ、怖いもの知らずというか……。


 乾いた風が髪を撫でていくのを手で抑え、リーナは苦笑した。


 夕日に透かされた記憶が、意識の端に立ち昇ってくる。


 あれは、リーナが養護院に居たころ。



 ――オリビアもアッシュも、まだ小さかった頃の景色だ。



 リーナ達が育った養護院は、『慈悲と涙の女神“ルミネーディア”』を崇拝する女神教の神殿、その敷地内に建てられていた。


 神殿の周囲には警護に雇われた冒険者達が常に警備にあたっており、基本的には侵入者の心配などはない安全な場所だった。


 だがある時、都市内部では本来ありえないことだが、養護院の庭に狼が迷い込んできたことがある。黒っぽい体毛の、痩せた若い狼だった。


「GUUUURRRRRRRR……!!」


 しかもそれは、ちょうどリーナ達が庭に出て遊んでいたときだった。


 あとで分かったことだが、この日の神殿警護についていた獣遣いの中級冒険者が、少しの間だけサボって持ち場を離れ、酒を買いに出ていたらしい。


 この冒険者が持ち場を離れる際、一応の見張りに待たせておいたのが、この黒い狼だったという話だ。


 テイムされた獣というのは、術者の魔力によって行動と欲望を拘束されており、本来なら従順で頼りになる冒険の相棒となる存在だ。狼などはオーソドックスで、テイムすれば特に忠誠心の高い動物として認識もされていた。


 ただ、その獣遣いの冒険者は、やはり警備をサボるだけあってやや性格に難があり、パーティやクランを点々としながら問題を起こし、その度に追放された経験を持っていた。


 彼は相棒である筈の狼に十分な食事を与えるだけの稼ぎもなく、そんな主人の下にいた狼も、長いあいだ腹を空かせ続けていたそうだ。


 その空腹が野生に火を点けたのか。


 弱く柔らかい肉の気配を敏感に察知した狼は、吼えまくりながら養護院の庭に走り込んできたのだ。


 子供のときのリーナから見て、その狼は痩せていながらも身体も大きく、まさに怪獣以外の何物でもなかった。


 庭で遊んでいた年上の子たちは狼の登場に驚き、一目散に逃げ出した。慌てたリーナも走り出そうとした。


 だが、すぐに転んでしまう。逃げるのが遅れた。幼いリーナが立ち上がろうとしたときには、涎を垂らして唸りを上げる狼が、もうリーナのすぐ近くまで来ていた。


 痩せているとはいえ成体の狼にとって、幼いリーナなど無力な餌食に過ぎない。


 リーナが悲鳴を上げたとき、一度は逃げ出していたオリビアが戻ってきてくれた。オリビアは怯えながらもリーナを抱きすくめ、狼から庇うようにしてくれたのだ。


「あっちに行きなさい! あっちへ……!」


 オリビアは手を乱暴に振って、狼を遠ざけようとしていた。


 だが、まだ子供のオリビアがどれだけ威嚇しようとも、そんなものに怯むような狼ではなかった。狼は唸りながら、飛びかかる距離を探るようにして、リーナとオリビアの前をうろうろとするだけだ。


