第176話 桜餅と、餡のこだわり
夜も更けた頃。
ここは——
深夜食堂「しのぶ」。
暖簾が揺れ、春の空気が少しだけ入り込む。
カラン。
「こんばんわ」
入ってきたのは常連の小倉さんだった。
手には、小さな紙箱。
「しのぶさん、マサさん、八恵子さん——差し入れです」
「おっ、悪いねぇ」
マサが笑いながら受け取る。
忍も続く。
「ほんと、いつも悪いわね」
小倉さんが照れくさそうに頭をかく。
「甘いやつです」
箱を開けると——
ふわりと広がる、桜の香り。
淡い桜色の餅に包まれた和菓子。
その上には、塩漬けの桜の葉。
見た目にも美しい——桜餅だった。
「おっ!桜餅かい」
マサが一つ手に取る。
「道明寺じゃないけど……葉っぱ巻いてあるんだな」
小倉さんが頷く。
「そうなんですよ。甘い餡と、この塩気が合うんですよ」
忍が目を細める。
「春って感じねぇ」
小倉さんが続ける。
「それに、ここの桜餅——」
少し得意げに言う。
「こし餡、潰し餡、つぶ餡、選べるんです」
「へぇ!」
八恵子が興味を示す。
「珍しいわね」
小倉さんが頷く。
「和菓子って、こし餡が多い気がしますよね」
忍がすぐに言う。
「私はこし餡派かなぁ」
一つ手に取りながら微笑む。
「滑らかな口当たりが好きなのよ」
八恵子も一つ選ぶ。
「私は潰し餡ね」
少し楽しそうに。
「粒が残る感じがたまらないの」
マサは迷わず一つ掴む。
「俺はつぶ餡だな」
ガブッとかじる。
「この食感がいいんだよ」
小倉さんがほっとした顔になる。
「よかったぁ」
少し笑って言う。
「**全種類、買ってきましたから**」
三人が顔を見合わせて笑う。
「気が利くなぁ」
マサが呟く。
忍がお茶を出す。
「こういうのは、みんなで食べるのがいいのよ」
静かな時間。
桜の香りと、お茶の湯気。
それぞれ違う餡を選びながら、
他愛もない会話が続く。
八恵子がぽつりと。
「同じ桜餅でも、全然違うわね」
マサが頷く。
「餡でこうも変わるかってな」
忍が微笑む。
「好みって面白いわね」
小倉さんが湯呑みを持つ。
「でも——」
少し嬉しそうに言った。
「こうやって食べるのが、一番美味しい気がします」
マサが笑う。
「違いを楽しめるってのも、いいもんだな」
暖簾の向こうで、
春の夜風が静かに揺れていた。
――――――――――
深夜食堂 しのぶ
ひとこと
「甘さと塩気——
それが合わさると、ちょうどよくなる」
――――――――――
マサのひと言
「料理も人もな——
ちょっと違うくらいが、ちょうどいい」