 歯を剝いて鼻に皺を寄せた狼は、リーナ達に明確に襲い掛かろうとしていた。


 怖かった。動けなかった。リーナは目を瞑って、ぶるぶる震えながらオリビアにしがみ付くしかなかった。


「あっちに行きなさい! 来るな、来るな……!」


 リーナを守ろうとするオリビアの声も、ほとんど涙声だった。


 この時のリーナは、もう泣いていた。


 怖い。怖い。怖い。怖いよう。

 誰か。誰か助けて。誰か。助けてよ。助けて。誰か。

 そう念じながら薄っすらと目を開けて、周りを見た。

 でも、誰も居ない。


 他の子たちは狼を怖がって逃げてしまった。やけに静かだった。オリビアよりも年上で背も高い子供たちは、今は養護院の中で本を読んで勉強している時間だった。


 神殿で働く大人たちや、警護にあたっている他の冒険者達がこの場に駆けつけてくれる前に、自分はこのままオリビアと一緒に、狼に食べられちゃうんだと本気で思った。


 だが、そうはならなかった。


 吼えていた狼がビクリと身体を揺らし、別の方へと顔を向けた。


 誰かが、ゆっくりと近づいてくる足音がした。

 芝生を踏むその足音は、とても柔らかかった。


 あの時は、そよ風が優しく吹いていたと思う。

 芝生が揺れて、空も晴れていた。


 リーナ達に近付いてきたのは、アッシュだった。


 落ち着き払った様子のアッシュは、狼に怯えて抱き合うような恰好のリーナとオリビアを一瞥し、すぐに狼へと視線を戻した。


 あのときのアッシュの、恐怖や勇気などといった感情の動きとは、ほとんど無縁のような静かな表情は、今でも強く印象に残っている。


 養護院に居た頃のアッシュは、拘束具のような黒い首輪を常に着けていた。


 薄い金属板を精緻に組み合わせたような首輪で、表面には魔術紋様が幾重にも描かれていた。


 その物々しい首輪と、小柄なアッシュの肌の白さとのコントラストに、リーナは子供ながらにある種のグロテスクさと、得体の知れない異様さのようなものを感じていた。


 あの頃のアッシュは物静かというよりも寡黙で、自分のことを話そうとしなかったし、誰かと仲良くなろうという姿勢も殆ど見せなかった。


 他者を攻撃的に威嚇するということは一切無かったが、むしろその静けさによって、徹底的に他者を遠ざけようとしている風だった。

 

 だから余計に、当時のアッシュの持つ不気味さのようなものが際立っていたように思う。


 そんなアッシュが、ゆったりとした足取りで狼とリーナ達の間に割って入ってきたときは、心底驚いた。


 狼の餌食という立場を、リーナ達に代わりに引き受けようとしているような風情だった。


 リーナはオリビアにしがみつきながら、アッシュの背中をずっと見ていた。


 私よりチビのくせに、やけに大きく見えた。


 そのアッシュの背中の向こうには、身体の大きな黒い狼が全身の毛を逆立たせて、牙を剥いて吼えている。 


「アッシュ……」


 このときになって、とうとうオリビアも泣きだした。

 アッシュが来てくれて、安心したのかもしれない。


「UOONNN!! GUAAA……!!」


 重心を落として吠え猛っていた狼は、自分の餌食の前に割り込んできたアッシュに、まず狙いを定めた。


 とうとう飛び出してきた。

 物凄い素早さで、がぶっと噛みついた。


 アッシュの右腕、その肘の少し下あたりだ。狼は痩せていても、その体と力の強さは本物だったはずだ。


 あんなチビのアッシュが、太刀打ちなんてできるわけがない。勝てっこない。アッシュが押し倒されると思った。そして、そのまま無茶苦茶に食べられてしまう。


 リーナは息を止めて、ぎゅっと目を瞑った。


 でも、すぐに開いた。

 アッシュを助けなきゃと思った。

 私の方がお姉さんなんだから。


 幼い体に宿っている全ての勇気を、振り絞る思いだった。


 でも、アッシュを助けるなんて、そんな必要は無かった。


 狼に噛みつかれながらも、アッシュは立っていた。その小柄な体は、まるで揺らいでいなかった。狼はアッシュの右腕をガブガブしながら頭を振りまくって、噛みついたアッシュの腕の肉を引き千切ろうとしているのに。


 でも、アッシュは態勢を崩さない。


 狼の動きに合わせて揺れているのは、アッシュの右腕だけだ。


 アッシュが着ていた白い長袖が破れ、噛まれているアッシュの腕からは血が、たくさんの血が流れて、無造作に飛び散っていた。


 やけに静かだった。


 暖かい陽射しの中で、アッシュは黙ったままで狼に噛まれ続けていた。無言のままで、狼に身体を差し出して、自分自身の存在を確かめ直すように。


 リーナとオリビアからは、アッシュの表情は見えないままだった。


 そのうち、アッシュが左手をそっと動かした。


 それは攻撃的な動きではなかった。多分だが、狼を撫でようとしていた。狼を落ち着けようとしたのかもしれない。


 だが、アッシュの左手の動きには、無機質な刃のような迫力があった。


 何かを感じたのだろう狼が、ガブガブと噛んでいったアッシュの右腕を放して、飛び離れた。そして警戒するように唸って、身を低くしていた。


 冒険の最中に魔物と対峙したかのような警戒を見せたのだ。


 鼻の頭に狂暴な皺を寄せた狼は、牙を覗かせて再びアッシュに飛び掛かって行こうとしていた。明らかに攻撃しようとしていた。


 だが、先に動いたのはアッシュの方だった。


 血がボトボトと流れて滴る右腕を下げたまま、左手を前にだして、狼に一歩近づいた。


 その時だった。アッシュの正面に居た狼が、怯えるようにビクッと身体を跳ねさせた。そして、大きく下がった。


 あの時、狼がアッシュの眼の中に何を見たのかは分からない。


 ただ狼は唸るのを止め、尻尾を垂れさせ、後ずさりを始めた。アッシュがさらに一歩だけ前に出ると、高い鳴き声を上げた狼は逃げようとした。


 だが、一瞬だけ迷うように重心を前後に移動させたあと、逃げるのではなく、その場にへたり込んだ。身体をガクガクと震わせて、顎を地面に着けるような姿勢だった。


「そんなに怖がらなくても、何もしないよ」


 顎と腹をペタッと地面にくっつけた狼へとアッシュは近づき、しゃがみこんで、無事な左手で狼の頭を優しく撫でた。


 狼は哀れな程にブルブルと身体を震わせながら、まるで命乞いでもするかのように、縋る様な上目遣いでアッシュから目を逸らせない様子だった。


 アッシュが撫でるのをやめても、狼はへたりこんだままで、その場から動こうとしなった。


 立ち上がったアッシュが振り返り、リーナ達に近づいてくる。


 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにし、へたりこんだまま抱き合うリーナとオリビアのすぐ傍まで。


 狼に遠慮なく噛まれまくって、腕の肉がボロボロになっているアッシュだったが、全く痛がる素振りを見せなかった。それどころか、リーナの膝が擦りむいているのを見つけて、治癒魔法を使おうとしたのかもしれない。


 左の掌をリーナの膝の傷に添え、詠唱を始めかけたところで、はっとした表情になった。


「これぐらいの傷だと、治癒魔法を使うよりも薬の方がいいのかな」


 呟くように言いながら、リーナの傷を見るアッシュの表情はひどく真剣だった。


「誰かに手当して貰おう。……大丈夫? 痛くない?」


 アッシュは自分自身の怪我には一切関心を払うことなく、リーナの心配をしてくれていた。不器用だが冷静な、彼なりの優しさのようなものを感じた。


 洟を啜って腕で涙を拭ったリーナは、「うん」と頷くのがやっとだった。


 アッシュの左手が、オリビアの右手を引いて立たせた。そのオリビアに支えられて、リーナも立ち上がる。そこでようやく狼が立ち上がり、身体の自由を思い出したように逃げていった。


 温もりのある風が吹いて、足元の芝生が柔らかく揺れていた。


 長袖が破れたアッシュの右腕に、何か複雑な紋様のようなものが見えた気がしたが、その時は尋ねる気にはならなかった。そういえばアッシュは、今まで肌を見せない服を着ていたなと、ぼんやりと思ったぐらいだった。


 あのあと、持ち場を離れていた獣遣いの冒険者には厳しい罰則金が科せられた。逃げた狼は、神殿を警護していた他の冒険者に捕らえられ、別の獣遣いが引き取ったということだった。



 ……今にして思うと、碌でもない冒険者ってマジで害悪だなぁ。


 今は同じく冒険者になったリーナだからこそ、あのときのことを思い出すたびに苦い憤懣が募った。

 

 いい加減な仕事で他者の命が脅かされるという実態は、冒険者という職業が担う責任と必要性の大きさの証だろう。


 それを放棄するような冒険者は、業界全体にとってマイナスイメージでしかない。

 

 またリーナの脳裏に、頼りなさそうに笑うアッシュの姿が浮かんだ。

 

 今のアッシュは雑魚でも、そういう冒険者ではないはずだ。それは分かる。治癒術士として、しかもソロで頑張ってる。


 いや、でも、実はどっかのパーティに誘われてたりして……。


 アッシュが誰かに勧誘されているシーンを想像しようとして、リーナは途中でやめた。


 ないない。あり得ないって。5等級のアイツに声をかけるモノ好きなんて、私ぐらいでしょ。


「次に会った時は、同行ぐらいさせてあげてもいいかな~」


 リーナはもう一度伸びをしつつ、今回の有意義な冒険話を、いずれアッシュにも披露してやろうと思った。今日は夕日が綺麗だ。









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